醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1261号   白井一道

2019-11-30 12:58:02 | 随筆・小説



    徒然草88段『或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを』



原文
 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相伝、浮ける事には侍らじなれども、四条大納言撰ばれたる物を、道風書かん事、時代や違ひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ」とて、いよいよ秘蔵しけり。

現代語訳
 或る者が小野道風(894~966)の書いた和漢朗詠集だと言って持っていたのをある人は「先祖伝来の大事なものだとは存じますが、藤原公任(四条大納言)(966~1041)、が編纂されたものを道風が書かれているという、時代が違っていやしませんか。怪しそうですね」と言われると「そうだからこそ、世には珍しいものに違いない」といよいよ大事にしまわれた。


 世の中には自分の主観を大事にする人がいる。

 м子は台湾で育った。貿易商を営む父の深い愛情を受けて育った。女学校を卒業し、花嫁修業をしているときに戦争が始まった。それでも日常生活がそれほど変わることはなかった。父の仕事が日に日に忙しくなっていくのを他人事のようにぼんやり眺めていた。
 ある日、父が写真を見せ、K君をм子は知っているだろう、K君は医者になった。一緒になりなさいと、言われた。特に嫌だという気持ちはなかった。父の言われるとおりに結婚した。
 娘時代は父というオブラートに包まれ、成人してからは夫というオブラートに包まれた人生だったと感じるようになった。私は年老いるまで厳しい社会の風に曝されることなく過ごしてきたように感じるという。娘時代、わがまま一杯が当然のように感じていた。結婚してからも父が世話をして大学を出た男と結婚しているので夫にもわがまま一杯を通してきた。言われてみれば苦労らしい苦労をすることなく、老年を迎えた。ある意味、幸せな人生であった。
 自分のわがままがわがままだと感じたことがない。私にとって私の主観が絶対のものだった。子育てにしても私が絶対だった。私の言う事は正しいのだから、それが私の愛する子供にとっても良いことに違いない。それを信じて疑うことはなかった。娘は有名私立大学を卒業し、同じ大学を卒業し、一流会社に就職した男と恋愛結婚をした。息子もまた私立医科大学を卒業し、医者になった。
 私にとって私の経験したことに間違いはなかった。私の今までの経験から思うことに自分の経験を大事にすることほど大事なことはないと感じようになった。私にとって私の主観ほど大事なものはない。人が何と言おうが私の気持ちに変わることはない。年とともにその気持ちに変わることはない。
 父が先祖伝来、我が家の家宝だとしてきたものに疑問を差し挟む人がいたとしても、私にとってはそのようなことはどうでもいいことだ。父が大事にしてきたものを夫もまた大事にしてきてくれた。他人が何と言おうが、そんなことはどうでもいい。私が床の間に飾る掛け軸を美しい字だと感じているのだからそれでいい。息子もまた私の気持ちを大事にしてくれている。それでいいじゃないか。
 息子も言ってくれる。掛け軸の字を見て、昔の人の字には命が宿っているようだねと言う。私も息子に言われるとそのような気持ちになる。他人様に見せて、自慢するわけでもない。ただ大事に床の間に飾っているだけだ。ただこの間、この掛け軸について聞く人がいたので、父からこの掛け軸は相続したもので、その謂れを少し話しただけだ。それを何だというのだ。その話には疑問があるだと、人のことはほっておいてくれ、他人様に迷惑をかけているわけじゃない。
 世の中は自分の主観を大事にして生きている人ばかりだ。私にしても父の主観を大事にしているなと感じることがある。そう主観主義者ばかりだから、争いが起きるのかもしれない。互いに自分の主観の絶対性を主張するから。主観主義者は経験主義者でもある。そこには一面の真実がある。真実があるからこそ、誰でもが主観主義者であり、経験主義者なのであろう。年を取れば取るほど誰でもが主観主義者になり、自分の経験に自信を深める傾向があるのだろう。しかしその真実は物事の一面でしかない。その一面を持って全体だと考えてしまっては、間違いになる。気を付けるべきなのだろう。




醸楽庵だより   1260号   白井一道

2019-11-29 10:54:05 | 随筆・小説



    徒然草87段 『下部に酒飲まする事は、心すべきことなり』


原文
 下部に酒飲まする事は、心すべきことなり。宇治に住み侍(はんべ)りけるをのこ、京に、具覚房とて、なまめきたる遁世の僧を、こじうとなりければ、常に申し睦びけり。或時、迎へに馬を遣したりければ、「遥かなるほどなり。口づきのをのこに、先づ一度せさせよ」とて、酒を出だしたれば、さし受けさし受け、よゝと飲みぬ。

現代語訳
 下僕に酒を飲ませることは注意が必要だ。
宇治に住んでいたある男は、都の具覚房という優雅な生活をしている僧と妻の兄妹であったので日頃仲良く付き合っていた。ある時、迎えに馬を差し向けたところ、「遠い道のりだ。馬の口つきの男にまず一杯」と、酒を出したところ、杯を受けては飲み干し、グイグイ飲んだ。

原文
 太刀(たち)うち佩(は)きてかひがひしげなれば、頼もしく覚えて、召し具して行くほどに、木幡(こはだ)のほどにて、奈良法師の、兵士(ひやうじ)あまた具して逢ひたるに、この男立ち向ひて、「日暮れにたる山中に、怪しきぞ。止り候へ」と言ひて、太刀を引き抜きければ、人も皆、太刀抜き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を摺りて、「現(うつ)し心なく酔ひたる者に候ふ。まげて許し給はらん」と言ひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。この男、具覚房にあひて、「御房は口惜しき事し給ひつるものかな。己れ酔ひたる事侍らず。高名仕らんとするを、抜ける太刀空しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬りに斬り落としつ。

現代語訳
 太刀を腰に付けた健気なさに頼もしさも感じられ、召し連れて行くと木幡(こはだ)の辺りで警護の兵士を大勢連れた奈良法師の一団に遭遇した。すると馬の口つきの男が立ち向かい「日暮れの山中に怪しいぞ。立ち止まれ」と言うなり、太刀を引き抜くと、相手も皆、太刀を抜き、弓には矢をつがえ身構えた。具覚房は手を摺合わせて「正気を失うほど飲んで酔っております。どうかまげてお許し下さい」と言ったので奈良法師の一団は皆嘲り笑い通り過ぎて行った。馬の口取り男は具覚房に向かい、「あなたはなんと残念なことをしたのか。自分は少しも酔ってなどいない。手柄を上げようとしたところ、抜いた太刀が無駄になってしまったではないか」と怒り出し、具覚房を滅多斬りに馬から斬り落としてしまった。

原文
 さて、「山だちあり」とのゝしりければ、里人おこりて出であへば、「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手負ほせ、打ち伏せて縛りけり。馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。あさましくて、をのこどもあまた走らかしたれば、具覚房はくちなし原にによひ伏したるを、求め出でて、舁(か)きもて来つ。辛(から)き命生きたれど、腰斬り損ぜられて、かたはに成りにけり。

現代訳
 さて「山賊がいるぞ」と馬の口つき男がわめくと、村人が怒り出てくると更に「我こそ山賊だぞ」というなり、村人に走り斬りまわしたので、村人は、大勢で馬の口取り男を傷つけ、討ち伏せ縛り上げた。馬は血を付けたまま、宇治の大路の家に走り込んでしまった。あきれ果て下僕たちを大勢駆け付けさせたところ具覚房はくちなしの原にうめき転がり助けを求めていたところを担いで帰って来た。危うかった命はとりとめることができたが、腰を斬り傷つけられているので不自由な体になってしまった。


 「Masses」と英語で表現される大衆は愚か者だ。
 大衆という愚か者が政治を支配することを衆愚政治という。古代ギリシアの民主政治は最終的に衆愚政治になり、崩壊していった。ポプュリズムとは衆愚政治を言う。イギリスのEU離脱(Brexit)はポプュリズム、衆愚政治の結果なのか。民主政治は衆愚政治なのか。そうだ。確かに民主政治には衆愚政治という一面がある。民主政治の一面をもって民主政治を規定することは間違いであろう。大衆には愚か者だという一面があるのは真実だとしてもその一面をもって全体だということは間違いだ。大衆の一面の真実を兼好法師は87段の中で表現している。

醸楽庵だより   1259号   白井一道  

2019-11-28 11:54:23 | 随筆・小説



 徒然草86段 『惟継中納言は、風月の才に富める人なり』



原文
 惟継中納言(これつぐのちゅうなごん)は、風月(ふげつ)の才(ざえ)に富める人なり。一生精進にて、読経うちして、寺法師の円伊僧正(ゑんいそうじやう)と同宿して侍りけるに、文保(ぶんぼう)に三井寺焼かれし時、坊主(ぼうず)にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀句なりけり。

現代語訳
 惟継中納言(これつぐのちゅうなごん)は、漢詩の才能に富んだ人である。生涯精進して読経三昧の暮らし、三井寺の法師、円伊僧正(ゑんいそうじやう)と同宿していた文保(ぶんぼう)3年、山法師、比叡山延暦寺の僧兵によって三井寺が焼き払われた時、円伊僧正(ゑんいそうじやう)に向かい「寺法師と今まで言っておりましたが、寺がなくなった今からはただ単に法師とのもうしましょう」と言われた。なんと機知に富んだ素晴らしい言葉だったか。


 政治家とは、
 寺で説法する僧侶が僧侶なのだろうか。寺を出て民衆の中に入り、仏を彫り与え、祈りを捧げる僧侶が僧侶なのだろう。災害に苦しむ民衆の中に入り、仏の教えを説き、観音菩薩の木彫仏を彫り、与えた僧侶に円空がいる。寺の中に留まり、説法することをしなかった。そこに僧侶のあるべき姿がある。
 今、政治家は国民大衆の中に入り、国民の要求に耳を傾けるべきだろう。そのような政治家が出て来た。山本太郎氏だ。政治家の存在を国民大衆の身近な存在だと感じさせているのが山本太郎氏のようである。山本太郎氏は直接国民大衆のいる場所に出向き、国民大衆から直接要望、要求、その土地で起きている問題について耳を傾けている。
 長崎県対馬に出向き、対馬の住民から直接、今、どのような問題が起きているのかを聞いている。千島の住民の一人は述べていた。対馬の住民は今直ぐ解決してほしい問題があると訴える。一刻も待つことはできないと主張していた。2018年まで韓国との国境の島、対馬には韓国から年間50万人弱の観光客が訪れていた。人口減少に苦しんでいた島に活気が生れ、若い人が島から出ていくことがなくなり、それ以上に島に若者が職を求めて来るようにもなって来ていた。そこに安倍政権が韓国との政治問題を起こした。徴用工問題についての韓国大法院判決に日本の企業は従ってはならないという行政指導をしたのだ。韓国は安倍政権が韓国大法院判決を無視することに怒りを持った。その結果が長崎県対馬への韓国人旅行客の激減となって現れた。対馬では韓国人旅行客を迎えるための宿舎の増築や観光バスの購入、土産物屋の増設などいろいろインフラ整備のための投資を借金して、行ってきた。安倍政権が余計なことをしてくれたというのが島民の本音のような話をyou tubeで見ていて感じた。
 対馬島民の話を聞いた山本太郎氏は発言した。テレビ画面に日本が輸出している国の順位を映し出した。一位アメリカ、二位中国、三位韓国。韓国は日本の商品を買ってくれる国だ。このような国を大事にしないということはあってはならないと述べ、日本が経済的に豊かになるような政策を国はしなければならないと述べていた。安倍政権は日本の経済に損害を与えているということを暗に説明していた。日本の経済が豊かになるような政策をしなければならないと山本太郎氏は主張していた。
 日本が韓国へ輸出する額のおよそ半額が韓国からの輸入額のようだ。韓国は日本から輸出額の倍近いものを輸入しているようだ。韓国より輸出額の大きい日本は韓国が日本からの輸入を減少させるようなことをすると日本の打撃は大きい。だから日韓の友好関係を維持することは日韓双方の経済的関係を良くしていくということを説明していた。
 山本太郎氏は徴用工問題についての韓国大法院判決について、発言することはなかった。国境の島、対馬にとって安倍政権の対韓国政策は災害以外の何ものでもなかった。政治災害の起きた島、対馬に直接出向き地域住民の話に耳を傾けた政治家は山本太郎氏一人だけなのかもしれない。この山本太郎氏の姿に政治家のあるべき姿を私はyou tubeで見た。
 徴用工問題についての安倍政権の政策は問題の中心点をずらしている。問題は徴用工だった人の救済だ。韓国は1910年の日韓併合は無法なものであったと主張し、日本は韓国を暴力で併合したと主張し、その賠償を求めている。この賠償問題は1965の請求権権協定では解決していない。

醸楽庵だより   1258号   白井一道

2019-11-27 11:17:45 | 随筆・小説



    徒然草85段 『人の心すなほならねば、』



原文
 人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから、正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、人の賢を見て羨むは、尋常(よのつね)なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てんとす」と謗る。己れが心に違へるによりてこの嘲りをなすにて知りぬ、この人は、下愚(かぐ)の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。

現代語訳
 人の心は純心ではないので、偽りがないということはない。されども、生来正直な人がいないということもない。自分は純心ではないが、人の立派な行いを見て羨むのは当然のことだ。考えてみると愚かな人はたまたま立派な人を見ると腹を立てる。「大きく狙っているものを得るためじゃないか。目の前の小さなものには目もくれず、偽りの心を飾り立て、名を立てようとしているじゃないか」と謗る。自分の心をはきちがえて、このように嘲るのが常である。このような人は生来の愚かさなので治ることはなく、嘘にでも小さな利益さえ辞退することさえできず、仮にも賢さを学ぶこともない。

原文
 狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥(き)を学ぶは驥(き)の類ひ、舜(しゅん)を学ぶは舜(しゅん)の徒(ともがら)なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

現代語訳
 狂人の真似だと言って、大路を走れば本物の狂人だ。悪人の真似だと言って人を殺せば悪人だ。千里を走る馬を驥(き)という。驥(き)を真似る馬がいたら、その馬は驥(き)だ。聖王舜(しゅん)を学ぶ者はすでに舜(しゅん)の仲間だ。間違っても賢人に学ぶものは賢人に違いない。


 「ネトウヨ」と言われる人々がいる。
 虐げられた人々を虐げられた人々がイジメている。これは自分より弱いと思う人をイジメることに快感を感じている人びとのようだ。決して自分より強いと思う人のことはイジメない。否イジメられない。なぜなら自分より強い存在だからだ。弱いと思う人間を強者の立場に自分を置いて発言する人々を私はネトウヨと考えている。
 ネトウヨについて考察している古谷氏の言説を紹介したい。

 「2002年の日韓共催W杯を契機に、インターネット世界に繁茂しだしたネット右翼。その歴史は、今年でもう十五年になる。インターネット上の掲示板やSNSを観れば、未だに中国や韓国、或いは民進党への呪詛で溢れている。ネット「だけ」を覗けば「日本は右傾化した」と観測されるのも仕方がない。その「右傾化」の中核を担ってきたのが、ネット右翼と呼ばれる一群の人々である。
実際には、彼らの数的実力は限定されている。よって「右傾化」とはネット空間の中にのみ限局されたものだ。しかし、国民皆ネット社会になり、彼らネット右翼の言説が時として実勢を大きく上回る力を得るようになったこともまた事実である。

何故、彼らネット右翼はここまで伸長したのか。あるいは、逆に言えば何故「この程度」でその影響は頭打ちになったか。ネット右翼は外部から見ると巨大に思えるが、内部から見ると実寸に見える。この奇妙なねじれは如何にして発生したか。
真相は、「右傾化」という三文字では到底説明することのできない歴史の積み重ねに求められる。
ネット右翼誕生から、十五年。この数字的区切りの良さを一つの奇貨として、この発生から現在に至るまでの期間を、ひとつの通史として総覧し、纏め、世に問うてみたい、という思いで出発するのが本稿である。
実は激しい「内部対立」
私はこれまで、数えきれないほどのネット右翼と呼ばれる人々と接してきた。当初は、私自身も些かネット右翼的性質を持っていたがために、寧ろ彼らを微温擁護する「身内の側」としての立場で、言い換えれば単純な知人・友人関係に近い、同じ目線での付き合いであった。
しかし、やがて数年を経て私は彼らの思考的狭隘性、偏向性を痛感し、彼らと距離を置きだし、むしろ彼らの特異な世界観を格好の分析対象・観察対象とするようになった。本稿は、ネット右翼との関係性が切り替わることとなった、私のここ十年弱の個人的体験をも踏まえてのものである。何故私と彼らネット右翼の関係性がこのように変化したのかは、長躯となるので後述する」。
『ネトウヨ15年史』古谷 経衡著より

醸楽庵だより   1257号   白井一道

2019-11-26 11:09:28 | 随筆・小説



    徒然草84段 『法顕三蔵の、天竺に渡りて、』



原文
 法顕三蔵の、天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都、「優に情ありける三蔵かな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。

現代語訳
 法顕三蔵はインドに渡り、故郷の扇を見ては悲しみ、病に臥しては故国の食べ物をお願いしたと聞き「これほどの方がなんと気の弱いことを他国でお見せになられたものだ」と他人が言うのを聞いて、弘融僧都は「まことに人情のある三蔵でいらっしゃる」とおっしゃられたことほど、法師らしくもない、人情味のある方だと思われた。


 三蔵とは律蔵、経蔵、論蔵のことを言う。律蔵とは、僧伽(僧団)の規則・道徳・生活様相などをまとめたもの。経蔵とは、 釈迦の説いたとされる教えをまとめたもの。論蔵とは 上記の注釈、解釈などを集めたものをいう。この三蔵を極めた法師を三蔵法師という。中国からインドに渡り、釈迦の教えを説いた経典を中国に持ち帰り、翻訳したものが経典である。その中の日本で一番有名な経典の一つが『般若心経』である。
 中国における最初の三蔵法師が法顕のようだ。最も有名な三蔵法師が玄奘三蔵法師だ。この玄奘三蔵はサンスクリット語の般若心経を漢語に翻訳し、その経典が今も現在の日本で使われている。
 辞書がない。文法書がない。このような中で難解なサンスクリット語の経典を漢語に翻訳した。これらの僧侶たちを訳経僧ともいう。
インドに遊学した中国僧としては玄奘が有名であるが、この法顕もインドに求法の旅をして訳経をした僧侶である。法顕は399年に60余歳の老齢の身で十人の僧らと長安を出発して、陸路インドへ向かった。敦煌から西域に入り、ヒマラヤを越えて北インドに至り、インド各地やスリランカで仏典を求め仏跡を巡礼する旅をつづけた。戒律などのサンスクリット経典をもって、海路帰国の途についたが暴風雨に遭い412年に現在の山東省にひとり無事に帰着した。帰国後6部63巻にのぼる経律を漢訳した。また法顕は中国西域やインドの弥勒信仰を中国に伝えた。法顕の旅行記『法顕伝』(仏国記)は当時のインドや中央アジアの実情を伝えた貴重な資料である。
            (ウィキペディア参照)


醸楽庵だより   1256号   白井一道  

2019-11-25 13:07:15 | 随筆・小説



    徒然草83段 『竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上り給はんに、』



原文
 竹林院入道左大臣殿(ちくりんゐんのにふどうさだいじんどの)、太政大臣(だじやうだいじん)に上(あが)り給はんに、何の滞りかおはせんなれども、「珍(めづら)しげなし。一上(いちのかみ)にて止(や)みなん」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿(とうゐんのさだいじんどの)、この事を甘心し給ひて、相国の望みおはせざりけり」

現代語訳
 竹林院入道左大臣殿(ちくりんゐんのにふどうさだいじんどの)は太政大臣(だじやうだいじん)におなりになるのに何の支障もおありにならないのに「珍しくもない。左大臣で辞めよう」と言って、出家なさった。洞院左大臣殿(とうゐんのさだいじんどの)は、この事に感心なさって、太政大臣への望みはお持ちではなかったとおっしゃられた。

 原文
 「亢竜の悔あり」とかやいふこと侍るなり。とか、月満ちては欠け、物盛(ものさか)りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。

現代語訳
 「昇りつめた龍は降りるほかはない」とか、言われている。月は満ちては欠け、物も盛りを極めると衰えていく。万のこと、先が行き詰まっているのは、破綻に近い道である。


 日韓関係に将来はあるのか。
 日本国民が抱く将来と韓国国民が抱く将来に共通するものはある。それは第一に平和である。問題はこの平和についてである。日本国民の平和が韓国国民の平和であり、韓国国民の平和が日本国民の平和であるなら問題はない。韓国国民の犠牲の上に日本国民の平和があるならこの日本の平和に支障がある。
 先日(2019.11.22)、「TBS、報道19.30」を見た。この番組の中で森本敏氏は次のような発言をしていた。「韓国に駐留する米軍経費、五倍増を韓国政府に受け入れさせなければならない」と。この発言を聞き、韓国政府に駐韓米軍の経費を受け入れさせることが日本の平和につながると森本氏は考えているようだ。
韓国国民は韓国に米軍が駐留することが平和だと考えているのだろうか。少なくとも日本の沖縄では、県民の総意として沖縄に米軍が駐留することは沖縄の平和にはならないと考えている。米軍が沖縄に駐留することは沖縄県民に不安を与え、生存の危険性があると感じているから辺野古に米軍のための新基地を建設することに反対している。きっと韓国国民も駐留米軍が韓国国内に存在することに生存の危険性があると感じているのではないか。
日本国民と韓国国民とが協力して、米軍が韓国からも日本からも撤退させることが東アジア世界に平和をもたらすのだ。
森本敏氏の主張は日本国民の意志に背き、日本国民に不安と危険をもたらすと同時に韓国国民の平和を壊す危険な主張だ。日本国民は文在寅韓国大統領を支援し、アメリカ政府による韓国駐留米軍経費の五倍増要求を拒否するよう働きかけるべきではないか。このような取り組みができるならば、日本国民の将来と韓国国民の将来とは同じものになり、仲良くしていくことができる。
問題は日本政府にある。現在の韓国政府は韓国国民の意志を尊重しようとしている。それに反し、日本政府は日本国民の意志に反して、韓国国民に犠牲を強いることを強行しようとしている。ここに問題がある。選挙に現れた日本政府を率いる安倍政権を支持する国民は全有権者の17%ほどある。圧倒的多数は安倍政権を積極的に支持しているわけではない。ただ無力感によって有権者が選挙の際に投票しないだけである。投票率の低さが安倍政権を支えている。安倍一強などというマスコミが使う言葉があるが政治への無関心、無気力による低投票率が安倍政権を支えている。一風吹けば、吹っ飛んでしまうような政権である。
安倍政権を倒し、日本国民の意志を反映する政権を樹立し、韓国政府とも仲良くすることができれば、現在の日韓問題は解決することができる。日韓の良好な関係を実現するには安倍政権を倒す以外に方法はない。日本国民の意志を尊重する「令和新選組」が大きくなり、自民党の国会議席を奪う日がくるならば日韓の平和が実現する。

醸楽庵だより   1255号   白井一道   

2019-11-23 06:51:34 | 随筆・小説



    徒然草82段 『羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき』



原文
 「羅(うすもの)の表紙(へうし)は、疾(と)く損(そん)ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿(とんな)が、「羅(うすもの)は上下(かみしも)はつれ、螺鈿(らでん)の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都(こうゆうそうづ)が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。

現代語訳
 草子や巻物の表紙は、すぐ破損してしまうことが困ることだと、人が言ったことに頓阿(とんな)が草子や巻物の表紙の上下は使っているうちに擦り切れ、布地がほつれ、巻物の軸にはめ込められた真珠貝がはげ落ちた後ほど趣き深いものはないと言ったことほど感心したことはない。まとまった一部としてある草子などが同じ体裁でないのをみにくいと言うけれども、弘融僧都(こうゆうそうづ)が物を必ず一揃えに整えようとするのは物の分からない者がすることだ。不揃いであることがよいのだと言ったことは大事なことだと思う。

 原文
 「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。

現代語訳
 すべて何事も整然としていることはよくない。やり残してあることがそのまま打ち捨てられてあるのは面白いし、命が生き延びる思いである。皇居をお造りになる際にも必ず作り過ぎることのないようにと、ある人が申し述べている。昔の賢人が著した内外の仏典や書物にも章や段の欠けているものがある。

 マルクスの書いた『資本論』は完成した著作なのか。
 最近、『新版資本論』が刊行されたようだ。刊行記念講演会をYOU TUBEで見た。従来の『資本論』では不十分であったものを充実した内容になっていると不破哲三氏は説明していた。
 『資本論』は完成した著作として受け入れてきたがそうではないということをこの講演会で初めて知った。『資本論』という著作は完成したものではなく、完成に向かって少しづつ進みつつあるものだということを知った。
 まず初めにマルクスが書いた。マルクス亡き後、エンゲルスが完成させた。膨大に残された草稿を検討し、エンゲルスがまとめ上げたものにやむを得ない事情によって不十分さがあったことを不破哲三氏のもとに集まった人々が見つけ出し、新しく草稿を組み立て直したものが『新版資本論』のようだ。
 第一次世界大戦後、ベストセラーになった著作にシュペングラーの書いた『西洋の没落』がある。世界史上初めて経験した総力戦の無残さに「西洋の没落」を見た人々が共感した。一方そこに資本主義経済社会の危機を見た社会主義者たちがいた。しかし資本主義経済社会はさらに規模が大きくなり、発展していった。その結果、再び第一次世界大戦を更に大規模にした無残な地獄を第二次世界大戦で経験することになった。第一次世界大戦末期にロシア帝国は崩壊しソヴィエト社会主義国家体制が成立していた。第二次世界大戦後は中国に社会主義国家が成立した。社会主義が国際体制になったと資本主義崩壊の危機は更に深まったと社会主義者たちは主張した。しかし資本主義経済はその生命力を失うことはなかった。アメリカの経済力は更に強大化した。第二次世界大戦後第三次世界大戦とも言える米ソ冷戦が50年近くも続き、国力の尽きたソ連が崩壊してしまった。資本主義経済社会の生命力の強さが改めて再認識された。その結果、『資本論』の徹底的な研究が始まり、資本主義の全般的危機論の間違いが発見され、それに伴って新しい『資本論』を創り出す作業が始まり、その成果の一つが今回刊行された『新版資本論』なのかなと私は理解した。
 富を得ることは良いことだという倫理観に支えられている経済制度が資本主義経済だと私は考えている。ところが富を得ること自身が無意味になるような事態が生れてきている。それは電力料金が無料になる経済社会が目前に迫っていることだ。

 

醸楽庵だより   1254号   白井一道

2019-11-22 15:45:08 | 随筆・小説



  徒然草81段 『屏風・障子などの、絵も文字もかたくななる筆様して書きたるが』
 


 原文
 屏風・障子などの、絵も文字もかたくななる筆様して書きたるが、見にくきよりも、宿の主のつたなく覚ゆるなり。

現代語訳
 屏風や障子に書いてある絵でも文字でも見苦しい筆づかいで書いてあるのは、みっともないと言うよりもその家の主が下品にみえるものだ。

 原文
 大方、持てる調度にても、心劣りせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、品(しな)なく、見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし添へ、わづらはしく好みなせるをいふなり。古めかしきやうにて、いたくことことしからず、つひえもなくて、物がらのよきがよきなり。

現代語訳
 大方、調度品についても家主が思っているより下らないと思われているに相違ない。それほど良いものを持つべきものでもない。傷んでも惜しくないようにと下品に、ぞんざいに取り扱い、珍しいようにと、いりもしないものを付け加え、うるさく趣向を凝らしているのはどうかということだ。古風なように見えて、あまり大げさでなく、出費も少なく品質のよいものがいいのである。


 庭づくりについて
 農家の次男が畑地を相続したのだろうか。二百坪を超える土地に家を建てた。南側に駐車場と庭をつくった。見ていると家と庭との間に建築材として有名な苗木を一列に植え始めた。家の前には芝を植えた。駐車スペースの脇には円形の歌壇らしきものを作り、周りには芝を植えた。その芝の中に庭木らしきものを植え始めた。関東の庭木として好まれている樹木、木斛(もっこく)、槙(まき)、拓植(つげ)、伽羅(きゃら)などが一本もない。
 都心から50キロ圏内に位置する住宅地にあって二百坪を超える土地を相続し、家と庭を造る。誰もが憧れるような日当たりの良い、南向きの土地に庭を造る。南側には舗装された6メートル道路がある。このような恵まれた土地に家と庭づくりができる。これほど恵まれた者が今時本当にいるのだ。
 中学や高校の修学旅行で京都に行く。飽きるほど京都の寺院の庭をこれでもかと云うくらい時間を計られて見て回る。集団観光旅行である。就職、結婚し、子供ができ、家を建て、庭づくりを始める。うっすらと記憶に残っている京都の寺院の庭を思い出す。とてもあのような庭を造ることはできない。予算もなければ、知識もない。植木屋に行き、びっくりするような値段の木や石を見て、そんな木はいらない。手ごろな苗木であればと買ってきたものが、材木になる苗木だったのかもしれない。
 庭づくりを業者に聞いてびっくりする。その値段の高さに。とてもできない。50坪は優にある土地に庭など造ることなど不可能なのだろう。素人が休日にできる庭づくり、それが材木になるような杉の苗木を植える庭づくりになったのかもしれない。その中に奮発したのか白樺の木が数本も植えられた。どうなる事かと思って見ていたら、十年もしたら白樺は枯れ始めた。
 その土地にあった樹木でなければ、樹木は生きながらえることはできない。日光、戦場ヶ原で見た白樺の林に心奪われて、自宅の庭に白樺を植えてみても気候風土の違う土地である以上、戦場ヶ原で見た白樺の美しさを自宅の庭で見ることはできない。自分の住む土地の気候風土に合った樹木を探し出し、その樹木の美しさを探し出す営みが庭づくりなのだ。 
 京都北山杉は庭木として高価なものになっている。この北山杉にしてももともとは材木になる杉を庭木に作り上げたものである。京都北山の植木職人たちのたゆまぬ努力の賜物としての作品が北山杉なのであろう。北山杉はブランド品になった。このブランド、北山杉を庭師が植え、庭が出来上がる。その庭を見ると北山杉の美しさが表現されている。庭とは主が自分を表現するものとして樹木や芝、レンガ、石などで作り上げるものである。
 材木になる杉の苗木でどれだけ魅力ある庭を作りあげることができるかということである。樹木は日々大きくなっていく、形を変えていく。そのことによって庭ができていくようでなければならない。

醸楽庵だより   1253号   白井一道

2019-11-21 11:22:29 | 随筆・小説



   徒然草80段 『人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める』



原文
 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は、兵(つわもの)の道を立て、夷(えびす)は、弓ひく術(すべ)知らず、仏法知りたる気色(きそく)し、連歌し、管絃を嗜み合へり。されど、おろかなる己れが道よりは、なほ、人に思ひ侮(あなづ)られぬべし。

現代語訳
 人は誰もが我が本文と関係の薄いものを好むようだ。法師は武道に励み、東国の武士たちは、弓を弾く技(わざ)を知らず、仏の教えが分かっているかのような顔をして、連歌を楽しみ、管弦を嗜み合っている。しかし、いい加減にしている己の本文よりいっそう人からは軽蔑されてしまうであろう。

原文
 法師のみにもあらず、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)・上(かみ)ざままで、おしなべて、武を好む人多かり。百度(ももたび)戦ひて百度(ももたび)勝つとも、未だ、武勇の名を定め難し。その故は、運に乗じて敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵尽き、矢窮りて、つひに敵に降らず、死をやすくして後、初めて名を顕はすべき道なり。生けらんほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く、禽獣に近き振舞、その家にあらずは、好みて益なきことなり。

現代語訳
 法師だけでなく、公卿や殿上人、身分の高い人までもがすべて、武芸を好む人が多い。百回戦い、百回勝つことができたとしても、まだ武者として認められることは難しい。なぜなら、幸運を得て戦に勝つことができたとしても勇者として認められることはない。武器が尽き、矢が無くなり、それでも敵に降ることをせず、泰然として死を受け入れる覚悟を決めた後に初めて名をあげる道が武道だ。生きているうちに武は誇りえない。武道は人の道からはずれ、鳥や獣に近い振る舞いをするもの、武家の家の出でない者が好き好んで武芸に励んでも無意味なことだ。


 兼好法師は「死をやすくして後、初めて名を顕はすべき道なり。生けらんほどは、武に誇るべからず。人倫に遠く、禽獣に近き振舞、その家にあらずは、好みて益なきことなり」と言っている。生きることを尊ぶのではなく、「死をやすく」するのが武道だと述べている。生きている者は武に誇るような事をしてはならない。「人倫に遠く、禽獣に近き振舞」だと批判している。
 暴力をもって自分の意志を他者に強制する政治が武家政治だということに兼好法師は気づいていた。武家政治は「人倫に遠く、禽獣に近き振る舞い」なのだという認識が兼好法師にはあった。
 話し合いによって問題を解決するのではなく、暴力で問題を解決することに武家政治の本質があることを兼好法師は見抜いていた。
 古代天皇制国家権力の基盤が失われ、武家の勢力が台頭していく社会過程の中に兼好法師は生きていた。滅びゆく古代天皇制権力側に生きていた兼好法師には武家政治に対する批判的な思想が形成されていた。
 兼好法師には武家政治に対する批判思想がある。その基盤にある暴力肯定の思想を兼好法師は批判している。この暴力肯定の思想は生きることを尊ぶのではなく、死を尊ぶ思想につながることに兼好法師は気づいていた。
 江戸時代の中期に肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述したものが『葉隠』である。この中の有名な言葉が「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」である。太平洋戦争中の特攻や玉砕、自決時にこの言葉を使った軍人がいた。軍人とは死を受け入れた者と当時の日本国民はみなしていた。死をものともしない軍人を雄々しい人と尊ぶ社会が軍国主義国家なのだろう。
 主君のために命を捧げるのが忠義であり、武士であるとして死を尊ぶのが武士道である。それに対して国のため、天皇のため命を捧げることを兵士たちに強制した社会が戦前の日本の政治体制であった。
 すべての人が生きることを尊べる社会を実現するには死を尊ぶ思想と戦うことなしには実現しないだろう。国のために命を捧げさせることが大事だと考えている人々がいる。自らも国のために命を捧げる気持ちをもっているのだろう。しかし、今から700年も前に兼好法師は武士道とは、人倫に遠いものだと述べている。



 

醸楽庵だより   1252号   白井一道   

2019-11-20 10:51:16 | 随筆・小説



    徒然草79段 『何事も入りたゝぬさましたるぞよき』



原文
 何事も入りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。

現代語訳
 何事にも立ち入り事情が分かっているようなふりはしない方がよい。思慮深い人は知っていることであってもそれほど知っているような顔はしないものだ。辺鄙な田舎から出しゃばりて来た人は特にどんなことについても心得ているかのごとくに受け応えはする。だから世間にとっては恥ずかしいような人もいるが、正々堂々としている姿はみっともないことだ。

原文
 よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。

現代語訳
 よく精通している事については、必ず口重く、聞かれなない限りは発言しないことが大切だ。



香港デモ、理工大キャンパスがまるで「内戦」
  2019年11月18日(月)15時05分
 [実弾使用を警告した警察はキャンパスに突入、立てこもった学生の強制排除を開始した]
11月18日未明、民主活動家数百人が立てこもった香港理工大学のキャンパスは炎に包まれ、踏み込もうとする警官隊の前進を阻んでいた。その数時間前、デモ隊が破壊力の大きな武器を使用した場合、「実弾」を使用する可能性がある、と警察は警告していた。
今年の6月以来、香港は政府への抗議デモに揺れている。750万人都市の、若者を中心とした多くの住民が、中国の支配下で自由が奪われることに激怒している。
北京政府は政府に楯突く活動は容認しないと繰り返し警告しており、混乱の拡大を止めるためには軍隊さえ派遣するのではないかと懸念されている。
AFPによると、18日の夜明け前、いくつかの爆発音が聞こえ、香港理工大学の門が立ち上る炎で照らされた。大学構内に入ろうとした警官隊が、デモの拠点を死守しようとする学生の反撃で押し戻されたようだった。
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

私たちはニューズウィークによって今香港で起きている民主化を求める若者の運動の一部を知ることができている。しかしこの事によって香港で起きていることの全体を知ったことにはならない。
 香港デモ指導者と接触の米外交官を中国がリーク? 米政府「中国は暴力的政権」と批判
2019年8月9日(金)
米国務省のオルタガス報道官は8日の記者会見で、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする香港の「逃亡犯条例」改正案への抗議デモに関し、デモの学生指導者と接触した米外交官の写真や個人情報を流出させたとして中国政府を「暴力的な政権」と呼んで批判した。
中国系香港紙の大公報は、香港の米総領事館員がデモの学生指導者らと接触する様子を撮った写真を報じた。これについて香港にある中国外務省の出先機関は8日、米国に説明を求めた。
オルタガス報道官は「米外交官の個人情報や写真、子供の名前を流出させることは正式な抗議ではなく、暴力的な政権がやることだ」と批判。「責任ある国家の振る舞いではない」と断じた。
外交官の名前やどのような個人情報が流出したかについては言及しなかった。
米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)によると、中国国営中央テレビ(CCTV)はこの米外交官が「裏で糸を引いて香港を混乱に陥れた黒幕」だと報じた。
オルタガス氏は、米国やその他諸国の外交官は、反体制派の指導者を含めてさまざまな人々と面会するのが仕事だと強調した。
[ワシントン 8日 ロイター]

 このようなニュースもある。私たちは歴史に学ばなければならない。民主化運動を支援、扇動した歴史がアメリカ政府にはある。記憶に新しいところではウクライナ問題、アラブの春がある。
ウクライナの民主化運動をアメリカ政府は支援し、ウクライナ、ヤヌコーヴィチ政権を倒している。アラブの春もアメリカ政府寄りの政権を打ち立てようとした。