醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1506号   白井一道

2020-08-31 15:17:22 | 随筆・小説



   安倍政権は何をしたか 2

 
 「法の支配から人の支配へ」

 「Choose Life Project」の動画、「7年8カ月、安倍政権とは何だったのか」。この動画の中で弁護士の亀石倫子さんは「法の支配」ではなく「人の支配」する政治を行ったと発言していた。弁護士さんは物事の本質を言い当てている。その通りだと思った。「人の支配」を打倒し、「法の支配」を打ち立てた出来事がフランス革命だった。神から授けられた王権は絶対的なものだというのが絶対王朝ブルボン朝の政治体制だった。この独裁政治体制を倒し、「人の支配」から「法の支配」を実現すべく、創り出されたものが憲法だった。憲法に則って行われる政治体制が民主政治というものだった。
 民主政治を破壊し、独裁政治を行ったのが安倍政治だった。このよう私は理解した。独裁政治とは政治を私物化することである。安倍政治は政治を私物化した。私物化された政治が独裁政治だ。安倍政権は政治を私物化しているのでその政治は独裁政治である。そのような独裁政治を可能としたものが長期政権だった。戦後政治において、政権が独裁化すると国民からの厳しい反撃に合い、政権は倒れた。多数者の支持を得て、政権を持った者は絶えず政治を独裁化する可能性があるので、その可能性を事前に取り除くのが民主政治というものだ。安倍一強と言われていた。ただマスコミがそう言っただけだ。それほど安倍政権が国民大衆から絶大な支持を得ていたというわけではない。ただ選挙に負けなかっただけである。民主党政権時の自民党の支持率を維持していただけである。野党の支持率が自民党の支持率を上回ることがなかっただけである。
 小選挙区制度の上に胡坐をかいて、低支持率の上に好きな事をしたのが安倍政治だった。このような政治が国民から見放されることは間違いない。野党の協力態勢が整い、自民党の政治ではない、もう一つの選択肢として野党の政治を国民が望むようになるなら、自民党は政権を失うことになるだろう。
 自民党の政治基盤を支えていた人々は社会党を支えていた政治基盤を破壊することによって、民主政治を破壊する安倍政治を創りあげた。55年政治体制を崩壊させ、その成果としての自民党一党独裁体制としての安倍政治は「風をだに待つ程もなき徒花は枝にかかれる春の淡雪」として消えていった。

醸楽庵だより   1505号   白井一道

2020-08-30 11:35:16 | 随筆・小説


 
 安倍政権は何をしたか

 
「戦後レジームからの脱却」とは何を意味したか

 安倍晋三首相(当時)は第1次内閣期(2006年9月〜07年9月)に、「戦後レジーム」を「憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組み」と定義しました(06年12月)。「戦後レジームからの脱却」には、大きく分けて2つの意味があります。
第1は、1960年代の高度経済成長期に自由民主党政権みずからが確立した雇用制度(終身雇用など)・社会保障制度(生活保護・国民皆年金・国民皆医療保険など)・農業のしくみ(家族経営の自作農の保護)・税制(所得税・法人税を基軸とする)・貿易のありかた(国内産業の保護)・地方自治(都道府県制度)などを解体し、多国籍企業に有利なように、非正規があたりまえの雇用制度、社会保障の緊縮、企業主体の農業、法人税減税と消費税増税、徹底した自由貿易、道州制などを確立することです。一言でいえば、新自由主義的な経済社会体制にすることです。その目的は、地域の中小自営業者・農民やサラリーマンを基盤とする戦後型保守政治を大都市の多国籍企業・金融資産家を基盤とする保守政治に再編することにあります。
 第2の意味は、ポツダム宣言(1945年7月)と日本国憲法(47年5月施行)に基づく戦後日本国家、つまり植民地をもたず、軍隊をもたず、市民的自由と民主主義を基本とする政治体制を解体することです。めざすのは、日米安全保障条約(52年4月発効、60年6月改定)を根拠とする日米軍事同盟をグローバル化して、「日本軍」がアメリカに従属しつつ国内でも海外でも制約なしに武力行使できるように、憲法を改悪し、国家秘密保護法や集団的自衛権の行使容認の法体系等を整備することです。また国家主義的な教育政策や靖国神社公式参拝、植民地侵略・軍慰安婦問題のあいまい化をとおして<戦争する国>を国民が支持する体制を構築することです。
 ただし、「戦後レジームからの脱却」と言っても、安倍氏らにはサンフランシスコ平和条約・安保条約を破棄して戦前の大日本帝国に戻ろうという意図はありません。安倍氏らの目的は、アメリカの軍事覇権に従属しつつ「日本軍」がグローバルに武力行使することで、日本の多国籍企業がグローバルに資本蓄積できる体制(現代的帝国主義)を確立することにあるからです。しかしこのような政治体制は、勤労者・地域諸階層からの批判、非軍事と民主主義を求める市民からの批判、植民地侵略への反省と謝罪を求めるアジア諸国民や欧米諸国民からの批判にさらされざるをえません。(進藤 兵)

 第二次安倍政権は7年半の長期政権ではあったが、「戦後レジームからの脱却」はできなかった。憲法を改正し、自衛隊を軍隊にすることはできなかった。




醸楽庵だより   1504号   白井一道

2020-08-29 16:08:38 | 随筆・小説



  命なりわづかの笠の下涼み  芭蕉



句郎 1676年、延宝4年、33歳になった芭蕉
は故郷伊賀上野を目指して東海道を下っていた。
 静岡県掛川市佐夜の中山峠にさしかかった。芭蕉は西行の歌が自然と胸に沸き起こって来た。
華女 西行は佐夜の中山で詠んでいる歌があったわね。句郎君、覚えているかしら。
句郎 勿論、覚えているよ。「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山」だったかな。
華女 こんな年になってまた「佐夜の中山」の峠道を越えることがあるなんてと感慨にふけっているのよね。命があってこそのことだ。「佐夜の中山」の峠道を今越えようとしていると思いを深くしているのよね。
句郎 佐夜の中山と言われた峠は東海道の難所の一つとして詠われてきたところのようだからね。箱根の峠や鈴鹿峠と並んで、東海道の三大難所の一つに数えられていたところだったからな。
華女 「佐夜の中山」は歌枕になっている所ね。「東路のさやのなか山なかなかになにしか人を思ひそめけん」と紀友則の歌が『古今集』にあるわね。どうして私はあの人が気になりだし、好きになってしまったのかなと気持ちを詠った歌ね。
句郎 「佐夜の中山」は東海道の難所として数多くの歌人に詠み継がれてきた歌枕だった。その歌枕になっている「佐夜の中山」を通り過ぎようとしていた芭蕉の心には今いる場所に刺激されて一句を詠みたいという強い思いが込み上げてきたという事なのだろうと思う。
華女 歌枕の場所にいるだけで感動するという事があったということなのね。
句郎 そういうことは今でもあるように思うな。日光の華厳の滝に行くとそこに立っている「巌頭之感」という碑を見て明治に生きた青年の思い、生きる悩みの深さのようなものに感慨を持つと思う。
華女 「巌頭之感」よね。私も高校生の頃、英語の先生から聞いたことがあるわ。
  巌頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
 これが「巌頭之感」のすべてよね。藤村操が自殺した華厳の滝が自殺の名所になったという話を聞いたことがあるわ。
句郎 土地、場所に宿る地霊というものがあるように歌が詠まれ、人々に歌い継がれていくとそのような場所が歌枕となのだと思う。「佐夜の中山」にやって来た芭蕉はこの場所にいるだけで感動していた。その結果、詠まれた句が「命なりわづかの笠の下涼み」だった。
華女 「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山」と詠んだ西行の歌の「命なりけり」という言葉から「命なり」の言葉をいただき、句を詠んだということなのね。
句郎 猛暑だったのだと思うな。笠によって遮られた日影に命を感じたのではないかと思う。
華女 佐夜の中山が実際、どのような場所であったのか、分からないけれども木陰など何もない一本道だったのかもしれないわね。笠に遮られた僅かな日影に命が休まるような涼しさを感じたということなのよね。
句郎 厳しい労働を強いられた労働者が炎天下に体を休めていると一筋の風が吹き抜けていった。その一筋の風に安らぎを覚えたというような話をキリスト教会で聞いた。その風に神の存在があるという話に展開していったが、その一筋の風に命を感じるという気持ちは分かる。
華女 「下涼み」という言葉が季語になっているのよね。この「下涼み」という季語を十二分に表現している句だと私は思うわ。
句郎 ほんの僅かな涼しさに命の輝きがあるということかな。
華女 人間は僅かなものに心が集中するとそこに自分がいることに満足するのかもしれないわ。
句郎 誰でも「足る」を知ることが今の自分を肯定的に受け入れることができるように思うからな。
華女 確かにそうなのよ。小さなことであってもそこに満足感が得られることがだいじなのよ。
句郎 笠の下の涼しさに命の有難さかな。

醸楽庵だより   1503号   白井一道

2020-08-28 14:45:02 | 随筆・小説



   核兵器禁止条約を批准しない日本とは



侘助 核兵器禁止条約が2017年に国連で採択されたにもかかわらず世界で唯一の戦争被爆国である日本はこの条約交渉にも参加せず、この条約締結国になろうともしなかった。
呑助 広島・長崎の両市長や被爆者団体などは、日本政府に核兵器禁止条約加入を繰り返し求めているのじゃないですか。
侘助 そのようだ。けれども頑として日本政府は核兵器禁止条約に加わろうとはしていない。
呑助 なぜなのですかね。核兵器が非人道的な兵器であることが分かっていないと言う事なのでしようかね。
侘助 戦争そのものが非人道的な出来事であるという認識が日本政府にはないということなのかもしれない。
呑助 地雷にしろ爆弾にしろすべて人間を殺す武器である以上非人道的なものでしようが、核兵器は決定的に大きな被害を何年にもわたって残す究極の兵器ですよね。そのような兵器の廃絶を実現しようという国際条約に日本が加わらないということが理解できませんね。
侘助 日本政府は「米国の核抑止力が日本の安全保障に不可欠」だから核兵器禁止条約には加わらないと言っている。
呑助 「米国の核抑止力」とは、具体的にどのようなことを意味しているのですかね。
侘助 日本を再び核攻撃しようとしても駄目だよ。日本を核攻撃しようとしても日本には米国が付いている。日本を核攻撃したら米国の核反撃があるぞと、言う事が核抑止力ということのようだ。
呑助 アメリカ政府と日本政府は一体化している。アメリカの核の恐怖によって日本は平和を守っているということですか。日米安全保障条約というのは日米軍事同盟なのでしようか。
侘助 日米安保条約は軍事同盟そのもののだと思うな。軍事同盟と言うと前時代的なことのように思うけれども実質的にはそうなっているようだ。
呑助 そのような軍事同盟によって平和を守るというのは古い考えのように思いますね。今だったら世界中の国々と平和友好条約を結び、仲良くしていこうというのがお金もかからないし、安全のように思いますね。
侘助 世界には核保有国があるからね。1968年の核不拡散条約(NPT)が結ばれ、米ロ英仏中5カ国の核保有を認めあっているからね。更にイスラエル、インド、パキスタンは核兵器を保有し、北朝鮮が核兵器を持とうとしているとアメリカ政府や日本政府は考えているようだからね。 
呑助 イランも核兵器を持とうとしているとアメリカ政府や日本政府は考えているようじゃないですか。
侘助 核兵器を所有することが自国の平和と安全を維持することになると言うような状況があるということだと思う。
呑助 もし本当にそのような状況があるとしたら、核兵器禁止条約を結ぶ国が増え、国連加盟国すべてが核兵器禁止条約に加盟すれば世界平和が実現するように思いますね。
侘助 確かにそうだと思うな。核兵器は破滅的な結末をもたらす非人道的な兵器であり、国連憲章、国際法、国際人道法、国際人権法に反するものであると断罪している。核兵器に「悪の烙印」を押したのが核兵器禁止条約だ。核兵器はいまや不道徳であるだけでなく、歴史上初めて明文上も違法なものだと言っている。この条約は核兵器の開発、生産、実験、製造、取得、保有、貯蔵、使用とその威嚇にいたるまで、核兵器に関わるあらゆる活動を禁止し、「抜け穴」を許していない。核保有国の条約への参加の道を規定するなど核兵器完全廃絶への枠組みを示し、同時に、被爆者や核実験被害者への援助を行う責任も明記され、被爆国、被害国の国民の切望に応えるものになっているようだ。このように、核兵器禁止条約は、被爆者とともに私たち日本国民が長年にわたり熱望してきた核兵器完全廃絶につながる画期的なものである。条約調印国はアジア、ヨーロッパ、中南米、アフリカ、太平洋諸国の 84か国。批准国は44か国となり、発効に必要な条件(50か国)まで残り6か国となっている。アメリカの「核の傘」に安全保障を委ねている日本政府は、核兵器禁止条約に背を向け続けている。こうした態度をただちに改め、被爆国として核兵器全面禁止のために核兵器禁止条約に調印、批准することを望みたい。

醸楽庵だより   1502号   白井一道

2020-08-27 12:04:00 | 随筆・小説



  政治は選挙だ



侘助 立憲民主党の大串博志議員が「政治は選挙だ」とデモクラシータイムスの番組の中で発言していた。「政治は選挙だ」という言葉は何を言っているのかな。
呑助 「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙 に落ちればただの人だ」と昔、言った自民党政治家がいましたね。
侘助 大野伴睦かな。典型的な党人政治家として名をなした人だった。「伴ちゃん」が愛称で、「政治は義理と人情だ」とも言った有名な政治家だった。
呑助 政治体制が五十五年体制と言われた頃の自民党には党人派と言われた政治家と官僚派と言われた政治家がいましたね。大野伴睦は代表的な党人政治家だったように思いますね。
侘助 党人政治家の代表と言えば、田中角栄だろうか。庶民宰相と言われていたように、昔の自民党政治家というと大人の風格があったように思うね。
呑助 庶民の要求を体現するような政治家が今はいなくなってしまったように思いますね。埼玉を代表する庶民政治家と言うと荒船清十郎がいましたね。圧倒的な人気がありましたよ。演説会場に行くと住民の熱気が感じられました。演説に飽きることがありませんでしたね。面白かったですね。
侘助 深谷駅問題が印象に残っているな。1966年(昭和41年)のことだ。第1次佐藤内閣の第2次改造内閣の運輸相に荒船清十郎は抜擢され、10月1日からの国鉄ダイヤ改正に際して、自分の選挙区にあった深谷駅に急行を停車させるよう圧力を加えた。この問題が表面化した9月、荒舩は自宅で新聞記者に「私のいうことを国鉄が一つぐらい聞いてくれても、いいじゃあないか」と発言した。同じ9月参議院運輸委員会でこの問題が取り上げられ、石田礼助国鉄総裁は「いままでいろいろ御希望があったのだが、それを拒絶した手前、一つくらいはよかろうということで、これは私は心底から言えば武士の情けというかね」と答弁した。庶民のわがままを通した。だから庶民の人気を博した。
呑助 問題だとは思っても許しちゃうようなキャメッケがあったということですか。
侘助 荒船清十郎のような政治家の存在を許す有権者がいた。こうした有権者が荒船清十郎という政治家を創りあげた。選挙には圧倒的な強さがあった。
呑助 安倍晋三氏も荒船清十郎と同じような事をしているように思いますが、荒船清十郎は許せても、安倍晋三氏は許せない。そんな気持ちが日本国民にはあるように思いますね。
侘助 国有地を破格の値段で売却しようとした森友学園問題にしても、加計学園を優遇するような学科の増設を許した問題、「桜を見る会」に自分の後援会会員を公費で招いた問題、すべて許せない。これが国民の気持ちのように思う。
呑助 シャーシャーとしている顔が許せない。そんな気持ちに庶民はなるのじゃないですかね。俺たちは毎日毎日厳しく、厳しく働かせられているのに、何だという気持ちですよ。
侘助 田中角栄の一番弟子を任じている小沢一郎氏が言っているように今度の衆議院選挙で自民党は大きな敗北を喫し、政権交代が起きるのもしれませんよ。
呑助 そうですかね。今は昔の自民党政権の中枢にいた小沢一郎氏がそう言うのだったら、もしかしたら自民党は政権を失うのかもしれませんね。政治は選挙によって決まるということですか。
侘助 そう、結局は国民がその国の政治の在り方を決定している。国民の支持を失った政党は政権を失う。基本的にはそうであっても現実には選挙に参加する有権者が少ないため、低投票率、小選挙区制のため、自民党が相対的に有利になることがある。そのため自民党の政権が続くことがあるかもしれないが、国民の政治への興味関心が高まり、投票率が高まると必然的に自民党は議席を失うことがあるように思う。
呑助 自民党は国民の政治への興味関心が高まるのが恐ろしいということになりますね。
侘助 自民党は政権を民主党に奪われたときを反省し、メディアが自民党政権を厳しく見ることを止めさせるような措置を取っているようだ。
呑助 そのせいでしょうかね。特にテレビでは政治的中正な報道が求められているようですね。
侘助 「桜を見る会」に安倍後援会会員を招待している事実を報道することに政治的中正など無いよ。

醸楽庵だより   1500号   白井一道

2020-08-25 15:05:17 | 随筆・小説



   
 積極的平和主義とは



侘助 2020年8月15日、安倍総理は全国戦没者追悼式で次のような挨拶をした。
 「今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。
  いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。
  戦後75年、わが国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。
  戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面しているさまざまな課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り開いてまいります」。
呑助 安倍総理の言う「積極的平和主義」とは、具体的にどのような事をしていこうということなのでしようね。
侘助 暴力には暴力で抑え込むしか方法がない考え、暴力によって秩序と安定を図ることが安倍総理の言う「積極的平和主義」と言うものなのではないかと思っている。
呑助 江戸時代の岡っ引きと同じようなものですか。
侘助 そうなんじゃないのかな。江戸時代の刑罰は村や町といった共同体から犯罪者を追放し、共同体の平和と安定を取り戻していた。町や村といった公の共同体の外部に追放された無宿者、落伍者や犯罪者の共同体が形成され、その内部社会に通じた者を使わなければ捜査自体が困難だったようだ。だから博徒、エタ、的屋などのやくざ者、親分と呼ばれる地域の顔役が岡っ引になることが多く、両立しえない仕事の「二足のわらじ」を履いた。岡っ引きは奉行所の威光を笠に着て威張り、恐喝まがいの行為で金を強請る者も多かった。
呑助 軍隊という暴力で世界の秩序を守り、平和を築くということですか。
侘助 力で抑え込む。強い力が正義だという考えがあるのではないかと思う。世界最大の軍事強国はアメリカ合衆国だから、アメリカ政府の言う事を聞き、アメリカの指示によって日本の軍隊を派遣することが安倍総理の言う「積極的平和主義」と言うものじゃないかと考えている。
呑助 アメリカが世界の平和を乱すものとして考えているのはどこの国なのでしようかね。
侘助 東アジアでは朝鮮民主主義人民共和国がアメリカの支配する世界の平和を乱すものとして考えているのではないかと思う。
呑助 最近、アメリカのトランプ大統領は中国を名指して批判しているようですけど、アメリカにとって中国は世界の秩序を乱すものと思っているということですかね。
侘助 そうなんじゃないのかな。中国の経済成長が著しく、軍事力が強大化していることに脅威を感じ始めているのかもしれない。
呑助 アメリカは中国と仲良く、経済発展をしていくということにはならないのですかね。
侘助 「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などが生む暴力を「構造的暴力」と言っている。この「構造的暴力」がない状態のことを「積極的平和」といい、「テロとの戦い」に勝利して、脅威を取り除くことが「積極的平和」ではない。この「積極的平和」を提唱したのは、平和学の第一人者で世界的に「平和学の父」と知られるヨハン・ガルトゥング博士である。安倍総理が「積極的平和主義」を旗印に掲げていることをどう思うかとガルトゥング博士聞くと、私が1958年に考えだした「積極的平和(ポジティブピース)」の盗用で、本来の意味とは真逆だと言ったという。
呑助 世界から戦争をなくすためには貧困、抑圧、差別などを世界からなくすことですか。
侘助 貧困は自己責任だろう。抑圧などは何もない。抑圧と感じるのであるなら、それは足るを自覚できないからじゃないのか。差別などどこにもありゃしない。それは被害者意識が強いからじゃないのか。戦争することが平和だと安倍総理は言う。

醸楽庵だより   1501号   白井一道

2020-08-25 15:05:17 | 随筆・小説


   
 日本は中国と朝鮮と向き合ってこなかった



侘助 小説家の梁石日(ヤンソギル)が「日本人的自我にとって他者とはずっとアメリカだけだった。アジアとは向き合ってこなかったから、アジアという鏡に日本人の姿がどう映っているか、いまだにわからない。ここが欠落しているために、『慰安婦』の存在も認めようともしないわけです」と述べている。
呑助 「日本人的自我にとって他者とはずっとアメリカだけだった」とは、どのような意味ですかね。
侘助 日本人が尊敬した外国人はアメリカ人だけだったということを梁石日(ヤンソギル)氏は言っているのだと思うけど。
呑助 戦後日本の子供たちは米兵に向かって「ギブミー、チョコ」と言ったと聞いていますけどね。
侘助 戦後日本の人たちはアメリカ文化を崇め奉ったようなところがあったよね。
呑助 そうですね。私の経験から言っても、そのようなことがありましたね。横浜の運動公園に遊びに来た米兵に群がり、サインを貰っている子供たちの光景が印象に残っていますね。
侘助 戦時中は鬼畜米英と蔑んだけれども戦争が終わり、アメリカ軍の支配下になるとそれが一変してしまい、今度はアメリカに憧れる時代が戦後だったような気がするね。
呑助 ハリウッド映画とジャズでしようかね。
侘助 アメリカ文化への憧れが戦後日本の文化だったようにも思うね。
呑助 中国や朝鮮の文化が顧みられることがなかったわけでしようかね。
侘助 そうなんじゃないのかな。アメリカ文化への憧れが生れた日本の土壌には明治以来培われて日本の文化があったように思う。
呑助 それは何ですかね。
侘助 日本を代表する啓蒙思想家というと誰かな。
呑助 「「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と書き出されている『学問のすすめ』を書いた福沢諭吉でしようね。
侘助 福沢諭吉は明治十八年(1885)三月十六日付『時事新報』に社説を書いている。その社説が『脱亜論』と言われているものだ。その社説の中で福沢諭吉は次のような文章を書いている。「西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民ようやくその採とるべきを知り、漸次に活発の気風を催もようしたれども、進歩の道に横わるに古風老大の政府なるものありて、これを如何(いかん)ともすべからず。政府を保存せんか、文明は決して入るべからず。 如何となれば近時の文明は日本の旧套(きゅうとう)と両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府もまた廃滅すべければなり。しからば則(すなわち)文明を防(ふせ)ぎてその侵入を止めんか、日本国は独立すべからず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇(はんげき)は東洋孤島の独睡を許さゞればなり。
日支韓三国相対あいたいし、支と韓と相似るの状
は支韓の日に於おけるよりも近くして、この二国の者共は一身に就(つ)きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見(ぶんけん)せざるに非あらざれども、耳目(じもく)の聞見は以(もっ)て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々(れんれん)するの情は百千年の古に異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻(ざんこく)不廉恥(ふれんち)を極め、なお傲然(ごうぜん)として自省の念なき者の如し。
 されば、今日の謀(はかりごと)を為すに、我国は隣国の開明を待て、共に亜細亜を興(おこ)すの猶予あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は、共に悪名を免(まぬか)るべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
呑助 諭吉は日本人に中国や朝鮮と友だちになるようなことをしてはいけないと言っているのですね。
侘助 福沢諭吉は中国や朝鮮の文化には日本が見習うものは何もないと言っている。ただただ古い封建文化があるだけだ。西洋の文化を学ばなければならないと唱え英語学校を設立した。

醸楽庵だより   1499号   白井一道

2020-08-24 15:21:53 | 随筆・小説


 安倍政権は新型コロナウイルス禍で政権を失う 
 

 
 自民党政権は経済活動と新型コロナウイルスパンデミック対策とを両立させることなしには社会を持続させることはできない。経済活動と感染症対策とを両立させることは机上のプランとして考えると簡単なことである。新型コロナウイルス感染者を確認し、無症状者の感染者を含めて隔離し、新型コロナウイルス陰性者は普段通りに経済活動をすれば、問題は解決する。このことが自民党政権ではできないのだ。
 第一に新型コロナウイルス感染者をすべて洗い出すことが自民党政権では不可能のようだ。大量なPCR検査をいつでも、どこでも、何回も無料で行うことが自民党政権ではできない。
 第二に感染症対策をするに当たって国民すべてを対等平等に取り扱うことなしには、感染症パンデミックを征圧することはできない。しかし国民の間には豊かな者もいれば貧しい者もいる。毎日働かなければ生きていけないのが貧しい人々である。自己責任において自粛や予防をすることができない貧しい人々が大勢いる以上、それらの人々の生活を保障することが自民党政権ではできない。自己責任として毎日働かなければならない人々を突き放す以上、感染症を征圧することはできない。
 第三に新型コロナウイルス感染症を征圧するには新しい法律の制定が求められているがこの新しい感染症に対する法案提出に反対する勢力が自民党の大勢のようだ。その結果が保健所の大幅削減となって表れている。
 自民党政権に代表される日本の国家意思とは、次のようなものである。夕刊フジ『zaqzaq』 より
日本政府は5日、新型コロナウイルスの感染が拡大している中国と韓国からの入国を減らすため発給済みの査証(ビザ)の効力を停止することを決めた。事実上の入国拒否といえる。韓国については「医療崩壊」が顕在化している。
 実は、PCR法という検査方式は、膨大な時間と検査技師の精力を費やすが、現状での検査精度は高くない。不安を覚えた国民が検査に殺到すると、検査能力がパンクする。
 日本の一般医院では、完全防護服なしに患者を診なければならない。検査希望者が医療機関に押し掛ければ医療従事者に感染し、病院の大量閉鎖を招きかねない。実際、中国・武漢市での感染爆発の原因は院内感染だったとの情報もある。
 日本政府の「軽症の場合は自宅待機して病院には行かず、検査も医師の必要とする場合に絞る」という方針は、医学的に極めて真っ当なのだ。
 ところが、である。日本のワイドショーや左派野党、さらに驚くべきことには医師の中にさえ、執拗(しつよう)に「希望者全員に検査させろ」と煽(あお)り続ける人々がいる。
 あるワイドショーの出演者は「PCR検査を希望者全員に適用せよ」と声高に主張し、韓国の検査体制を礼賛している。
 左派野党の議員は、PCR検査の拡充を訴え、「安倍内閣は内閣支持率や五輪を国民の命や健康より優先している」などと批判していた。
 医師の中にも、「民間企業には1日数十万件も検査できる能力がある」「疑わしい人や希望者全員の検査が必要だ」などと発信している者がいる。医師としてまったく信じ難い発言だ。
 韓国・中央日報(日本語版)は3日、文在寅(ムン・ジェイン)政権が希望者全員のPCR検査を進めていることを受け、「今のコロナ対策ではダメだ」という記事を掲載している。彼らは隣国の実態を知っているのか。
 新型コロナウイルスは指定感染症であり、検査の人員、場所、設備全てを完全防備化しなければならない。ましてや、検査能力の大半を新型コロナに回せば、従来の検査業務が完全にパンクするのは自明の理なのだ。
 ワイドショーの無責任な報道に煽られて、コロナウイルスについて保険適用となった後のPCR検査に国民が殺到すれば、日本の医療は完全に崩壊する。
 全員検査を扇動するこれら「医療テロリスト」たちから、日本の医療を守るための情報戦が、今切実に必要だ。
 このようにPCR検査をすることは医療崩壊への道であると宣伝しているのである。国民の自己責任において新型コロナウイルス感染症を撲滅するしかないというのが国家意思であり、自民党政権の意志である以上、新型コロナウイルス感染者を撲滅することはできない。このよう国家意思を国民は受け入れることができるのか、できるはずがない。自民党政権は崩壊するしかないであろう。

醸楽庵だより   1498号   白井一道

2020-08-23 13:51:33 | 随筆・小説


   
   中国は覇権国になれるのか



侘助 18世紀の後半、少し生活に余裕のあるヨーロッパの人なら誰でもが欲しがった品物、商品と言うとノミちゃん、何だと思う。
呑助 当時のヨーロッパ人が憧れた商品なのでしょ。何でしようかね。
侘助 それは木綿の布地で仕立てられたシャツだった。当時、木綿のシャツは高級品だった。
呑助 昔の人の衣類の素材と言うと主に何だったのでしようね。
侘助 昔からの高級品というと言わず知れた物でしよう。中国で織られて古代ローマまで、運ばれた布地というと、-------
呑助 ラクダの背に乗せられ、シルクロードを通って運ばれた絹の布地でしよう。絹は古代から現代にいたるまで最高級品として崇められてきたようですね。
侘助 当時、中国から運ばれてきた絹一反の値段を現代の価格にすると2000万円ぐらいのものだったようだからね。王様が身に着けるものが絹の衣服だった。 
呑助 絹の外は何がありますか。
侘助 今では高級品だが、麻の衣服があった。日本では夏の着物に麻で仕立てたものがこのまれていた。
呑助 麻のシャツは涼しいですよね。麻のシャツを身に着けると背筋を伸ばして歩くような気分になりますね。絹にしても、麻にしてもヨーロッパでは手に入らない物なのじゃないですか。
侘助 ヨーロッパは寒い所だからな。麻はイラクサ目イラクサ科の多年生植物の繊維が原料になっている。日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古くから植物繊維をとるために栽培されてきた。
呑助 日本の庶民が身に着けていた衣服の原料の大半は木綿でしようね。
侘助 木綿の原料は綿花でしよう。私の祖母が生れた時、畑の一部を割き、綿花を親が植えてくれたという話を聞いたことがある。綿を集めて布団を作り、着物を作る木綿の布地を作るため、糸を縒り機織りに出したという。
呑助 昔の農家は娘の嫁入りのために生まれた時から準備していたところがあったということですか。
侘助 アジアには絹も麻布も木綿もあった。ヨーロッパは寒い所だから絹も麻布も木綿もない。貧しいところだった。
呑助 ではヨーロッパ人が身に着けていた物は何から作ったのでしようかね。
侘助 それは羊毛だよ。ヨーロッパでは昔から羊の飼育がおこなわれていたからね。羊毛で織られた生地で仕立てた衣服は保温性に優れ、さろぃヨーロッパには適したものであった。
呑助 毛織物ですね。アジアにも毛織物はありますね。アジアには何でもあるということですか。
侘助 ヨーロッパ人にとって木綿の布地で仕立てたシャツは憧れのシャツになった。この木綿の布地を工場制機械工業で大量生産した出来事が産業革命であった。
呑助 綿布生産をイギリスで行ったのが産業革命でしたね。思い出しました。
侘助 二、三年年前のことだったけれど、ロシア国営放送のテレビを見ていたら、ロシアは武器輸出高が世界一になったと放送していた。現在はやはりアメリカが第一位のようだけれどね。
呑助 産業革命の成果、その製品がヨーロッパの若者の心を捉えたということですか。
侘助 そう、綿布で仕立てたシャツがイギリスの若者、いやヨーロッパの若者の心を捉え、綿のシャツは憧れの商品になった。そのような商品を作ったイギリスは世界の覇権国になった。
呑助 綿布のシャツがイギリスを世界の覇権国にしたということですか。
侘助 その通りだ。アメリカが第二次産業革命の成果として作り上げた商品が自動車だった。世界中の若者の心を捉えたものがフォードの自動車だった。フォードの自動車がアメリカを世界の覇権国にした。世界中の若者がアメリカの生活に憧れた。フォードの自動車がアメリカを世界の覇権国にした。

醸楽庵だより   1497号   白井一道

2020-08-22 15:22:42 | 随筆・小説



   
  近ごろ聞かない「死の商人」とは



侘助 長崎の観光名所というと何かな。
呑助 いろいろありますね。まず何と言っても、平和公園に立っている平和祈念像でしようね。
侘助 神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は原爆の恐怖を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているといわれる像かな。
呑助 像の高さは10メートル近くあるそうですよ。
侘助 大きな像だよね。長崎というと隠れキリシタンとかのイメージがあるね。
呑助 浦上天主堂ですね。キリスト教が日本に伝わって以来、カトリックの信者が多かったのではないですか。隠れキリシタンの摘発も行われたのではないですか。江戸時代は長崎のみ開港していたので、欧米人が長崎港の南の東山手・南山手に居住区を作り、その一角に大浦天主堂が造られたようですよ。
侘助 だから長崎には異国情緒が漂っているようなイメージがあるよね。 
呑助 オランダ坂、グラバー邸がありますね。グラバー邸は蝶々夫人所縁の家と言われていますよね。
侘助 グラバー邸の持ち主は何をしていた人なのか、ノミちゃん、知っている?
呑助 まさか蝶々夫人のご主人さんでは無いのでしようからね。多分貿易商だったのじゃないですか。
侘助 そう、貿易商だった。何を日本に売っていたのかというと、武器、人殺しの道具、鉄砲、大砲などを討幕派にも佐幕派にも売っていた。このような武器を売る商人を「死の商人」と言う。
呑助 グラバーは徳川幕府側にも、薩長土肥の討幕派にも鉄砲や大砲を売っていたのですか。
侘助 死の商人に愛国主義者はいない。鉄砲を買ってくれる人には誰にでも売る。それが商売と言うものだからね。
呑助 アジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々では未だに内戦をしている国々がありますね。それらの国にあっては戦争をしている双方に武器を売っている商人がいるのですかね。
侘助 最近、死の商人という言葉を聞く機会がほとんどないということはそのような商人が存在する空間が無くなってきているのではないかと思っている。
呑助 発展途上国で内戦をしている国にあっては支持してくれている軍事大国から武器を購入しているということですか。
侘助 二、三年年前のことだったけれど、ロシア国営放送のテレビを見ていたら、ロシアは武器輸出高が世界一になったと放送していた。現在はやはりアメリカが第一位のようだけれどね。
呑助 発展途上国にあっては、アメリカから武器を買う側とロシアや中国から武器を買う側とが戦っているという事になりますか。
侘助 カラシニコフ銃というゲリラが装備している有名な銃があるでしょう。この銃は旧ソ連が開発した最も有名な銃のようだ。
呑助 ソ連で開発、造られた銃なのでしよう。
侘助 その通りだ。実戦の苛酷な使用環境や戦時下の劣悪な生産施設での生産可能性を考慮し、部品の寸法の許容範囲が大きく、性能が優れている。ここに卓越した信頼性と耐久性、および高い生産性を実現した銃のようだ。ミハイル・カラシニコフが設計し、1949年にソビエト連邦軍が正式採用した自動小銃かな。この特性から、本銃はソビエト連邦のみならず、全世界に普及した。基本設計から半世紀以上を経た今日においても、本銃とその派生型は、砂漠やジャングル、極地などあらゆる世界の地帯における軍隊や武装勢力の兵士にとって最も信頼される基本装備になり、『世界で最も多く使われた軍用銃』としてギネス世界記録に登録されている。
呑助 ロシアは今でもゲリラにこの銃を供給しているということですか。
侘助 アメリカは日本やサウジアラビア、オーストラリアなどに輸出し、ロシアはインド、中国、ベトナムに売っている。