遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『藪医ふらここ堂」  朝井まかて  講談社文庫

2024-08-24 16:29:09 | 朝井まかて
 神田三河町に天野三哲という小児医が住んでいる。自宅兼診療所の前庭に大きな山桃の木があり、三哲は娘・おゆんの幼い頃に、自ら板を削り、2本の綱を通して、山桃の枝に吊るし、ふらここと称する遊具をこしらえた。今も子供たちがそのふらここで遊ぶ。そこで三河町界隈では「藪のふらここ堂」と渾名されている。本書のタイトルはここに由来する。
 本作は医療時代小説。「一 薮医、ふらここ堂」から始まり、「九 仄々(ほのぼの)明け」の9つのセクションで構成され、ふらここ堂とその周辺の下町庶民との関わりを日々の逸話として描いていく。それぞれが短編としてほぼ完結しながら、一方ストーリーの背景でつながりがあり、ふらここ堂の三哲とおゆんを軸に日常生活の状況が進展していく。
 江戸の下町庶民の生活を楽しみつつ、一町医者の生き方を描く長編小説といえる。
 本書は2015年8月に単行本が刊行され、2017年11月に文庫化されている。

 各逸話が娘のおゆんの視点から描き出される形で一貫しているので、様々な事象を織り込みつつ全体で長編小説を成している。私は全体のストーリーの流れをそのように受け止めた。江戸の下町の日常生活、人間関係の様々な側面を話材に織り込みながら、江戸で発生する子供の病気と病気への対処がストーリーの中軸に据えられている。底流には天野三哲という小児医の医者としてのスタンスの貫徹がある。外観と日常行動では「藪のふらここ堂」と呼ばれ、親しまれながら藪医者とみなされている人物なのだが、見えないところで凄腕を発揮する。ストーリーの流れからは意外な結末となるところが楽しい。

 「藪のふらここ堂」の医療活動の日常を切り回しているのは、娘のおゆん。父の三哲の日常はいわばでたらめである。朝寝坊はする。患者を平気で待たせる。「面倒臭ぇ」というのが口癖で、面倒な状況からはすぐに逃げ出してしまう。いつもおゆんがその後始末をしなければならない。だが、三哲は医療の根源においては、己の確固たる信念を持つ。
 患者本人の自己治癒力を信じ、それをサポートする治療を心掛けているようである。
 「薬なんぞ要らねえよ。」「だから必要がねえんだよ。そもそも、こんなに汗が出ているってのは熱が下がりかけてる証だ。自分で治ろうとしてんだよ、この子は」(p40)
 「無闇に薬をやりたがるんじゃねぇ。今はな、身中に回った毒を外に出してんだ。そりゃあ辛ぇに決まっているさ、五臓六腑が口と尻から出ちまうような苦しさだ。だがな、毒を出す流れを薬で止めたら、それこそ御陀仏なんだよっ」(p69)

 三哲には、半ば押しかけで入門してきた次郎助という弟子がいる。彼は、通りを隔てたすぐ先の水菓子屋、角屋の倅で、おゆんの幼馴染み。おゆんは幼馴染みであること以外は全く意識していないのだが、次郎助はおゆんへの思いを秘めている。それが本作の底流にあり、読者のはどう進展するのかが気になる側面として、読み進めることになる。
 ふらここ堂には、近所の長屋に住む高齢だがいまだ現役で凄腕の取上婆と評判の高いお亀婆さんが、しょっちゅう出入りしている。ふらここ堂に上がり込み、ちゃっかり食事をし、おやつをもらっていくという婆さん。ふらここ堂の家族のような溶け込みと振る舞いが読んでいて楽しい。にぎわかし役でもあり、ちゃっかり婆さん。このお亀婆さん、やり手なのだ。そして、物知りでもある。

 下町の日常生活の様々な側面のちょっとしたエピソードの積み重なり、織り上げられてこのストーリーの絵姿が見えてくる。三哲は思わぬ陰働きもする。

 9つのセクションをキーワード風にご紹介しておこう。
<薮医 ふらここ堂>
 天野三哲とおゆん。薮医ふらここ堂の登場。太物問屋の孫の発熱騒動に三哲流の処置。

<二 ちちん、ぷいぷい>
 佐吉と息子勇太の登場。嘔吐と下痢ー集団食中毒に三哲・おゆんの奮闘。

<三 駄々丸>
 勇太の手習塾初登山エピソード。親から神童呼ばわりされる娘の治療。

<四 朝星夜星> 
 勇太の日常。掃墨秘薬騒動。

<五 果て果て>
 丸薬三哲印製造の夢話。薬問屋・内藤屋による料理屋美濃惣にてのご招待。

<六 笑壺(えつぼ) >
 三哲の出自。町役人の来訪。

<七 赤小豆>
 宝暦10年(1760)正月の千客万来。兄・三伯長興の来訪。明石屋火事。おみちの反発。

<八 御乳持(おちもち)>
 おゆんの屈託。佐吉の出自。神田祭
 
<九 仄々明け>
 鶴次とおせん。佐吉と勇太の出立。三哲の計らい。おせんの出産。おゆんの決断。

 次のような描写が出てくる。
*患家の多い医者にどんな特徴があるかを、私なりに思い起こしてみました。立派な身形と門構えを整え、往診には紋入りの薬箱と、弟子も何人も従えています。難しい医書をいくつも携えて、それも患家の信頼を得る秘訣でしょう。もちろん患者やそのお身内の機嫌を取り結ぶのが第一ですから、日に二度三度と病人の様子を見に赴き、年始や暑中見舞いもかかしません。
 そんな医者にも腕のたしかな人はいますが、怪しい人も少なくありません。p152-153
*慈姑(くわい)頭に長羽織をつけているので、豪勢にやっているおお医者さんなんだろうと思った。
 長羽織は己が富貴な名医だと世間に物申しているいような身形でいわゆる徒歩医者と呼ばれる町医者よりも格上とされているらしい。   p203
*患者への往診にも四枚肩の籠に乗り、従者や薬箱を持つ弟子も、皆、歩かない。その籠代は薬代に上乗せされ、すべて患者が持つそうだ。 p203-204

 江戸の医者の生態は、形を変えて現代の医者の生態に通じていると著者は描いているようにも思った。見かけの名医と本物の名医。人は見かけに騙される。いつの時代も同じか。

 もう一つ、興味深く感じたのは、天野三哲の生きる時代を将軍徳川家重在位の後半期に設定していることである。三哲が「小便公方」という言葉を使う場面が出てくる。少し前に、村木嵐著『まいまいつぶろ』という時代小説を読んでいたので、思わぬところで接点が出てきて、おもしろさを感じだ。

 文庫の「解説」を作家・医師である久坂部羊さんが書かれている。それを読むと、この小説には、実在のモデルがいた!「江戸時代の中期、第九代将軍家重に拝謁し、西之丸奥医師を拝命した篠崎三徹がそれで、」と記されている。
 読後に「解説」を読み、なるほどと思った。実在のモデルとこのフィクション化との差異は知らない。だが、医者と患者、病気の治癒力などを扱う著者の視点がおもしろい。

ご一読ありがとうございます。


補遺
11.当世武野俗談  旗本御家人Ⅲお仕事いろいろ :「国立公文書館」

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                 2022年12月現在  8冊
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