醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  1011号  白井一道

2019-02-28 11:21:40 | 随筆・小説


  第二回米朝首脳会談


 
侘助 朝鮮半島に平和が訪れることを心配する元防衛大臣たちがいる。
呑助 朝鮮半島の北と南の国が仲良くなることを心配するとはどういうことなんですかね、
侘助 日本が心配だということのようだ。
呑助 なぜ日本の安全が脅かされるとそれらの人々は心配しているんですか。
侘助 元防衛大臣の森本敏氏は中国に日本の主権が奪われてしまうと、アメーバテレビで漫才師ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏に答えていた。
呑助 中国の台頭を恐れているということですか。
侘助 大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が敵対するのではなく、仲良く平和に暮らし始めることを隣人として喜ぶのではなく心配する。恐れる。元防衛大臣中谷元氏なども口を開けば、日本国民の生命、財産を守るためには防衛費を増額し、韓国には北朝鮮と敵対していてもらいたいという意図のようだ。
呑助 朝鮮戦争は1953年に休戦し現在に至っているということなんですよね。だから朝鮮半島の北と南はずっと戦争状態が続いていたということですか。
侘助 第二次世界大戦の後遺症かな。朝鮮戦争は。
呑助 ベトナムも北と南に分断されていたんですよね。
侘助 ベトナムの民衆は辛い思いをさせられた。1940年、フランスの植民地であったベトナムに日本軍が進駐してから1975年4月30日、南ベトナムアメリカ大使館屋上にベトナム国旗がはためくまでの35年間戦場下にあった。私はテレビのニュースで見たベトナム国旗がアメリカ大使館屋上に翻った映像は今も生々しく脳裏に焼き付いている。
呑助 ベトナムは北ベトナムが南ベトナムを半ば支配していたアメリカ軍を南ベトナムから追い出しベトナムの南北を統一し、ベトナム社会主義共和国が成立していますね。
侘助 ベトナムでは激しい戦争を経て統一国家が成立した。もし朝鮮半島では平和的な話合いによって南北統一国家を成立させることができたら、こんな素晴らしいことはないと思うがね。
呑助 そうですね。私もそう思いますね。
侘助 アメリカは社会主義国家が拡大していくことに恐怖している。韓国と北朝鮮が仲良くしていくことが社会主義の拡大ということにはならないと思うが、中国の勢力が拡大するとアメリカや日本政府は考えているのかもしれないが、中国とも仲良く平和的に共存する道を歩み、互いに尊敬し合う関係を取り結んでいけばいいことだと思うがね。
呑助 第二次世界大戦とは、社会主義国ソ連を打倒する戦争だったように思いますね。
侘助 第三次世界大戦ともいえる米ソ冷戦はアメリカの軍拡競争にソ連は参ってしまった。ソ連経済は破綻してしまった。ソ連国民や東欧諸国の国民はソ連の軍拡に協力させられ、貧しい生活を強制される被害を受けた。アメリカは米ソ冷戦に勝利し、世界の覇権を握ったが今度は中国に世界の覇権を脅かされている。
呑助 アメリカは中国に対しても軍拡競争を仕掛けて中国を潰そうとしているのかもしれませんね。
侘助 中国指導部はソ連の失敗に学んでいるからそうやすやすと負けるようなことはしないのではないかと思うな。
呑助 それは中国国民の生活を少しでも豊かにして軍拡に全精力をつぎ込むようなことはしないのじゃないのかな。
侘助 アメリカはラテンアメリカ、アジア、アフリカの富を吸い上げて軍拡に富を集中し、アメリカ国民の生活を犠牲にすることはしなかったが、中国との軍拡競争ではソ連を打ち負かしたようにはいかないのではないかと思うな。
呑助 中国人には三千年の戦略思考がありますからね。そうやすやすと負けるようなことはないと思いますね。また世界中に華僑がいますよ。華僑はまとまっていますからね。

醸楽庵だより  1010号  白井一道

2019-02-27 12:39:56 | 随筆・小説


 『レ・ミゼラブル』を思い出す



句郎 フランステレビが日本の刑務所を取材した。そのドキュメントを見た。
華女 どんな内容だったの。
句郎 少子高齢化が進む日本社会は刑務所の中も高齢化が進んでいる。65歳以上の服役者が増えてきているという。
華女 どのような罪で服役している人が多いの。
句郎 軽い窃盗を繰り返す人が多いという。
華女 なぜ、罪を悔い改めないの。
句郎 まず第一に刑務所の中は安全だという。
華女 日本は刑務所の中より社会は危険性に満ちているということなの。
句郎 高齢者にとって娑婆は危険に満ちているということなんじゃないのかな。身寄りのない高齢者。収入のない高齢者。住む場所のない高齢者。特に女性にとって俗世間は危険に満ちているようだ。
華女 屋根のある部屋で冬を過ごしたいということなのね。
句郎 ホームレスの人々にとって刑務所はホテルになっている。だから今や刑務所は刑務官より介護者の方が多いくらいだとフランスのテレビは報じていた。
華女 悲しい話ね。
句郎 子供のころ読んだ『ああ無情』を思い出した。19世紀のフランスでも屋根のある所で休みたいと思い罪を犯し、早く捕まえてくれと警察に行く犯罪者の話を思い出した。
華女 日本社会はちっとも豊かになっていないということね。
句郎 私が子供のころと比べてみると遥かに今の方が豊かになっていると思う。しかし、貧しい人々が大勢日本にはいるということも事実なんだと思う。
華女 住井すゑさんの言葉を思い出すわ。その社会の本質はその社会の最も弱い者に現れると、言っているのよ。
句郎 社会の歪はその社会の最底辺に赤裸々に現れてくるということかな。
華女 社会で最も弱い人が高齢者の女性、身寄りのない女性、収入のない女性よ。頼れる人のいない女性よ。最後に頼れるところが刑務所と言うことなのかもしれないわ。
句郎 刑務所の中は清潔、寝具もきれいに洗濯されている。規則正しい生活、食事を心配する必要がない。
華女 自己責任を問う社会にあっては、同情を得ることは難しいわね。
句郎 若いころ、何をしていたんだと言われるよね。
華女 盛り場に生きる若い女性の言葉を思い出すわ。「私は死にたいの」と、言っていたわ。体を売って生きることは永遠の冬を生きているみたいだとね。痛くないならすぐにでも死にたいわと、ね。
句郎 身寄りのない、収入のない高齢者になった時、最後に頼れるところは刑務所なのかもしれないな。
華女 子供を持った女には、強く生きる女性もいるのよ。子供のために生きる。そのような女性はいると思うわ。
句郎 生きる目的があるからな。
華女 昔の女はそうだったんじゃないのかしら。私の母なんかもそうだったように思うわ。私の母の一生はただ自分の子供ためだけに生きた女性だったように思うわ。
句郎 男も基本的にはそうなんじゃないのかな。家庭をもって妻と子供のために働き、生きる。そうなんじゃないのかな。この当たり前なことが厳しすぎると感じる人がいる。会社の倒産、首切り、病気、怪我などや不慮の災害などで悲劇に見舞われることがあるからね。
華女 刑務所が終の棲家となるような高齢者がいる社会というのは悲しいことね。
句郎 二百年前の社会と変わらない現実がある日本社会だということを認識することは大事だよね。
華女 社会は変わっていっているようで変わらないところもあるということね。
句郎 資本主義社会は封建社会と比べてみると遥かに良い社会になった。資本主義社会は自由だ。自由は強い者にとって有利な社会だ。弱者には厳しい厳しい社会だ。

醸楽庵だより  1009号  白井一道

2019-02-26 13:34:10 | 随筆・小説



 葛の葉の表見せけり今朝の霜    芭蕉




句郎 この句には異型の句が伝えられている。「くずの葉のおもてみせけり朝の霜」『芭蕉翁真蹟集』、「葛の葉のおもて也けりけさの霜」『雑談集』。芭蕉は推敲している。
華女 この三句を比べて読むと「葛の葉の表見せけり今朝の霜」がすっと心に入ってくるように思うわ。
句郎 俳句は懐紙に一行で書かれたものを詠んで味わうものだったから、漢字交じりの一文が読みやすいということなのかな。
華女 五七五の文字がくっきりとした映像を喚起するように思うわ。
句郎 「葛の葉の表見せけり」の方が「くずの葉のおもてみせけり」より文字が喚起するイメージが明確になるということなのかな。
華女 「くずの葉のおもてみせけり」は「朝の霜」ね。分かるわ。「今朝の霜」を表現するのは「葛の葉の表見せけり」よ。
句郎 「今朝の霜」と「朝の霜」では喚起する映像が違ってくるということか。
華女 そうよ。「今朝の霜」と「朝の霜」では、全然違うわ。
句郎 「葛の葉のおもて也けりけさの霜」。この句の場合は文体の迷いのようなものがあるように感じるな。
華女 「朝の霜」となると緊張感がほぐれてのんびりしてしまうわ。
句郎 葛、葛の花というと秋の季語になっているんじゃないのかな。
華女 葛は秋の七草になっているわ。
句郎 春の七草は知っているような気がするが、秋の七草は知らないな。
華女 春の七草は七草粥にする風習があったんでしょ。無病息災を祈ったというじゃない。秋の七草は愛しさを愛でていたみたいよ。
句郎 秋の七草とは、何なの。
華女 「秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花」と『万葉集』の中で山上憶良が詠んでいるのよ。それは「萩の花、尾花(をばな)、葛花(くずはな)、なでしこの花、をみなへし、また藤袴(ふぢはかま)、朝顔の花」と憶良は詠んでいるわ。
句郎 万葉の時代から日本人は秋の七草を愛でていたんだ。
華女 万葉の頃から日本人は秋という季節に強い思い入れがあったのよ。秋を彩る花の第一が萩よ。小さな花よ。
句郎 萩は綺麗だと中学生の頃感じていたな。尾花とは、どんな花を言うの。
華女 尾花とは、ススキの花穂のことを言うのよ。
句郎 ススキか。秋といえば、ススキのような気がするな。私は日光で生まれ、育った。子供心にもススキはいろいろなことをイメージさせる草だと思った。
華女 葛の花も萩の花のように小さな花よね。
句郎 葛というと子供の頃、母親がよく葛湯をつくって飲ませられた記憶があるな。
華女 葛の根の澱粉が食用、薬用といろいろ使い道があったみたいよ。
句郎 葛餅とか、葛切りかな。
華女 葛餅の好きな女性は多いわよ。上品なお茶請けのように見えるでしょ。
句郎 葛は大変役に立つ植物で、昔から食用、薬用、織物用などに利用されてきた。貝原益軒は『大和本草』の中で「其ノ人ヲ救フコト五穀ニツゲリ」と書いている。
華女 「葛の葉の表見せけり」と芭蕉が詠んだのは「葛の裏風」という言葉があるからじゃないのかしらね。
句郎 「葛の裏風」とは、どんな風なの。
華女 夏の炎天下、土手を覆い尽くした無数の緑の葛の葉の海を白い波が渡って行く光景を見たことがあるでしょ。それを葛の裏風というみたいよ。だから「葛の葉の表見せけり」と詠んだ時、風のない静かな朝の時間を表現しているのよ。
句郎 今朝の霜の白さと葛の葉がまだ緑を失っていない風景に芭蕉は詩を見つけたのかな。
華女 葛の葉の命の強さを芭蕉は感じたのよ。



醸楽庵だより  1008号  白井一道

2019-02-25 15:55:10 | 随筆・小説


  報道の自由について 沖縄県民投票を巡って


侘助 民主主義国には自由がある。社会主義国には自由がないと言う人がいる。自由ということについてちょっと考えてみたい。
呑助 確かに昔のソ連や中国には自由な言論がないのは事実なんでしよう。
侘助 現在の日本社会に自由な言論があるのだろうか。私は自由に言いたいことが言えると思っている。しかし新聞やテレビを見ていて思う。沖縄で辺野古に米軍の新基地を建設することに賛成か反対かを問う県民投票が行われたが本土の新聞やテレビは十分報道しているようには思えない。
呑助 本土の日本人にとって沖縄の米軍基地の問題は自分には関係のない問題として受け止めている人は少ないように感じますね。
句郎 沖縄が日本国の一部である以上、全国の問題であるにもかかわらず、日本国民の関心が低いのはメディアが十分報じていないからではないかと思う。
呑助 日本の言論の自由度は世界で何番目ぐらいなんですかね。
句郎 「世界経済のネタ帳」2018年5月によると日本は世界180ケ国中67位になっている。韓国は43位、アメリカは45位につけている。
呑助 日本は韓国やアメリカより言論の自由度が低いということなんですか。
句郎 沖縄県知事玉城氏は「反対の票が43万票を超え、投票総数の71・7%を占めている。数字のとらえ方、分析の仕方はそれぞれの判断と思うが、われわれは投票結果に基づいて民意は反映されていると受け止めている」と発言したと沖縄タイムスは報じたが本土の新聞は「1996年の県民投票では基地の整理縮小、地位協定の見直しに賛成が有権者数の54・32%で、半数を超えた。今回は有権者数の37・6%で、半数を超えていない」と言うような沖縄自民党所属県会議員の発言内容を報じていた。もちろん沖縄タイムスも沖縄自民党所属議員たちの意見も報じている。
呑助 朝日、読売、毎日、産経などの新聞やNHKを代表とするテレビは投票総数が60万5385人であり、反対票が43万4273票であった。反対の票が71・7%を占めている。このようなことを大きく報道することはなかったということですか。
侘助 投票率が5割を超えたこと。その71パーセントの人が辺野古に米軍の新基地建設をすることには反対だと表明しているということを報道していない。民意はメディアがつくりだしている。
呑助 沖縄の民意は沖縄の二社の新聞によってつくられているという人がいますね。
侘助 沖縄の新聞は沖縄県民と直に接しているからね。沖縄の県民の意思を反映しているのじゃないの。それに対して本土の新聞は国民より政府権力者の近くにいるから政府の意向を反映した記事を書いているのかもしれない。
呑助 特に政治部の記者たちは政権与党の有力者と常に接しているので政権与党の意思を反映するような記事を多く書くようになるのかもしれませんよ。
句郎 政権の政策を国民に宣伝させるのがメディアの役割だと考えている政治家がいるのじゃないのかな。
呑助 メディアというものの社会における役割とはそのようなものだと政権は見なしているのじゃないですか。
侘助 だから政府を批判することは反日だという主張が生れて来る。
呑助 そうなると旧ソ連や現中国と同じですね。
侘助 政権が国民のための政治をしている限りおいて政権を批判することは反日かもしれないが、政権が国民に害を与えるようなことをする時には政権を批判することが親日だと思う。沖縄県民の大多数が米軍基地を新たに沖縄に作ることは沖縄県民に害を与えることだから止めろと意思表示した。安倍政権の意思は沖縄県民に被害を与えるものだと表明している。

醸楽庵だより  1007号  白井一道

2019-02-24 14:51:44 | 随筆・小説


  短歌は歌う。俳句はひねる。

句郎 今日は短歌と俳句の違いについて考えてみたい。
華女 難しそうな問題ね。
句郎 哲学の命題に「歴史的なもの」と「論理的なもの」という問題がある。
華女 歴史的なものと論理的なものとは関係があるのかしら。
句郎 「歴史的なもの」と「論理的なもの」とには同一性があるということなんだ。だから短歌と俳句の違いについて考えるには歴史的にまず考えてみると論理的に短歌と俳句の違いが見えてくるということなんだ。
華女 まず短歌の始まりというのは『万葉集』よね。
句郎 そう。だから『万葉集』の歌とは歌うものだった。例えば万葉の情熱的な女性の歌人というと額田王でしょ。私は高校生の頃「あかねさす むらさきのゆき しめのゆき 野守がみるや 君のそでふる」という歌を習ったことを覚えている。
華女 君というのは後の天武天皇、大海人皇子のことよね。
句郎 あなたがそんなに袖を振って私に呼びかけるのを野守が見ているじゃないですかと、額田王は恥じらいながら歌っている。
華女 大海人皇子は額田王の歌を聞き、「紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも」と返しているわ。
句郎 大海人皇子が蒲生野で狩りをしたときに、額田王が詠んだ歌だと言われている。額田王は大海人皇子との間に子供をもうけていたが、この歌を額田王が詠んだ時にはすでに額田王は大海人皇子の兄、中大兄皇子、後の天智天皇の妻になっていた。
華女 飛鳥時代の男女関係はおおらかな社会だったのよね。妻問婚だったからよね。女は飛鳥の昔から男が帰るのを待っていたのよ。男が通ってこなくなったら女は捨てられたも同然だったのよ。
句郎 大海人皇子は額田王に未練があったのじゃないのかな。だから大海人皇子は額田王に袖を振った。
華女 額田王も大海人皇子に対してのまだ熱い気持ちが残っていたのよね。
句郎 そうなんだろうな。男女の関係の厳しさがなかったのだろう。おおらかに男も女も自分の気持ちを声に出して歌った。まだ平仮名が生れる前の社会だった。文字は万葉仮名といわれる漢字の音を日本語の音に使ったものだった。万葉仮名を用いられる女性は少なかった。万葉仮名を使える人は大変なエリートだった。そのような社会における若い男女は自分の気持ちを声に出して歌う以外に方法がなかった。和歌とは平安時代に至るまでは実際に声に出して歌うものだった。その伝統は宮中において継承され、現在に至るまで続いている。天皇家にあっては今も歌会初めの儀が行われている。
華女 俳句は歌うものではないのかしら。
句郎 俳句は読んで楽しむもの。歌うことはない。『古今和歌集』の最後に俳諧歌が載せられている。室町時代になると連歌が流行し、その中から「俳諧の連歌」が生れた。俳諧とは笑いの歌だ。その笑いとは卑猥なものだった。卑猥なものであるがゆえに庶民の間に広がった。その中から俳句は生れて来る。
華女 芭蕉が楽しんだものも「俳諧の連歌」というものだったのよね。
句郎 そう、芭蕉が詠んだ句とは俳諧の発句というものだった。この発句というもの五七五を懐紙に書いた。懐紙に書かれた発句を読み、脇の句七七と詠み継いだ。
華女 「第三」はまた五七五と詠んでいくのよね。
句郎 懐紙に書かれた句を読み、鑑賞し、その世界を捻って新しい世界を詠むということなのかな。
華女 芭蕉は言葉を磨き、卑猥で下品なものだった笑いの文芸を上品なものにしたのが芭蕉の俳句なのね。
句郎 江戸時代の町人や農民たちが文字、平仮名、漢字を覚え、懐紙に書く文芸を獲得した。それが俳句だった。俳句は書かれた句を読み味わう文芸として始まった。

醸楽庵だより  1006号   白井一道

2019-02-23 11:52:57 | 随筆・小説


  日韓基本条約成立に伴うその後の日韓の対立の構図とは、



侘助 日韓間の政治的対立が表面化しているね。
呑助 韓国の若い弁護士さんが日本の新日鉄住金の本社を訪れ、元徴用工への賠償に応ずるよう求めたが新日鉄住金は門前払いをしたようですね。
侘助 韓国の弁護士さんたちは、新日鉄住金が韓国内に持つ資産を差し押さえ、売却し、賠償金にすると述べた。
呑助 いよいよ日本の企業は無理やり元徴用工への賠償をさせられるということですか。
侘助 このような問題が起きるのは1965年の日韓基本条約に問題があるのじゃないかと考えているんだ。
呑助 1965年の日韓基本条約にですか。
侘助 1965年6月、日本の佐藤栄作政権と韓国の朴正煕軍事政権との間で調印された条約なんだ。 この条約は日本が韓国を朝鮮半島の唯一の合法政府と認め、韓国との間に国交を樹立することであった。 1910年の「韓国併合に関する条約」など、戦前の諸条約の無効を確認した。 同条約は15年にわたる交渉の末に調印されたが、調印と批准には日本国内にも韓国内にも大きな反対運動があった。
呑助 日本国内における反対運動の理由は何だったんですか。
侘助 朝鮮戦争と密接に関係していることなんだ。朝鮮戦争に苦戦していたマッカーサー司令官は核兵器原爆の使用を主張した。トルーマン大統領は休戦を決意していた。1951年4月、マッカーサー司令官を解任する。1953年1月、アメリカにアイゼンハワー大統領が就任、3月ソ連の指導者スターリンが死去すると、朝鮮戦争休戦の機運が生れ、1953年7月休戦協定が成立する。以来現在にいたるまで朝鮮戦争の休戦は継続している。米軍は日本を朝鮮戦争の後方基地として整え始めた。と同時に行く行くは韓国とともに北朝鮮と戦う日本にしたいとアメリカは考えていた。その第一歩が日韓基本条約だった。だから日本国民は朝鮮戦争に巻き込まれることを恐れて日韓基本条約調印に反対した。連日国会を取り囲むデモ隊が日韓基本条約反対のシュプレヒコールがあげていた。韓国は韓国で日本の植民地支配から解放され、日本に対する嫌悪感が国中に充満していた。アメリカが日本と韓国を仲介し話合いを始めたがまとまらない。アメリカから意を受けた佐藤栄作氏は日韓双方の有力者に金をばらまき話合いを成り立たせたと元参議院議員の平野貞夫氏は述べている。
呑助 日本の保守政治家と韓国の保守政治家とが良く言えば協力しまとめたものが日韓基本条約であり、その条約に伴って結ばれた「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」だったということなんですね。
侘助 そうなんだ。「請求権協定」に基づいて日本は韓国に五億ドルの賠償金を支払った。その第一条には「前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない」と規定している。こうして日本の企業と韓国の企業は大金を得ることができた。こうしたウィンウィンの関係を取り結ぶことによって日韓基本条約は成立した。
呑助 日韓基本条約は日本と韓国の保守政治家を結びつけ、仲良くなったということなんですか。
侘助 日韓双方の企業や政治家たちは双方の国民を犠牲にして金を得ることができたんだからね。
呑助 そこで忘れられた人々が日本の植民地下日本企業で奴隷労働を強制された徴用工や性的奴隷にされた慰安婦たちだった。韓国政府からも日本政府からも見捨てられた人々だったということですか。
侘助 政府間における賠償は支払い済みとして解決している。また請求権の保護権を日韓双方の政府は放棄している。だから韓国の個人が日本企業から受けた損害に対して韓国政府が韓国国民の請求権を保護することはしないと日本政府に約束している。同様に日本国民が韓国に残してきた財産などの請求権を日本政府が保護することもしないと韓国政府に約束している。がしかし韓国政府も日本政府も韓国国民が個人として日本企業から受けた損害に対する賠償の請求権は認めている。もちろん反対に日本国民が韓国に残してきた財産の請求権を日本政府は保護することはしないが請求権の存在は認めているのだ。

醸楽庵だより  1004号  白井一道

2019-02-22 13:02:10 | 随筆・小説



 滋賀県 美冨久酒造 三連星の酒を楽しむ
  

侘輔 今日は違う酵母で醸した酒を味わうというテーマで楽しみたい。
呑助 酵母は酒が生れていく過程でどのような働きをするんですかね。
侘助 酵母と言う微生物は糖を食べて生きている。酵母は糖を食べるとアルコールと炭酸ガスを吐き出す。
呑助 酵母がお酒を排泄物として出しているんですか。お酒とは微生物の排泄物なんですか。
侘助 人間に悪さをする微生物もいるが人間生活を豊かにしてくれる微生物がいる。
呑助 今日楽しむお酒は清酒酵母が生むお酒とワイン酵母が生むお酒の違いなんですか。
侘助 日本酒とワイン。お酒が生れて来る過程にどのような違いがあるのか、そのことがます分からないとね。
呑助 日本酒とワインは最も代表的な醸造酒ですね。
侘助 最も大きな違いは日本酒の場合は並行複発酵のお酒なのに対してワインは単発酵のお酒だということかな。
呑助 並行複発酵とは、どのようなことを言っているんですか。
侘助 並行複発酵とは、一つのタンクの中で麹がお米の澱粉を糖分に変える化学変化と糖分を酵母がアルコールに化学変化させる過程が同時に起こることを並行複発酵という。
呑助 水と蒸米と麹と酵母を同時にタンクに入れるとお酒ができてくるということですか。
侘助 原理的にはそういうことなのかな。実際にはいろいろ複雑な手順があって難しいけどね。
呑助 単発酵というのはどういうことなんですか。
侘助 ワインの原料はブドウでしょ。ブドウには糖分が満ちている。だから穀物の澱粉を糖分に化学変化させる必要がない。ブドウの糖分を食べる酵母はワインを吐き出す。日本酒の醸造に比べてワインの醸造は単純なんだ。
呑助 ブドウを踏み潰したタンクにワイン酵母を入れるとワインができるということですか。
侘助 ワイン酵母は甘い水が大好き、どんなに甘くても美味しく食べられる。ワイン酵母に対して清酒酵母はあまりにも甘い水には耐えられずに死んでしまう。
呑助 清酒酵母は甘さに弱いということですか。
侘助 そうらしい。清酒酵母は甘さには弱いがアルコールには強い。
呑助 清酒酵母はアルコールに強いということはどういうことなんですか。
侘助 清酒酵母は、糖を食べてアルコールを吐き出し、自分の出したアルコールに最終的には溺れて死んでしまう。清酒酵母の場合、およそアルコール度が20%ぐらいになると死んでしまう。
呑助 ワイン酵母の場合はどうなんですか。
侘助 ワイン酵母の場合には13、4度位になると死んでしまう。清酒酵母は甘さには弱いが、アルコールには強い。ワイン酵母は甘さには強いがアルコールには弱い。
呑助 だからですか、ワインは日本酒に比べてアルコール度数が低いのは。
侘助 甘さと酸味にワインの味があるとすると清酒は仄かな甘未、酸味と旨味に日本酒の味がある。ワインに比べて高いアルコール度に日本酒の特徴があると思っているんだ。今、甘い酒が人気だから美冨久酒造さんは甘さと酸味のある酒を醸した。

醸楽庵だより  1004号  白井一道

2019-02-21 13:30:30 | 随筆・小説



  馬かたはしらじしぐれの大井川   芭蕉



句郎 元禄4年の冬、芭蕉は、大井川を渡って塚本如舟亭に宿を借りた。芭蕉は馬に乗って島田宿を後にした。
華女 芭蕉は馬方の後姿を見て感じたことを詠んでいるのね。
句郎 大井川の水量は雨が降ると増水した。その結果、川渡り賃は高くなった。川風は冷たい。
華女 褌一つの川渡し人足とは、凄いわね。真冬であっても裸で旅人を肩車して冷たい水の中に入り
 川を渡るのでしょ、
句郎 江戸幕府は大井川や安倍川などには橋を架けず、徒歩での通行と定めていたからね。特に大井川は駿河と遠江の国境であったから、幕府は各藩からの防備を固めるため架橋、通船を禁じていた。そのかわり川渡し人足の仕事を作った。冬場は厳しかったろうけれども仕事にありつけた人足は生きることができた。
華女 冬場の川渡り賃は高かったんでしようね。
句郎 川庄屋は毎日、川幅を測る。水の深さを測る。水の深さは、股通(また
どうし)や乳通(ちちどうし)と呼び、股通の場合は川札1枚が四十八文。大井川の普段の水位は二尺五寸(約76cm)で、四尺五寸(約136cm)を超えると川留めとなったようだ。川庄屋は毎日の川渡り料金を決め、川会所前の高札場に当日の川札の値段を掲げていたようだ。
句郎 特に季節によって川渡りの値段が変わることはなかったみたいだ。
華女 水の深さで値段が変わったのね。
句郎 冬場は水の深さがないから膝くらいまでの時は今の値段にするとおよそ1400円ぐらいだったらしい。腰ぐらいまで水がある時は1500円ぐらい、梅雨を迎え、水量が増え、肩ぐらいまで水があるようになると2800から2900円近く取られるようになった。できる限り水の流れが緩やかで、川底の平らなところを川越人足は探して歩いた。
華女 元禄時代の旅には今では考えられないようことにお金がかかったのね。
句郎 江戸時代はひたすら歩いた。その割に旅の費用は考えるより遥かに高かった。川を渡るにもお金がかかった。関所を通るにもお金がかかる所もあったようだから。
華女 そのような時代に私がまだ行ったこともないような所に芭蕉は歩いて行っているということが凄いと思うわ。お金を工面して旅をしているのよね。家族をもった男の出来ることではないわ。
句郎 島田宿から馬に乗った芭蕉は時雨れた大井川を渡ることがどんなに大変だったか馬方さんはお分かりじゃないでしよう。そのような気持ちに芭蕉はなった。
華女 芭蕉のその気持ち分かる気がするわ。高校生の頃、学校で合唱祭があったのよ。私は伴奏のピアノを弾いたけど、うまく弾けなかったの。苦しかったわ。能天気な母が私たちの合唱を聞き、よかったわよと言った時、私はどんなに苦しかったか、母にはわからないだろうなと思ったわ。
句郎 我関せず、ひたすら馬の口を取り、歩いていく馬方の姿を見て、ふっと湧いてきた思いが口をついて出た句のように感じるな。

醸楽庵だより  1003号  白井一道

2019-02-20 13:32:32 | 随筆・小説


   宿かりて名を名乗らするしぐれ哉    芭蕉



句郎 元禄4年、芭蕉は島田宿、大井川の川庄屋塚本如舟亭に招かれて詠んだ挨拶吟のようだ。
華女 川庄屋とは、どんな仕事をしていた人なのかしら。
句郎 大井川の川越人足数百人を抱える親方が川庄屋と言われていた人のようだよ。
華女 大井川には橋が架けられていなかったのね。
句郎 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われていた
からな。
華女 大井川の関所は厳しかったということなのかしら。
句郎 江戸幕府が大井川に橋を架けることを許さなかった。その理由は「入り鉄砲に出女(でおんな)」。江戸に武器が持ち込まれることを防ぐ。また各藩の江戸住まいの女が国許に帰ることを禁止していた。江戸幕府は大井川に橋を架けることを禁止した。その結果、川越人足が板の上に人を乗せ、川を渡った。
華女 芭蕉は肩車に乗って川を渡ったのかしら。冬
 の川だから川幅も狭く、それほど深い所も無かったのではないかと思うわ。芭蕉が元禄4年に大井川を渡ったのは旧暦の10月下旬の頃だったのでしょう。新暦に直すと12月の中旬の頃みたいだから、川の水は冷たかったんじゃないのかしら。
句郎 真冬の大井川を肩車して渡ったとしたらどのくらいのお金がかかったのかな。
華女 芭蕉は、江戸に向かっていたのよね。大井川を渡ったところが島田宿よね。
句郎 芭蕉は川庄屋塚本如舟とは知り合いたったのじゃないのかな。芭蕉は東海道を何回か、行き来しているからな。その度に芭蕉は如舟亭で俳諧を楽しんでいたのかもしれない。だから長い前詞がある。「時雨いと侘しげに降り出ではべるまま、旅の一夜を求めて、炉に焼火して濡れたる袂をあぶり、湯を汲みて口をうるほすに、あるじ情あるもてなしに、しばらく客愁の思ひ慰むに似たり。暮れて燈火のもとにうちころび、矢立取り出でて物など書き付くるを見て、「一言の印を残しはべれ」と、しきりに乞ひければ、」と芭蕉は書き、この句を残している。
華女 芭蕉と如舟は親しい知り合い、友人だったのかもしれないわね。
句郎 突然、芭蕉は塚本如舟宅を訪ね、一泊の宿を求めたのかもしれない。
 突然時雨れて来たので、名を名乗る気持ちになりました。一宿お願いできませんかとね。「そんな飛んでもないことだ。よくぞ私を頼ってくれた。ありがたい話だ。今宵、芭蕉さんと俳諧を楽しめるじゃないですか」と如舟は浮き浮きして芭蕉を招き入れてくれた。
華女 芭蕉は慎み深く如舟邸に上がり、挨拶をかわしたのね。
句郎 「宿かりて名を名乗らするしぐれ哉」と知り合いを頼ったことをそのまま詠んだ。
華女 「光を放せ凩の月」と如舟は芭蕉の発句に対して付けているみたいよ。
句郎 芭蕉の発句に対して如舟はただちに冬の月を詠み、答えているということなのかな。
華女 俳諧と言うのは、対話の遊びだったのね。対話が楽しいのよね。

醸楽庵だより  1002号  白井一道

2019-02-19 13:36:32 | 随筆・小説


  子供虐待に思う


侘助 千葉県野田市に住む十歳の少女が父親の虐待によって死亡した事件があった。母親もまた父親の娘に対する虐待を止めなかったという理由で逮捕された事件があった。この事件に日本の悲劇が表現されている。
呑助 日本の悲劇ですか。
侘助 子供は弱者だからね。最も弱い存在が子供と老人、心身に「障害」を持つ人々だ。
呑助 弱い者いじめが横行しているということですか。
侘助 父親もまた弱かった。弱かった故に更に弱いものを虐待した。
呑助 強い父親だったら自分の子供を虐待するようなことはしないでしょうね。
侘助 昔、サリドマイド薬害事件があった時に障害を持って生まれてきた子供を捨てた親がいた。捨てられた子供は児童養護施設で成長した。そのことを知った母親は自分が捨てた子供に会いに行き、謝ったという新聞記事を読んだ記憶がある。母親はただひたすら泣いて誤ったと新聞記事は報じていた。
呑助 私も記憶がありますよ。子供さんは母親を許したということなんですよね。
侘助 障害を持って生まれてきた子供を大事にして育てていく親がいる一方で捨てる親がいる。子供を大事に育てていく親より、どちらかかというと捨てたいと思っている親の方が多いという話を聞いたことがある。
呑助 今、子供を育てていくことが厳しいということなんですかね。
侘助 元文科大臣の馳浩さんが子供は社会のものだと発言していた。馳さんは子供たちが心配なく、安心して生活できるような配慮が必要だと主張している。私は馳さんの主張を聞くと彼の子供に対するやさしい気持ちが伝わってくる。そのような政治家がいることに安らぎがある。しかし野田市の児童に対する対応に日本社会が反映しているようにも思う。児童相談所職員は保護者を怖がっている。虐待を受け、助けを求めている子供より自分の身を大事にしている児童相談所職員たちがいる。その職員を援助しようとしない役所の組織がある。
呑助 自由な競争を謳歌する社会にあっては、強者は讃えられますが、弱者は誰からもかえりみられることはないですからね。
侘助 虐待をする大人もいじめをする子供たちも現代社会の膿のような存在だと思う。
呑助 競争社会から落ちこぼれていく者の負の遺産ですか。
侘助 栗原容疑者は1月24日、アパートの部屋でで千葉県野田市立小学校4年生の栗原心愛さんの頭髪を引っ張って冷水を掛けたほか、首付近を両手でわしづかみにするなど暴行し、傷を負わせたと報じられている。
呑助 大寒の日に風呂場で冷水を父親が10歳の娘にかけた。残酷なことをする父親ですね。案外、直接会って見るとおとなしそうな人なのかもしれませんよ。
侘助 そんなことをする親がいるはずがない。これが普通だよね。この普通なことが普通であり続けることが難しい状況が生れていたということなんだと思う。子供が社会のものである以上、社会は子供を親から引き離し、まず子供を安全安心な場所に保護し、親に対する援助が必要なんだと思うな。
呑助 子供を間違って産んでしまったということですかね。
侘助 普通は、子供を産み、育てていく過程で男は父親に、女は母親になっていく。誰でも初めから母親や父親になるわけではない。子供を育てていく中で親になっていく。しかし親になることの難しさに負けてしまう人がいる。親になる援助を必要とする人がいるということなんじゃないかな。
呑助 いつの時代も親になる厳しさ、大変さのようなものはあるんじゃないですかね。
侘助 そうなんだろうな。その大変さに耐えるのが子供への優しさ、愛なんじゃないのかな。