安倍政治とは何だったのか
安倍晋三前首相の政治は世界史の流れに逆行するものであった。世界は平和に向かって進んでいる。平和を東アジアに実現しようとする政治が世界史の流れに沿うものである。その流れに逆行したのが安倍政治であった。国民の生活向上のためにお金を使うのではなく、米国から軍需品を爆買いするためにお金を使った。国民の生活を少しずつ厳しくしたのが安倍政治であった。日本国民の生活を豊かにすることが日本経済を活性化し、成長する。国民の生活が厳しく、より貧しくなると経済は停滞し、成長がなくなる。
「引きこもり国家」へと進む日本
コ・ミョンソプ
米国の政治学者サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、世界の文明圏を8つに分けて考察した。興味深いのは日本を東アジア文明と区別して独自の文明に設定したという事実である。他のすべての文明が複数の国家を含んでいるのに反して、日本は文明の単位と国家の単位が一致する唯一の文明であるとハンチントンは言う。「文化と文明の観点から見る時、日本は孤立した国だ」。ハンチントンの診断には一定の真実が含まれている。日本は中国と韓国から儒教・仏教の影響を受けたが、同時に神道という固有の宗教体系の下で明治維新以前まで文化的に孤立した世界の中に留まった。明治維新後も事情は根本的には変わらなかった。一方で西欧の近代文明を受け入れ、他方では神道を国家宗教に昇格させてその頂点に「天皇」を置くことで、過去の遺産をむしろ強化した。この天皇崇拝宗教を全面に掲げ、日本は東アジアを侵略し太平洋戦争を起こした。
ハンチントンが診断した日本の文化的特性は、21世紀に入り再び強化されている。平和憲法を持って世界に向けて腕を広げた日本が、集団的妄想に捕らわれたように自分の中に入り込み退行する姿が明らかになっている。こうした逆行の先頭に安倍晋三首相がいる。安倍の本心は、今年の8・15敗戦記念式で改めて明らかになった。安倍は2012年の第二次執権以後、7年間一度も侵略と戦争の加害者としての責任を認めず、日本国民の「犠牲」だけを称えた。反省とお詫びの言葉は一言も言わなかった。A級戦犯を祀る靖国神社に過去と違うことなく供物を捧げた安倍の後に従う極右政治家50人が、靖国を訪れて過去の栄光に向けて参拝した。自分の行為が生んだ過誤を認め、そこに責任を負うことが成熟の証とするならば、日本政治こそ成熟の入り口から果てしなく滑落する未成年状態にとどまっている。
安倍は2006年に『美しい国へ』という本を発行し、政治的ビジョンを明らかにしたことがある。執権以後、平和憲法を変えて日本を戦争する国にしようとあらゆる努力を尽くすのを見れば、安倍が思う「美しい」という観念の中には、日露戦争直後や満州事変直後のように大陸侵略と世界制覇に向けて旭日昇天したその時代の日本が入っているようである。しかし、安倍が「美しい国」に向けて進むほど、日本は「美しい国」から遠ざかる。戦争することができる「正常な国家」に向かって進むほど、正常性から離脱して孤立に陥る。これが安倍暴走の逆説である。安倍は自分が美しい国を作ろうと奮闘していると思っているかもしれないが、安倍が自己流の「美しさ」を得ようと闘争すれば闘争するほど、日本は美しさとはほど遠い所に追いやられている。正直であることもできず、自己省察もなく民主的でもない国が、人類普遍の共通感覚が認める「美しい国」になることはできない。
安倍の日本は、インド太平洋戦略を前面に掲げ、米国と手を取り合い、インドを引き入れて、中国を包囲しようとする。しかし、このような軍事的野心を抱くからといって、安倍の日本が国際社会で尊敬される国に昇ることはできない。過去の過ちを生んだ精神構造を解体して再編しない限り、幻想の中でインド太平洋を疾走しても、現実では矮小化の道を脱することができない。安倍の暴走の終りには、ハンチントンの診断が暗示するように「ひきこもり国家」日本、「孤独な人の国家」日本があるだけだ。安倍の退行を阻止しなければ、日本は真の正常な国家になることはできず、世界普遍の道徳的一員になることもできない。安倍の暴走は韓国には経済的脅威だが、日本国民にははるかに根本的な脅威である。日本国民が目覚めなければ、日本は安倍の妄想とともに永遠の未成年の孤立状態に閉じ込められるしかない。韓国国民の安倍反対闘争が持つ超国家的意義がここにある。一斉不買運動を軸とした韓国の反安倍闘争が日本国民の覚醒を促し、韓日の市民社会の共闘に上昇すれば、この闘争は東アジアに新しい平和秩序を創出する原点になれるだろう。
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