うらやましうき世の北の山櫻 芭蕉
句郎 この句の「うき世の北」が何を意味するのかが分からなければ、何を表現した句かが分からない。
華女 「うき世の北」は何を意味しているのかしらね。
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』にあるこの句の注釈には次のようある。「是ははせお庵の叟(おきな)、武の深川より越のしらねにおくり申されし奉納の句意」とある。芭蕉が江戸深川の芭蕉庵より金沢の門人句空宛に書いた書簡のことのようだ。
華女 「うき世の北」とは、北国金沢のことを意味しているということなのね。金沢の隠喩ね。隠喩というのは伝わりにくいのよね。句空さんには伝わったかもしれないけれど、三百年後の私たちには伝わらないわ。
句郎 芭蕉が句空に送った手紙が今に伝わっている。「北海集之事、序之事、申被レ越候。尤とりあへずしたゝめ可レ申事ながら、遠境心にもまかせず候へば、延引に成候而気の毒に存候間、其元に而いかやう共なぐり可レ被レ成候。愚句両吟にて御わび申度候。愚作交り過たるもよろしからず候。猶急便故早々。」 はせを
華女 句空さんが『北海集』を編みたいので師、芭蕉の序文をお願いしたところ、芭蕉は句空の序文執筆を断り、代わりに送った句が「うらやまし」の句だったということなのね。
句郎 この時、芭蕉は二句を送っている。一つが「うらやまし」の句、もう一つが「ともかくもならでや雪の枯尾花」だったようだ。
華女 元禄時代は通信がかなり発達していたのね。『おくのほそ道』の旅を通じて江戸で知り合った知人を訪ねると同時に旅で知り合った人とも江戸に帰った後、手紙でのやり取りがあったということなのよね。
句郎 芭蕉は友人、知人を大切にした俳諧師だったということかな。
華女 ファンを大切にする芸能人だったということかもしれないわ。
句郎 句空は、金沢卯辰山のふもとに住んでいることを芭蕉は知っていた。だから芭蕉は句空を「山桜」にたとえたのかもしれない。
華女 句空さん、あなたの住んでいる金沢は静かな場所でうらやましい。私は今江戸にあってよろず浮世のいざこざに悩まされて、まいっています。このような意味ね。
句郎 芭蕉と句空の二人にしかにしか伝わらない句なのかもしれないな。隠喩法で詠んだ句には迫力が出ない。そんなことがこの句を読むと分かるな。