徒然草88段『或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを』
原文
或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮ける事には侍らじなれども、四条大納言撰ばれたる物を、道風書かん事、時代や違ひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。
現代語訳
或る者が小野道風(894~966)の書いた和漢朗詠集だと言って持っていたのをある人は「先祖伝来の大事なものだとは存じますが、藤原公任(四条大納言)(966~1041)、が編纂されたものを道風が書かれているという、時代が違っていやしませんか。怪しそうですね」と言われると「そうだからこそ、世には珍しいものに違いない」といよいよ大事にしまわれた。
世の中には自分の主観を大事にする人がいる。
м子は台湾で育った。貿易商を営む父の深い愛情を受けて育った。女学校を卒業し、花嫁修業をしているときに戦争が始まった。それでも日常生活がそれほど変わることはなかった。父の仕事が日に日に忙しくなっていくのを他人事のようにぼんやり眺めていた。
ある日、父が写真を見せ、K君をм子は知っているだろう、K君は医者になった。一緒になりなさいと、言われた。特に嫌だという気持ちはなかった。父の言われるとおりに結婚した。
娘時代は父というオブラートに包まれ、成人してからは夫というオブラートに包まれた人生だったと感じるようになった。私は年老いるまで厳しい社会の風に曝されることなく過ごしてきたように感じるという。娘時代、わがまま一杯が当然のように感じていた。結婚してからも父が世話をして大学を出た男と結婚しているので夫にもわがまま一杯を通してきた。言われてみれば苦労らしい苦労をすることなく、老年を迎えた。ある意味、幸せな人生であった。
自分のわがままがわがままだと感じたことがない。私にとって私の主観が絶対のものだった。子育てにしても私が絶対だった。私の言う事は正しいのだから、それが私の愛する子供にとっても良いことに違いない。それを信じて疑うことはなかった。娘は有名私立大学を卒業し、同じ大学を卒業し、一流会社に就職した男と恋愛結婚をした。息子もまた私立医科大学を卒業し、医者になった。
私にとって私の経験したことに間違いはなかった。私の今までの経験から思うことに自分の経験を大事にすることほど大事なことはないと感じようになった。私にとって私の主観ほど大事なものはない。人が何と言おうが私の気持ちに変わることはない。年とともにその気持ちに変わることはない。
父が先祖伝来、我が家の家宝だとしてきたものに疑問を差し挟む人がいたとしても、私にとってはそのようなことはどうでもいいことだ。父が大事にしてきたものを夫もまた大事にしてきてくれた。他人が何と言おうが、そんなことはどうでもいい。私が床の間に飾る掛け軸を美しい字だと感じているのだからそれでいい。息子もまた私の気持ちを大事にしてくれている。それでいいじゃないか。
息子も言ってくれる。掛け軸の字を見て、昔の人の字には命が宿っているようだねと言う。私も息子に言われるとそのような気持ちになる。他人様に見せて、自慢するわけでもない。ただ大事に床の間に飾っているだけだ。ただこの間、この掛け軸について聞く人がいたので、父からこの掛け軸は相続したもので、その謂れを少し話しただけだ。それを何だというのだ。その話には疑問があるだと、人のことはほっておいてくれ、他人様に迷惑をかけているわけじゃない。
世の中は自分の主観を大事にして生きている人ばかりだ。私にしても父の主観を大事にしているなと感じることがある。そう主観主義者ばかりだから、争いが起きるのかもしれない。互いに自分の主観の絶対性を主張するから。主観主義者は経験主義者でもある。そこには一面の真実がある。真実があるからこそ、誰でもが主観主義者であり、経験主義者なのであろう。年を取れば取るほど誰でもが主観主義者になり、自分の経験に自信を深める傾向があるのだろう。しかしその真実は物事の一面でしかない。その一面を持って全体だと考えてしまっては、間違いになる。気を付けるべきなのだろう。