ゆっくりしたペースで、藤沢周平の作品を読み継いでいる。文庫本末尾の「解説」(駒田信二)は冒頭で次のように述べている。
「ここに収められた七篇は、出世作『溟い海』(略)以下今日までに書かれた九十篇に垂(なんな)んとする藤沢さんの市井物の短編小説群の中で、最も制作年代の新しい一群であって、いずれも単行本未収録のものである。」(p226)
続きの解説によれば、最初の六篇が「週刊小説」(昭和58年~平成2年)に発表され、最後の一編「遠ざかる声」が「小説宝石」(平成2年10月号)に発表されたものという。
ここに収録された短編はいずれも、江戸の市井に住む男女の日々の暮らしに現れる哀感とほんの一時の歓びや人情の機微をすくい取り、描き出している。一局面の切り取り方に、著者の静かな眼差しがみえるように感じる。
各編にそって、読後印象を含めて、簡単にご紹介する。
<夜消える>
第1作の短編のタイトルが文庫本のタイトルにもなっている。
おのぶは雪駄問屋藤代屋に通いで勤めている。亭主の兼七は腕のいい雪駄職人だったが、三十を過ぎてから酒に溺れてしまう。40歳のおのぶがまだ30歳になっていない手代の友蔵からそのへんで飯でも喰いませんかと誘われる。一度は断るが、二度めには断らなかった。女ごころの揺れと心理がそこに描かれる。
娘のおきみには大工の新吉と所帯を持つという話が進む。おきみは父を新吉には知られたくない難点と感じていた・・・・。
幸せと不幸は対なのか・・・。「おきみのしあわせは、兼七の失踪で購われたのある」という一文が重い。そこに家族個々人の思いが重層化している。
<にがい再会>
畳屋の源次と傘問屋の新之助は幼馴染みで今も遊び仲間。二人とも親の稼業を継いでいる。源次が新之助におこまが帰ってきたと知らせにくる。おこまは7年前に姿を消した。源次は団子屋のおきくから聞いたという。さらにおこまは岡場所にいたという噂も源次は新之助に伝える。新之助も源次も、おこまに夢中になった時期があったのだ。
新之助とおこまの再会を描く。おこまは新之助に30両を貸してほしいと持ちかける。
新之助の心理の変転を中心に再会のプロセスが描かれる。ありそうな展開、にがい記憶の1ページとなるところに庶民感覚が表れていて説得力がある。
<永代橋>
端切れ屋の前を通った菊蔵は、店先にいた女が別れた女房おみつだと気づく。甘酒屋で二人は近況を語り合う。そこから、なぜ二人は別れたかの回想が始まる。上方から戻って来た兄貴分の喜八と再会し、菊蔵は話の中である事実を知ることに・・・。
己の嘘が招いた結果の再認識によって、人生再出発を決意する菊蔵の行動を描く。
次の展開としての続編を期待したくなる短編。
<踊る手>
裏店の露地の住人だった小間物売り・伊三郎の家族が夜逃げした。原因は伊三郎の博奕にあったという。だが、寝てるだけの状態の老婆が置き去りにされた。計画的な夜逃げだった。ならず者の借金取りの出現、食事を摂ろうとしない老婆、残された老婆の世話にやきもきする信次の母・・・子供の信次の視点から顛末譚が描かれる
「ばあちゃん、うれしぞうだな」と信次が感じ、読者をほっとさせる結末。「踊る手」というタイトルになるほどと思う。「ほとぼりがさめた頃に」というフレーズを連想した。
<消息>
娘を育てながら裏店に住むおしな。夫の作次郞は5年ほど前に突然姿を消してしまった。それはほんの1年ほど所帯を持った後に起こった。
近所のおすえがおしなに、以前裏店の住人だったおきちが作次郞を見かけたという話を伝える。おしなの許には大工の龍吉が出入りしていて、男女の関係が生まれていた。だが、おしなはおきちの目撃情報から作次郞の行方を探す行動をとり始める。その結果、作次郞が姿を消した真相に近づいて行くことに・・・・。
生き方の選択を迫られるおしなの心情が描き込まれていく。おしなは娘に言う。「あのおとっつあんは、目をはなすとすぐいなくなるひとだから、そばにいてやんないと」(p160)と。おしなの決断の揺るぎなさがいい。一方、奉公先での柵にからめとられて姿を消す決断をした作次郞の哀れさが際立ってくる。そこには義理人情の軋轢が・・・・。
<初つばめ>
姉のなみと弟の友吉の間での意識のズレがテーマとなっている。なみは親の借金返済や弟の面倒をみるために、水商売の世界を転々とした。今は通いの女中として小料理屋に勤める。なみの弟思いは強い。
友吉は奉公に出て商人への道を進む。その友吉が縁談の相手を姉に会わせたいという日がくる。だが、それは二人の間での意識のズレを曝す場に転じて行く。友吉は己の縁談の場に姉を近づけたくはないのだった。友吉の縁談の相手は表店・八幡屋利兵衛の娘だった。彼らの意識のギャップの描写にすごくリアル感がある。
幼馴染みの滝蔵が、友吉に依頼されたと言って、なみの家に飛んでくるという展開に進展する。そこに人情話のオチが生まれて行く。読者に一つの可能性を抱かせて終わらせるところがうまい。
<遠ざかる声>
新海屋喜左衛門は、棒手振に毛の生えたような行商時代に女房はつに死なれた。運が向いて来て小体ながら太物屋の店を構えるに至った。だが、これまで幾度も縁談話があったのだが、いずれも縁がなかった。そこには亡妻はつが邪魔をしてきたと喜左衛門は思ってきた。新たな縁談話が持ち込まれる。両国で茶漬屋を営む菊本夫妻がもんという女を後添いに世話をしようとしている。喜左衛門も乗り気。37歳の喜左衛門は、仏壇の前で亡妻はつと縁談の邪魔をしないように交渉するというおもしろい設定で話が進展する。亡妻はつは「もんというひとは悪い女だからね。よく調べるといいよ」と差し出口を残した。はつは新海屋に子連れで住み込む寡婦、有能な婢(はしため)だが醜婦のまさを示唆する・・・・。すこしコミカルさを漂わすおもしろい短編である。
人は誰しも己を中心にまず考えて、周りの人々と関わりあっている。そこから軋轢が生まれ、また人情の機微が生み出され、波紋が広がって行く。そんな人間の関わり合いの過程からキラリとした局面が巧みに切り出されている。読みやすい短編集である。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日暮れ竹河岸』 文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 12冊
「ここに収められた七篇は、出世作『溟い海』(略)以下今日までに書かれた九十篇に垂(なんな)んとする藤沢さんの市井物の短編小説群の中で、最も制作年代の新しい一群であって、いずれも単行本未収録のものである。」(p226)
続きの解説によれば、最初の六篇が「週刊小説」(昭和58年~平成2年)に発表され、最後の一編「遠ざかる声」が「小説宝石」(平成2年10月号)に発表されたものという。
ここに収録された短編はいずれも、江戸の市井に住む男女の日々の暮らしに現れる哀感とほんの一時の歓びや人情の機微をすくい取り、描き出している。一局面の切り取り方に、著者の静かな眼差しがみえるように感じる。
各編にそって、読後印象を含めて、簡単にご紹介する。
<夜消える>
第1作の短編のタイトルが文庫本のタイトルにもなっている。
おのぶは雪駄問屋藤代屋に通いで勤めている。亭主の兼七は腕のいい雪駄職人だったが、三十を過ぎてから酒に溺れてしまう。40歳のおのぶがまだ30歳になっていない手代の友蔵からそのへんで飯でも喰いませんかと誘われる。一度は断るが、二度めには断らなかった。女ごころの揺れと心理がそこに描かれる。
娘のおきみには大工の新吉と所帯を持つという話が進む。おきみは父を新吉には知られたくない難点と感じていた・・・・。
幸せと不幸は対なのか・・・。「おきみのしあわせは、兼七の失踪で購われたのある」という一文が重い。そこに家族個々人の思いが重層化している。
<にがい再会>
畳屋の源次と傘問屋の新之助は幼馴染みで今も遊び仲間。二人とも親の稼業を継いでいる。源次が新之助におこまが帰ってきたと知らせにくる。おこまは7年前に姿を消した。源次は団子屋のおきくから聞いたという。さらにおこまは岡場所にいたという噂も源次は新之助に伝える。新之助も源次も、おこまに夢中になった時期があったのだ。
新之助とおこまの再会を描く。おこまは新之助に30両を貸してほしいと持ちかける。
新之助の心理の変転を中心に再会のプロセスが描かれる。ありそうな展開、にがい記憶の1ページとなるところに庶民感覚が表れていて説得力がある。
<永代橋>
端切れ屋の前を通った菊蔵は、店先にいた女が別れた女房おみつだと気づく。甘酒屋で二人は近況を語り合う。そこから、なぜ二人は別れたかの回想が始まる。上方から戻って来た兄貴分の喜八と再会し、菊蔵は話の中である事実を知ることに・・・。
己の嘘が招いた結果の再認識によって、人生再出発を決意する菊蔵の行動を描く。
次の展開としての続編を期待したくなる短編。
<踊る手>
裏店の露地の住人だった小間物売り・伊三郎の家族が夜逃げした。原因は伊三郎の博奕にあったという。だが、寝てるだけの状態の老婆が置き去りにされた。計画的な夜逃げだった。ならず者の借金取りの出現、食事を摂ろうとしない老婆、残された老婆の世話にやきもきする信次の母・・・子供の信次の視点から顛末譚が描かれる
「ばあちゃん、うれしぞうだな」と信次が感じ、読者をほっとさせる結末。「踊る手」というタイトルになるほどと思う。「ほとぼりがさめた頃に」というフレーズを連想した。
<消息>
娘を育てながら裏店に住むおしな。夫の作次郞は5年ほど前に突然姿を消してしまった。それはほんの1年ほど所帯を持った後に起こった。
近所のおすえがおしなに、以前裏店の住人だったおきちが作次郞を見かけたという話を伝える。おしなの許には大工の龍吉が出入りしていて、男女の関係が生まれていた。だが、おしなはおきちの目撃情報から作次郞の行方を探す行動をとり始める。その結果、作次郞が姿を消した真相に近づいて行くことに・・・・。
生き方の選択を迫られるおしなの心情が描き込まれていく。おしなは娘に言う。「あのおとっつあんは、目をはなすとすぐいなくなるひとだから、そばにいてやんないと」(p160)と。おしなの決断の揺るぎなさがいい。一方、奉公先での柵にからめとられて姿を消す決断をした作次郞の哀れさが際立ってくる。そこには義理人情の軋轢が・・・・。
<初つばめ>
姉のなみと弟の友吉の間での意識のズレがテーマとなっている。なみは親の借金返済や弟の面倒をみるために、水商売の世界を転々とした。今は通いの女中として小料理屋に勤める。なみの弟思いは強い。
友吉は奉公に出て商人への道を進む。その友吉が縁談の相手を姉に会わせたいという日がくる。だが、それは二人の間での意識のズレを曝す場に転じて行く。友吉は己の縁談の場に姉を近づけたくはないのだった。友吉の縁談の相手は表店・八幡屋利兵衛の娘だった。彼らの意識のギャップの描写にすごくリアル感がある。
幼馴染みの滝蔵が、友吉に依頼されたと言って、なみの家に飛んでくるという展開に進展する。そこに人情話のオチが生まれて行く。読者に一つの可能性を抱かせて終わらせるところがうまい。
<遠ざかる声>
新海屋喜左衛門は、棒手振に毛の生えたような行商時代に女房はつに死なれた。運が向いて来て小体ながら太物屋の店を構えるに至った。だが、これまで幾度も縁談話があったのだが、いずれも縁がなかった。そこには亡妻はつが邪魔をしてきたと喜左衛門は思ってきた。新たな縁談話が持ち込まれる。両国で茶漬屋を営む菊本夫妻がもんという女を後添いに世話をしようとしている。喜左衛門も乗り気。37歳の喜左衛門は、仏壇の前で亡妻はつと縁談の邪魔をしないように交渉するというおもしろい設定で話が進展する。亡妻はつは「もんというひとは悪い女だからね。よく調べるといいよ」と差し出口を残した。はつは新海屋に子連れで住み込む寡婦、有能な婢(はしため)だが醜婦のまさを示唆する・・・・。すこしコミカルさを漂わすおもしろい短編である。
人は誰しも己を中心にまず考えて、周りの人々と関わりあっている。そこから軋轢が生まれ、また人情の機微が生み出され、波紋が広がって行く。そんな人間の関わり合いの過程からキラリとした局面が巧みに切り出されている。読みやすい短編集である。
ご一読ありがとうございます。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日暮れ竹河岸』 文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 12冊