お酒の話 「浦霞・禅」を楽しむ
侘助 宮城県の酒というと何かな。
呑助 「浦霞」、「一ノ蔵」といったところでしようか。
侘助 歴史学者の和歌森太郎に『酒が語る日本史』という著書があるんだ。もう五十年も前の本だから知っている人もいなければ、読んだ人も今ではほとんどいないと思うけれども、この本の中で和歌森太郎は名酒の誉れ高い「浦霞」に喉を唸らせたと述べている。『日本外史』を書いた江戸時代後期の儒学者、頼山陽は「剣菱」を愛したが私は「浦霞」を好むと書いている。
呑助 へぇー、「剣菱」や「浦霞」という銘柄の酒はそんなに昔から名酒の誉れが高かったんですか。
侘助 そうらしい。特に戦後、「浦霞」の名を日本全国に轟かした「浦霞」の名酒は「浦霞・禅」という銘柄の酒だったようだ。
呑助 あの酒は、そんな名酒だったんですか。
侘助 売り出されたのは昭和四十八年というから一九七三年のことだった。四十年以上前のことだよ。一九七〇年に万博が大阪で開かれんだ。この万博見学の団体旅行が一挙に増えたんだ。九月に万博が終了すると団体旅行が一気に減少する。何とか団体旅行ブームを続けようと当時の国鉄と電通がチームを作って始めたのが「ディスカバージャパン」というコピーだった。その中で脚光を浴びた酒が何と言っても「越乃寒梅」だったが、その中の一つとしてまぁーまぁーの人気を得た酒が「浦霞・禅」だったんだ。
呑助 あぁー、それで「浦霞・禅」は他の酒と比べて高いんですね。
侘助 「越乃寒梅」と競い合った名酒の一つだったんだからね。
呑助 新潟の酒だけかと思ってましたけど、日本全国に名酒が発見されてたんですね。
侘助 そうなんだ。福岡の「繁桝」とか、高知の「酔鯨」、石川の「菊姫」いろいろあるんだ。
呑助 地酒ブームがあったんですね。
侘助 七〇年代の後半から八〇年代がそうだったかな。その後、焼酎ブームが20年間ぐらい続いたかな。「百年の孤独」とか「森伊蔵」なんていう焼酎が脚光を浴びたかな。
呑助 私らは焼酎世代かもしれませんね。
侘助 今日は「浦霞・禅」を飲んでみようよ。
呑助 いいですね。
侘助 「浦霞」は宮城県・塩竈の酒だからね。塩竈といえば、芭蕉も参った陸奥一の宮・塩竈明神への御神酒を醸した酒蔵が佐浦酒造だった。この佐浦酒造が名杜氏、平野佐五郎を生んだ。平野佐五郎氏は南部杜氏会の会長をした人なんだ。佐五郎杜氏が現在の「浦霞」の酒を造った。「浦霞」の醪の中から「きょうかい12号酵母」が発見されている。国の醸造試験場の先生方からも高く評価された蔵にしたのが佐五郎杜氏だった。この佐五郎杜氏の甥っ子の平野重一が佐五郎杜氏の後を継ぎ、浦佐酒造の杜氏になり、社長・佐浦茂雄が望む酒質の酒を造った。その酒が「浦霞・禅」だったようだ。
呑助 どうして酒の銘柄に「禅」と名付けたんですかね。
侘助 松島・瑞巌寺の酒好きな僧侶がフランスのパリに禅の普及に行く時に持って行ってもらった酒が「浦霞・禅」だった。