谺(こだま)して山ほととぎすほしいまま 杉田久女
久女の有名な句ね。私は三十年も前から知っているわよ。
華女(はなこ)さんは昔、俳句をしていたからね。句労は最近知ったんだ。
句会に入って知ったのね。
そうなんだ。
その句がどうしたというの。
この間、読んだ久女について書いた本の最後に「この句は文学になっている」と述べてあった。これを読んで気づいたんだ。俳句にも文学になっている俳句と文学とはいえないような俳句があるということにね。
そんなこと当たり前じゃないの。句労君の俳句が文学だって自信をもっていえないでしょ。
そりゃそうだね。
隣のA子ちゃんがショパンのピアノ曲を弾いていたけど、その演奏が音楽だといえるかどうか、疑問でしょ。A子ちゃんのショパン演奏は練習であってそれ以上のものではないでしょ。句労君言っていたじゃない。テレビで森進一の歌を聴いて胸に沁みるねと、けれどこれが音楽だと言われるとちょっと抵抗があると。
確かにね、演歌だって立派な音楽だとは思うけれどもモーツアルトやベートーベンの音楽とは比べられないよね。
俳句は大衆文芸だと朝日カルチャーセンターの先生が言ってたけど、そうなんじゃないの。
俳句は演歌と同じようなものだと言うの。
そうは思わないけれども俳句は上品なものだと取り澄ますほどのものではないとは思うの。
なるほどね。
俳句もお茶や生け花の世界と同じみたいで私はやめちゃったのよ。
それで華女さんは辞めちゃったの。
そうよ。一度、茶会に行って嫌だと感じたのよ。その雰囲気を俳句にも感じたのよね。だから俳句を作るのは楽しいんだけれども、先生の所に習いに行くのは嫌なのよね。
お茶を飲むのは好きだけれども茶会は嫌なんだ。俳句を文学まで高めるには大きな障害が立ちはだかっているようだね。
芭蕉の時代だって同じようなものだったと思うわよ。商売としての俳句があったというじゃない。
そうだね。正岡子規の頃も月並み俳諧では文学ではないと考え新しい俳句観を打ち立てて行く中で蕪村を再発見したらしいからね。
蕪村の句は本当に素晴らしいと思う。立派な文学になっていると私は思うわ。
君あしたに去りぬ ゆうべの心千々に 何ぞ遙かなる
君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ岡の辺なんぞかく悲しき
この詩、誰の詩か、知っている。
島崎藤村のような詩だね。
そう思うでしょ。この詩は蕪村の詩なのよ。萩原朔太郎が「郷愁の詩人・与謝蕪村」で紹介しているのよ。この詩を読んだだけで蕪村が如何に近代的な詩人だったがわかるでしょ。
だから正岡子規は近代文学の基礎を築いたと言えるのかな。たしかに正岡子規の文章は今読んでみても古くなっていないよね。永遠に新しい。不易流行ということなんだろうね。