スローなペースで読み継いでいる作家の一人。「オール讀物」「文學界」ほかに発表された短編3作、それに随筆など4つが収録されている。手許にあるのは2002年2月第1刷の文庫本。はや20年余前の出版となる。
文庫のタイトルは収録短編の3番目のタイトルに由来する。あれっと思ったのは、この「早春」が現代小説であること。本書で著者の現代小説を初めて読むことになったと思う。最初の2作は時代小説である。
さて、読後印象を作品ごとに書きとめてみたい。
<深い霧>
冒頭は「原口慎蔵には、長く忘れていたあとで、ふと思い出すといった性質の、格別の記憶がひとつある」という一文。それは、2,3歳の頃に、見るべきではない情景を見てしまったようなおそれを感じた記憶である。その記憶は、母の弟で慎蔵にとっては叔父にあたる塚本権之丞に関わっていた。権之丞は他国で討たれ、塚本家は絶家となった。この件は藩内では語ることが避けられてきた。慎蔵には深い霧に包まれた謎だった。
三人目の討手とうわさのあった人物が御奏者になるために江戸から国勤めになるということと、塚本の縁者は心配いらぬのかという会話を、慎蔵は道場の廊下を歩いていて耳にした。事件から18.9年が経っている。
これがトリガーとなり、慎蔵は叔父の権之丞が討たれた事実の原因究明を密かに始める。藩内に存在する派閥争いの過去、封じ込まれていた秘事を暴くことになる。
純粋に真相を知りたいという慎蔵の一途な行動が浄化につながるところが良い。
慎蔵の心の隅にわだかまっていたものは霧散したことだろう。最後の一文がそれを象徴している。
<野菊守り>
斎部五郎助は代代御兵具方を勤める家禄三十石の下級武士。若い頃に無外流を修得し、試合で五人抜きをしたことがある。それを記憶する中老の寺崎半左衛門が、五郎助を見込み、藩の揉め事に関連する事態について語り、菊という女子の護衛を密かに命じた。日常の勤めを平常通り行いつつ、護衛の任務につけと言う。いわば、証人を守るための、よもやと思わせる目くらましである。五郎助は従わざるを得ない。
日常の勤めの傍ら、それ以外の時間、五郎助は寺崎の設けた隠れ家で菊の護衛を始める。側用人の与田さまが帰国されるまでの期間である。やはり危機は訪れる。
一方、護衛の間に、五郎助は菊の人柄に接することにもなる。
お家騒動に発展しそうな揉め事を、証人の保護という一点に絞り込んだ局面を描く。そこに、斎部家の本家と分家の問題を重ねていく。五郎助の心境の変化を捕らえた一編である。冒頭に記された五郎助が自覚し始めていた冷笑癖は、たぶんもう消滅したことだろう。後味がいいエンディングだ。
<早春>
5年前に病気の妻を亡くし、職場では今や窓際族。建売り住宅のローン支払いは定年退職までには返済見込み。息子は地方の大学を出て、そのまま地元の企業に就職し結婚して、ほぼ音沙汰なし。24歳の一人娘華江は、妻子のいる男が離婚した後に、彼との結婚を決意している。娘は岡村の気持など考えていない。自宅には午前2時に繰り返し無言電話がかかってくる。そんな環境で生きる初老のサラリーマン、岡村が主人公。
ごく普通の家庭的な味に飢えている岡村は和風スナック「きよ子」の常連客になっている。ママのきよ子との話の一時が大きな気晴らし。そのスナック「きよ子」もビルの建て替えで、立ち退き話が進んでいる。
岡村の日常を成り立たせている様々な局面を織り上げて、岡村の人生の今を描き出す一編。
孤老という悲哀。岡村のやるせなさがズシンと伝わってくる。ありそうな情景・・・・か。
最後は、午前2時にかかってきた電話への岡村の応対で終わる。そこに岡村の思いが集約されていると感じる。
この後、「随筆など」の見出しを中仕切りにして4つの文が収録されている。
<小説の中の事実 両者の微妙な関係について>
著者が己の作品を事例にして、小説の中の事実とは何かについて書き込んでいる。
小説の中での事実とは何かである。冒頭で「そのつき合方は多種多様で、事実というのは実に微妙なものだと嘆息することが多い」と記すことから始まる。
著者は歌人長塚節について書いた小説「白い瓶」、「天保悪党伝」、「蝉しぐれ」「幻にあらず」「春秋山伏記」を題材にして、事実に関して微妙な関係を語る。
文筆活動の舞台裏が垣間見えるという点でも興味深い。一読をお勧めしたい。
<遠くて近い人>
「司馬さんにお会いしたのは、ただ一度だけである」という書きだしから始まる。わずか5ページの随筆である。著者が司馬さんの作品について、思いを語っているところが参考になるとともに、両者の距離感がいささか感じられて興味深い。
<たった一度のアーサー・ケネディ>
アーサー・ケネディがどのような俳優か知らないので、読んでいてもイメージできなかった。だが、主役とわき役との関係を、この人を例にして論じている内容そのものはなるほどである。俳優のもつ存在感。
<碑が建つ話>
文学碑というものの意味合いについて、著者の思いが綴られている。「物を書く人間にとっては書いたものがすべてで、余計なものはいらない」(p188)という己の思いと、碑を建てようと思う人々の思い、「説明のつけがたいある感情を実現するため」(p188)の行為。その両面を見つめていく一文である。末尾を、藤沢周平の碑が建つらしいということに対して、「時には私ほどしああせな者はいまいと思ったり、複雑な気持で眺めているところである」(p190)としめくくている。
ここまで書いて、調べてみると、「藤沢周平先生記念碑」というのが湯田川小学校に建立されていることを知った。他にも碑等が設けられていることも知った。
ご一読ありがとうございます。
補遺
藤沢周平先生記念碑 :「やまがたへの旅」
藤沢周平生誕の地碑 :「じゃらん」
藤沢周平 その作品とゆかりの地 案内板 :「つるおか観光ナビ」
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『秘太刀馬の骨』 文春文庫
『花のあと』 文春文庫
『夜消える』 文春文庫
『日暮れ竹河岸』 文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 12冊
文庫のタイトルは収録短編の3番目のタイトルに由来する。あれっと思ったのは、この「早春」が現代小説であること。本書で著者の現代小説を初めて読むことになったと思う。最初の2作は時代小説である。
さて、読後印象を作品ごとに書きとめてみたい。
<深い霧>
冒頭は「原口慎蔵には、長く忘れていたあとで、ふと思い出すといった性質の、格別の記憶がひとつある」という一文。それは、2,3歳の頃に、見るべきではない情景を見てしまったようなおそれを感じた記憶である。その記憶は、母の弟で慎蔵にとっては叔父にあたる塚本権之丞に関わっていた。権之丞は他国で討たれ、塚本家は絶家となった。この件は藩内では語ることが避けられてきた。慎蔵には深い霧に包まれた謎だった。
三人目の討手とうわさのあった人物が御奏者になるために江戸から国勤めになるということと、塚本の縁者は心配いらぬのかという会話を、慎蔵は道場の廊下を歩いていて耳にした。事件から18.9年が経っている。
これがトリガーとなり、慎蔵は叔父の権之丞が討たれた事実の原因究明を密かに始める。藩内に存在する派閥争いの過去、封じ込まれていた秘事を暴くことになる。
純粋に真相を知りたいという慎蔵の一途な行動が浄化につながるところが良い。
慎蔵の心の隅にわだかまっていたものは霧散したことだろう。最後の一文がそれを象徴している。
<野菊守り>
斎部五郎助は代代御兵具方を勤める家禄三十石の下級武士。若い頃に無外流を修得し、試合で五人抜きをしたことがある。それを記憶する中老の寺崎半左衛門が、五郎助を見込み、藩の揉め事に関連する事態について語り、菊という女子の護衛を密かに命じた。日常の勤めを平常通り行いつつ、護衛の任務につけと言う。いわば、証人を守るための、よもやと思わせる目くらましである。五郎助は従わざるを得ない。
日常の勤めの傍ら、それ以外の時間、五郎助は寺崎の設けた隠れ家で菊の護衛を始める。側用人の与田さまが帰国されるまでの期間である。やはり危機は訪れる。
一方、護衛の間に、五郎助は菊の人柄に接することにもなる。
お家騒動に発展しそうな揉め事を、証人の保護という一点に絞り込んだ局面を描く。そこに、斎部家の本家と分家の問題を重ねていく。五郎助の心境の変化を捕らえた一編である。冒頭に記された五郎助が自覚し始めていた冷笑癖は、たぶんもう消滅したことだろう。後味がいいエンディングだ。
<早春>
5年前に病気の妻を亡くし、職場では今や窓際族。建売り住宅のローン支払いは定年退職までには返済見込み。息子は地方の大学を出て、そのまま地元の企業に就職し結婚して、ほぼ音沙汰なし。24歳の一人娘華江は、妻子のいる男が離婚した後に、彼との結婚を決意している。娘は岡村の気持など考えていない。自宅には午前2時に繰り返し無言電話がかかってくる。そんな環境で生きる初老のサラリーマン、岡村が主人公。
ごく普通の家庭的な味に飢えている岡村は和風スナック「きよ子」の常連客になっている。ママのきよ子との話の一時が大きな気晴らし。そのスナック「きよ子」もビルの建て替えで、立ち退き話が進んでいる。
岡村の日常を成り立たせている様々な局面を織り上げて、岡村の人生の今を描き出す一編。
孤老という悲哀。岡村のやるせなさがズシンと伝わってくる。ありそうな情景・・・・か。
最後は、午前2時にかかってきた電話への岡村の応対で終わる。そこに岡村の思いが集約されていると感じる。
この後、「随筆など」の見出しを中仕切りにして4つの文が収録されている。
<小説の中の事実 両者の微妙な関係について>
著者が己の作品を事例にして、小説の中の事実とは何かについて書き込んでいる。
小説の中での事実とは何かである。冒頭で「そのつき合方は多種多様で、事実というのは実に微妙なものだと嘆息することが多い」と記すことから始まる。
著者は歌人長塚節について書いた小説「白い瓶」、「天保悪党伝」、「蝉しぐれ」「幻にあらず」「春秋山伏記」を題材にして、事実に関して微妙な関係を語る。
文筆活動の舞台裏が垣間見えるという点でも興味深い。一読をお勧めしたい。
<遠くて近い人>
「司馬さんにお会いしたのは、ただ一度だけである」という書きだしから始まる。わずか5ページの随筆である。著者が司馬さんの作品について、思いを語っているところが参考になるとともに、両者の距離感がいささか感じられて興味深い。
<たった一度のアーサー・ケネディ>
アーサー・ケネディがどのような俳優か知らないので、読んでいてもイメージできなかった。だが、主役とわき役との関係を、この人を例にして論じている内容そのものはなるほどである。俳優のもつ存在感。
<碑が建つ話>
文学碑というものの意味合いについて、著者の思いが綴られている。「物を書く人間にとっては書いたものがすべてで、余計なものはいらない」(p188)という己の思いと、碑を建てようと思う人々の思い、「説明のつけがたいある感情を実現するため」(p188)の行為。その両面を見つめていく一文である。末尾を、藤沢周平の碑が建つらしいということに対して、「時には私ほどしああせな者はいまいと思ったり、複雑な気持で眺めているところである」(p190)としめくくている。
ここまで書いて、調べてみると、「藤沢周平先生記念碑」というのが湯田川小学校に建立されていることを知った。他にも碑等が設けられていることも知った。
ご一読ありがとうございます。
補遺
藤沢周平先生記念碑 :「やまがたへの旅」
藤沢周平生誕の地碑 :「じゃらん」
藤沢周平 その作品とゆかりの地 案内板 :「つるおか観光ナビ」
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『秘太刀馬の骨』 文春文庫
『花のあと』 文春文庫
『夜消える』 文春文庫
『日暮れ竹河岸』 文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 12冊