醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  279号  白井一道

2016-12-31 12:35:07 | 随筆・小説

  2016年を振り返って 279号

 20世紀を振り返ってみると1917年に「世界を揺るがした十日間」があった。ロシア革命である。世界が地獄を見た第一次世界大戦があった。世界の破局を思わせた第二次世界大戦があった。世界の破局に怯える第三次世界大戦ともいうべき米ソ冷戦が45年間も続き、ソ連の崩壊をもって冷戦が終わった。中国は日中戦争に勝利し、国共内戦に勝利した共産党軍が中華人民共和国を建国した。1960にはアフリカ諸国が植民地から抜け出し、独立した。1973年には南アメリカにあるチリーが合法的な選挙によって社会主義政権を成立させた。このような世界史的出来事を思い浮かべてみると20世紀とは戦争と革命の世紀であったということができる。その歴史的経過の底に流れている動きとは、資本主義経済とその政治体制を破壊し、社会主義的な経済、政治体制を樹立しようとする動きを押しとどめようとする動きであったと考えることができるだろう。
 第一次世界大戦反対、戦争の早期終結を求める中からロシア革命が起き、ソ連という社会主義政権が出現した。1929年の世界大恐慌の中から社会主義社会を求める人民の運動を抑える政治運動としてファシズム勢力が出現した。ドイツファシズム体制そのものであったナチスの力によってソ連邦を倒そうと図った戦争が第二次世界大戦であった。東アジアにあっては、日本のファシズム勢力によって中国の社会主義化を阻止しようと図ったが、失敗する。第二次世界大戦でソ連邦を倒すどころか、中国や東ヨーロッパ諸国に社会主義諸国が出現してしまった。第三次世界大戦・冷戦の主たる目的は社会主義諸国を封じ込め、その勢力が膨張するのを防ぐということであった。西側諸国の指導者たちは西側諸国国民の生活向上に力を入れ、自由な市場経済の有利性を誇示することによって西側諸国国民の支持を得る政策を追求した。この政策こそが社会主義勢力の拡大を阻止するという認識を得ていた。自由と民主主義が社会主義を倒す。この政策が功を奏し、第三次世界大戦・冷戦に西側諸国は勝利した。ソ連を中心にした東ヨーロッパ諸国はもともと経済の発展が後れていた。硬直した社会主義経済が東ヨーロッパ諸国国民の生活向上が西側諸国に追いつかない。また共産党独裁という政治体制が経済の硬直性を強め、生産性を阻害した。冷戦という準戦時体制という緊急事態が長期に渡ったため経済活動の発展が阻害された。
 冷戦の勝利が新しい自由主義の謳歌する世界を西側諸国に出現させた。自由な競争による市場経済がより一層の経済を活性化させる。経済を成長させる。1990年前後から新自由主義経済は猖獗を極めた。その結果、西側諸国の経済は二十数年確実に成長し、GTPは大きくなっても国民の生活は良くならない。富が国民には滴り落ちてこない。こんなことになってしまっている。その不満が覆出したのが2016年であったように思う。アメリカではラストベルト地帯と言われる重工業地帯がゴーストタウンになった。自動車工業の街・デトロイトは廃墟になってしまった。その結果がトランプ氏の勝利となった。イギリスではスコットランドの市民たちの生活が良くならない。東欧諸国からの移民の増加によって勤労者の賃金が上がらない。EUからイギリスは離脱する。フランスでは右翼が台頭する。日本にあっても「維新の会」のような党派がマスコミを賑わす。それもこれも国民の生活が困窮化しているからだ。アメリカが冷戦に勝利した結果のマイナスが表面化した年が2016年だったのではないだろうか。


醸楽庵だより  278号  白井一道

2016-12-31 10:53:41 | 随筆・小説

 神戸みち子著 句集 『蜻蛉の空』を読む

 句郎 先月、孝夫さんから頂いた神戸みち子さんの句集『蜻蛉の空』を華女さん、読んだ?
華女 もちろん、読んだわよ。句郎君はどうだった
侘助 最後に載っていた「八十年生きて爽やか庭を掃く」を読み、突然、涙が出てきてビックリしちゃった。
華女 へぇー、句郎君は感激家なのねぇー。
句郎 そうなのかもなぁー。平凡に生きて平凡に死んでいく。これが普通の人なんだろうなぁーと思ったら、涙が出てきたのかな、と思ったんだけどね。
華女 句集の題にもなったのかしら。「雨やみて蜻蛉の空となりにけり」。静かな句ね、この句は。
侘助 そうだね。確かに静かな句だね。読者の気持ちを静かにする句は。良い句なんじゃないかな。
華女 名画の前に立つと心が静まると映画「泥の川」の監督、小栗康平が言っていたわよ。
句郎 最近、映画「フジタ」を撮った監督かな。
華女 そうよ。藤田嗣二の伝記ドラマの監督よ。彼が嗣二の絵の前に立つと静かさがあると言っているのよ。
句郎 そんな気もするな。「閑かや岩にしみ入蝉の声」。芭蕉の有名な句にも確かに静かさがあるように感じるね。
華女「八十年生きて」のみち子さんの句にも静かさがあるように感じるわ。
句郎 「静かさ」とは、何なのかな。
華女 小栗監督は藤田の絵の前に立った時の「静かさ」を表現したかったと言っていたわ。
句郎 「古池や蛙飛込む水の音」。この有名な芭蕉のにも静かさが表現されているよね。
華女 十七文字で静かさを表現する文芸が俳句なのかもしれないわよ。
句郎 そうなのかもしれないな。「山路来て何やらゆかし菫草」。この芭蕉の句にも静かさがあるねぇー。
華女 俳句は芭蕉に始まるんでしょ。
句郎 芭蕉がうるさい俳諧を静かな俳句に作り替えたのかもしれないなぁー。
華女 うるさい俳諧とは何なの。
句郎 芭蕉十九歳の時の句に二十九日立春なればと前書きし「春やこし年は行けん小晦日(こつごもり)」という句を詠んでいる。寛文二年1662は十二月二九日が立春だった。江戸時代は旧暦だったからね。この句にはどこにも静かさはない。ただ面白味のようなものを狙っただけの句のようだ。このような句は名句とは大きく隔たった句なんじゃないのかな。
華女 みち子さんの句に静かさが表現されているということは立派な俳句になっているということなんじゃないのかしら。
句郎 そうだと思うけど。「終戦日夢に見る兄茶碗酒」。この句にも静かさがあるよね。
華女 そうね。年老いて静かにお兄さんを偲ぶ気持ちが表現されていると思うわ。
句郎 俳句は笑いだけれども、その底に静かさがなければただうるさいだけの句になってしまうのかなぁー。
華女 理屈や説明は、ただうるさいだけなのね。静かさを表現するのね。それが難しいのよね。
句郎 そうなんだろうね。静かさが表現できない。修行が必要なんでしようね。少しでもみち子さんのような句を詠めるよう修行、少し辛いけどね。

醸楽庵だより 277号  白井一道

2016-12-30 12:31:20 | 随筆・小説

 俳句らしい俳句にするには

華女 野火の句会に出て何か、学んだことはあった?
侘助 うん、一つは「茶の花」が冬の季語だということを知ったよ。
華女 お茶の木は冬、白い花をつけるよ。
句郎 そうなんだ。小さな花なのかな。
華女 二センチぐらいの花よ。黄色い雌蕊を白い花弁が囲んで咲くのよ。
句郎 「茶の花や午後の日差のぬくもりぬ」という提出句に対して主宰者の孝夫さんが▽を付けたんだ。なぜ▽を付けたのか、分からなかった。
華女 そうね。どうしてなのかしらね。分かったわ。切字が「や」と「ぬ」の二つが入っているということなんじゃないの。
句郎 正解。その通りなんだ。句に切れ字は一つがいいんだっけ。
華女 そうなんじゃない。
句郎 そうだよね。分かっていてもすぐには気が付かない。言われてもすぐには分からない。困ったことだよ。
華女 句郎君は分かっていたの。
句郎 うん、分かっていたよ。有名な句を知っているんだ。「降る雪や明治は遠くなりにけり」。
華女 中村草田男の句ね。
句郎 「降る雪や」と「けり」と、二つの切字が入っている有名な句だよ。
華女 成功している句もあるのよね。
句郎 「降る雪」と「明治は遠くなりにけり」のバランスがいいんじゃないのかな。降っているのは雪だなぁー、明治は本当に遠い昔になってしまったなぁーという感慨が深い思いを読者にあたえているんじゃないのかな。
華女 素人にはなかなかこのバランスがとれないのよね。
句郎 そうなんだろうね。だから切字を二つ、入れると句の焦点が絞れなくなってしまうということなのかな。
華女 確かに、そうね。お茶の花が咲いているわ。午後の日差がぬくいわと、言うのでは、やっぱり焦点がぼやけるわね。お茶の花が午後の日差の温みの中に咲いているのがとてもきれいだわと、詠んだ方が良いわね。
句郎 そうだよね。だから孝夫さんは「茶の花や午後の日差のぬくもりに」と添削した。
華女 完了の助動詞「ぬ」の終止形「ぬ」を連用形「に」に変えたのね。
句郎 「に」に変えたことによって「茶の花」を修飾する語句「午後の日差のぬくもりに」になった。これで季語「茶の花」に焦点が絞られたということかな。
華女 さすがね。
句郎 読んですぐ感じるということは長年の経験がそのような感覚を作っているんだろうね。
華女 でも理屈でわかることが初めなんじゃないの。
句郎 理由がしっかり分からなくちゃ、また同じような過ちを犯してしまうからね。確かに理屈でわかることが出発かな。
華女 句法というのかしらね。数学で言えば、公式のようなもの、その理屈を知ることね。その理屈が経験によって感覚にまで高まると俳句があふれ出すのかもしれないわよ。
句郎 そうだといいんだけどね。なんでもそうなんだろうね。数学なんかでも高校生の頃、公式ができるまでを何回も練習して初めて公式が持つ意味を実感した経験があるからね。
華女 原理が大事なのよ。

醸楽庵だより  276号  白井一道

2016-12-30 12:28:27 | 随筆・小説

 今年のベスト映画といえば

 今年見たベスト映画といえば、古い日本の映画、小津安二郎監督の「浮草」が良かった。カラー映画の画面が美しかった。京マチ子が綺麗だった。旅役者としての女の実在感があった。杉村春子が名優だと言われた理由を納得した。昭和30年代の田舎町の風情が美しかった。21世紀に生きるアメリカ人が小津映画を愛する理由が分かるような気がする。それは半世紀前の日本の風景が美しいからだろう。21世紀のニューヨークに生きる人々にとって半世紀前の日本人の情緒を懐かしいと思わせるからではないだろうか。
 映画「浮草」が発表されたのは1959年、昭和34年である。戦災のなかった日本の田舎町には戦前の風景が色濃く残っていた。チンドン屋が村の路地をめぐり、子供たちが後をついて回る。旅役者・嵐鯉十郎一座がやってきた。宣伝をしてまわる。あぁー、こんなことがあったなぁー。子供たちはお祭り気分になってはしゃぎまわる。男の旅役者は村の女をねめまわす。そうなんだろうな。旅芸人の一座が田舎町にやってくると田舎町の女たちの気持ちも浮足立ったのだろうな。その雰囲気が表現されている。わかるなぁー。
 この田舎町には鯉十郎が居酒屋をしている人との間にもうけた息子がいる。その息子を自分と同じような旅役者にはしたくないという強い思いがある。できるものなら大学まであげ、立派な職業に就かせたいという思いがある。この思いが挫かれていくところにこの映画の醍醐味がある。
 漂白に生きる者の哀しみが表現されている。生きる人間の哀しみに人の心の深い所で共感するのだ。

醸楽庵だより  276号  白井一道

2016-12-29 15:27:29 | 随筆・小説

 炬燵での過ごし方といえば。

 炬燵での過ごし方と言えば、思い出す句がある。「づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」。づぶ濡れになった大名は威儀をただし、参勤交代の行列行進をしている。この寒さをものともせず、ずぶ濡れになったまま部下の武士とともに整然と行列行進するのが武士だと胸を張っている。道の両側には地面に這いつくばって頭を地面に擦りつけているずぶ濡れになっている農民たちがいる。この姿を一茶は炬燵に入り、障子の隙間からそっとのぞき見をしている。農民である一茶は家を出て道の脇に這いつくばりずぶ濡れになったまま頭を地面に擦りつけなければならないが、それを拒否し、家に隠れ炬燵に入り、障子の隙間からずぶ濡れになった大名や武士、農民たちをじっと見ている。農民なら誰でもがすることを拒否している。
農民の中には一茶を不届き者として指弾した者がいたであろう。冬の雨の中、震えながら大名行列を敬い拝んでいる農民たちの中にあって、家の中、炬燵に入って大名行列をそっと盗み見しているとは、何事かと怒った名主がいたであろう。冬の雨をものともせず、威儀をただし、整然と行進するのが武士だと主張する行為を讃える倫理規範から一茶は解放されていた。冬の雨の中の大名行列を炬燵に入ったまま平然と一茶は見ている。ここに身分の違いを認識しない一茶がいる。武士を讃えない農民、一茶がいる。農民であるにもかかわらず、農民であることを自覚しない一茶がいる。
立派な立ち居振る舞いだと農民から敬われ、有難い存在だと思われることによって武士は武士になる。このような倫理観が農民にあってこそ封建的な身分秩序は形成されていたにもかかわらず、一茶のような人々が増え始めると封建的な身分社会は崩壊を始める。18世紀から19世紀前半に生きた一茶は徳川封建制社会が崩壊に向かい始めていることを実感していたのかもしれない。
文学者一茶はその時代の本質を17文字を表現した。その句が「づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」である。一茶が炬燵の中で見たものは崩れ行く徳川幕府体制であった。

醸楽庵だより  275号  白井一道

2016-12-29 14:17:47 | 随筆・小説

 今年楽しんだお酒

侘輔 今日のお酒は初めてのお酒なんだ。
呑助 どこのお酒なんですか。
侘助 山口県のお酒なんだ。
呑助 山口のお酒というと有名な「獺祭」がありますね。吉祥さんが訪ねた酒蔵・・・。
侘助 今日楽しむ酒は「獺祭」ではなく、「毛利」という銘柄のお酒なんだ。今日は年忘れの会だからグレードは純米大吟醸・無濾過・生・原酒、酒造米は山田錦。精米歩合は五十。造りは速醸のようだけれども、しっかりした骨格をもったお酒のようだよ。絞りは普通のヤブタで絞っている。
呑助 「速醸」というのは何でしたっけ。
侘助 お酒の酛(もと)になるものを酒母というんだ。この酒母は麹と蒸した米と水からできているんだ。この酒母を造る過程で半切り桶に蒸米と麹、水を入れ、櫂を入れ、蒸米を押しつぶし、山のように盛り上げる工程がある。この蒸米と麹と水の混ざった山を放っておくと乳酸菌が発酵してくるんだ。この乳酸菌ができるのを待って酒造りをする方法を生酛造りとか、山廃造 と言うんだ。それに対して水と一緒に工業製品の乳酸菌を入れて酒母を造る方法を速醸と言うんだ。
呑助 乳酸菌を加えて造った方が速く酒母ができるんですね。
侘助 そうなんだ。蒸米と麹と水ですり潰し、山に盛るような工程を省くことができるからね。
呑助 どうして乳酸菌を加えるようなことをするんですかね。
侘助 いい質問だね。この乳酸菌が蒸米と麹と水とで生成することによって雑菌が殺されるんだ。そのため蓋を開けっ放しにされているタンクの中に雑菌が入ってきても殺菌されているんだ。
呑助 あぁーこれが自然の営みの叡智なんですね。
侘助 だから速醸酛のことを水酛なんても言うんだ。生酛の酒や山廃酛の酒は手間がかかるし、リスクもあるから当然高くなる。速醸の酒は手間が省けるし、リスクもないからよりリーズナブルな価格なる。だから大半の酒は速醸酛で造られた酒だ。
呑助 今日楽しむ「毛利」は速醸なんですよね。
侘助 そう、生酛系の酒じゃないけれども、フルネット純米酒研究会という団体がある。この団体が行った純米吟醸酒部門の品評会で金賞を受賞した酒が今日楽しむ「毛利」のようだよ。
呑助 坂長さんはどこでこのお酒を探したんですかね。
侘助 坂長さんがおろしている料飲店さんで飲み、気に入って「山縣本店」に電話して注文したお酒のようだよ。
呑助 何が気に入ったんですかね。
侘助 とても切れが良かった。酸の爽やかさが気に入って仕入れたようだ。五ケース、三十本注文し、一週間ではけてしまったようだよ。
呑助 前回も金賞受賞酒の酒だったけれども今月も金賞受賞酒ですね。
侘助 われわれ熟年世代はたくさん飲むことはできないから、高品質なお酒を適量楽しむ。そのよう年代だからね。本当の日本酒の本当の味というものを味わって楽しむ。これがわれわれ世代の嗜みじゃないかな。酒の味を楽しむ。これは立派な日本文化を味わい、楽しむ高尚な遊びだと思うよ。

醸楽庵だより  274号  白井一道

2016-12-28 11:15:26 | 随筆・小説

 相手に通じる言葉とは。

華女 ⒓月の句会では何か、心に残った?
侘助 うん、一つは強い言葉は慎んだ方がいいと言うことかな。
華女 それはどういうことなのかしら。
句郎 十一月の句会だったかな。主宰者の孝夫さんがその句、いい句だろうと言った句があったんだ。
華女 何という句だったの。
句郎 「「ふだん着でふだんの心桃の花」という句だった」。
華女 細見綾子の句だったかしら。
句郎 そう細見綾子の句かな。同じ細見綾子の句に「春の雪青菜をゆでてゐたる間も」があるでしょう。
華女 そう、「ゆでてゐたる間も」の「も」が効いている句ね。
句郎 名句だと言われている句だよね。これらの句には一つも確かに強い言葉がないものね。
華女 そうね。普通に普段に使われている言葉ね。
句郎 だから静かな句だよね。だから説得力を持つと孝夫さんは言っていた。
華女 そうね。でも強い言葉を使いたいと思う気持ちも分かるわ。
句郎 そうだよね。俺はこう思ったんだ。この気持ち分かってもらいたい。そういうことだよね。
華女 そうよ。この私の気持ち、分からない。あなたの頭をぶち割って見てみたいなんて思うことあるわよ。
句郎 そうなんだ。でも、その強い気持ちをぶちまけてみても、きっと相手はしらけるだと思うけれどね。
華女 そうなのよね。だから我慢して、我慢して静かな言葉で気持ちを伝えた方が相手には伝わるのよね。
句郎 家族における人間関係の在り方と俳句の作り方との間には関係があるみたいだね。
華女 なんにでも言えるように思うわ。細見綾子の「ふだん着のふだんの心桃の花」。何となくいいなぁーとは思うけれど、何が良いのかしらね。
句郎 「桃の花」というと僕が思い出すのは「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ」かな。高校の頃、古文の時間に教わった万葉集の歌かな。
華女 何年前のことになるの。よく覚えていたものね。
句郎 どうしたわけか、印象に残っている歌なんだ。
華女 大伴家持の歌よね。
句郎 家持が越中の国守として今の富山県あたりに赴任していた時に詠んだ絶唱だと言われている。
華女 当時の越中の田舎娘を詠んだ歌なのね。
句郎 その田舎娘に奈良の都の垢ぬけた娘にない魅力を家持は発見したんじゃないのかな。
華女 桃の花とはそんな雰囲気があるわね。
句郎 そう、梅や桜は洗練された魅力だよね。
華女 桃の花は梅や桜に比べたら少し野暮ったいわ。
句郎 そう、「ふだん着の花」が桃の花なんだよ。
華女 細見綾子は「桃の花」の本意というか、本情を詠っているのね。
句郎 そう、そうなんだよね。桃の花の本意が詠まれているから人に伝わる力があるんじゃないのかな。言葉に気持ちがこもっているからね。
華女 この細見綾子の句には、何か人生というか、人間の在り方の本質に迫ってくるようなものもあるように感じるわ。
句郎 この句は文学になっているのかも。

醸楽庵だより 273号  白井一道

2016-12-27 16:20:36 | 随筆・小説

 しばらく休んでいましたが、再開しました。いつまで続きやら。私にもわかりません。 

 新酒の噺

呑助 もう、新酒が出てきましたね。真澄の「あらばしり」と謳った酒を見ましたよ。
侘助 今年、初しぼりの酒が出荷されたんだね。
呑助 「あらばしり」というのは搾りの名称なんですかね。
侘助 今はほとんど「ヤブタ」と呼ばれている自動圧搾濾過機に酒の醪を流し込み、酒を搾っているんだ。
呑助 アコーディオンの大きなような白い機械ですね。
侘助 そうだ。タンクから出てきた醪を搾り、最初に出てきた酒を「あらばしり」と云うようだ。
呑助 「あらばしり」はそれで新酒を意味する言葉になったんですかね。
侘助 そうなんじゃないかな。「あらばしり」は新酒を意味する季語になっているものね。
呑助 へぇー、「あらばしり」は季語ですか。
侘助 私は昔、「薄給の足よろよろとあらばしり」という句を詠んだことがあるんだ。
呑助 なんか、盗作ぽい句じゃないですかね。
侘助 やはり、分かるかね。「貧農の足よろよろと新酒かな」という句を読んで、真似てみた句なんだ。
呑助 そうでしょ。ワビちゃんの句にしては上手すぎるように感じたんだ。
侘助 そうかね。「あらばしり飲んで心に鶴一羽」と黒田悦夫という人が詠んでいる。搾りたての新酒をいただくと幸福な気持ちになるのかもしれないな。人生に対する充足感のようなものを感じる。
呑助 今日は新酒搾りたての酒を唎酒するんですね。わくわくするような気持ちになりますよ。
侘助 そんな気持ちになるよね。酒は搾りによって旨さに大きな違いがでてくるからなぁー。
呑助 自動圧搾濾過機「ヤブタ」ではない搾りの方法があるんですか。
侘助 酒を搾る道具を昔も今も「フネ」と云うんだ。なぜフネというのかというと、ヤブタが出てくる前の道具は舟の形をしていたからなんだ。舟の形をした道具の中に醪を詰めた木綿の小さな袋を積んでいく。舟一杯に醪を詰めた袋で満たすと上に厚手の板を置き、上から圧力をかける。こうして酒を搾った。
呑助 今でもこうした道具で醪を搾っている蔵はあるんですかね。
侘助 あるみたいだよ。ヤブタを買えない小さな蔵では今も昔ながらのフネで酒を搾っている。
呑助 昔ながらのフネで搾った酒と自動圧搾濾過機・ヤブタで搾った酒では味の違いがあるんですかね。
侘助 あるみたいだよ。ヤブタで搾った酒よりフネで搾った酒の方が味わい深いようだ。だから「袋搾り」と銘打った酒を出荷している蔵があるくらいだからね。
呑助 一度、飲み比べをしてみたいですね。
侘助 そうだね。蔵にとっては袋に入れた醪を搾るには手間がかかる。醪を袋に入れる。醪の入った袋を重ねていく。この作業には熟練をようする。難しい作業のようだよ。さらにヤブタのように強い圧力をかけられない。そけだけ粕歩合が多くなる。酒の量が減る。高く売らなければ採算が合わない。
呑助 なるほどね。
侘助 更に「袋釣り」という搾りもあるんだ。圧力をかけない搾りだ。

醸楽庵だより 272号   白井一道

2016-12-25 15:51:25 | 随筆・小説
華女 ⒓月の句会では何か、心に残った?
侘助 うん、一つは強い言葉は慎んだ方がいいと言うことかな。
華女 それはどういうことなのかしら。
句郎 十一月の句会だったかな。主宰者の孝夫さんがその句、いい句だろうと言った句があったんだ。
華女 何という句だったの。
句郎 「「ふだん着でふだんの心桃の花」という句だった」。
華女 細見綾子の句だったかしら。
句郎 そう細見綾子の句かな。同じ細見綾子の句に「春の雪青菜をゆでてゐたる間も」があるでしょう。
華女 そう、「ゆでてゐたる間も」の「も」が効いている句ね。
句郎 名句だと言われている句だよね。これらの句には一つも確かに強い言葉がないものね。
華女 そうね。普通に普段に使われている言葉ね。
句郎 だから静かな句だよね。だから説得力を持つと孝夫さんは言っていた。
華女 そうね。でも強い言葉を使いたいと思う気持ちも分かるわ。
句郎 そうだよね。俺はこう思ったんだ。この気持ち分かってもらいたい。そういうことだよね。
華女 そうよ。この私の気持ち、分からない。あなたの頭をぶち割って見てみたいなんて思うことあるわよ。
句郎 そうなんだ。でも、その強い気持ちをぶちまけてみても、きっと相手はしらけるだと思うけれどね。
華女 そうなのよね。だから我慢して、我慢して静かな言葉で気持ちを伝えた方が相手には伝わるのよね。
句郎 家族における人間関係の在り方と俳句の作り方との間には関係があるみたいだね。
華女 なんにでも言えるように思うわ。細見綾子の「ふだん着のふだんの心桃の花」。何となくいいなぁーとは思うけれど、何が良いのかしらね。
句郎 「桃の花」というと僕が思い出すのは「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ」かな。高校の頃、古文の時間に教わった万葉集の歌かな。
華女 何年前のことになるの。よく覚えていたものね。
句郎 どうしたわけか、印象に残っている歌なんだ。
華女 大伴家持の歌よね。
句郎 家持が越中の国守として今の富山県あたりに赴任していた時に詠んだ絶唱だと言われている。
華女 当時の越中の田舎娘を詠んだ歌なのね。
句郎 その田舎娘に奈良の都の垢ぬけた娘にない魅力を家持は発見したんじゃないのかな。
華女 桃の花とはそんな雰囲気があるわね。
句郎 そう、梅や桜は洗練された魅力だよね。
華女 桃の花は梅や桜に比べたら少し野暮ったいわ。
句郎 そう、「ふだん着の花」が桃の花なんだよ。
華女 細見綾子は「桃の花」の本意というか、本情を詠っているのね。
句郎 そう、そうなんだよね。桃の花の本意が詠まれているから人に伝わる力があるんじゃないのかな。言葉に気持ちがこもっているからね。
華女 この細見綾子の句には、何か人生というか、人間の在り方の本質に迫ってくるようなものもあるように感じるわ。
句郎 この句は文学になっているのかも。