
表紙に副題が記されている。「病気も不安も逃げていく『こだわらない』日々の心得」と。著者は医学博士で食道がんを専門領域に選択した外科医である。東大病院第三外科、都立駒込病院外科などでがん治療に従事し、1982年、郷里に自分の病院を開設した。西洋医学に漢方や鍼灸、気功などの中国医学も取り入れ、ホリスティック医学の実践に取り組む医者である。先日、五木寛之著『折れない言葉 Ⅱ』というエッセイ集を読んだ時、あるエッセイで著者の名を知り関心を抱いた。そして、本書のタイトルにまず興味を持ち、読んでみた。本書はエッセイ集で、2014年10月に単行本が刊行されている。
著者は「はじめに」の冒頭で、乳がんが深刻な状態になっている60代の女性の診察を終えた時の体験を語る。その女性は症状がとても厳しいことがわかっている人なのに、「私、60年以上生きてきましたけど、先生ほどチャーミングな人にお会いしたことありませんわ」と帰り際にさらりと言って帰られた。その言葉で、診療室の雰囲気ががらりと明るくなったと言う。後で、その人を「粋」という語で表現できると思ったと著者は記している。
「粋というのは、外国にはない日本独特の感覚で、あかぬけしていて、はりがあって、色っぽい様だそうです」と記す。「粋」という語は哲学者・九鬼周造著『「いき」の構造』をソースとしていることに触れたうえで、著者の解釈を展開する。
この「はじめに」で著者の解釈を、
「あかぬけする」: 何事も正面から受け入れる覚悟のようなもの
「はりがある」 : 生命の躍動、生命エネルギーがあふれているさま
「色っぽさ」 : 人を敬い思いやれる気持ち だとまず明示している。
「粋に生きるというのは自分自身の生命エネルギーを高めることです。粋な人は、いつも生き生きしています。」(p3)と論じている。粋な人が増え、世の中が活気づけば、さらに個人のパワーも高まり、好循環ができるという。そして、本書では著者なりに「粋な生き方」を追い求めていきたいと語る。そこから生まれたのがこのエッセイ集である。
本書には、おもしろい特徴が一つある。それは、一つのエッセイのタイトルに相当するものが、エッセイの要旨を述べた一文になっている点にある。いわば箴言がエッセイのタイトルになっている。
このエッセイ集は5章で構成されている。その各章に収められたエッセイは、このいわば箴言が目次になる。裏返していえば、10ページにわたる目次を精読するだけで、著者が発信する「粋な生き方」へのアドバイスの要点がわかることになる。
その要点を、著者がエッセイとしてどのように語るかが本書を読む楽しみといえよう。
それでは、本書の構成をご紹介しよう。各章から3つずつその箴言ともいえるエッセイのタイトルを本書への誘いとして列挙する。
<第1章 挫折を知る人ほど、大輪の花を咲かせる>
権威におもねることなく、反骨心をもつことで本質が見えてくる。
青雲の志と挫折があって、人は本当のやさしさを手に入れることができる。
臓器も人間関係も、お互いを思いやることで信頼関係が深まり健全なものになる。
<第2章 あきらめない、こだわらない>
気分が落ち込むと、治る病気も治らなくなる。
視点を変えて、こころを切り替える。
「いつでも死ねる」覚悟が、生きる力を強くする。
人間の本質は「かなしみ」である。それがわかると、生きることが楽になる。
<第3章 日々、ときめいて生きる>
どんなに嫌なことがあっても、一日の終わりにはすっぱりと忘れて、
新しい自分と交代する。
「今」の尊さを知っている人は、不安に押しつぶされそうな人をなぐさめられる。
老化も病気もまるごと飲み込んで、勢いよくあの世に飛び込んでいく。
<第4章 上手に恋する「粋な人]>
恋は生きる上で最高のエネルギー源になる。
すべての困難は、自分の人生をドラマチックにするために起こる。
煮えたぎるものがないと、生きていてもしょうがない。
<第5章 凜として老いる>
あれはだめ、これはだめと
窮屈にいきるより、やりたいことをやるのが、すてきな年の重ね方。
理想を持って、死ぬまで進み続けて、志半ばで倒れるのが、かっこいい。
生きることはいのちを育てること、そして死ぬこともまた、いのちを育てること。
なお、エッセイ文の冒頭には、見出しになる一文あるいはフレーズが別途ついている。こちらは目次には出て来ない。例えば、第2章の最初のエッセイは、上記と同列のレベルでは「あきらめない気持ちがあるかぎり、奇跡は起こる」という一文が冒頭にでてくる。それにつづくエッセイには、「余命宣告されても、まだやれることはある」という一文が見出し風に記されている。これは箴言的な一文に照応する形の副題的位置づけになると、私は解釈した。
「おわりに」で、著者は健康について次のように語る。
「人間はからだ(Body)、こころ(Mind)、いのち(Spirit)の統合体です。
統合体として健全な状態にあるとき、これを健康と呼ぶのです。
つまり、健康とは、人間まるごとの状態をいうのです」(p188)
「本来の健康とは、内にダイナミズム(Dynamism)を内蔵し、外にダンディズム
(Dandyism)を発揮している状態をいいます」(p189)と。
そして、末尾を「内にダイナミズムを抱き、外にダンディズムを発揮して、健康で粋な人生を送ってみようではありませんか。今からでも決して遅くはありませんよ」(p190)と締めくくる。
著者自身の体験と実践を基盤にした、元気な励ましのメッセージに満ちたエッセイ集である。なるほどと頷けるところが多かった。また、学生時代に読んだ生き方論の主張点と重なってくる箇所があり、印象深さが増したところもある。真理は収斂していくようだ。
ご一読ありがとうございます。
著者は「はじめに」の冒頭で、乳がんが深刻な状態になっている60代の女性の診察を終えた時の体験を語る。その女性は症状がとても厳しいことがわかっている人なのに、「私、60年以上生きてきましたけど、先生ほどチャーミングな人にお会いしたことありませんわ」と帰り際にさらりと言って帰られた。その言葉で、診療室の雰囲気ががらりと明るくなったと言う。後で、その人を「粋」という語で表現できると思ったと著者は記している。
「粋というのは、外国にはない日本独特の感覚で、あかぬけしていて、はりがあって、色っぽい様だそうです」と記す。「粋」という語は哲学者・九鬼周造著『「いき」の構造』をソースとしていることに触れたうえで、著者の解釈を展開する。
この「はじめに」で著者の解釈を、
「あかぬけする」: 何事も正面から受け入れる覚悟のようなもの
「はりがある」 : 生命の躍動、生命エネルギーがあふれているさま
「色っぽさ」 : 人を敬い思いやれる気持ち だとまず明示している。
「粋に生きるというのは自分自身の生命エネルギーを高めることです。粋な人は、いつも生き生きしています。」(p3)と論じている。粋な人が増え、世の中が活気づけば、さらに個人のパワーも高まり、好循環ができるという。そして、本書では著者なりに「粋な生き方」を追い求めていきたいと語る。そこから生まれたのがこのエッセイ集である。
本書には、おもしろい特徴が一つある。それは、一つのエッセイのタイトルに相当するものが、エッセイの要旨を述べた一文になっている点にある。いわば箴言がエッセイのタイトルになっている。
このエッセイ集は5章で構成されている。その各章に収められたエッセイは、このいわば箴言が目次になる。裏返していえば、10ページにわたる目次を精読するだけで、著者が発信する「粋な生き方」へのアドバイスの要点がわかることになる。
その要点を、著者がエッセイとしてどのように語るかが本書を読む楽しみといえよう。
それでは、本書の構成をご紹介しよう。各章から3つずつその箴言ともいえるエッセイのタイトルを本書への誘いとして列挙する。
<第1章 挫折を知る人ほど、大輪の花を咲かせる>
権威におもねることなく、反骨心をもつことで本質が見えてくる。
青雲の志と挫折があって、人は本当のやさしさを手に入れることができる。
臓器も人間関係も、お互いを思いやることで信頼関係が深まり健全なものになる。
<第2章 あきらめない、こだわらない>
気分が落ち込むと、治る病気も治らなくなる。
視点を変えて、こころを切り替える。
「いつでも死ねる」覚悟が、生きる力を強くする。
人間の本質は「かなしみ」である。それがわかると、生きることが楽になる。
<第3章 日々、ときめいて生きる>
どんなに嫌なことがあっても、一日の終わりにはすっぱりと忘れて、
新しい自分と交代する。
「今」の尊さを知っている人は、不安に押しつぶされそうな人をなぐさめられる。
老化も病気もまるごと飲み込んで、勢いよくあの世に飛び込んでいく。
<第4章 上手に恋する「粋な人]>
恋は生きる上で最高のエネルギー源になる。
すべての困難は、自分の人生をドラマチックにするために起こる。
煮えたぎるものがないと、生きていてもしょうがない。
<第5章 凜として老いる>
あれはだめ、これはだめと
窮屈にいきるより、やりたいことをやるのが、すてきな年の重ね方。
理想を持って、死ぬまで進み続けて、志半ばで倒れるのが、かっこいい。
生きることはいのちを育てること、そして死ぬこともまた、いのちを育てること。
なお、エッセイ文の冒頭には、見出しになる一文あるいはフレーズが別途ついている。こちらは目次には出て来ない。例えば、第2章の最初のエッセイは、上記と同列のレベルでは「あきらめない気持ちがあるかぎり、奇跡は起こる」という一文が冒頭にでてくる。それにつづくエッセイには、「余命宣告されても、まだやれることはある」という一文が見出し風に記されている。これは箴言的な一文に照応する形の副題的位置づけになると、私は解釈した。
「おわりに」で、著者は健康について次のように語る。
「人間はからだ(Body)、こころ(Mind)、いのち(Spirit)の統合体です。
統合体として健全な状態にあるとき、これを健康と呼ぶのです。
つまり、健康とは、人間まるごとの状態をいうのです」(p188)
「本来の健康とは、内にダイナミズム(Dynamism)を内蔵し、外にダンディズム
(Dandyism)を発揮している状態をいいます」(p189)と。
そして、末尾を「内にダイナミズムを抱き、外にダンディズムを発揮して、健康で粋な人生を送ってみようではありませんか。今からでも決して遅くはありませんよ」(p190)と締めくくる。
著者自身の体験と実践を基盤にした、元気な励ましのメッセージに満ちたエッセイ集である。なるほどと頷けるところが多かった。また、学生時代に読んだ生き方論の主張点と重なってくる箇所があり、印象深さが増したところもある。真理は収斂していくようだ。
ご一読ありがとうございます。