徒然草29段『静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき』
「静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき」。
静かに思うと、何事につけても、過ぎ去った方々のことが恋しくてしかたがない。
「人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたゝめ、残し置かじと思ふ反古(ほうご)など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足なども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし」。
寝静まった後の長い夜の慰めに何とはなしに道具などを片付け、死んだ後まで残すまいと思い書き損じたものや破り捨てたものの中に今は亡き人の手習いしたものや絵が古びてしまっているものを見つけることほど、その折の気持ちがよみがえってくることはない。このごろある人の手紙を見つけ久しぶりにいかなる折の事だったのかなと思うことほど無常を感じることはない。手に馴染んだ道具類などにも気を付けることもなく相も変わらず、長い年月が過ぎ去ってしまったことに後悔のような哀しさがある。
『徒然草第29段』を読み、どうした訳か、分からないが、森鴎外の短編小説『じいさんばあさん』を思い出した。十代の頃、胸に染みた出来事は将来にわたって強い影響力があるということを感じている。
森鴎外の短編小説『じいさんばあさん』は江戸末期の話である。「文化六年の春が暮れて行く頃であった」と鴎外は『じいさんばあさん』を書き出している。11代将軍家斉の時代の頃の話として老いらくの恋を表現した短編小説が『じいさんばあさん』である。
身分制社会の中にあっても幕末の頃になると好き合った者同士が一緒に生活し始める事態があったということをこの小説を読み、知った。19世紀になると近代社会の萌芽が江戸幕府下に生まれていたと言うことのように思う。現役を退いた者には厳しい社会的制約が緩和されていたのかもしれない。社会的制約の緩んだ所に近代社会の萌芽が芽吹いていたのかもしれない。
「四月五日に、まだ壁が乾き切らぬと云うのに、果して見知らぬ爺じいさんが小さい荷物を持って、宮重方に著ついて、すぐに隠居所に這入った。久右衛門は胡麻塩頭ごましおあたまをしているのに、この爺いさんは髪が真白である。それでも腰などは少しも曲がっていない。結構な拵こしらえの両刀を挿さした姿がなかなか立派である。どう見ても田舎者らしくはない。
爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへ婆ばあさんが一人来て同居した。それも真白な髪を小さい丸髷まるまげに結いっていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。それまでは久右衛門方の勝手から膳を運んでいたのに、婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった」。
髪の毛が真っ白なじいさんの腰などは少しも曲がっていない。結構な拵こしらえの両刀を挿さした姿がなかなか立派なじいさんと真っ白な髪を小さい丸髷に結いっていて、爺いさんに負けぬように品格が好いばあさんがこじんまりとした隠居所に入り仲良く生活し始める。このような状況になぜなったのかを鴎外は説明している。
自分の夫として受け入れた女と自分の妻として受け入れた男は年月を経ても変わることがないということをこの鴎外の小説は表現している。あぁー、人間にはこういうことがあるのだと納得する。男にとっても女にとっても自分の相手になる伴侶は一人と決まっているのかもしれない。自分の伴侶だと感じた人は永遠に変わらないのかもしけない。そのようなところが人間にはあるということを鴎外は表現したかったのかもしれないと年を経てジジィになり短編小説『じいさんばあさん』を感じた。
そう云えば、サマセット・モームの短編小説にも年老いた爺さんと婆さんが仲良く生活する話を書いたものがあったのを思い出したが何という題名の小説であったのかを思い出すことができなかった。印象に残っているのは礼を正した爺さんと婆さんが仲良く言葉少なく生活している様子が表現されていたことのみ印象にある。