本文709ページという長編小説。作者の父方の大伯父にあたる秋吉利雄とその家族について書かれた小説である。本書の主題部は秋吉利雄が己の人生と家族・親族のことを回想する、つまり「わたし」という一人称の視点で語られていく。自伝風小説の形式をとっていると理解した。最後のセクションは「コーダ」というタイトル。語義を調べてみて、ここでは「終結部」の意味と解釈する。秋吉利雄の長女洋子の語りと、水路部で腹心の部下だった内山修治さんの墓参場面、そして、作者自身による「秋吉利雄が亡くなってまもなく75年、長女の洋子が他界してからも8年になります。この先のことを報告するのは作者であるぼくしかいなくなりました」から始まる2ページの内容がこの小説の締め括りである。
本書は、朝日新聞の朝刊(2020年8月1日~2022年1月31日)に連載され、加筆修正を経て、2023年3月に単行本が刊行された。
秋吉利雄は、3つの顔を持つ人だった。利雄の二人目の妻となった「よ子」が使った言葉で言えば3つのアトリビュートである。3つの柱と秋吉利雄自身は自覚している。
1つ目の柱は、海軍軍人として生きるという人生。2つ目の柱は天文学者であり理学博士であること。3つ目の柱は、聖公会に属する敬虔なキリスト教徒であること。アメリカの聖公会という教派の信徒として教会に通い、信仰を基盤に日常生活を送るという生き方。日曜学校の教師を務めるほどに教会との関わりが深かった。
1892(明治25)年11月18日に井上岩吉・ナカ夫妻の子として生まれ、兄が居たので秋吉徳三郎の養子となる。秋吉利雄として生きる。父井上岩吉は31歳の時に洗礼を受け、キリスト教徒になった。紆余曲折の後、両親は敬虔な信者として教会の周辺で布教の手伝いをして暮らす。
秋吉利雄は、尋常小学校を卒業後、高等小学校の科目は自習で身につけ、メソジストの経営する長崎の鎮西学院に進学。首席で卒業後、江田島の海軍兵学校に入校する。日露戦争が終結して6年という時期である。3年3か月の課程を経て、1914(大正3)年12月19日、海軍兵学校をハンモックナンバー、席次16番で卒業。海軍少尉候補生になる。
このストーリー、秋吉利雄が海軍軍人として成長して行くプロセスがまず描かれて行く。海軍兵学校を卒業後、練習艦隊での艦上生活が始まる。練習艦隊から5年、水雷学校と砲術学校の課程を終え、最後に戦艦「霧島」には乗らなかった。大尉への昇進予定の前に、上官から進路の面談を受ける。上官から学究肌なのではないのかと問われたことが契機となり、己の思いを述べて、航海術を学ぶために海軍大学校に入学する道を選択をする。さらに水路部に進み天文をやりたいとその方向を定める。海軍大学校を終えた後には、東京帝国大学理学部に入り、ニュートンの天文学を学ぶという道を進む。つまり、天文学者、理学博士になる。己の才能を開花させていく。
海軍軍人として海軍省の組織下にある水路部に勤務する生活が始まって行く。海軍の艦と民間の船は全て航海上の位置を天測により確定しなければ目的地に到達できない。その確定の為には、航海暦/天文暦という文書が必須である。その天文暦を準備する部署が水路部にある。秋吉利雄はその部署を統括する立場で実績を積み、昇進していく。
秋吉利雄は、海戦という実戦経験が皆無の職業軍人の道を敗戦(終戦)まで歩み続けて行く。
このストーリー、軍部が戦争へと突き進んで行くプロセスを時代背景に織り込みつつ、秋吉利雄の胸中で上記の3つの柱が常に葛藤しつづける局面を描き出していく。
例えば、秋吉利雄が東京帝国大学理学部学生の時点において、己の心境として、「どれが最も大事と決めることはできない。言わば三本の柱がわたしという人格を宙空に支えていた。三本の木が隣り合ってたち並び、それぞれから横に伸びた枝の先に開く葉叢は互いに重なり合っている。あるいは互いを遮って陽光を奪い合っている。わたしの中で争っている」(p217)と自覚していたのだ。
キリスト教徒としての信仰からの葛藤が常に内在する。モーゼの第6戒「汝殺すなかれ」である。職業軍人である己は、戦場に臨めば勝つために相手を殺す立場になる。水路部に所属し、天文暦を作成するという立場なので、その可能性はほとんどない。だが、天文暦が戦艦の航海上で使われ、海戦に突入すればそれは殺し合いの場に間接的に加担している立場である。天文暦の提供は間接的に「汝殺すなかれ」の戒を犯していることになる。秋吉利雄にはその自覚がある。
秋吉利雄の心中の葛藤描写がこの小説の一つの中心的なテーマになっている。
秋吉利雄の心中の葛藤はいわば、コインの一面である。当時の政治状況、社会経済状況、海軍の状況という反対の一面を、秋吉利雄の視点を介して読者は知り、文字を媒体にして認識していくことになる。本書は、大正から昭和前期にかけての社会情勢・状況を明らかにしていく。この時代を捉え直すということも本書のテーマの一つになっていると私は受けとめた。
ここでは、秋吉利雄が練習艦に乗る1915(大正4)年から、病院で死亡する1947(昭和22)年までの社会情勢・状況が継続的に書き込まれていく。ここに、折々の重要な情報提供者としてMが登場する。Mは秋吉利雄と海軍兵学校での同期生。事故に遭遇し脚部を損傷。艦上勤務から外れ、海軍省の大臣官房海軍文庫で機密文書の管理をする一方で戦史を研究するという仕事に従事している。そのMと秋吉利雄はしばしば居酒屋で会って対話、情報交換をする。Mが最新情報を秋吉に伝え、二人は情勢分析を行い、戦争の動向、政治の動向や社会情勢について語り合う。読者はこの二人の会話を介して、当時の状況を具体的に知る立場になる。
私はこの小説を通じて、当時の具体的な事実の多くを初めて知る機会を得た。大正時代・昭和の前期について、多くを学ぶことになった。例えば、真珠湾攻撃以降の海戦の実態。沖縄戦において海軍陸戦隊を率いた太田実さんが6月6日に打電したという電報文の内容。8月15日の玉音と称された天皇の音声の文面(その一部は以前にテレビの番組でわずか数行分を音声で聴いたことがある)。その後、新聞で報道された正文の内容。また、国内の戦時下の状況描写など・・・・である。
秋吉利雄の第3の柱との関係でいえば、日頃の彼の信仰生活の描写として、聖書(旧約・新約)からの章句引用が全体を通して頻繁に登場してくる。聖書の章句は信徒の信仰と切り離せない。日常生活に自然に関わるものとして、聖書の章句が出てくる。信仰者にとっては、馴染み深い章句なのだろうが、私には初めて知る章句が多かった。ある意味では、聖書の内容を少し広げて知る機会になった。私には知識としての副次的産物である。
秋吉利雄が海軍軍人、水路部の統括者になっていく生き方は、このストーリーの経糸と捉えることができる。秋吉利雄の家族・親族の関わりを描く部分が緯糸となっていく。経糸に緯糸が織り込まれていくことで、このストーリーに奥行と広がりが生まれて行く。
秋吉利雄の軍人人生の略歴は上記でご紹介した。このストーリーの経糸で最もハイライトとなって行くのは、東カロリン群島トラック島の南に位置するローソップ島での2分44秒の皆既日食観測である。秋吉利雄はこの日食観測隊の統括責任者となり、皆既日食観測を無事完遂する。このストーリーの大きな山場となっていく。
もう一つ、読ませどころの山場と私が受けとめたのは、戦争末期になりB29が頻繁に本土に襲来する状況下で、水路部の統括者として、機材・資料・文書等並びに関係者の疎開を実行し、適切に対処していく経緯である。秋吉利雄の本領が発揮されていく。
一方、このストーリーの緯糸は幾つもの事象が秋吉利雄の軍人人生と絡みながら点描的に織り込まれていく。経糸と緯糸が秋吉利雄の日常生活のなかで結びついていく。織り込まれる緯糸を項目として簡略にご紹介しよう。それらがどのように秋吉利雄の人生に影響を及ぼして行くかを本書で味わっていただきたい。
伝道師の道を歩み始めた利雄の実妹トヨの転機(第七戒)。福永末次郎とトヨの結婚、武彦の出産。文彦出産後にトヨの死。1922年4月、秋吉利雄と従妹のチヨが結婚。利雄は文彦を養子として受け入れる。チヨは長女洋子を出産。恒雄出産後にチヨの死、そして嬰児恒雄の死。信仰の師・牛島惣太郎先生の娘・栄の仲介により益田ヨ子と出会い再婚(ベターハーフ)。家族の生死:文彦の死、光雄・直子・輝雄の誕生、双子の紀子・宣雄の誕生と宣雄の夭逝。福永武彦と山下澄の結婚。1945年7月に福永澄が夏樹を出産。洋子は秋吉利雄を看病し、看取った後、栄の仲介で栄の従弟の岡達夫と結婚。
こんな経緯が織り込まれて行く。
秋吉利雄と彼の家族、親族との関わりを通して、秋吉利雄の人生を描いたストーリーである。海軍軍人として生き、その枠の中で己の適性・才能を伸ばせる領域を見つけ出した。キリスト教の信徒として内奥の葛藤を常に抱きながらも、3つの柱をなんとか共存させる生き方を貫けた人と言えるのではないか。大正期から昭和の前期にという時代において、相対的に考えると、苦労を負う一面はあったものの、才能に恵まれ、己の選択した道をひたすら歩み、恵まれた人生を送ることができた人と言える気がする。
秋吉利雄の人生は、本書の最後の箇所に集約される。本望ではないか。
この最後の箇所の余韻を味わう為に、700ページ余のストーリーを読んでいただきたいと思う。
神ともにいまして
ゆく道をまもり
天の御糧もて
力を与えませ
また会う日まで
また会う日まで
神の守り
汝が身を離れざれ
賛美歌の歌詞はまだ続く。本書のタイトルは、この賛美歌の句「また会う日まで」に由来する。長女の洋子は「この聖歌は別離の歌ですが再会を約する歌でもあります」(p685)と語る。
ご一読ありがとうございます。
補遺
学校法人 鎮西学院 ホームページ
江田島の旧海軍兵学校で歴史を学び、そして海軍カレーを楽しむ!:「トラベルjp」
モーセの十戒 :ウィキペディア
モーセの十戒をわかりやすく解説! 十戒に隠されている本当の目的とは?!:「新生宣教団」
聖公会 :ウィキペディア
水路部 :ウィキペディア
ローソップ島皆既日食(1) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(2) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(3) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(4) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(5) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
【天文暦】2023年1月~12月星の動き|新月・満月|逆行 :「星読みテラス」
日食一覧 :「国立天文台」
池澤夏樹が3作目の歴史小説「また会う日まで」で描いた大伯父の3つの顔 現在と重なる日本の戦中史 2023.4.7 :「東京新聞」
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[遊心逍遙記]に掲載
『アトミック・ボックス』 毎日新聞社
『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』 小学館
『すばらしい新世界』 中央公論新社
『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』 写真・鷲尾和彦 中央公論社
『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館
本書は、朝日新聞の朝刊(2020年8月1日~2022年1月31日)に連載され、加筆修正を経て、2023年3月に単行本が刊行された。
秋吉利雄は、3つの顔を持つ人だった。利雄の二人目の妻となった「よ子」が使った言葉で言えば3つのアトリビュートである。3つの柱と秋吉利雄自身は自覚している。
1つ目の柱は、海軍軍人として生きるという人生。2つ目の柱は天文学者であり理学博士であること。3つ目の柱は、聖公会に属する敬虔なキリスト教徒であること。アメリカの聖公会という教派の信徒として教会に通い、信仰を基盤に日常生活を送るという生き方。日曜学校の教師を務めるほどに教会との関わりが深かった。
1892(明治25)年11月18日に井上岩吉・ナカ夫妻の子として生まれ、兄が居たので秋吉徳三郎の養子となる。秋吉利雄として生きる。父井上岩吉は31歳の時に洗礼を受け、キリスト教徒になった。紆余曲折の後、両親は敬虔な信者として教会の周辺で布教の手伝いをして暮らす。
秋吉利雄は、尋常小学校を卒業後、高等小学校の科目は自習で身につけ、メソジストの経営する長崎の鎮西学院に進学。首席で卒業後、江田島の海軍兵学校に入校する。日露戦争が終結して6年という時期である。3年3か月の課程を経て、1914(大正3)年12月19日、海軍兵学校をハンモックナンバー、席次16番で卒業。海軍少尉候補生になる。
このストーリー、秋吉利雄が海軍軍人として成長して行くプロセスがまず描かれて行く。海軍兵学校を卒業後、練習艦隊での艦上生活が始まる。練習艦隊から5年、水雷学校と砲術学校の課程を終え、最後に戦艦「霧島」には乗らなかった。大尉への昇進予定の前に、上官から進路の面談を受ける。上官から学究肌なのではないのかと問われたことが契機となり、己の思いを述べて、航海術を学ぶために海軍大学校に入学する道を選択をする。さらに水路部に進み天文をやりたいとその方向を定める。海軍大学校を終えた後には、東京帝国大学理学部に入り、ニュートンの天文学を学ぶという道を進む。つまり、天文学者、理学博士になる。己の才能を開花させていく。
海軍軍人として海軍省の組織下にある水路部に勤務する生活が始まって行く。海軍の艦と民間の船は全て航海上の位置を天測により確定しなければ目的地に到達できない。その確定の為には、航海暦/天文暦という文書が必須である。その天文暦を準備する部署が水路部にある。秋吉利雄はその部署を統括する立場で実績を積み、昇進していく。
秋吉利雄は、海戦という実戦経験が皆無の職業軍人の道を敗戦(終戦)まで歩み続けて行く。
このストーリー、軍部が戦争へと突き進んで行くプロセスを時代背景に織り込みつつ、秋吉利雄の胸中で上記の3つの柱が常に葛藤しつづける局面を描き出していく。
例えば、秋吉利雄が東京帝国大学理学部学生の時点において、己の心境として、「どれが最も大事と決めることはできない。言わば三本の柱がわたしという人格を宙空に支えていた。三本の木が隣り合ってたち並び、それぞれから横に伸びた枝の先に開く葉叢は互いに重なり合っている。あるいは互いを遮って陽光を奪い合っている。わたしの中で争っている」(p217)と自覚していたのだ。
キリスト教徒としての信仰からの葛藤が常に内在する。モーゼの第6戒「汝殺すなかれ」である。職業軍人である己は、戦場に臨めば勝つために相手を殺す立場になる。水路部に所属し、天文暦を作成するという立場なので、その可能性はほとんどない。だが、天文暦が戦艦の航海上で使われ、海戦に突入すればそれは殺し合いの場に間接的に加担している立場である。天文暦の提供は間接的に「汝殺すなかれ」の戒を犯していることになる。秋吉利雄にはその自覚がある。
秋吉利雄の心中の葛藤描写がこの小説の一つの中心的なテーマになっている。
秋吉利雄の心中の葛藤はいわば、コインの一面である。当時の政治状況、社会経済状況、海軍の状況という反対の一面を、秋吉利雄の視点を介して読者は知り、文字を媒体にして認識していくことになる。本書は、大正から昭和前期にかけての社会情勢・状況を明らかにしていく。この時代を捉え直すということも本書のテーマの一つになっていると私は受けとめた。
ここでは、秋吉利雄が練習艦に乗る1915(大正4)年から、病院で死亡する1947(昭和22)年までの社会情勢・状況が継続的に書き込まれていく。ここに、折々の重要な情報提供者としてMが登場する。Mは秋吉利雄と海軍兵学校での同期生。事故に遭遇し脚部を損傷。艦上勤務から外れ、海軍省の大臣官房海軍文庫で機密文書の管理をする一方で戦史を研究するという仕事に従事している。そのMと秋吉利雄はしばしば居酒屋で会って対話、情報交換をする。Mが最新情報を秋吉に伝え、二人は情勢分析を行い、戦争の動向、政治の動向や社会情勢について語り合う。読者はこの二人の会話を介して、当時の状況を具体的に知る立場になる。
私はこの小説を通じて、当時の具体的な事実の多くを初めて知る機会を得た。大正時代・昭和の前期について、多くを学ぶことになった。例えば、真珠湾攻撃以降の海戦の実態。沖縄戦において海軍陸戦隊を率いた太田実さんが6月6日に打電したという電報文の内容。8月15日の玉音と称された天皇の音声の文面(その一部は以前にテレビの番組でわずか数行分を音声で聴いたことがある)。その後、新聞で報道された正文の内容。また、国内の戦時下の状況描写など・・・・である。
秋吉利雄の第3の柱との関係でいえば、日頃の彼の信仰生活の描写として、聖書(旧約・新約)からの章句引用が全体を通して頻繁に登場してくる。聖書の章句は信徒の信仰と切り離せない。日常生活に自然に関わるものとして、聖書の章句が出てくる。信仰者にとっては、馴染み深い章句なのだろうが、私には初めて知る章句が多かった。ある意味では、聖書の内容を少し広げて知る機会になった。私には知識としての副次的産物である。
秋吉利雄が海軍軍人、水路部の統括者になっていく生き方は、このストーリーの経糸と捉えることができる。秋吉利雄の家族・親族の関わりを描く部分が緯糸となっていく。経糸に緯糸が織り込まれていくことで、このストーリーに奥行と広がりが生まれて行く。
秋吉利雄の軍人人生の略歴は上記でご紹介した。このストーリーの経糸で最もハイライトとなって行くのは、東カロリン群島トラック島の南に位置するローソップ島での2分44秒の皆既日食観測である。秋吉利雄はこの日食観測隊の統括責任者となり、皆既日食観測を無事完遂する。このストーリーの大きな山場となっていく。
もう一つ、読ませどころの山場と私が受けとめたのは、戦争末期になりB29が頻繁に本土に襲来する状況下で、水路部の統括者として、機材・資料・文書等並びに関係者の疎開を実行し、適切に対処していく経緯である。秋吉利雄の本領が発揮されていく。
一方、このストーリーの緯糸は幾つもの事象が秋吉利雄の軍人人生と絡みながら点描的に織り込まれていく。経糸と緯糸が秋吉利雄の日常生活のなかで結びついていく。織り込まれる緯糸を項目として簡略にご紹介しよう。それらがどのように秋吉利雄の人生に影響を及ぼして行くかを本書で味わっていただきたい。
伝道師の道を歩み始めた利雄の実妹トヨの転機(第七戒)。福永末次郎とトヨの結婚、武彦の出産。文彦出産後にトヨの死。1922年4月、秋吉利雄と従妹のチヨが結婚。利雄は文彦を養子として受け入れる。チヨは長女洋子を出産。恒雄出産後にチヨの死、そして嬰児恒雄の死。信仰の師・牛島惣太郎先生の娘・栄の仲介により益田ヨ子と出会い再婚(ベターハーフ)。家族の生死:文彦の死、光雄・直子・輝雄の誕生、双子の紀子・宣雄の誕生と宣雄の夭逝。福永武彦と山下澄の結婚。1945年7月に福永澄が夏樹を出産。洋子は秋吉利雄を看病し、看取った後、栄の仲介で栄の従弟の岡達夫と結婚。
こんな経緯が織り込まれて行く。
秋吉利雄と彼の家族、親族との関わりを通して、秋吉利雄の人生を描いたストーリーである。海軍軍人として生き、その枠の中で己の適性・才能を伸ばせる領域を見つけ出した。キリスト教の信徒として内奥の葛藤を常に抱きながらも、3つの柱をなんとか共存させる生き方を貫けた人と言えるのではないか。大正期から昭和の前期にという時代において、相対的に考えると、苦労を負う一面はあったものの、才能に恵まれ、己の選択した道をひたすら歩み、恵まれた人生を送ることができた人と言える気がする。
秋吉利雄の人生は、本書の最後の箇所に集約される。本望ではないか。
この最後の箇所の余韻を味わう為に、700ページ余のストーリーを読んでいただきたいと思う。
神ともにいまして
ゆく道をまもり
天の御糧もて
力を与えませ
また会う日まで
また会う日まで
神の守り
汝が身を離れざれ
賛美歌の歌詞はまだ続く。本書のタイトルは、この賛美歌の句「また会う日まで」に由来する。長女の洋子は「この聖歌は別離の歌ですが再会を約する歌でもあります」(p685)と語る。
ご一読ありがとうございます。
補遺
学校法人 鎮西学院 ホームページ
江田島の旧海軍兵学校で歴史を学び、そして海軍カレーを楽しむ!:「トラベルjp」
モーセの十戒 :ウィキペディア
モーセの十戒をわかりやすく解説! 十戒に隠されている本当の目的とは?!:「新生宣教団」
聖公会 :ウィキペディア
水路部 :ウィキペディア
ローソップ島皆既日食(1) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(2) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(3) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(4) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(5) :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
【天文暦】2023年1月~12月星の動き|新月・満月|逆行 :「星読みテラス」
日食一覧 :「国立天文台」
池澤夏樹が3作目の歴史小説「また会う日まで」で描いた大伯父の3つの顔 現在と重なる日本の戦中史 2023.4.7 :「東京新聞」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
[遊心逍遙記]に掲載
『アトミック・ボックス』 毎日新聞社
『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』 小学館
『すばらしい新世界』 中央公論新社
『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』 写真・鷲尾和彦 中央公論社
『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館