こがらしや頬腫(ほほばれ)痛む人の顔 芭蕉 元禄3年
街場育ちの句郎が赴任した高校は農山間部にある農業高校だった。学校に行って驚いた。学校の敷地の広さにこれが高校なのかと思った。
楽しかった夏が終わり、文化祭では、村の人々が学校にやってきた。生徒たちが育てた花を買い求める人の列ができるほどだった。学校、こんな楽しいところがあるだろうか。体育祭ではサッカー部の生徒たちと職員チームが対戦した。一対ゼロで職員チームがかろうじて勝利した時の生徒たちの悔しがりが楽しかった。瞬く間に冬になった。
リンゴの頬っぺの女の子の笑顔が可愛かった。都会育ちの句郎の顔はいつも青白かった。生徒が付けた綽名が平手 造酒(ひらてみき)だった。生徒にやさしい一面怒ると殴ることもあった。
句郎は女生徒たちから人気を博していた。句郎は用心深い男でもあった。決して生徒たちの間で人気のある綺麗な女の子に話しかけることはなかった。教室の隅でおとなしくしている女生徒にも気を配る教師だった。しかし句郎のまわりにはいつも女の子たちが纏わりついていた。特にいつもニコニコして句郎に話かけてくる元気なリンゴの頬っぺをした女の子に言った。
「まり子の頬っぺは可愛いな」。
それからである。廊下で出会ってもまり子は句郎に顔を背ける。遠くから句郎を睨みつけるまり子の視線に出会うことがあるようになった。気にすることもなく、時が過ぎまり子は進級し三年生になった。数学担当の句郎は授業でまり子のいるクラスを担当することもなくなった。
期末試験が近づいて来たとき、職員室に質問に来た女生徒が数人来た。問題を解き、丁寧に教えていた時、まり子と仲の良かった女生徒の一人に句郎は言った。
「まり子は元気か」。
女の子は言った。
「先生に傷つけられたことは生涯忘れられないとまり子は言っているわ」
「俺、まり子を傷つけるようなこと何もしていないよ」
「先生、何もわかっていない。まり子は先生の事、好きだったのよ。その先生にほっぺが赤いと言われたと言ってまり子、泣いていたのよ」
「えっ、どうしてそんなことで泣くの」
「先生には、女の子の気持ちが分からないのよ」
「僕は赤いリンゴのほっぺがとても可愛いと思っていたんだけど」
「そこが違うのよ。まり子はリンゴのほっぺを気にしていたの。それが私たち年代の女の子の気持ちなのよ。まり子は今も先生のこと、大嫌いと言っているわよ」
「そんなに赤いほっぺをまり子は気にしていたのか。全然そのような女の子の気持ち、わからないよ。リンゴのほっぺ、いいじゃないか。俺は可愛いと思っているよ。今でも可愛いなと思っている」
「先生に赤いほっぺだと言われたことがまり子は凄いショックだったのよ。先生にはまり子の気持ちわかってあげてほしいわ」
まり子の友だちは言いたいことを言いきったという気持ちなのか、姿勢がこんなにいつもいいかなと思えるようないい姿勢をして、静かに戸を閉めると職員室から出て行った。
句郎は何気なく言った言葉が生徒を傷つけるということがあるということに気が付いた。女の子の場合は男の子より難しいようにも感じた初めての経験だった。
都会では見かけることのなくなった赤い頬っぺの女の子。
こがらしや
頬腫痛む人の顔
赤く頬が腫れあがった人の顔が元禄時代には江戸の町中にもいたのかもしれない。