醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 176号  聖海

2015-07-28 14:46:33 | 随筆・小説
きょっぽ
 他者がわからない

 「のりこえねっとtv」が戦後70年スペシャル「千円札に伊藤博文が登場」というテーマで田中宏さんの話を放送した。田中宏さんは岩波新書『在日外国人』の著者だ。読後感は清々しいものであった。どんな話をするのか、期待をした。話は期待を超える内容の話だった。自らの経験に基づく、他者を理解する難しさを指摘するものであった。
 田中さんは大学卒業後、日本に来る留学生を支援する公的団体に就職した。そこでの経験をもとに話し始めた。台湾から日本に留学してきた学生から聞いた。伊藤博文という人はアジア諸国に大変な迷惑をかけた人である。朝鮮人の怒りをかって、中国のハルピンで射殺された人である。我々アジアの人間にとって伊藤博文という人は思い出したくもない人である。その人の肖像が千円札になっている。千円札は毎日のように使う。千円札を使う度に伊藤博文の肖像画を見なければならない。我々の国を植民地にした人の肖像を毎日見せつけられているようなものだ。それがどんなに嫌なものであるのか、日本人にはわからないのだろうか。こういう話を田中さんは台湾からの留学生から聞いた。それ依頼、田中さんは伊藤博文の千円札を財布に常時入れている。この留学生から聞いた話を忘れないためにと話していた。
 また、ベトナム戦争中、南ベトナムから来た留学生の話をした。東京大学というのは日本のもっとも程度の高い大学だと聞いているが、とんでもない大学だ。学生たちがフランス語で話しかけてくる。我々ベトナム人にとって、フランス語は無理やり強制されて覚えさせられた屈辱の言語だ。こんな言葉を使いたくないベトナム人の気持ちがちっともわかっていないとベトナム人留学生がぼやいていたという話だった。さらに当時日本共産党機関紙『アカハタ』に掲載された広告について話をした。その広告にはフランス語を学んでインドシナ諸国の人々との交友を深めようというフランス語学習会の広告であった。ベトナム語ではなく、フランス語を学ぼうという広告にベトナム人留学生が日本の左翼の限界を感じたということであった。『アカハタ』を作っている誰もが問題を感じなかったに違いない。ここに問題の深さがあると田中さんは指摘していた。
 朝鮮を植民地支配した日本は朝鮮人に日本語を強制した。きっと朝鮮人にとって日本語を使うということは屈辱以外何物でもないに違いないが、その朝鮮人の気持ちが日本人にはわからない。日本語で小説を書く在日韓国・朝鮮人作家がいるがその屈辱感を私はなかなか理解できないような気がする。
 ヤン・ソギルは在日朝鮮人の作家である。日本で生まれ育った在日朝鮮人二世のようだ。私は彼の小説が大好きである。面白い。だから好き。彼の小説を読み、日本語で小説を書く屈辱感のような倦厭感を彼の文章から感じたことがない。この文章の裏にはきっと日本語でしか小説を書くことができない哀しみや屈辱のようなものがあるのかもしれない。がしかし、私には分からない。
 言語は人間の心をつくる。日本語を話す人が日本人だ。母から学んだ言語がその人間の民族を決める。言語を奪うことはその人間存在そのものを奪うことなのかもしれない。現代の日本人は日本語を奪われた経験を持たない。だから言語を奪われた哀しみや苦しみを知らない。が今、TPPによって日本語が壊されそうになっている。日本語が非関税障壁として英語が強制されようとしている。英語を自由に操れる人が評価されるような時代が来ようとしている。だからこそ、英語を使うことに抵抗感を持たない人々が増えていくことに危機感をもたなければならないだろう。英語を学ぶことを否定しているのではない。英語を学ぶ以上に日本語を大切にすることが今、日本人として大切なのではないかと私は思う。

 

醸楽庵だより 175号  聖海

2015-07-25 15:52:23 | 随筆・小説

 安倍政権の発言には詭弁が多い。

 今、私は孫崎享さんの著書『日米開戦の正体』を読んでいる。なぜ、安倍政権には詭弁が多いのかを序章の中で米国の心理学者レオン・フェスティンガーが唱える「認知的不協和論」を用いて説明している。
 例えば、原子力発電推進者の「認知的不協和」を説明し、ここに詭弁が生まれると述べている。原発にとって、地震はもっとも危険なものである。地震多発国の日本にとって、原発は危険極まりないものである。にもかかわらず、原発は再稼働しなければならないと政府・安倍政権は考えている。ここに「認知的不協和」が発生する。精神的にすっきりするには原発再稼働を止めることであるが、それができない。この不協和を和らげるためにどのような処置をするかというと、原発にとって地震は危険だという認識をできるだけ認識しなくて済むような配慮する。原発のコストは安い。化石燃料の輸入量が増大し、貿易赤字が増える。原発を稼働しなければ十分に国民に電気を供給できない。エネルギーの長期ビジョンに基づくと、原発は再稼働しなければ、日本経済が持続的に発展できない。CO2 を削減するためには化石燃料への依存度を下げ、原発を再稼働しなければならない。このような認識を広めることによって地震が原発にとって危険だという認識を薄める。こうして「認知的不協和」を解消する。こうして精神の安定は得られても、原発にとって地震は危険であるという現実はなくならない。
 現実にある危険を危険として認識することなしには現実の危険を取り除くことはできない。安倍政権は現実にある危険を危険として取り除くことをしない。だから国民に精神的安定感を与えるために、原発のコストは安い。化石燃料の輸入量が増大し、貿易赤字が増える。原発を稼働しなければ十分に国民に電気を供給できない。エネルギーの長期ビジョンに基づくと、原発は再稼働しなければ、日本経済が持続的に発展できない。CO2 を削減するためには化石燃料への依存度を下げ、原発を再稼働しなければならない。このような発言をする。この発言によって現実にある地震による原発の過酷事故の恐怖を取り除くことはできない。これらの政府発言は国民の精神安定をはかるための詭弁だということになる。
 TPPへ日本は加入する。このようなことを安倍政権は述べている。TPPの最大の問題は日本が主権国家で無くなることである。なぜなら、貿易における非関税障壁を取り除き、自由貿易を実現する。これがTPPのようだ。日本語が非関税障壁だと云われれば、英語が強制されてしまうのかもしれない。日本社会に固有な規制をしている法律や条例が非関税障壁だと訴えられると損害を賠償しなければならなくなるようだ。このような現実の変化が起きることを十分に安倍政権は説明しない。米を米国から輸入する。その輸入米の量の問題であるかのような報道は一種の詭弁にほかならない。
 「平和安全法制」は自衛隊が海外に出て武器を用いることを認めることである。だから戦争法案である。にもかかわらず「平和安全法制」という。この法案の名称そのものが詭弁である。フジテレビに出演し、安倍総理は火事を例に取って「平和安全法制」の紙芝居をした。隣りの家が火事になったら消火に駆けつける。これは集団的自衛権ではないだろう。これをもって集団的自衛権というのは詭弁であろう。
 沖縄辺野古に米軍のための新基地を建設することは日本の平和と安全のための抑止力だと主張する。沖縄の人々は辺野古に米軍基地ができると爆撃される危険性が高まるといって辺野古新米軍基地建設に反対している。日本の平和と安全を守るということ自体が詭弁だ。日本国民である沖縄県民が平和と安全が今より更に危険になると新基地建設を止めてほしいと政府に要望している。日本本土の国民に詭弁が通用しても沖縄県民には通用しないようだ。
 ウソと詭弁の安倍政権には一日も早く、退陣してほしいものである。

醸楽庵だより 174号   聖海

2015-07-24 15:10:57 | 随筆・小説

 芭蕉がしたこと

 芭蕉が山形の立石寺で詠んだ句、「閑さや岩にいみ入蝉の声」を作家の車谷長吉は文学だと述べている。なぜ、この句が文学なのか、車谷長吉は説明していない。
 芭蕉の門人の土芳は著作『三冊子』の「しろさうし」の中で述べている。「むかしより詩歌に名ある人多し。みなその誠(まこと)より出て、誠をたどるなり。我師は誠なきものに誠を備へ、永く世の先達となる」。今から300年以上前に芭蕉が詠んだ句を現代に生きた車谷長吉が文学だと述べている。芭蕉は「誠なきものに誠を備へ永く世の先達と」なっている。「誠を備へ」たものが文学ということなのであろう。文学とは言えないものであった俳諧を芭蕉は文学にしたということなのであろう。
 芭蕉以前の俳諧は文学とは言えない。芭蕉の門人去来はその著『去来抄』の「修行教」の中で述べている。「先師常に曰、上に宗因なくんば我々が俳諧、今以て貞徳の涎をねぶるべし。宗因は此道の中興開山也といへり」。貞徳の句には誠が備わっていない。宗因の句には誠が備わる可能性を秘めていたということなのであろう。「貞徳の涎」と芭蕉が言った句に次のものがある。「ゆき尽す江南の春の光かな」。松永貞徳は元亀2年(1571年)に生まれ、承応2年(1654年)に亡くなっている。芭蕉が10歳の時に貞徳は亡くなっている。書かれたものを通して、または人づてに芭蕉は貞徳の句を知ったのであろう。
「ゆき尽す江南の春の光かな」。この句について考えてみたい。「ゆき尽す」、この上五と下の「江南の春の光かな」とがどう結びつくのかが分からない。注釈が必要だ。この句には下敷きになった杜常の漢詩「華清宮」がある。
 行尽江南数十程(ゆきつくすこうなんすうじってい)
 暁風残月入華清(ぎょうふうざんげつかせいにいる)
華清宮というのは、唐の玄宗が楊貴妃と暮らした宮殿。詩は、『玄宗皇帝が安禄山の反乱のために南方の蜀へ数十日かけて逃れた。華清宮には暁の風、有明の月が訪れるのみ。
 この注釈を読み、鑑賞ができる。「ゆき尽す」、歩き尽して、馬車に乗り尽して、舟に乗り尽して、「江南」へ、長江を越えた南の地に開放された春の光に喜ぶ気持ちが伝わってくる。
 小西甚一は『俳句の世界』でこの貞徳の句を取り上げ、「句の姿が好き、みがきあげられた語感の美しさは、りっぱなものである」と絶賛している。芭蕉はこのような句を読み、「句の姿」とか、「みがきあげられた語感の美しさ」を学び、同じような句を詠み「貞徳の涎をねぶった」。「世の先達」になった書、『おくのほそ道』の中にも同じような句がある。「象潟や雨に西施がねぶの花」。「西施」が何を意味しているのかが分からなければ、鑑賞することができない。また「象潟」という土地が今から三〇〇年前には松島に匹敵する風光明媚な場所であったという知識がなければ鑑賞できない。
芭蕉の言葉に従い、「ゆき尽す江南の春の光かな」の貞徳の句に誠が備わっていないとするならば、同じように芭蕉の句、「象潟や雨に西施がねぶの花」にも誠は備わっていないことになる。確かに誠が備わった句「閑さや岩にいみ入蝉の声」のような句がある一方で誠が備わっていない句も芭蕉にはたくさんある。
 芭蕉の句が生まれて三〇〇年、この間に何百万句が詠まれたに違いない。その中にあって誠を備え、文学になっている句が小数あるということなのかもしれない。

醸楽庵だより 173号  聖海

2015-07-23 15:42:20 | 随筆・小説

 夏の肴

侘助 夏の酒の肴(魚)は何が一番かな。
呑助 そりゃ、何といっても鮎の塩焼きでしようね。鮎を河原で塩焼きして食べる美味しさはないですよ。川風の中で鮎の塩焼きと酒は夏の楽しみです。
侘助 そうですよね。スーパーで売っている鮎の塩焼きはどうして川音を聞いて食べる鮎のように美味しくないのかね。
呑助 本当にそうですね。野外で食べる鮎は美味しいですね。
侘助 酒蔵で飲む搾りたての酒が美味しいのと同じかな。
呑助 雰囲気も美味しさのうちでしようかね
侘助 そうかもしれないね。酒蔵で飲んだ美味しい酒を買って帰り自宅で飲むと酒蔵で飲んだ美味しさがないという経験をしたことがあるな。
呑助 いつだったか。京都のホテルにあった料理家で食べた鱧(はも)と酒は絶品でしたよ。
侘助 えっ、ノミちゃん、京都で鱧(はも)を食べた。
呑助 そうですよ。私はチョットした通ですからね。夏の肴は鱧ですよ。
侘助 鱧と酒はお座敷ですよね。山と川、河原の煙と川風の鮎とは風情が違うね。
呑助 漆塗りの座卓と京焼の器と鱧料理、冷えた生酒でしようかね。
侘助 云うね。確かに。旨そうだ。ノミちゃん、若いのに老成しているね。
呑助 そうですか。酒塾で研修を積んでいますからね。美味しく酒を飲むことにかけては贅沢したいと思うようになっているんですよ。
侘助 夏の酒は鮎と鱧かな。
呑助 そんなことないですよ。新島に泳ぎに行ったことがあるんですよ。新島の民宿で食べた「くさやの干物」が癖になりましたよ。
侘助 「くさや」を食べた。私も松戸にあった飲み屋で良く「くさや」を肴に酒を飲んだよ。
呑助 「くさや」は一年中あるみたいだけど、夏に初めて食べたから、夏の干物という印象があるのかな。
侘助 「くさや」はトビウオの干物だよね。だから夏の魚なんじゃないかな。
呑助 そうですよ。その時、トビウオの刺身も肴にして酒を飲んだんですよ。
侘助 トビウオは夏の魚だものね。確かに、さっぱりした白身の切り身がシコシコして美味しいね。
呑助 夏の魚というと私にとっちゃ、第一は鮎でしょうか、次がトビウオかな。鱧はなかなか食べられないような気がしますね。
侘助 そうだね。柏の高島屋か、春日部の西武に行けば、鱧は手に入るかもしれないけれど、料理屋で食べる味じゃないような気がするな。
呑助 私は別にして若者の魚離れが進んでいるというけれども私は、日本酒と日本食の食文化を大事にしていきたいと思っているんです。伝統的な美味しい魚の食べ方を学んでいきたいと思っているんです。もちろん美味しいお酒を楽しみたいからですけれどもね。
侘助 頼もしいね。魚食は日本の食文化の中心と云ってもいいからね。
呑助 肴は魚ですよ。何と言っても日本酒には魚ですよ。
侘助 そうだよね。この頃、私は煮魚が美味しく感じるようになってきたよ。でも勿論、「くさや」、食べたいね。
 

醸楽庵だより 172号   聖海

2015-07-22 12:52:34 | 随筆・小説
 
 ギリシヤ債務問題について、岩月浩二弁護士さんはブログで次のように書いていました。
「背信のチプラス  ギリシャ危機・奪われる民主主義  反グローバリズムの長い道のり」
 国民投票で圧倒的多数の緊縮反対の民意を得ながら、IMF、EU、欧州中央銀行が突きつけた緊縮策より、さらに厳しい条件を承認したチプラスが背信の首相であったことは、明らかだ。

ギリシャ民主主義の勝利はつかの間も続かなかったのだ。国民投票当日、財務相が辞任した。交渉を円滑に進めるために、EUをテロリスト呼ばわりする、EUに対する強硬姿勢が顕著な財務相が自ら引いたという表向きの発表だった。しかし、その後の進展は予想を超えるものだった。議会も圧倒的多数で、超緊縮案を承認した。
ギリシャ国民にとって、これほどの裏切りはない。
国民は十分に知っていた。
反緊縮の道が容易ではないこと、反緊縮の結果、当面は言語に絶する混乱が起きるかも知れないこと。
そうしたことを覚悟して、ギリシャ国民、とくに若者たちは反緊縮に一票を投じたに違いない。
なぜなら、反緊縮のもたらす混乱には未来があるが、緊縮政策には、未来がないことを体感していたからに他ならない。

不可解なのは、チプラスがEUの求める緊縮政策を承認する心づもりであれば、なぜ、土壇場になって国民投票を持ち出しのかだ。
予め、緊縮政策を受け入れるつもりであれば、わざわざ国民投票まで行う必要は全くなかったはずだ。
本来、TPPの強力な推進政党であった自民党が、断固阻止を掲げて勝利したからと言って、参加に先立って、わざわざTPPに反対する民意を明確に確認した上で、TPP交渉に参加するというばかげたことはあり得ない。

国民投票の発表直後、チプラスは、ロシアを訪問した。また、BRICS銀行との関連も噂された。EUに対抗する、何らかの対策を用意しようとしていたようにも感じられた。

ギリシャで起きたことは、ウクライナで起きたことに似ているのかもしれない。ウクライナのヤヌコビッチは、EUの支援からロシアの支援を受ける方針に転換した。その結果、クーデターによって追放された。この顛末と類似した事態が、ギリシャ政界を揺るがせていたとしても何の不思議もない。

今回、改めて浮かび上がったのは、EUでのグローバリズムの盟主はEUの一人勝ち国家、ドイツだということだ。
われわれは、ドイツに対して持つイメージを変える必要があるのかも知れない。
ギリシャ国民は、左翼政権に望みをかけて、急進左派連合を政権に就け、手厳しい裏切りにあった。
次は、極端な民族主義を掲げる極右政党に走るしかないであろう。


この道は、また、第一次政界大戦に敗れ、過酷な戦争賠償に苦しんだドイツの姿と似ている。
当時、ケインズは「平和の経済的帰結」の中で、ドイツに課された、過酷な戦争賠償に警告をならしていた。

ドイツほどの国力を持たず、疲弊しきったギリシャが、戦争を起こすことはないだろうと、EUは高をくくる。
果たして、EU=ドイツの楽観は、正しいのか。
本当のところは、誰にもわからないのではないか。

ギリシャは、土壇場の国民投票のツケを、当初のEU案にはなかった、国有資産の基金化という代償で払わされる。
緊縮政策は、当然ながら、ギリシャ財政をいっそう悪化させる。
ギリシャは、いずれ国有資産を民間に売却せざるを得ない。
ギリシャの国有資産を手に入れるのは当然のこと、グローバル資本である。

これは、侵略であり、植民地支配ではないのか。
見えにくいが、ギリシャ国民は、緩慢に殺されているのだ。
第二次大戦から70年を経て、巨額の戦争賠償を免除される、寛大な措置を受けたドイツは、再び、侵略国家になる。
同じく、寛大な講和の恩恵を受けた極東の島では、こちらは武力による侵略を妄想する者が、国を誤らせようとしている。

全国紙は、なべて投資家目線でギリシャ危機を論じ、国民の立場でこれを論じるものは見いだせない。

 孫崎享さんはツイッターの中でEU諸国は、ギリシアから毎日2リットルの血を抜き取るという漫画を載せていました。ギリシア国民はマイニツ2リットルの血を抜き取られ、死に絶えていくのかもしれない。強欲な資本主義経済の恐ろしさがギリシアとウクライナに表れているのであろう。


醸楽庵だより 171号   聖海

2015-07-20 16:16:10 | 随筆・小説

句郎 華女さん、「年暮ぬ笠きて草鞋はきながら」という芭蕉の句をどう詠んだらいいのかな。
華女 『野ざらし紀行』にある句ね。
句郎 そうだ。『野ざらし紀行』にある句なんだ。
華女 「野ざらしを心に風のしむ身哉」が最初に出てくる紀行文ね。
句郎 そう、その句は高校三年の時に授業で教わり、印象に残っている句の一つなんだ。
華女 死を覚悟して旅立ったけれども笠きて、草鞋を履き、年が暮れた。死ぬこともなく、平穏に今年も暮れた。こんな気持ちを詠んだ句じゃないのかしらね。
句郎 「今年も」じゃなく、「今年は」と云うことなんじゃないかなと思うんだ。
華女 今年は旅に暮れたと、詠んだ句なのね。
句郎 そうなんじゃないかなと思うんだ。
華女 それまで旅に暮れた経験がなかったのね。
句郎 そうなんだ。旅に生 き旅に死ぬ覚悟で始まった最初の旅だったからね。
華女 それまで芭蕉は旅をしていなのかしら。
句郎 芭蕉は伊賀上野の出身だからね。二九歳の時に江戸に出たから当時にあっては立派な旅だったと思うけれどね。帰郷するとか、江戸に出るとか、はっきりした目的を持った旅は経験しているけれども、旅そのものを目的とした旅は『野ざらし紀行』が初めてなんじゃないかな。
華女 あっ、そういうこと。
句郎 四一歳になって、初めて旅そのものを目的とした旅をするようになる。その結果、最終的には旅に死ぬことになる。道野辺に髑髏(されこうべ)を晒すことはなかったけれども江戸に帰ることなく大坂で死ぬ。
華女 まさに「野ざらしを心に風のしむ身哉」という人生を送ったのね。
句郎 芭蕉が芭蕉の人生を生きたのは四一歳から死ぬまでの十年間だった。
華女 この十年間を芭蕉は旅に生き旅に死んだのね。
句郎 そうなんだ。この十年間が「年暮ぬ笠きて草鞋はきながら」という生活だったんじゃないかな。
華女 当時にあっては本当に厳しい生活だったと思うわ。
句郎 確かに、厳しい生活だったと思うけれども、これ以外の生活が成り立たなかったということなんじゃないかと思う。
華女 「笠きて草鞋はきながら」の生活しか成り立たなくなったと言いたいわけなの。
句郎 そうなんだ。深川の芭蕉庵では生活が成り立たなくなった自分の人生を詠んだ句ではないかと思うだけれどね。
華女 芭蕉は俳諧の誠を求めて旅に出たと云われているみたいよ。
句郎 そうなんだ。俳諧の誠を追求する句を詠んでいては門人が集まらない。門人の支援を得て芭蕉の日常生活は成り立っていた。江戸では芭蕉の人気が無くなり、俳席が成り立たなくなった。だからやむなく旅に生きる生活をし始めた。地方に行けば、江戸から来た俳諧師として歓迎してもらえる。俳席を設けてもらえる。生きていくことができた。この実感を詠んだ句が「年暮ぬ笠きて草鞋はきながら」じゃないかなと思うんだけれどね。定住した生活が良いけれども一所不住の生活もまた乙なもんだよとね。