遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫

2023-02-23 16:02:15 | 源氏物語関連
 鈴木日出男編『源氏物語ハンドブック』(三省堂)は事典扱いの参照本としてかなり以前に購入した一冊である。その中の「『源氏』学の変遷」を読んでいた時に、次の一節に目が留まった。”池田亀鑑(1896ー1956)は『源氏物語』の諸本を、青表紙本、河内本とそのいずれにも属さない別本の三種類に分類して、徹底した調査を進めた。これは、『源氏物語』の諸注集成の作業の途中で、『源氏物語』自体にさまざまな本文が存在することが判明したために、そこから本文の研究へと方向転換したものである。・・・・・やがてその成果は『校異源氏物語』に結実する。これは戦後索引や資料を増補して、『源氏物語大成』となり、源氏研究のもっとも基礎的な文献のひとつとなっている。”(p104-105)
 これを読んで、あるとき標題の[新版]がたまたま古書店で目にとまり、いずれ読もうと購入していたことを思い出した。『源氏物語』を三種類に分類整理した研究者が書いた源氏物語入門書という点に俄然関心が湧いたことによる。
 奥書を読むと、この[新版]文庫が刊行されたのが2001年4月。初版は1957年8月に刊行されている。著者は「1956年東大文学部教授在職中に、死去」されたので、その翌年に、文庫版初版が刊行されていることになる。
 出版からかなり歳月を経ているが、その内容は語り口調の雰囲気があり読みやすく、得るところが多い。『源氏物語』の全体像を捉えるうえでは、コンパクトにまとめられていて、基本書として有益である。必読書の一冊になると思う。

 この点は本書の構成からうかがえることと思う。まずその要点をご紹介しよう。
<書名> 
 源氏物語の本来の呼び方、実際にあった別の呼び方について説明する。

<巻数と巻名>
 五十四帖ではなかったかもという説、巻名の由来について説明する。

<作者とその像>
 作者についての異説を紹介。著者が論考を加え、やはり著者は紫式部だと判断する。

<成立の時期>
 出典を明示し諸説を紹介したうえで、著者の持論を加えている。
 著者は、紫式部が一応源氏物語を夢浮橋まで完成させた後に、中宮彰子の家庭教師と
 して道長一家に招かれたとする。
 次の指摘はなるほどと思う。
 ”人物の配置にしても、事件の発展にしても、およそ500人の人を動かし、4代80年の長期間を扱いながら、それが年次的にも性格的にも、また宮仕えや事件などの関係においても、前後の矛盾や破綻をみせることが少しもないのです。いくら記憶がよいといっても、もし十数年もかかっていたら、はじめの方はぼんやりしてしまうかもしれませんし、大体作者の興味がそんなに長くは続くまいと思います。” (p44-45)

<物語の梗概>
 65ページのボリュームで、五十四帖のあらすじを解説する。著者は源氏物語を三部構成
 として説明する。それぞれに主要人物系図をまとめている。三部構成は次の通り。、
 「第一部 桐壺~藤裏葉」「第二部 若紫~幻」「第三部 匂宮~夢浮橋」

<構想と主題>
 三部構成ととらえたその構想について説明する。著者は主題について次のように記す。
 ”源氏物語の主題は--まとめて言ってみれば--人間の真実に対する強い憧憬によって、青春の光明、老後の寂寥、そして死後の宿命と、こういった三つのものを、世にも珍かな貴公子の、運命的な恋愛生活において描こうとした、暗示的な意欲--とでも言ってはどうでしょうか。仏教でいう生老病死の苦悶と、それをこえるものとに、形を与えているようなものです。” (p120)
 その続きに、物語は虚構(フィクション)だが、”人間のとらえ方や人生の方向としては、あくまで真実であるという意味です。”(p120)と述べている。

<女主人公の点描>
 「源氏物語 主要登場人物系図」を掲載した上で、女主人公を抽出し描写します。
 ここに取りあげられているのは、紫の上、藤壺、明石の上、葵の上、六条御息所、
 空蝉、夕顔、末摘花、朧月夜、朝顔、玉鬘、雲井の雁、女三の宮、浮舟の14人である。
<モデル論>
 源氏物語の研究には、古くから準拠説(モデル論)が盛んだったと述べ、その状況を
 概説する。従来のモデル説を一瞥してまとめている。

<後世文学への影響>
 源氏物語が後世文学にどれだけの影響を及ぼしているかを概説する。驚嘆の一語。

<諸本とその系統>
 冒頭に引用した三種類の系統について、著者自身がわかりやすく説明を加えている。

<鑑賞>
 源氏物語から、10の主題を取り上げ、それらを示す最適な場面を抽出している。
 10の主題とは、もののまぎれ、母性愛、名残、怪奇、拒絶、幼き恋、中年の恋、嫉妬
 死、求道である。
 その原文を提示した上で、原文の大凡の意味を説明し、鑑賞ポイントを説明する。
 いわば、ちょっとした事例研究解説である。 
 たとえば、「その九 死」は「総角」に描写された大君の死の場面を取り上げている。
 その事例説明の末尾に、次の文が記されている。現代語訳を通読した時に、私には考え
 も及ばなかった視点である。
 ”亡き人の顔を灯火(ともしび)の光で見ることは、「御法」の巻にもあるのですが、その上に髪の匂いを点じたところに「総角」の描写の美しさがある。「匂い」こそは宇治十帖の本質なのだ。それは「光り」に対照される世界のものだ。”(p217)

<研究史及び研究書目>
 源氏物語が学問研究という立場から扱われてきた経緯を概説する。玉石混淆を指摘。
 私には現代語訳についての指摘が印象的だった。
 ”たった一つの文章を訳すにしても、現代語のもつ一つの助詞、一つの助動詞のつかいかたで、ニュアンスがちがってくるのです。現代語訳は結局は訳者の創作的行為です。その人がいかに源氏物語を享受したか、それを正直に語るものです。”(p230)

 最後に、本書出版時点までにおいて、源氏物語の研究書目の主要なものを分類し、一覧
 にしてある。註釈書、秘事・秘伝・難義の解説書、辞書、梗概・解題・翻案、有職故実
 年表・系図、論評・書史、と分類されている。
 その後に「『源氏物語』を読むと」題し、編集部作成の一覧が分類し併記される。
 その分類は、現代語訳、原文を味わう[校注]、随想・研究・事典・美術ほかである。

 『源氏物語』をまず多角的に捉えていくうえで役立つ入門書と思う。

 この入門書で、紫式部及び、紫式部と源氏物語の関係について、著者が所見を記している部分をいくつか引用しご紹介しておこう。
*彼女の憧憬は、常に奥深いものの中をさまよう。孤愁とでもいいましょうか、無限の憂愁と永遠の寂寥、それが式部の生きた人生であったと思われます。p37
*より高い人格をたえず求めるために、衆愚にくみしない潔癖さで、人間や人生を批判しました。その心は、自己の内部に向けられたときに、もっとも峻烈でした。 p37
*とくにあの明石の上など、やはりわたしは作者の自画像だと思いたいのです。 p38
    ⇒ p142 でも著者は再度掘り下げて論じている。
*藤原氏は、同族兄弟あい争って、娘を入内させることに狂奔しました。そういう時代に、源氏物語は、三代にわたる皇族出身の后の冊立をもくろんだのです。どうしてそのような大胆なことができたのでしょうか。しかも紫式部自身、藤原貴族の恩顧によって生きた人なのです。
 これはよほど作者の腹の底に、高邁な精神が宿っていた結果とみなければなりません。権勢のかなたに、個人の自由と解放を望み、その理想を、超藤原氏的な広大な人間社会に求める、そういう世界観が、源氏物語の根底に流れていると思うのです。 p169
*作者は浮舟という女性をとおして、あまりにも迷いの多い、溺れ、そして求める心の強い人間の姿を描いた。それは実は作者自身の内部に巣くう、人知れぬ苦悩そのものではなかったか。明石の上や花散里のような女性の生き方を理想としながら、藤壺や紫の上のように人知れず悩みつづけ、やがて女三の宮や浮舟のように身をほろぼしてゆく女人の懊悩と哀愁を、作者はわれとわが心の中から分析して、それをひとつひとつ、この大きな物語の、とりどりの女性に分け与えたのではなかろうかと、私は考えずにいられないのです。 p221

 ご一読ありがとうございます。

補遺
池田亀鑑  :ウィキペディア
池田亀鑑  :「コトバンク」
池田亀鑑(いけだ きかん) :「鳥取県立図書館」
源氏物語大成 :ウィキペディア
青表紙本   :ウィキペディア
河内本    :ウィキペディア

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