醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  837号  白井一道

2018-08-31 13:01:51 | 随筆・小説


 俳句の成り立ちと表現


句郎 「発句は頭よりすらすらと、いひ下し来るを上品とす。先師酒堂に教へて曰、発句は汝が如く二ツ三ツ取集メする物にあらず。金を打延たる如く成るべしと也」と『去来抄』の中で去来は師匠芭蕉の教えを述べている。
華女 芭蕉が最上川で詠んだ「五月雨を集めて早し最上川」のような句が良い句だと言っているのね。
句郎 そのような一物仕立ての句が良いと言っている一方でまた次のようにも言っている。「発句は物を合すれば出来るなり。」とも同じ『去来抄』の中で芭蕉の言葉を述べている。
華女 俳句には一物仕立ての句と取り合わせの句、二つがあるということなのね。
句郎 すべての俳句は一物仕立ての句か、それとも取り合わせの句ということになるようだ。
華女 それから句中に切れのある句と切れのない句、取り合わせの句で、句中に切れのある句と切れのない句があるんじゃないの。
句郎 そうするとすべての俳句は四種類の句に分けられるということなのかな。
華女 『おくのほそ道』黒羽で芭蕉が詠んだ句「夏山に足駄を拝む首途かな」。この句は一物仕立ての句、句中に切れのない句ということね。
句郎 「五月雨を集めて早し最上川」。この句は「集めて早し」で切れている。「早し」は形容詞の終止形だから切れている。一物仕立ての句ではあっても切れがある。
華女 終止形になっている場合はそこで切れているんだということが分かるからいいのよ。でも例えば「田一枚植えて立ち去る柳かな」の場合、「立ち去る」の「去る」は終止形でもあるし、連体形でもあるわね。「立ち去る柳」とも捉えることは可能よね。
句郎 柳が田を植えて立ち去ることはあり得ないから「田一枚植えて立ち去る」の「去る」は終止形だとわかるのじゃないかと思う。
華女 すると「田一枚植えて立ち去る」と「柳かな」との取り合わせの句になるということね。
句郎 そうなんじゃないのかな。
華女 終止形と連体形の語形が同じ場合、何か意味的な違いが出てくるようなことはないのかしらね。
句郎 具体的な例があるのかな。
華女 俳句じゃないんだけど例えば「昨日こそ早苗取りしかいつのまに 稲葉そよぎて秋風の吹く」という詠み人知らずの歌が『古今集』にあるのよ。この「秋風の吹く」と万葉集にある額田王の歌「君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く」の「秋の風吹く」ね。「吹く」の終止形と連体形の語形は同じなのよね。古今集の歌の「吹く」は終止形じゃないかと私は、考えているのよ。額田王の歌の場合の「吹く」は連体形なんじゃないかしら。連体形で体言化した「吹く」になっているように感じているのよ。
句郎 「秋風の吹く」と「秋の風吹く」の意味的違いがあるのか、どうかということだよね。
華女 「秋風の吹く」と言った場合と「秋の風吹く」と言った場合の違いよ。
句郎 基本的には意味することは同じだと思うけどね。
華女 古今集の歌の場合、「もう秋風が吹き始めている」という感じよね。でも万葉集の歌の「秋の風吹く」と言った場合、心の中に吹き始める秋風のような感じがするわ。
句郎 終止形と連体形、語形は同じでも読んだ時の語感が微妙に違ってくるようにも感じるな。
華女 万葉集を書いている女性の漫画家が額田王のこの歌を絶賛しているのを聞いたことがあるのよ。彼女も男を待った経験があるんじゃないかと思ったわ。
句郎 待つ女の気持ちが「秋の風吹く」という言葉に籠っているということかな。
華女 「秋風の吹く」は軽いのよ。それに比べて「秋の風吹く」には強い思いが籠っているように感じるわ。
句郎 よく短歌は動詞の詩、俳句は名詞の詩と言うようだけど、名詞的表現の方が強い思いが籠っているのかもしれないな。
華女 「秋の風吹く」という表現は名詞的な表現だと言えるように思うわ。
句郎 額田王の歌には現代にも通ずる女の深い思いのようなものが籠っているのかもしれないな。
華女 きっとそこに女の原風景があるのよ。

醸楽庵だより  836号  白井一道

2018-08-30 11:09:03 | 随筆・小説


 『おくのほそ道』に載る句「田一枚植えて立ち去る柳かな」  芭蕉



華女 芭蕉の「遊行柳」の句として知られている句ね。
句郎 芭蕉にとって西行は人生の師であったんだろうからね。
華女 新古今集にある西行の歌「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」。この歌に刺激された猿楽師が創作した謡が「遊行柳」よね。
句郎 この能「遊行柳」を芭蕉は見ていたんだろうね。
華女 西行の歌、猿楽師の謡があって初めて芭蕉の句が生れているのね。
句郎 芭蕉より五百年前に西行は京都から奥州平泉、藤原三代の栄耀と言われているところに二度も赴いているからね。
華女 西行は頑健な体をした人だったのね。二度目の平泉行脚はかなり高齢だったんでしょ。
句郎 「年たけてまた越ゆべしと思ひきやいのちなりけり小夜の中山」と六九歳になった西行は詠んでいる。 
華女 六九歳と言えば、現代にあっても高齢よね。芭蕉は五一歳で亡くなっているのよね。
句郎 そうだよね。西行は東大寺再建の勧進として平泉に砂金を求めて行ったようだからね。無事砂金を東大寺まで運んだようだから大変な旅を西行はしたんだと思うな。
華女 まさに命がけの旅だったのね。
句郎 西行が蘆野の柳影で一服し、詠んだ歌が謡曲になり、芭蕉が慕い、詠んだ句が「田一枚植えて立ち去る柳かな」だった。その結果、今では蘆野の田んぼの中にあるどこにでもある柳が蘆野の観光名所になっている。
華女 西行の歌や芭蕉の句が現代にあっても多くの人に親しまれているということは凄いことね。
句郎 西行の歌も芭蕉の句も何でもないようなことを詠んでいる。夏の日差しを避けるため柳の木陰で休んだということだけ。ここに詩があるということなんだろうな。
華女 当時にあっても庶民の生活感覚に訴えるような歌であり、句になっているんじゃないのかしらね。
句郎 四十一歳の芭蕉は『野ざらし紀行』の中で「芋あらふ女西行ならば歌よまむ」と詠んだ句がある。西行は俗なものを風流なものとして捉えている。ここに芭蕉が西行の歌を慕う理由があったんじゃないのかな。
華女 田植えは農民の働く姿よね。農作業そのものを俳諧の対象にしているというところに芭蕉の俳諧があったということね。
句郎 貴族や武士の生活を詠んでいない。農民や町人の生活を詠んでいるところに芭蕉の俳諧があるということなんだろうな。
華女 元禄時代になって町人や農民の生活が俳諧の対象になったということなのね。
句郎 芭蕉は農民や町人の文学として俳諧を普及した。ここに近代文学が誕生したと言えるように思ったりもするんだ。
華女 そうよね。近代イギリス文学はシェイクスピアに始まるんでしょ。なぜならシェイクスピアはラテン語ではなく、英語で書いているのよね。当時のイギリス庶民が読める言語で書いているからシェイクスピアの劇を当時の庶民も楽しめたのよね。
句郎 「田一枚植えて立ち去る柳かな」。現在日本の中学生でも楽々読める言葉で芭蕉は表現しているからね。まさに芭蕉は日本近代文学の祖だと言ってもいいんじゃないかと思うな。
華女 この句の「田一枚植えて立ち去る」のは誰なのかしら。
句郎 芭蕉なんじゃないのかな。
華女 それじゃ、芭蕉が田んぼの中に入って田を一枚植えたの。そうじゃないでしょ。芭蕉は柳の木陰で一服しただけなんじゃないのかしら。
句郎 そう、芭蕉は西行を偲び、当地の早乙女たちが田植えする姿を西行が見ていたのではないかと想像したんだ。「田一枚植えて立ち去る」西行の姿を想像して芭蕉自身柳の木陰で一服し、立ち去ったということなんだと私は解釈している。
華女 西行の歌「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」。謡曲「遊行柳」を芭蕉は思い起こし、想像した世界を詠んだというように句郎君は解釈したのね。
句郎 この句はいろいろな解釈があるようだ。解釈は読者のものだから。いろいろな解釈があっていいと思う。

醸楽庵だより  835号  白井一道

2018-08-29 11:03:24 | 随筆・小説


 『おくのほそ道』途上で詠まれた句「結ぶより早歯にひびく泉かな」 芭蕉



華女 「結ぶより」とは、何を意味しているのかしら。
句郎 「掬(むす)ぶ」という意味のようだ。手で水を掬うということ。
華女 いわれて思い出したわ。「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」。紀貫之の歌にあったわね。「むすびし水」とは、「掬びし水」ということね。
句郎 袖を濡らして手ですくった水が凍っている。この氷を今日の春風が溶かしてくれるようだということかな。
華女 古今集にある貫之の歌よ。
句郎 「早歯にひびく」がうまいなと、思う。
華女 「衰ひや歯に喰ひ当てし海苔の砂」という芭蕉の句があるでしょ。泉の水を見ただけで歯に水が沁みるという句ではないような気がするわ。
句郎 芭蕉が「結ぶより」の句を詠んだのは元禄二年、一六八九年、四六歳の時だからね。確かに芭蕉の歯は衰え始めていたと思うな。歯周病はあったのではないかと思う。
華女 そうよね。海苔をたべたらジャリジャリした。嫌なことよね。きっと痛かったのよ。
句郎 「結ぶより」の句は、まだ両手で水を掬って飲んでいない。だから泉の水を見た爽快感を「歯にひびく」と表現した。
華女 そこに芭蕉の言語感覚があるわけね。
句郎 びっしょり汗で濡れた着物を脱ぎ、水を手で掬い飲み、体を拭ける喜びが沸いてきたんだろうな。
華女 道野辺にこんこんと湧き出る泉に出会った喜びの句なんだろうと思うわ。
句郎 夏の旅人が泉に出会った主観を詠んでいる。
華女 泉を詠んでいるわけじゃないのよね。泉に出会った時の気持ちを表現しているのよね。
句郎 現代の俳句の俳句となんら変わることのない俳句だと言えるように思う。
華女 この句を詠んだのが芭蕉だということを知らない人だったら、この句が三百年前の句だとは思えないような句だと思うわ。
句郎 芭蕉の句は近代の俳句だと言えるのかもしれないな。
華女 とても近代的な句なんじゃないのかしら。
句郎 そうなのかもしれない。
 

醸楽庵だより  834号  白井一道

2018-08-28 13:31:28 | 随筆・小説


  米中貿易戦争についてのテレビ討論番組を見て感じたこと、民主主義とは


 アメリカ政府が中国を「民主化」しようとWTOに加入させたのは失敗だったのではと発言した人がいた。
この「民主化」という言葉を聞き、ピンとくるものがあった。この発言者が何を意味して「民主化」と発言したのか、私は理解した。それは経済力の強い者に弱者は従うべきだということだ。
 中国はアメリカに比べて経済力において弱者である。弱者である中国はアメリカの言うことに従うべきなのに、従わない。これは「民主主義」に反する。中国を民主化することにアメリカは失敗したと発言していた。と同時に強者の言うことに従わない中国には「民主主義」がないと批判していた。
「民主主義」とは、多数決だと多くの国の指導者たちは考えているのだろうか。そんなことを考えている指導者たちは自国を強国だと自惚れているだけだ。
 安倍総理を支持する自民党議員たちも強者に弱者は従うべきだと考えている人々のようだ。数の力で強硬採決することが「民主主義」だと考えている。多数決、多数者の提案、政策、施策は多数者の考えに基づいているのだから正しいということなのだろう。しかし、この多数者が本当に多数者なのか、どうかが問題なのだ。今の自民党政権は日本の全有権者の十七%の支持しかない。十七%の支持を得た政党が議会の多数者になっているのだ。小選挙区制という制度によってこのような少数の支持を得た政党が多数の議席を得る態勢になっている。だから今は少数の議席しかない自由党党首小沢一郎氏は小選挙区制だから政権交代が実現できると主張している。実際に政権交代を実現したと主張している。小選挙区制であったが故に民主党は政権交代を実現することができたのだろう。
 捲土重来を果たした自民党は政権を失った自民党とは大きく変わっていた。再び政権を失うようなことをしてはならない。捲土重来を果たした自民党のコアには日本会議に参加する議員がいる。政権を失うまでの自民党には保守本流と呼ばれる今の自民党では考えられないようなリベラルな議員たちが政権の中枢にいたが今はいない。再び自民党が政権を失うことがあってはならないような態勢を敷いている。その一つがマスコミ対策のようだ。安倍政権を批判するような番組を徹底的に苛め抜く。これは多数者を偽装する仕掛けた。また一つはネットを管理する。大量のフェイクニュースをネットに投稿させる。
 多数者の主張は正しい。多数決は民主主義だ。この考えを仮に認めたとしても国民の多数者の意見を反映していない議会の中だけの多数者の意見は多数者を偽装した民主主義でしかないだろう。国民の多数者は原発の再稼働に反対しているという。この国民の意思に反する原発の再稼働は民主主義に反する決定ではないのだろうか。
 強者の意思を弱者に押し付ける制度としての民主主義は偽装した民主主義でしかないだろう。
 弱者、少数者の意思を尊重し、合意形成することのない民主主義は強い民主主義社会を形成することはない。

醸楽庵だより  833号  白井一道

2018-08-27 11:35:56 | 随筆・小説

  二〇一八年八月例会 酒塾唎酒出品酒
 
  

  


A、東光 辛口純米大吟醸 美山錦  720ml 1598円 
  山形県米沢市    小嶋総本店
  酒造米:美山錦  精米歩合:50%精米  アルコール度数:15度
  初めて楽しむお酒。酒蔵の社長は日本文化を体現するような本物の日本酒を醸したいと述べています。問題
  は本物の日本酒とは、米と水、微生物の働きによって醸されるお酒ということだ。日本文化の成果として醸された日本酒ということではないか  と思います。

B、霞城寿(かじょうことぶき) 純米吟醸 つや姫  720ml 1340円
  山形県山形市    寿虎屋酒造株式会社
  酒造米:つや姫 精米歩合:55% アルコール度:16度 日本酒度:+5.5 酸度:1.6
  「つや姫」は、炊飯米として山形県で開発されたお米である。(財)日本穀物検定協会の食味官能試験において、外観については「つやがあ   る」「粒がそろっている」など、味については「甘みがある」「うまみがある」などの評価が得られている。炊飯米「コシヒカリ」より評判が  いい。銘柄「三百年の掟やぶり」を何回か楽しんだ経験がある。

C、美冨久 コールドミフク 純米吟醸   720ml 1300円  
  滋賀県甲賀氏  美冨久酒造株式会社
  酒造米:吟吹雪 精米歩合:60% 日本酒度:+3 アルコール度:15度 
  速醸仕込みで醸した季節限定酒です!「夏越しの酒」

D、弥栄鶴 夏蔵舞(なつくらぶ)2017  720ml 1220円
  京都府丹後市弥栄町  竹野酒造有限会社
  アルコール分15度 
  
E、三千盛(みちざかり)本醸造辛口 720ml 980円  
 岐阜県多治見市   株式会社三千盛 
 精米歩合:55%  アルコール度数:16%未満
 辛口でしかも口当りがやわらかく飲み易い酒。 水みたいに抵抗なくいくらでも飲めて、しかも日本酒独特の旨さがあり、酔いざめのいい酒。 こ んな酒造りをしている酒蔵。

酒塾のしをり  第三一号。
  山形県米沢の酒、小嶋総本店が醸す「東光(とうこう)」は酒塾が初めて楽しむお酒です。山形には美味しいお酒がたくさん生まれました。最も有名になったお酒が山形県村上市の高木酒造が醸す「十四代」でしょうか。この銘柄のお酒が人気を得た理由を考えるとお酒はイメージ商品だということです。「十四代」というイメージが醸す味が人気を得た。お酒の味がまとったイメージが売れた。人気とは儚いものだ。いつまでも維持できるものではない。将棋の街として有名な天童市の出羽桜酒造の「出羽桜」は華やかな香が人気を得たお酒でした。この華やかな日本酒の香りが山形県のイメージを一新しました。赤坂プリンスホテルで行われた吟醸酒メッセに行くと「出羽桜」のブースには若い女性が群がっていました。出羽桜、十四代の影に隠れて着実に酒仙の支持を獲得していったお酒に酒田酒造が醸す「上喜元(じょうきげん)」、山形市の秀鳳酒造の「秀鳳」、米沢市の小嶋総本店の醸す「東光」があります。その一つを今日は楽しみたいと思います。
 
 キッコーマン元社長邸で行っている唎酒の会も足かけ十年になる。今回は仲間の一人が千葉県唎酒選手権大会において第4位の賞状をもらってきた。そのお祝いの会でもあった。





醸楽庵だより  832号  白井一道

2018-08-26 16:18:12 | 随筆・小説


 『おくのほそ道』途上で詠まれた句「湯をむすぶ誓(ちかひ)も同じ石清水(いわしみず)」芭蕉



句郎 「湯泉大明神の相殿に八幡宮を移し 奉りて、両神一方に拝まれさせ給ふを」と前詞を置いて」この句を詠んでいる。
華女 「湯泉大明神」とは、どこにあるのかしら。
句郎 那須湯本温泉のことだと思う。
華女 芭蕉と曽良は那須湯本温泉で旅の疲れを癒したのね。
句郎 温泉に行ってみたら、京都の石清水八幡宮が合祀されていた。早速、芭蕉らは参詣し、その社殿の湯を手ですくい清めると、京都の石清水八幡宮にもお参りしたことになるという。これは温泉の結縁であるなぁーと、旅の安全を祈った。
華女 芭蕉は信仰心の篤い人だったのね。
句郎 芭蕉が生きていた時代は神や仏、伝説などが生きていた。人々の生活を神や仏が規律していた社会に芭蕉は生きていた。
華女 親の教えが子供の心を支配していたようなことね。
句郎 親の支配から自立することが大人になるということだとすると神や仏、伝説などから自立することが近代社会ということなんだろうけれど、芭蕉は神や仏、伝説、風習に縛られていた。これらのものに縛られることによって心の平安を得ることができたんじゃないのかな。
華女 那須湯本温泉に入ることは心も体も癒されたということなのね。
句郎 露天プロの湯を体にかけ石清水八幡宮の神に誓ったということなんだろうと思う。
華女 神様の教えと戒めを守りますと誓ったということね。
句郎 那須に住む人々にとって京都の石清水八幡宮にお参りしたいと願っても叶う人はほとんどいなかったんじゃないかな。だから那須の湯泉大明神にお参りすれば京都の石清水八幡宮にもお参りした功徳が得られるということになると助かるという人々の願いがこのような事態をつくったんだろうと思っている。
華女 京都の石清水八幡宮の御師が那須にやってきて石清水八幡宮の霊威を授けたのかしらね。
句郎 その経緯は分からないが那須に住む人々の間に石清水八幡宮の霊威を慕う人々の存在があって湯泉大明神が生まれたんだろうな。
華女 当時の人々にとって那須湯本温泉はパワースポットだったのよね。
句郎 心配や不安に満ちていた旅に安心と生きる力を湯泉大明神で得た喜び、感動が詠ませた句が「湯をむすぶ誓(ちかひ)も同じ石清水(いわしみず)」だったんじゃないのかな。
華女 京都の石清水八幡宮にお参りしたご利益が得られたということは、陸奥への旅をする勇気と元気を与えてもらったということね。
句郎 陸奥への旅という境涯の中で生まれた句の一つだと思う。
華女 この芭蕉の句は境涯俳句の一つではないかということなの。
句郎 境涯俳句というと手垢がついた感じがするけどね。
華女 石田波郷の句が境涯俳句と言われているものよね。
句郎 境涯俳句というと病苦や貧困を詠んだ句のように思うが芭蕉が旅の中で詠んだ句は境涯俳句だと考えているんだ。「俳句は境涯を詠ふものである。境涯とはなにも悲観的情緒の世界や隠遁(いんとん)の道ではない。又哀別離苦の詠嘆でもない。すでにある文学的劇的なものではなくて、日常の現実生活に徹していなくてはならない。小説戯曲、詩それら一連の文学は、創作である。(中略)生活に随ひ、自然に順じて生れるものである。作句の心は先づここになければならない」と俳誌『鶴』の中で波郷は述べているからね。
華女 俳句を詠むということは芭蕉の俳句を継承しているということなのかしら。
句郎 芭蕉の句は現代の俳人たちの中に生きていると云うことなんじゃないのかな。
華女 「愛しき子には旅をさせよ」という諺があるわ。旅とは境涯ということなのかしら。
句郎 そうなんじゃないのかな。高浜虚子もまた「俳句は芭蕉の文学である」と言っている。だから現代にあって俳句を詠むということは、芭蕉の掌の上にいるということなんじゃないのかな。だから現代の俳人たちがどんなに頑張ってみたところで芭蕉を超えることはできないということなんじゃないのかな。

醸楽庵だより  831号  白井一道

2018-08-25 11:58:40 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』行脚中に詠んだ「落ちくるやたかくの宿の郭公(ほととぎす)」


句郎 「みちのく一見の桑門同業二人、那須の篠原をたづねて、猶殺生石みむと急ぎ侍る程に、雨降りいでければ、先此ところにとどまり候」と前詞を置いて「落ちくるやたかくの宿の郭公(ほととぎす)」と詠んでいる。
華女 「同業二人」とは、お遍路さんのかぶる笠に書かれた言葉よね。
句郎 芭蕉と曽良の陸奥行脚はお遍路だったんだろうな。陸奥歌枕巡礼の旅が『おくのほそ道』紀行文になったのではないかと思っている。
華女 歌枕巡礼、お遍路だったということね。
句郎 新しい俳諧の創造を模索した結果が歌枕巡礼だったのじゃないのかな。
華女 歌枕「殺生石」を訪ねたということなのね。
句郎 芭蕉が殺生石を訪ねたいと思った理由は謡『殺生石』で知られたところを実見したいと思ったからだと思う。
華女 謡『殺生石』とは、どのような話なのかしら。
句郎 殺生石とは、悪さをする石なんだ。亜硫酸ガスなどを出して虫や鳥、蛇などを殺す石を殺生石と言って地域の人々は恐れていた。
華女 那須岳の火山活動によって亜硫酸ガスなどの噴出があったのね。
句郎 そのようだ。しかし当時はそのような科学知識がなかったので伝説のようなものが生まれたんだと思う。
華女 地域で生まれ、語り続けられていくうちに物語が生成していったのかもね。
句郎 「昔、鳥羽の院の時代に、玉藻の前という宮廷女官がいた。才色兼備の玉藻の前は鳥羽の院の寵愛を受けたが、狐の化け物であることを陰陽師の安倍泰成に見破られ、正体を現して那須野の原まで逃げたが、ついに討たれてしまう。その魂が残って巨石に取り憑き、殺生石となった」。
華女 そこにお坊さんが現れ、功徳を施すと悪さをしなくなったという話ね。
句郎 その石はどんな石なのかなと思って好奇心の強かった芭蕉は訪ねたと思う。
華女 芭蕉は好奇心の強い人だったのね。
句郎 黒羽の浄坊寺図書に゜紹介された高久村の庄屋角左衛門宅で芭蕉と曽良は休ませてもらった。そのお礼に芭蕉は句と文を書いた。その句が「落ちくるやたかくの宿の郭公(ほととぎす)」だった。この文書が高久宅に現存しているようだ。
華女 へぇー、大変なお宝ね。
句郎 その句文は「殺生石見んと急ぎ侍るほどに、 雨降り出ければ、先、此処にとどまり候。
落ちくるやたかくの宿の時鳥  翁
  木の間をのぞく短夜の雨  曾良」とあるそうだ。
華女 俳諧になっているのね。
句郎 「落ちくるや」とは殺生石を想像させているのかもしれないな。
華女 高久角左衛門への挨拶吟なのかもしれないわね。
句郎 「落ちくるや」という上五が効いているよね。
華女 ホトトギスの鳴き声が聞こえる良いところですねと挨拶しているのよね。
句郎 曽良も雨宿りをさせていただいてありがとうございましたと気持ちを詠んでいる。
華女 俳諧とは文と文との交流なのね。
句郎 日本の挨拶文化が俳諧という文芸を生んだのかもしれないな。
華女 挨拶とは人と人との付き合いの始まりよね。
句郎 日本における人と人との交流を遊びにしたものが俳諧だったのかもしれないな。その遊びを文学としての文芸にまで高めたのが芭蕉だったんだろうな。

醸楽庵だより  830号  白井一道

2018-08-24 05:29:38 | 随筆・小説


  もう一つの「野を横に馬牽むけよほととぎす」の評釈


句郎 「野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす」。元禄二年芭蕉四十六歳『おくのほそ道』那須野で詠んだ句として知られている。名句だと言う人が大勢いるようなんだけど、どうかな。
華女 どこが名句だと言われる理由があるのか、ピンとこないというのが、私の実感かしらね。
句郎 僕も初めて読んだ時、そう思ったね。
華女 じぁー、今は違うのかしら。少しは分かってきたの。
句郎 うん、少しね。「ホトトギス」と云う百年以上
出している俳誌があるでしょ。最も伝統のある俳誌だといってもいいんでしょ。何しろ、正岡子規、高濱虚子が培った近代俳句の金字塔のような俳誌なんでしよう。
華女 きっとそうなんでしよう。その中から現代に続く有名な俳人が続出しているんだから。
句郎 平安時代も芭蕉の頃も明治時代の俳人たちにも、ホトトギスという鳥には特別な思いが籠っているのじゃないかと思うんだ。
華女 そうなんだと思うわ。正岡子規の「子規」は「ほ
 とぎす」と訓読できますからね。子規は確かにホトトギスへの格別な思いを持っていたのじゃないのかしら。
句郎 その思いを詠んだ名句の一つが「谺して山ほととぎすほしいまま」という句があるんだと思う。
華女 久女の有名な句ね。
句郎 平安時代から連綿として継承されてきたホトトギスの鳴き声が醸す美意識を杉田久女は詠んだのではないのかな。
華女 ホトトギスの鳴き声を山全体の中に詠んだのよね。そうでしょ。
句郎 芭蕉が山形、山寺の静かさを蝉の鳴き声に詠んだのと同じようなことを詠んだのかな。
華女 少し違うと思うけど、通じるものはあるわ。
句郎 ホトトギスの鳴き声に耳を傾けることが風雅なことなんだということを馬の轡をとる男に語りかけたのが「野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす」という句なのではないかと思っているんだけれど。どうかな。
華女 馬もあなたも私も今鳴いたホトトギスの声に耳を傾けて聞き惚れましょうということなの。
句郎 うーん。そうなんじゃないかなと思うんだ。短冊に句を所望されたんでしょ。芭蕉は馬の轡を取る男から。那須野の原に今、ホトトギスが鳴いた。こっちの方だった。馬の向きを変え、ホトトギスの鳴き声に耳をすましてみましょう。これが風雅ということですよと、芭蕉は即興で句を詠んだ。
華女 夏の那須野の原では何でもないホトトギスの鳴き声に耳を傾けることが句を詠むということだったのね。
句郎 芭蕉もまた那須野の原でホトトギスの鳴き声を発見したんじゃないのかな。
華女 落葉樹の林の中に鳴くホトトギスに京や江戸で鳴くものでない新鮮さのようなものを感じたのかもしれないわね。
句郎 曾良の「八重撫子」の句は那須野に洗練された名を持つ子供の発見だった。芭蕉は那須野に鳴くホトトギスに俳諧を発見した。曾良の「八重撫子」の句があってこそ、芭蕉の「野を横に」の句が光り輝く。那須野の原を俳諧で曾良と芭蕉が表現したと安東次男は述べている。
  

醸楽庵だより  829号  白井一道

2018-08-23 12:06:16 | 随筆・小説


 『おくのほそ道』より「野を横に馬牽(ひき)むけよほととぎす」  芭蕉


句郎 芭蕉は那須の原で三句もホトトギスを詠んでいる。毎日、毎日ホトトギスの鳴き声を聞いて歩いていたのかなぁー。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声が好きだったのじゃないかしら。
句郎 まず「田や麦や中にも夏時鳥、元禄二年孟夏七日」と俳諧書留に曾良は書いている。
華女 孟夏というのは何月のことなのかしら。
句郎 曾良旅日記によると旧暦の四月じゃないのかな。旅日記によると四月六日から九日まで雨止まずとある。この間、芭蕉たちは黒羽の翠桃宅に留まっていた。この時「田や麦や」の句を詠んでいる。
華女 旧暦の四月七日は今の暦でいうといつになるのかしら
句郎 五月二五日のようだよ。
華女 そろそろ梅雨の始まりね。蒸し蒸し、し始まる頃ね。
句郎 曾良の旅日記には「夏時鳥」と記している。この言葉を「夏のほとゝぎす」と「雪まろげ」という俳文の中では書いてる。また茂ゝ代草という俳文の中では「麦や田や中にも夏はほとゝぎす」と詠んでいる。句郎は「夏はほとゝぎす」と詠んだものがいいと思うけれども華女さんはどうかな。
華女 そうね。「夏は」だと夏が強調されるように感じるわ。
「夏の」だとほとゝぎすに焦点が絞られるのかしらね。
句郎 雨が止み、黒羽を出て那須の篠原に向う。そこで「野を横に馬牽むけよほとゝぎす」を詠む。この句を芭蕉は採り、「おくのほそ道」に載せる。自分が気に入った句なのだろう。
華女 私も「田や麦や」の句より「野を横に」の句の方が力があるように思うわ。
句郎 きっとそうなのだろうと句郎も思う。芭蕉と曾良の一行は那須の篠原から高久の宿に向う。そこで「落ちくるやたかくの宿の時鳥」を詠む。芭蕉はホトトギスの句を都合三句、詠んだ。珍しいことのようだ。
華女 芭蕉はホトトギスの鳴き声が本当に好きだったのよ。そうでなければ三句も続けざまに詠むはずがないと思うわ。
句郎 この三句の中で一番いいのはやはり「野を横に」の句かな。
華女 そうでしよう。「野を横に」の句が一番いいと私も思うけれどねぇ。
句郎 どこが他の二句と比べていいのかなー。
華女 そうね。いつだったか。加藤楸邨の書いたものを読んでいたら、「田や麦や」の句はなにか調子の渋滞が感じられる。生き生きしたものがないというようなことを書いていたように漠然と覚えているわ。
句郎 生き生きした溌剌さが感じられないということかな。
華女 そうなんじゃないかしら。
 言われてみればそういう感じがするでしょ。
句郎 それじゃ、「落ちくるや」の句はどうなの。
華女 高いところからホトトギスの声が落ちてくるというのでしょ。高久の宿の高くという言葉と高いところから落ちてくるという言葉が掛詞なっている。その言葉遊びを感じてしまう。ここがよくないと加藤楸邨は書いていたように思うわ。
句郎 華女さんは楸邨について詳しいね。
華女 そんなことないわ。昔、楸邨の弟子という人の教室に通っていたことがあるのよ。
句郎 へぇー。そこでどんなことを学んだの。
華女 昔のことだから、忘れちゃったわ。「柳より風来てそよと糸とんぼ」という楸邨の句を覚えているわ。これくらいかな。記憶に残っている句は。
句郎 「野を横に」の句は何がいいのかな。
華女 楸邨は「ますらおぶりのやさしさ」だと言っていたように思うわ。馬丁に乞われて詠んだ句でしょ。「馬牽むけよ」と「ますらおぶり」の「優しさ」がいいというのよ。

醸楽庵だより  828号  白井一道

2018-08-22 14:20:00 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』より「啄木鳥も庵はやぶらず夏木立」  芭蕉


句郎 「コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ」という句を華女さん、知っている。
華女 知らないわ。誰の句なの。
句郎 鈴木しづ子という俳人が詠んだ句らしいよ。
華女 へぇー、はっきり言っていい。私は嫌い。
句郎 華女さんの好きな句は中村汀女の「外(と)にも出よ触るるばかりの春の月」のような句だったね。
華女 そうよ。お母さんが子供たちに外に出てきてごらん。大きなお月さんが出ているよと、呼びか
けている。なんとも家族の暖かな雰囲気があるでしょ。
句郎 そうだね。そういう句もいいけれど、鈴木しづ子の句には人間の真実のようなものがあるように思う。
華女 境涯俳句というのかしら。石田波郷の句「雁(かりがね)や残るものみな美しき」に代表される句ね。
句郎 そうだ。「俳句は私小説」と云った。召集令状が波郷に来た時に詠まれた句らしい。
華女 波郷がこの句を詠んだ時の事情を知ると語り始める句ね。分かるわ。自分を渡り鳥の雁に例えているのよね。
句郎 しづ子がこの句を詠んだのは一九五一年、朝鮮戦争に従軍した恋人の米兵が戦死したという連絡を受けた時に詠んだ句らしい。
華女 しづ子がこの句を詠んだ状況がわかるとなるほどね、と思うけど、やっぱり私は好きにはなれないな。
句郎 「木啄も庵はやぶらず夏木立」と芭蕉が詠んだ句の真実をしづ子の「コスモス╌╌」の句が継承しているように感じたんだけれども華女さんはどう思う。
華女 全然、感じないわ。芭蕉が表現したものとしづ子が詠んだものとは全く無関係よ。なぜ、そこに共通したものを句郎君が感じるのか、わからない。
句郎 そうかな。芭蕉が親炙した禅の師匠・仏頂和尚の霊験が啄木鳥から庵を守ったんだなと仏頂和尚の山居跡を見た感動を詠んでいるんだよね。
華女 それはそうだと思うけれど。
句郎 でしょ。だから、しづ子の場合も戦死した黒人米兵への思い出が優しく吹いているコスモスのように思い出されれると死ねない。恋人の霊験が私の身体を守ってくれたと、しづ子は詠んだのではないかと思ったんだけれどね。
華女 へぇー、なるほど。屁理屈にも三分の理。そんな感じもするわね。
句郎 屁理屈かな。
華女 私は、もともと芭蕉の句は好きじゃなかったから。なにか、暗そうな感じがするじゃない。寂びとか侘びというのは嫌なのよね。「春の海ひねもすのたりのたりかな」。こういう句が好きなのよ。
句郎 空高くコスモスがゆらゆら揺れる。ちっとも暗くないじゃない。コスモスが優しく吹くと表現したところにしづ子の才能を感じない。コスモスが風に吹かれて揺れる姿にしづ子は恋人であった黒人米兵を思い出した。愛を得た思い出があれば、生きていける。ちっとも暗い感じの句ではないと思うんだけどね。
華女 言われてみれば、そうかもしれない。私には注釈が必要な句ね。そういう句は面倒くさいのよね。もっとすっきり入ってくる句が私は好きね。
句郎 誰でも注釈が必要な句なんて好きじゃないと思うけど。
華女 芭蕉の句にも注釈が必要でしょ。だから私はどうも好きになれないのかもしれない。
句郎 「木啄も庵はやぶらず夏木立」と静かにこの句を読んでみると夏木立の中で啄木鳥が木をつつく音が消え、木立の中の静かさ、仏頂和尚の心に出会うように思うけど。