遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『書楼弔堂 破暁』  京極夏彦  集英社文庫

2023-03-31 10:30:32 | 京極夏彦
 最新刊第3弾の『書楼弔堂 待宵』を最初に読んだことから、このシリーズ第一弾に遡って読むことにした。短編連作集で6篇が収録されている。最初は各短編が順次「小説すばる」(2012年5月号~2013年8月号)に掲載され、2013年11月に単行本となった。2016年12月に、文庫版が出ている。

 先に第3弾『待宵』でご紹介しているが、短編の構成スタイルの基本は、前半に一人の男の日常生活がさまざまな形で描かれていく。その男がその都度、一人の人物を書楼弔堂に案内する役回りを担う立場になる。案内された人物は弔堂で主と対話して己の迷いや考えを吐露していく。主と客との対話の中で、その客のプロフィールが明らかになっていく。弔堂の主はその客のその後の人生に必要な本を助言する。興味深い点はその客が歴史に名を留める人物だという点である。

 時代設定は明治20年代半ば。書楼弔堂は東京のはずれにある。雑木林と荒れ地ばかりの鄙(いなか)、坂を登り切って、ある細道を歩む。細道のドン突きにはお寺がある。その途中に周りの風景に紛れ、融け込んだように、三階建ての燈台みたいな奇妙な木造建物がある。つい見過ごしてしまうような形で・・・。それが書楼弔堂。軒に簾が下り、その簾に半紙が一枚貼られ「弔」の一字が墨痕鮮やかに記されているだけ。この書楼自体が実に変梃な感じであり、本好きには興味津々となる設定である。

 それでは、読後印象を交えつつ、各編を少しご紹介しよう。

<探書壱 臨終>
 まず「高遠の旦那さん」と書舗の丁稚小僧・為三から呼ばれる男が登場する。二人の会話から、高遠の素性が少しずつ明らかになっていく。高遠は為三の勤める斧塚書店の贔屓客。この探書壱は、為三に案内されて書楼弔堂を訪ねるところから始まる。
 状況設定が明らかになっていく。高遠は10歳の頃に明治を迎えた元旗本の子であり、病気療養目的で家族と離れて一人仮住まいをし、自称高等遊民の下層的存在と言う。弔堂の主は、無地無染の白装束姿で、今は還俗し本屋を営む。己(じぶん)の本を探しているうちに本が増えてきた。求める者に本を縁づけるまで本を陳列し弔う。本を然るべき人に売るのが本への供養と考えると告げる人物である。先取りすると、探書弐では、「本と云う墓石の下に眠る御霊(みたま)を弔うために売っている」(p133)と語る。
 弔堂の主と高遠との会話が進む途中で、地本問屋滑稽堂の秋山武右衞門からの紹介で来たという客が現れる。話は後半に転じる。後半は、日本画が会話の話題となる。弔堂の主は会話を通じて、その客を吉岡米次郎と推断した。幽霊話に転じて行く会話が興味深い。主は、『The Varieties of Religious Experience』と帳面(のおと)の表紙に題が記された本を薦める。主は高遠に、あの人は浮世絵師・月岡芳年様ですよと教えた。
 当時の浮世絵、日本画の状況と月岡芳年の一局面が切り出された短編である。

<探書弐 発心>
 高遠の目を介して、当時の東京の様子が描き込まれていく。冒頭には様々な橋が話材になる。萬代橋・二拱橋・日本橋・吾妻橋・鍛冶橋・八重洲橋・二重橋などの変化について。さらに、当時の世相へと話が広がる。高遠の足は丸善に向かう。丸善の店員との会話。新文体が話題となるところがこの時代を反映しておもしろい。
 店員の紹介で尾崎紅葉の弟子に引き合わされる。未だ一編の小説も書いてはいないが小説家をめざしているというその弟子との会話でお化けが話題になった。それを契機に高遠はその弟子を書楼弔堂に導いていく。
 面白いのは、その内弟子の名前を聞いていなかった高遠は、弔堂の主に「畠の芋之助君」とでっち上げの紹介をした。これが後の伏線にもなっている。
 後半は、主とその内弟子との間で、書生としての日常の仕事内容から始まり、形而上のお化け論へと会話が展開していく。探書壱に引き続き、お化け論議の第二弾。弔堂の主が内弟子の心理・思考と高遠の紹介を分析していくところが読ませどころになる。
 主は「松木騒動の顛末を記した資料一式」をその内弟子に「これを-お売りします。あなた様の-筆で読みたい」(p180)と告げる。最後にその青年は実名を名乗った。泉鏡太郎と。後の文豪、泉鏡花がここに登場!
 
 この探書弐で印象的なのは、弔堂の主が語る次の文。
「何の、どうして怪談が無駄なものですか。人は、怪しいもの。世は常に理で動くものでございましょうが、その中で、人だけは合理から食み出してしまうものなのでございます。」(p162)
「仏道で云う悟りは、目的ではございません。悟るために修行するのではなく、修行そのものが悟りなのでございます」(p170)

<探索参 方便>
 元煙草製造販売会社の創業者山倉に誘われて、高遠が娘義太夫の舞台を見物するところから始まる。二人が立ち寄った居酒屋で、山倉は偶然に元警視庁の矢作剣之進を目にとめる。矢作を交えた会話で、またも、お化けが話題となる。女義太夫とお化けの話題から哲学館の話に転じていく。矢作が『哲学館講義録』と井上圓了のことに触れる。それが高遠を弔堂に赴かせる契機となる。
 弔堂で、高遠は先客の勝安芳(海舟)と出会うことに。勝が弔堂の主に対して話題にしたのが井上圓了のことだった。主と勝との間で、井上圓了論議が始まっていく。その上で、3日後に井上圓了を弔堂に来させると勝は言った。高遠はその日、己の関心から弔堂に出向き、主と井上の会話を傍聴する。二人の会話がこの短編の要となる。
 弔堂の主は井上に本を書けと薦める。「今の世に合った、真の方便を作るのでございます」(p273)と。そして、主は鳥山石燕の記した『畫圖百鬼夜行』を井上圓了に薦める。

<探書肆 贖罪>
 鰻が話材となり、高遠はうなぎ萬屋に行く。入口から少し離れたところに蹲る奇妙な男を目に止める。それが縁となり、土佐出身の中濱と称する老人と知り合う。奇妙な男は中濱の連れだった。中濱はその連れを世捨て人と言ったが、本人は死人だと訂正した。
 この老人もまた勝海舟の紹介で、書楼弔堂に行こうとしていた。鰻の取り持つ奇縁で高遠は中濱と連れの二人を弔堂に案内することに。
 弔堂の主は、その老人を中濱萬次郎と即断した。じょん万次郎と知り高遠は仰天した。主と中濱との会話は、幕末における勝海舟の行動が話題となり、さらに福澤諭吉の言論に話が及んでいく。当時の状況がわかって興味深い。その後で、中濱の連れの男の話になる。最後に中濱はその連れの名前を弔堂の主に告げた。連れの男の過去が明らかになる。
 主は文政9年に開版され14冊からなる『重訂解體新書』をその男に薦める。「あなたは、人が何故生きているかを知るべきです」(p360)と。そして、重要なひとことを付け加える。このひとことを伝えるのがこの短編の要と言える。

<探書伍 闕如(けつじょ)>
 高遠が紀尾井町の自宅に10日ばかり戻ったときの状況からストーリーが始まることで、読者はさらに一歩、高遠の人物像にふれることに・・・・。高遠は気分転換に日本橋の丸善に立ち寄る。そこで、店員の山田から泉鏡太郎の処女小説のことを教えられる。さらに尾崎紅葉からの作家繋がりで、作家の巌谷小波(いわやさざなみ)のことを聞き、作者名が漣山人となっている本を高遠は2冊買う結果となる。店員の一人合点によるまわりくどい紹介の仕方がおもしろい。
 高遠が仮住まいに戻る前に、世話になっている百姓の茂作の家に立ち寄る。その結果因縁のある猫を高遠が預かる羽目になる。この猫が一つの伏線となっていく。
 高遠の仮住まいに、巌谷小波が訪ねてくる。泉鏡太郎から聞いたということで、書楼弔堂を訪れてみたいと言う。高遠は巌谷を弔堂に案内することに。
 ここから弔堂の主と巌谷との会話となり、高遠はその傍聴者となる。読者もいわば傍聴者である。明治という時代の一端を感じることに繋がって行く。
 主は、巌谷が求めている本に、享保年間に刊行され23冊からなる『御伽草子』を附録として付けようと言う。

 この探書伍で印象深い文をご紹介しておこう。弔堂の主が巌谷に述べたことである。
「此方に向くのが正しいと思うなら、反対に向けば後ろ向きです。正しいと思わなければ、どちらを向いても前を向いていることになりましょうよ」(p431)
「歩むことこそが人生でございます。ならば今いる場所は、常に出発点と心得ます。そして止まった処こそが終着点でございましょう」(p442)
「ええ、現実と云うのは今この一瞬だけ。過去も、未来も、今此処にないものなのでございます。ならばそれは虚構でございましょう。過去なくして今はなく、今なくして未来もない。ならば虚実は半半かと存じます」(p444)

<探書陸 未完>
 高遠が預かった猫の話から始まる。猫を観察しながら高遠が己の生き方を重ねて行くところがおもしろい。高遠の仮住まいに、弔堂の小僧のしほるが猫の貰い手についての話を持ち込んでくる。それは弔堂に本を売る話と対になっていた。
 高遠は猫を貰ってもらうことと、弔堂が本を買い取るときの運搬作業に協力することに関わっていく。蔵書を売り、猫を欲しいと言うのは武蔵清明社宮司の中禅寺輔という人だった。教員だった中禅寺は神主を嗣ぐという人生の選択をした。自分にとって不要の本を売るという。弔堂の主は買い取る本を仕分けていく。そして、まだ生きている本は弔えないと述べ、その本を中禅寺輔に示して、理由を述べていく。弔堂の主の説くキーワードは、偽書と未完。偽書の意味が要となっていく。
 最後に弔堂の主は、高遠に初めて1冊の洋書を押し売りだと言い薦める。それは、奇妙な小説で未完のままだと言う。高遠はその本を買った。

 弔堂の主の名前が、この探書陸で初めて中禅寺が口にする形で出てくる。
 最後の最後になって、高遠の名前が初めて明らかにされる。そこがまたおもしろい。

 第2弾の短編連作がどのような展開になるのか。今から楽しみである。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
月岡芳年  :ウィキペディア
ウィリアム・ジェームズ  :ウィキペディア 
尾崎紅葉  :ウィキペディア
泉鏡花   :ウィキペディア
松木騒動 ⇒ 真土事件  :ウィキペディア
井上円了  :ウィキペディア
鳥山石燕  :ウィキペディア
畫圖百鬼夜行  :「維基百科」
ジョン万次郎の生涯  :「ジョン万次郎資料館」
ジョン万次郎  :「土佐の人物伝」
重訂解体新書  :「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
重訂解体新書  :「一関市博物館」
岡田以蔵伝   :「土佐の人物伝」
巖谷 小波   :ウィキペディア
御伽草子    :ウィキペディア
こんな本、あります No.48『大語園』  :「京都府立図書館」
ローレンス・スターン  :ウィキペディア
トリストラム・シャンディ  :ウィキペディア
『トリスラム、シャンデー』 夏目漱石  :「岐阜大学地域科学部」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『書楼弔堂 待宵』  集英社
[遊心逍遙記]に掲載   : 『ヒトごろし』  新潮社



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