醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  807号  白井一道

2018-07-31 11:12:08 | 随筆・小説


 明治一五〇年に思う⑰



句郎 本田美奈子が歌ってヒットした歌に「アメジンググレイス」があるでしょ。
華女 讃美歌ね。。
句郎 amazing grace とは、何を表現した言葉だと思う?
華女 アメジングとは、「驚くほどの」というような意味で良かったのよね。グレイスとは、「高貴」という意味だったんじゃなかったかなと思うわ。
句郎 この言葉は神の愛に目覚めたときの感動の言葉なんだ。今までの自分を悔い改めたときの感動の言葉らしいよ。私のようなこんな出来損ないのふしだらな者にも神の愛はそそがれているんだと自覚した時の感動の言葉が「アメジンググレイス」のようだ。
華女 二百年以上前からイギリスで歌い続けられてきた讃美歌なんでしょ。
句郎 「アメジンググレイス」の作詞者ジョン・ニュートンは十八世紀、イギリスの牧師だった。彼はリバプールの奴隷貿易商だった。西アフリカで奴隷狩りされた黒人を単なる商品としてジョン・ニュートンは見ていた。が奴隷を船倉に詰め込み西アフリカからカリブ海諸島へ向かっていた時に嵐に会う。ニュートンは九死に一生を得る。この時、神の啓示を得て、西アフリカから運んでいる奴隷の姿に人間を発見したんだ。神の前に懺悔し、改悛したニュートンは牧師になった。
華女 神の愛を自覚するということが懺悔なのね。
句郎 古くはアウグスチヌスの『告白』が有名かな。罪深い自分を懺悔し、神の道に入るということ。キリスト教徒になるということなのかな。
華女 それは復活ということでもあるんでしょ。若かったころ、フェリーニの映画「道」、この映画のテーマも「復活」だったように思うわ。ニーノ・ロータの「ジェルソミーナ」が胸に染みた思い出があるわ。
句郎 無慈悲で残酷な奴隷貿易で築かれた富が産業革命の資金になった。 イギリス奴隷商人は銃などの武器と西アフリカ黒人を交換する。武器を持った黒人が黒人を奴隷狩りする。西インド諸島の入植白人の農園主と砂糖と奴隷を交換する。このような大西洋三角貿易でイギリス、リバプールの奴隷商人は巨万の富を築いた。この奴隷貿易が資本主義経済を生んだ。マルクスは書いている。資本主義は血と汚物にまみれて生まれてきたとね。
華女 世の中には強者と弱者とがいつの時代にもいたのよね。弱者はどこの世界でも辛い思いをしてしまうのね。哀しいことだわ。
句郎 イギリスでは農村から追い出された過剰人口、ホームレスが溢れていた。リバプールには奴隷貿易で巨万の富を築いた商人たちがいた。でもこれだけでは産業革命は起きなかった。労働者が資本に転化することない。労働者が資本に転化するためにはもう一つの要素が必要なんだ。
華女 それは何なの。
句郎 イギリスではインドから輸入された綿布が流行するんだ。綿布で仕立てたシャツがもてはやされた。イギリスはインドから綿布を輸入していた。少しでも安い綿布を得るには綿花を輸入し、木綿糸を紡ぎ、イギリスで綿布を織ることだと気付いた。
華女 分かったわ。機械の発明ね。道具を改良した機械が発明されたのね。
句郎 そうなんだ。インドから原料としての綿花を輸入し、製品としての綿布をインドに輸出する。安価な綿布の生産を機械が可能としてくれたということなんだ。安価で高品質の綿布をインドはイギリスから輸入するようになってインドの手織りの綿布業者は失業し、ホームレスが大量に出現した。イギリスで綿布業が発展した裏にはアフリカ人の悲しみ、インド人手工業者の苦しみ、イギリス本国では低賃金で働く労働者の苦しみがあった。こうして資本主義は成立したんだ。
  

醸楽庵だより  806号  白井一道

2018-07-30 11:46:00 | 随筆・小説


  明治150年に思う⑯


句郎 明治150年の歴史は日本に資本主義経済が導入、発展、絶頂を極め、黄昏を迎えた歴史だったのかな。
華女 学生だった頃、近代化とは西欧化だということを言っていた友人がいたわ。
句郎 西欧化とは、資本主義化ということなんじゃないのかな。
華女 近代化とは、資本主義化ということなのね。資本主義という経済の仕組みの本質は何なのかしら。
句郎 カール・マルクスが『資本論』の中で解明したことなんだと思う。資本論は凄い本だと思っているんだ。
華女 資本の本質とは、何だとマルクスは述べているのかしら。
句郎 極々平凡な当たり前のことを述べたに過ぎないと考えているんだ。資本とは労働者ということなんだ。
華女 そんなことを言えば、古代ローマ時代にも、中世鎌倉時代にも労働者という人々はいたんじゃないのかしらね。
句郎 そう、働く人がいなければ社会が成り立たないからね。マルクスが主張する「労働者」とは、自分の労働力を売ることなしには生きることのできない人々のことを言うんだ。
華女 ホームレスのような人を言うのかしら。
句郎 そうなんだ。資本主義という経済の仕組みが出来上がってくるころには大量のホームレスが出現していたんだ。
華女 どうしてそんなに封建社会の末期になるとホームレスが出現してきたのかしら。
句郎 商品流通が徐々に大規模化していったんだ。日本でも江戸時代元禄期になると地方の過剰人口、農家の次男や三男が仕事を求めて江戸に流れ込んできていたんじゃないのかな。
華女 イギリスでもそうだったのかしら。
句郎 「イギリスでは有名な「囲い込み運動」があったからね。オランダでの手工業としての毛織物業が活況を呈すると羊を飼育する牧羊業が盛んになるにしたがって有力者が土地を囲い込み、農業ができなくなった者たちがロンドンのような都市に集まりホームレスとなっていった。乞食をするにも鑑札が必要で、鑑札なしに乞食をし、捕まると鞭打ちの刑、三回鑑札なしで乞食をして捕まると処刑された。これをエリザベス朝の血の立法というものなんだ。
華女 エリザベス王朝とは人民に過酷な王朝だったのね。
句郎 このような過剰なホームレスの出現が労働者の誕生なんだ。このように労働者が誕生してくることをマルクスは「資本の原始的蓄積」とか「資本の本源的蓄積」と言っていることなんだ。すなわち労働者の誕生が資本の誕生なんだ。しかし労働者の誕生は資本になる可能性をもった存在にすぎないんだ。可能態として潜在的な存在として資本は存在しているということなんだ。
華女 都市の路上に出現したホームレスの群れの中から生まれてきた経済の仕組みが資本主義という経済だったのね。
句郎 資本主義経済の仕組みはイギリスで誕生したと言われているんだ。『資本論』を読んで感じることはイギリスの産業革命を哲学的に、経済学的に、政治的に解明した著書だということなんだ。
華女 産業革命を解明したことが資本主義の本質を究明したということなのね。
句郎 私はそんな感想をもっている。イギリス産業革命発祥の地はマンチェスターだと言われている。マンチェスターから鉄道で繋がっている港町がリバプールなんだ。世界で最初の実用的な蒸気機関車を用いた鉄道がリバプール・マンチェスター間だった。今、リバプールというとビートルズだけど。17世紀から18世紀のリバプールの港は奴隷貿易の中心地だったんだ。奴隷貿易で得た富が産業革命の資金になった。

醸楽庵だより  805号  白井一道

2018-07-29 09:59:59 | 随筆・小説


  明治150年に思う⑮


句郎 明治150年の歴史は1947年に憲法が制定され、新しい日本が成立したことによって戦前の日本とは決別し、新しい日本が誕生したと言えるのかというとそうではないように思っているんだ。
華女 ということは、戦前の日本と戦後の日本は連続しているということを句郎君は主張したいのね。
句郎 アメリカの世界支配というか、アメリカの覇権維持のため日本は積極的に協力してきた経過があるように思うんだ。米ソ冷戦に巻き込まれることを喜んできたのが戦後日本の政治だったんじゃないかと思うんだ。
華女 現憲法を護持し、自立した国家として世界の国々と平和友好条約を結び、凛として生きる道を日本は取ってこなかったと言いたいのね。
句郎 第五六代、五七代日本国総理大臣岸信介は戦争犯罪人として訴追されながら米軍に無罪放免されている。アメリカ政府の世界政策に日本国が協力することを誓ったからこそ岸信介の戦争犯罪はアメリカ政府によって許されたんじゃないかと思っているんだ。
華女 岸信介はアメリカ政府の世界政策に協力することなしには生きることができなかったということなのね。
句郎 岸信介はアメリカ政府に弱みを握られていたということなんじゃないのかなと思っているんだ。
華女 岸信介は日本国をアメリカの親衛隊に仕立てあげていったということなのかしら。
句郎 とても「優秀な」政治家だったからアメリカから押し付けられた憲法に邪魔されながら上手なウソと秘密を隠し続けながら岸信介と彼につながる政治家たちはアメリカが掲げる東アジアにおける社会主義勢力の膨張を阻止する戦いの駒としての日本を作り上げていった。
華女 戦前の日本は自立した国として大国主義を基本として侵略戦争に継ぐ侵略をして果てた。戦後はアメリカの忠実な部下としてアメリカの東アジアにおける侵略戦争を直接、または間接的に手伝ったということなのね。
句郎 日本というアメリカの思い通りになる国があって初めて朝鮮戦争もベトナム戦争もできたんだと思う。
華女 あの頃、よくドミノ理論という言葉を聞いた覚えがあったわ。何か関係があるのかしら。
句郎 ベトナムが社会主義化したらドミノ倒しのように東南アジア全域が社会主義化してしまうだろう。何としてもそれを阻止したいというアメリカのアジア政策を言った言葉なんだと思う。
華女 1975年4月30日だったかしら、サイゴンが陥落したのよね。
句郎 そう、サイゴンに入場した北ベトナム軍人が大統領官邸の屋上にベトナム国旗を掲げた瞬間の映像は今でも鮮明に記憶に残っているな。
華女 世界最強の軍事力を持つアメリカ軍が世界で最も貧しい国の人民に敗北したのよね。
句郎 ベトナム人にとってこの戦争は民族独立戦争だった。
華女 アメリカ政府はベトナム戦争の敗北を受け入れざるを得ない状況に追い込まれていたのよね。その結果が1972年2月のアメリカ大統領ニクソンの訪中だったのよね。
句郎 日本政府は大きな大きなショックを受けたようだ。戦後日本の政治家の中で自立し凛とした総理大臣というと田中角栄総理大臣だったんじゃないのかな。
華女 そうなのかもしれないわ。おたおたすることなく、直ちに行動を起こし、1972年9月には日中国交回復を実現したんですものね。
句郎 でもこのことが田中角栄失脚につながったのではないかと考えている人がいるようだ。例えば田中側近の一人であった石井一氏の『冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相』によるとキッシンジャーが仕掛け人だったと書いているからね。

醸楽庵だより  804号  白井一道

2018-07-28 06:40:41 | 随筆・小説



  明治150年に思う⑭


句郎 1947年日本国憲法が制定され、天皇主権が国民主権になった。戦前の日本は大国主義であったが、現憲法は戦力、戦争を放棄した小国主義を国の基本としたと言えるのではないかと思うんだ。
華女 剃刀と言われた自民党の政治家、後藤田正晴さんはよく護憲派と言われていたわよね。彼などが自民党のなかでは小国主義の立場の政治家だったのかしら。
句郎 現憲法を大事にしたいと主張する人々は大半が小国主義の立場に立っている人々なんじゃないのかな。
華女 現憲法を改正し、正規の軍隊を編成し、戦争できる国にしようとする人々は大国主義の立場に立つ人々だということなのね。
句郎 でも戦前のように近隣諸国を侵略できるような現代世界はではなくなってきているから、戦前のような大国主義ではなく、アメリカの世界的な覇権に付き従う大国主義なのかな。
華女 日本の自衛隊は世界有数の軍事力を持っているんでしょ。
句郎 ネットで調べてみたら日本は世界第四位の軍事大国のようだ。第一位はアメリカ、第二位はロシア、第三位は中国、第四位が日本のようだ。
華女 日本はドイツやイギリス、フランスよりも強大な軍事力を持つ国になっているのね。
句郎 小国主義を唱える現日本国憲法と実体がかけ離れている状況になってきているんだ。
華女 戦後日本は戦前の大国主義政策により手痛い失敗をしたにもかかわらず、大国主義的なことをしているのね。
句郎 戦後日本政治の実権を握ってきた自民党政治家の中で大国主義者と小国主義者との闘いがあったんじゃないかと思う。
華女 自民党の中に小国主義的政策を実施してきた人々がいたということなのね。
句郎 例えば吉田茂の弟子に池田勇人という政治家がいた。彼につながる人々がそうだったんじゃないのかな。いわゆる宏池会という派閥かな。
華女 今の安倍総理は清和会という派閥なんでしょ。
句郎 岸信介、福田赳夫につながる政治家がおおよそ大国主義的な政策を追求してきたのかな。大雑把なことを言うとね。
華女 戦前も戦後も大国主義的な政策をとろうとする人々がいると同時にその政策に反対し、小国主義的な政策がいいと主張する政治家がいたということなのね。
句郎 アメリカ政府は一貫して日本がアメリカの覇権を扶翼する政治集団を援助してきた経過があるようなんだ。
華女 日本は東アジアにおける米ソ冷戦の最前線基地だったからなのね。
句郎 朝鮮戦争があり、金門・馬祖島砲撃事件、中国・インド国境紛争、ベトナム戦争というように中国を取り巻く地域で軍事衝突事件が1950年代から60年代にかけて頻発していたからね。これは米ソ冷戦とアメリカの中国封じ込め政策と密接に関係のある出来事だったように思う。だからアメリカ政府は日本の軍事力をいつでも自由に使いたいと考えていたんだと思うよ。
華女 そうしたアメリカ政府の意向に沿って日本の自衛隊を使っていこうとしているのが今の安倍政権なのね。
句郎 先日、ネットで孫崎享さんの話を聞いた。今、航空自衛隊がアメリカ空軍と最も一体化しているようだ。空軍内部にあって、アメリカ空軍大佐に会う自衛隊空将は先にアメリカ空軍大佐に敬礼しなければならないらしい。「将」の位を持つ自衛隊員が自分より位の低いアメリカ兵に先に敬礼しなければならない慣習に不満を持つ者がいるのじゃないかというような話をしていた。
華女 自衛隊空軍は日本の自衛隊なんでしょ。それなのに実態は日本の自衛隊空軍はアメリカ空軍の一部に成り下がっている。


醸楽庵だより  803号  白井一道

2018-07-27 13:09:42 | 随筆・小説



  明治150に思う⑬


ブログ 803号
 明治一五〇年に思う⑬
2018.7.26

句郎 明治一五〇年この前半は戦前の日本だった。天皇主権による国家だった。戦前の日本国は明治維新直後の一八七四年の台湾出兵に始まった。その後十年ごとに一八九四年には日清戦争、一九〇四年には日露戦争、一九一四年には第一次世界大戦に参戦する。一九三一年、関東軍は柳条湖で南満州鉄道を爆破した。この爆破事件は中国軍が行ったものだと関東軍は主張し、軍を進めた。一九四五年の敗戦まで15年間にわたって日中戦争が行われた。明治150年の前半、77年間は戦争に継ぐ戦争の時代だった。戦争国家、国家膨張を目指した侵略国家が日本だった。
華女 欧米の帝国主義国家の仲間入りを目指した国家だったということね。
句郎 そういうことなのかな。それは帝国主義国家日本、侵略国家日本、戦争国家日本、軍事国家日本ということなのかな。
華女 それは世界の中で日本が生存競争に生き抜く道であったということなのよね。
句郎 確かに生存競争に生き抜く道だとして帝国主義国家を目指す以外の道が無かったわけではないようにも思っているんだ。帝国主義は大国への道だと思うんだ。他国を侵略し、植民地を獲得する競争に参加する道ではなく、小国主義への道もあったように思うんだ。日本の独立を維持し、他国を侵略しない道だよ。
華女 あらっ、そんな道を歩んだ国があるのかしら。
句郎 明治維新最中の明治4年から明治6年までの1年9カ月余を掛け米欧の条約締結国12か国を歴訪した使節団を明治政府は派遣した。の使節団の特命全権大使が岩倉具視だった。その報告書が『米欧回覧実記』なんだ。この中で小国としてベルギーやオランダの国の状況を報告している。
華女 ドイツやフランスという大国の中にあって小国として独立を維持し、国の尊厳を守っているような印象を持つ国ね。
句郎 そうでしょ。新しい日本国の出発に当たってどのような国をつくっていくのか、ヨーロッパ諸国の実情を調べているんだ。大国主義、軍国主義の国へか、それとも小国主義、他国を侵略しない国を目指すのか、明治政府の指導者たちは検討していた。
華女 明治政府の大勢は大国主義、軍国主義、戦争国家への道を進んでしまったということなのね。
華女 小国主義を唱えた人はいなかったのかしら。
句郎 岩倉使節団に参加した留学生の中に中江兆民がいた。小国主義の主張をしたようだ。
華女 ルソーの『社会契約論』を翻訳し、日本に紹介した人よね。
句郎 その小国主義の思想を継承し、後に日本の総理大臣にまでなった人がいるんだ。
華女 そんな人が日本の総理大臣にいるのね。誰かしら。
句郎 石橋湛山なんだ。戦後総理大臣になった。早稲田大学で哲学を学んだ人だ。湛山は「小日本主義」を唱えていた。
華女 小国主義を唱え、総理にまでなった人がいるのね。大国主義を唱える人々が多数者だったけれども、小国主義を唱える人々も少数者であったがいたということなのね。
句郎 そうなんだ。1874年(明治7年)民選議員の建白書提出が提出が自由民運動の始まりと言われている。自由民権運動を支えた中江兆民を慕う人々は皆、小国主義を唱える人々だった。
華女 自由民権運動は大国主義者たちから弾圧されたのよね。
句郎 台湾出兵をした年に自由民運動が始まったということは、歴史の必然なのかもしれない。一貫して侵略戦争に反対する人々がいたということを歴史は教えているといえるのかもしれない。戦争によって国民の生活は豊かにならないと考えていた人々がいたということなんだろうと思う。
華女 一部の人々が豊かになり、大多数の国民が貧困に苦しむということね。

醸楽庵だより  802号  白井一道

2018-07-26 12:53:30 | 随筆・小説


  明治150年に思う⑫


句郎 戦後日本の上には日本国憲法の上にアメリカ政府がある。そのような状態が戦後73年間続いてきているようなんだ。
華女 日本国の憲法は、国の最高法規だと高校の授業で教わったように記憶しているわよ。憲法の上にアメリカ政府がいるというのは変よ。違っているんじゃないのかしら。
句郎 そうなんだ。日本国憲法の上にアメリカ政府の意向があるというのは間違っている。こんなことがあってはならないんだ。しかしね、日本国憲法がアメリカ政府によっ
て無視されてしまった出来事があるんだ。
華女 それは何という事件だったの。
句郎 砂川事件という出来事なんだ。今でも東アジア地域における米軍基地の中枢は東京の横田基地でしょ。この横田基地の傍にある元日本陸軍立川飛行場を終戦後米軍は接収した。朝鮮戦争が始まると立川米空軍基地が手狭となり、基地拡張計画が持ち上がった。民有地を強制的に接収する米空軍基地拡張に対して地元農民や学生、労働者が集まり、米軍基地拡張反
運動が熾烈に行われたんだ。1957年7月8日,当時の東京都北多摩郡砂川町において,基地拡張の測量に反対するデモ隊の一部が立入禁止の境界柵を破壊して基地内に侵入したとして,デモ隊の7名が「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」違反として起訴された事件が砂川事件なんだ。
華女 その事件と憲法問題とどんな関係があるのかしら。
句郎 第一審の東京地方裁判所の判決が有名な伊達判決というものなんだ。この事件について1959年3月,第1審裁判長伊達秋雄は,「日米安全保障条約に基づく駐留米軍の存在は,憲法前文と第9条の戦力保持禁止に違反し違憲である」として無罪判決を下した。
華女 確かに日本国憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定しているわね。日本国内にある米軍基地にも日本国憲法を適用したということなのね。
句郎 そうなんだ。この判決にびっくりしたのは当時の駐日マッカーサー二世アメリカ大使だった。伊達裁判長が「日米安全保障条約は憲法違反である」と判断したことなんだ。
華女 旧日米安保条約は首相吉田茂が一人でアメリカ政府と結んだ条約ね。
句郎 日本の検察はアメリカ大使の意向を受け、高等裁判所を飛び越し最高裁判所に跳躍上告をした。
華女 最高裁判所はどのような判決を言い渡したのかしら。
句郎 時の最高裁判所判事は田中耕太郎だった。なんと最高裁判長であった田中耕太郎は判決を出す前に駐日アメリカ大使マッカーサーに会い、判決の承認を得ていたようなんだ。独立国日本の最高裁判所判事としてあってはならないようなことをしているんだ。その判決は「アメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。」と判事した。こうして砂川東京地裁一審判決を棄却した。日米安保条約は合憲だと、田中耕太郎最高裁判所長官はこのように判決するとアメリカ駐日大使に約束していたんだ。
華女 日米安保条約に基づく安保法制は日本国憲法より上位の法体制ということになるというわけなのね。

醸楽庵だより  801号  白井一道

2018-07-25 11:08:32 | 随筆・小説


  明治150年に思う


句郎 戦後日本の国体というものを形作ったのはアメリカ政府なんじゃないのかな。
華女 戦後日本の政治体制をアメリカの意向に従って形作ったのが吉田茂や岸信介という人々だったということなのね。
句郎 岸信介はアメリカの意向に従ってA級戦争犯罪人として断罪されながら無罪放免されているからね。吉田茂もアメリカの意向にそって日本の政治を行ったようだから。孫崎享さんの『戦後史の正体』を読んでそんな感想を持った。
華女 そんな時代があったのね。
句郎 韓国政府がアメリカの手先としてベトナム戦争に協力させられたようにね。
華女 731部隊の隊長であった石井四郎も戦争犯罪人として訴追されることなく、放免されているんでしょ。
句郎 中国民間人に細菌の生体実験をして、殺した石井細菌部隊の責任者だよね。隊長はじめ幹部たちも戦争犯罪人として訴追されることなく、無罪放免になっているからね。
華女 連合国はなぜ石井細菌部隊を訴追することなく、放免したのかしら。
句郎 石井細菌部隊の研究成果のすべてを米軍に提供したようなんだ。その結果、米軍は石井細部隊
は訴追を免れたようだよ。
華女 米軍と戦った日本軍人たちは敗戦すると米軍に命乞いをしたのね。
句郎 悲しい話だよね。日本人としての自尊心というか、誇りのようなものがない人々だったのかもしれないな。
華女 官僚とか、軍人という人々には、その時々の強い者に付き従うという傾向があるのかもしれないわよ。そうすることによって出世できると考えているのかもしれないわ。
句郎 米ソ冷戦、中国封じ込め政策の最前線基地として日本を利用するには岸信介を戦争犯罪人として処刑するわけにはいかなかった。石井四郎の戦争犯罪も免責にした。こうしてアメリカは米ソ冷戦に立ち向かったということなんじゃないかと思うんだ。
華女 米ソ冷戦の影が戦後日本政治に大きな影響を与えていたということなのね。
句郎 ソ連の指導者であったスターリンに大きな問題があったように思うんだ。それは独ソ不可侵条約だ。第二次世界大戦は1939年、ドイツのポーランド侵略が始まりだといわれている。ドイツヒトラー軍がポーランドに侵攻したのが1939年9月1日だ。その直前の1939年8月24日早朝、ソビエト連邦とドイツは期間10年の独ソ不可侵条を調印している。この条約には秘密議定書がある。その内容はバルト三国、エストニア、ラトビアおよびリトアニアの三国をソ連が併合することをドイツは認めている。またソ連は同年フィンランドへも侵攻しているからね。これはスターリンの膨張政策だった。米ソ冷戦というのはアメリカの覇権主義とソ連の覇権主義が戦った冷たい戦争だったのかもしれない。特にソ連の覇権主義は冷酷だった。今の北朝鮮を見るとその冷酷さのようなものがわかる。だからといって、アメリカの覇権主義が優しいものであったということはいえない。ベトナム戦争中、アメリカはベトナムの密林に大量の枯葉剤を散布した。その結果が二重体児や目のない子供が生れているというからね。
華女 戦争は人を不幸にするわね。

醸楽庵だより  800号  白井一道

2018-07-24 13:15:05 | 随筆・小説


  明治150年に思う⑩


句郎 米ソ冷戦が東アジアにおいてはアメリカの中国封じ込め政策として展開した。日本政府はアメリカの中国封じ込め政策に積極的に協力させられた。
華女 私たちが若かったころの話ね。ベトナム反戦運動が日本全国の大学で起きたのを覚えているわ。
句郎 保守的な発言をしていた先生たちが今大学には言論の自由がないとブツブツ言っていたのが思い出されるな。
華女 そんな時代があったのね。
句郎 韓国政府もアメリカが行ったベトナム戦争に協力させられてベトナム人民軍と韓国政府軍は戦った。がしかし、日本は憲法九条を盾にして軍隊の派遣を拒否できた。日本国憲法九条は自衛隊員の戦死者を出すことなく、事なきを得た。
華女 アメリカは自国兵隊の戦死者を出したくなかったのね。それで韓国の兵士をベトナムに派遣するように働きかけたということなのね。同じようにアメリカは日本の自衛隊員をベトナムに派遣し、戦わせたったが日本国憲法が邪魔したということ
だったのね。
句郎 そういうことかな。
華女 アメリカが日本に押し付けた憲法がアメリカの外交政策の邪魔をする。アメリカ政府は日本政府に憲法の改正をするよう圧力を加えるようになっていったということなのね。
句郎 戦後アメリカ占領軍は日本の再軍備を懸念して日本国憲法九条を書いた。がすぐ日本の戦争勢力を過大評価したことに気づき、憲法を改正するよう対日政策を変えているんだ。日本国憲法は一九四六年十一月三日に公布され、六か月後の翌年一九四七年五月三日に施行された。この日本国憲法が施行される四か月前の二月一日にゼネラルストライキが国鉄労働組合などを中心に労働運動が盛り上がっていたが、このストライキを占領軍司令官マックアウサーは中止命令を出した。日本の民主化政策を進めたことをアメリカ占領軍はすぐ反省しているんだ。戦後アメリカ占領軍が日本の民主化政策を進めたのはほんの一、二年のことだった。それでも労働組合運動をはじめとして日本の民主化を求める運動は大きく盛り上がった。
華女 その後、日本の民主化を求める運動が進まなくなったのは、日本政府がアメリカの意向を受けて民主化運動を弾圧するようになったからなのね。
句郎 そうなんじゃないのかな。自民党が憲法改正を党是としているという。これはアメリカ政府の意向を受けてのことだと思うよ。憲法九条がなかったら、アメリカは日本の自衛隊員をベトナムに派遣し、米兵の戦死者を少なくすることができたわけだからね。
華女 朝鮮戦争が起きたから自衛隊が結成されたという話を聞いたことがあるわ。
句郎 そうそう、朝鮮戦争のため在日米軍を朝鮮半島に派遣すると在日米軍基地を守る軍隊がいない。それでは困る。その結果自衛隊が創設されたようだ。
華女 そうなの。自衛隊とは日本人や日本国を守るための組織じゃなかったの。
句郎 そうではないみたい。米軍基地を守る武装組織、それが警察予備隊、自衛隊の前身組織だった。


醸楽庵だより  799号  白井一道

2018-07-23 05:59:51 | 随筆・小説


  明治150年に思う⑨


句郎 朝鮮戦争は戦後日本に決定的に大きな影響を与えたのではないかと考えているんだ。それも身から出た錆だとも言えるようにも思っているんだ。
華女 「身から出た錆」とは、どういうことなのかしら。
句郎 日本が朝鮮半島を植民地支配することがもしなかったら、朝鮮戦争は起きなかったかもしれないと思うからなんだけれどね。
華女 どうしてそんなことが言えるの。
句郎 日本が第二次世界大戦に敗北したから、朝鮮
は連合国であったソ連が北側を、アメリカが南側を占領支配することになったからな。
華女 朝鮮が独立国でもし第二次世界大戦に参戦することがなかったら連合国に占領支配されることがなかったのではないかということなのね。
句郎 そういうことかな。
華女 朝鮮半島が南北に分断されたことに日本は大きな責任があるということなのかしら。
句郎 私は大きな責任があると思っているんだけれどね。そうは思っても何もできないけれどね。
華女 でも朝鮮戦争で日本の経済力は大きくなったとも言われているんじゃないの。
句郎 朝鮮戦争やベトナム戦争の特需で日本経済は豊かになったという恩恵を受けている。朝鮮やベトナムの人々の犠牲の上に日本の経済的繁栄があったのは確かなことだったんだろうね。
華女 アメリカは日本の経済力を使うことがでぎたから朝鮮戦争やベトナム戦争ができたという側面もあるように思うわ。
句郎 朝鮮半島の人々に対して戦前は植民地支配し、戦後は朝鮮戦争で日本は大きな被害を与えたことは間違いない事実だと思うな。
華女 その朝鮮戦争のため日本は戦後ずっとアメリカの従属国に強いられてきているのではないかと句郎君は考えているということなのね。
句郎 日本は東アジアにおける米ソ冷戦の最前線基地だったからね。
華女 朝鮮戦争とは、米ソ冷戦の東アジアにおける熱い戦争であったんでしょ。ベトナム戦争はどうだったのかしら。
句郎 ベトナムはもともとフランスの植民地だったところに日本軍が進駐し、フランスを追い出し、日本がベトナムを植民地支配した。日本軍が第二次大戦に敗北するとフランスが再び乗り出してきた。ベトナム人民はフランス軍の進駐を阻止するため武力をもって戦った。これが第一次インドシナ戦争といわれるものなんだ。これはベトナムの独立戦争だった。一九五四年ディエンビエンフーの戦いでフランス軍は手痛い敗北を喫した。この戦いの結果、ベトナム和平実現のためのジュネーブ講和会議が開かれた。南ベトナムに政治的基盤を持っていたフランスはアメリカ、イギリスの支援を得て、ベトナム分断を実現した。ベトナムの分断を拒否したベトナム政府はソ連や中国に説得され、ベトナムは分断されてしまった。しかしベトナム政府はベトナム分断を解消すべく、粘り強く戦い始めた。ベトナムは中ソの大きな軍事的支援を得ることなく、自力で戦いとったベトナム独立戦争だった。ここがベトナムは朝鮮とは違っている。

醸楽庵だより  798号  白井一道

2018-07-22 05:40:01 | 随筆・小説


  山口の名酒「毛利」を楽しむ


侘輔 今日のお酒は一昨年の十二月、忘年会で楽しんだお酒、覚えている人、いるかな。
呑助 皆、忘れていると思いますよ。何という銘柄のお酒なんですか。
侘助 銘柄は「毛利」と言うんだ。
呑助 山口県の酒ですか。
侘助 正解、毛利元就、「三矢の教え」から想像したのかな。
呑助 子供ころ教わったような気がするな。
侘助 病床に伏した晩年の元就が三人の息子にたれた教訓かな。「一本の矢では簡単に折れるが、三本
纏めると容易に折れないので、三人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい」と伝えた話だよね。
呑助 そうですよ。
侘助 戦前の小学校の道徳の教科書に載せられていた話みたいだ。
呑助 「毛利」なんていう銘柄のお酒を飲んだような記憶が全くないというのが実感ですかね。
侘助 坂長さんに聞き、うっすらととても美味しかったお酒だったような記憶が蘇った。
呑助 山口というとまず思い出すのは「獺祭」でしょう。それ以外思い出す酒がないような気がしますよ。
侘助 そうだよね。「獺祭」は圧倒的な人気を博したお酒だものね。
呑助 今日楽しむ「毛利」は「獺祭」に勝るとも劣らないお酒だということなんでしよう。
侘助 もちろん、そうだよ。坂長さんで「毛利」いかがですかと、提案され、いいなと思ったんだ。
呑助 今日楽しむ「毛利」の造りはどうなんですか。
侘助 ラベルを見ただけじゃよく分からないから、ネットで「毛利」を醸す山縣本店さんを検索すると「問い合わせ」という欄があったんだ。そこで早速、問い合わせのメールを送ると直ちに返信が来た。それによると五年前から杜氏をしているまだ若い蔵人が取り組んだ「無濾過原酒」という造りの酒が「毛利」のシリーズのようだ。
呑助 炭素濾過をしていないお酒なんですか。
侘助 炭素濾過をするとお酒の旨味も一緒に取ってしまうようだからね。
呑助 無濾過のお酒は、酒本来の味が楽しめるということですかね。
侘助 原酒だから水で加水し薄めていないお酒ですからね。
呑助 本物のお酒、それが無濾過原酒のお酒ですよね。
侘助 まがい物でない本物の酒を造りたいという杜氏の意気込みを蔵の社長が受け入れて造ったお酒が「毛利」なんじゃないのかな。
呑助 酒造米の銘柄は?
句郎 蔵のある山口県周南市の八代盆地にはナベヅルが飛来する田んぼがあるそうだ。その地域ではナベツル保護に地域で取り組んでいる。農家はナベ鶴保護のため減農薬の米作りに励んでいる。その地域を「ファームつるの里」というそうだ。「ファームつるの里」は盆地にある。盆地は気温の寒暖差が平地に比べて大きいから酒造米山田錦の生育はきっといいんじゃないかと思うよ。その地域の農家と酒造会社山縣本店さんは酒造米山田錦の栽培を契約している。その減農薬の山田錦で醸した酒が今日楽しむ「無濾過原酒純米大吟醸毛利」なんだ。精米歩合は五〇%、九号系の吟醸酵母で醸している。