遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『花のあと』  藤沢周平  文春文庫

2023-07-13 16:33:57 | 藤沢周平
 ゆっくりとしたペースで、藤沢周平作品を読み継いでいる。本書は8篇を収録した短篇集。昭和49~60年の期間に各種雑誌に発表され、昭和60年(1985)11月に単行本が刊行された。1989年3月に文庫化されている。
 本書の末尾に、「花のあと-以登女お物語」が収録されている。本書のタイトルはこの短篇に由来する。

 武士、商人、町人等様々な人々の日常生活、人生の一側面に著者の眼差しが注がれ、あざやかに人物が抽出され描き出されている。

 各篇を読後印象を交え、簡略にご紹介しよう。
<鬼ごっこ>
 盗っ人稼業を切り上げて10年ほどになる吉兵衛は、裏店のおやえの家を訪れようとして異変に気づく。話をかわした職人におやえが殺されたと聞く。その職人に質問され、祈祷師の南岳坊を訪ねて来たと誤魔化してその場を立ち去った。吉兵衛は19歳のおやえを身請けして裏店に住まわせたのだ。事件後に、南岳坊を訪ねて、さりげなくおやえの死について吉兵衛は聞き出した。吉兵衛はおやえを殺した犯人を独自に探索し報復するという顛末譚。吉兵衛の昔の稼業の勘と経験が活かされるところがミソである。過去の鬼が今の鬼を捕まえるという話。

<雪間草>
 尼寺鳳光院の尼僧松仙は、俗名を松江と言い、服部吉兵衛に嫁ぐ寸前に黒金藩藩主信濃野守勝統の側妾に召されてしまった。信濃守が内室と死別する頃に、松江は信濃守の寵をほしいいままにしていた。信濃守は18万石仙波藩から康姫を妻に迎え入れた。松江は仏門に入る。
 松仙の許に、勘定組谷村新左衛門が訪れ、服部吉兵衛が罪を得て国送りになって戻って来たことを告げる。松仙は大目付の寺井権十郎を訪ね、罪の理由を探る。その上で、江戸に赴き、吉兵衛の助命について、信濃守に直談判する行動に出る。その顛末譚である。
 松仙が、側室だった時代の憤懣を遂に爆発させ、彼女の強さを発揮する行動力がおもしろい。そこには、十数年前の黒金藩の禁令違反問題が絡んでいた。
 「足は疲れていたが、松仙の気持は軽かった」という末尾の一文に集約されていく。その余韻がいい。

<寒い灯>
 職人の清太と所帯をもったおせんは義母との関係が悪化し家を飛び出した。料理茶屋小松屋に勤めていて、清太から去り状を欲しいと思っている。だが、清太のいくじないほどのひとに対するやさしさに気持をひきつけられてもいる。
 逃げた女房のところに、清太は風邪を引き苦しむ母親の看病への助けを求めて来た。
 翌日、おせんは小松屋から一日の暇をもらい、義母の世話をしにでかけることに・・・・。その一日を描き出す。小松屋に戻る途中、喜三郎の顔を見つけたことで、おせんは思わぬ事態を知ることに・・・・。
 人を頼りにするという心、頼り頼られる人間関係に焦点が当てられていく。
 人生の岐路にたつと人の心は、様々な要因と思いが絡み合って総合され統合され、瞬間的に切り替わっていくのではないか・・・そんな思いを抱かせる短篇である。

<疑惑>
 文政10年7月3日の夜、浅草阿部川町にある蝋燭商河内屋に賊が入る。主人の庄兵衛を刺殺。女房おるいを縛り上げ、賊は金を奪い、逃走した。翌日夕刻、もと河内屋の養子で3年前に勘当されていて、前科があり無職の鉄之助が犯人として捕らえられた。
 鉄之助は、開けておいてもらった裏木戸から入り、義母のおるいに金をもらっただけだと主張していた。
 定町廻り同心笠戸孫十郎は、鉄之助を犯人と決めつけることに疑念を抱く。
 先入観の怖さが描き出されていく。孫十郎は妻の保乃と交わした会話から犯人解明のヒントを得る。思考の盲点をうまく捕らえたストーリー展開が巧妙である。

<旅の誘い>
 歌川広重の「東海道五十三次」は保永堂から刊行された。この五十三次を広重が描き継いでいるときに、保永堂竹内孫八が別件の依頼で広重宅を訪れた。広重の家は八代洲河岸の定火消屋敷にある。
 保永堂は広重の絵描きの本質が、そこにある風景をそのまま写そうとする風景描きにあると捉えていた。この保永堂と広重の関わりが主題になっている。そして、保永堂は、広重に木曾街道の風景を描いてほしいと方向付けていく。
 浮世絵の版元と絵師の関係がやはり興味深い。ショート・アート・ストーリーである。アート・ストーリーに関心を寄せているので、本書で広重のストーリーと出会えて、楽しくかつ興味深く読んだ。

<冬の日>
 清次郎は、子供の頃、浅草の西仲町の裏店に母子二人で住まいをしていた。当時清次郎の母は但馬屋という雪駄問屋から内職仕事をもらって、清次郎と糊口を凌いでいた。子供の頃、清次郎は但馬屋での雑用を手伝ってもいた。清次郎の人生と但馬屋の一人娘おいしの人生。ふたりの人生は出会い、すれ違う。別々の人生はその後変転する。そして偶然の出会い。その出会いが因となり、幼き頃に清次郎の心に刻まれた記憶が新たな人生の一歩への契機になる。このストーリーは、偶然の出会いの場面描写から始まる。
 苦を乗り越えた後の穏やかな人生の始まりを予感させる印象を受けた。余韻がいい。

<悪癖>
 勘定方4人は、女鹿川改修工事の掛り費用報告書作成を短期集中で行うよう奉行から命じられた。4人はその仕事をやり遂げる。急がされたのは、15年前に行なわれた女鹿川改修工事の掛り費用報告書に不審点、不正がないかを調査する目的があったからだ。派閥がらみの不正の有無が報告書に潜んでいるか問われていた。この調べの結果は藩政を揺るがしかねない。
 奉行たち自身が調べたが不正の有無を見抜けない。そこで、勘定方4人の内の一人、渋谷平助が報告書の分析、不正の摘出を命じられることになる。平助は使命を完遂する。最後に彼の悪癖が出てくることが、この話のオチとなり、ユーモラスでおもしろい。悪癖が多分彼の出世の足を引っ張ることになる。
 この短篇の読後印象は、仕事の本筋でない側面が、人の出世を阻害する要因になるということも、世の中ありそうだなぁ・・・・というところ。

<花のあと-以登女(いとじょ)お物語- >
この短篇、4つのセクションで構成され。各セクションの初めには、まず語り部の女性が、祖母のことを語るという形になっていて、各導入部分が話言葉で記述されていく。その話の内容自体は地の文として続けられる。
 祖母とは以登(いと)をさす。50年前、以登が18歳のときのことから語られる。それは、お城の二の丸の門を入った、二の丸の濠ぞいの桜見物に絡んでいた。以登は当時、夕雲流の修練に凝っていた。堀端で羽賀道場の江口孫四郎に声を掛けられた。江口は過日以登が羽賀道場の面々に勝ったことに触れた。
 後日、以登は自宅の畑の一角に設けられた稽古場で、父の立ち合いのもと、江口と試合を行うことになる。以登は江口に負けた。父は子供同然にやられたと評した。以登は婿となる男が決まっていたので、江口には二度と会ってはならぬと厳命される。江口にも縁組話が進んでいると父が付け加えた。これが以登の生涯ただ一度の恋になる。
 以登は友人の津勢から、江口の縁組相手が加世であると知る。加世は300石の奏者の家柄の娘であったが、男関係の噂があった。
 2年後に、江口孫四郎は自裁した。以登はその原因究明をめざす。以登の許嫁である才助が協力するという展開になる。
 このストーリー、以登のただ一度の恋が、いわば江口の仇討ちという結果を生むのだからおもしろい。加えて、才助の人物像が最後に語られるというオチが付いている。
 この短篇、著者は楽しみながら執筆していたのではないだろうか。そんな気がする。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『夜消える』    文春文庫
『日暮れ竹河岸』  文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
                  2022年12月現在 12冊

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