遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『のち更に咲く』  澤田瞳子  新潮社

2024-05-09 00:33:15 | 澤田瞳子
 本書を読み終えてから、ネット検索で関連情報を調べてみた。そして、本作は実に巧妙な構想で、歴史的題材をベースに、史実の空隙にフィクションを織り込み、複数の謎解きというミステリー仕立てにしていると思った。下層貴族の懊悩に共感させていく筆致は、あの時代の貴族社会並びに彼らの日常生活への理解を深めさせていく。史実を踏まえたうえで、著者流にその事実の意味を換骨奪胎してフィクションを加えて織り上げて行った時代歴史小説といえる。
 本作は「小説新潮」(2023年1月号~11月号)に連載された後、2024年2月に単行本が刊行された。

 読了後に少し調べてみて、目次の次に載せてある「登場人物紹介」が簡にして要を得ていると改めて思った。ここに記載の系図と説明文を押さえて読み進めると分かりやすいと思う。

 本作は、藤原致忠(ムネタダ)の末女・小紅(コベニ)の視点から、小紅が内奥に抱く疑問を主軸に、その疑問の核心に一歩ずつ迫っていくミステリーになっている。著者によりこのストーリーに織り込まれたフィクションの最たるものが、小紅という女性の設定にあると解釈する。
 この小紅の設定とその視点が、歴史的事実としての実在の人々-おもに上層の貴族とその家族-と、フィクションとして組み込まれた人々-盗賊を含む下層の人々-を巧みに統合し、ストーリーを円滑に進展させる役割を果たしている。
 小紅は今や28歳で、藤原道長の私邸・土御門第で働く下﨟女房として登場する。

 次に重要な登場人物は、小紅の兄、藤原保昌(ヤスマサ)である。保昌は武勇に優れ、藤原道長の四天王の一人と呼ばれた。このストーリーの時点では、肥後守であり、受領層の下層貴族である。
 どこかで見聞した名前・・・・。読みながら連想したのが、祇園祭で巡行する「保昌山」の保昌。読んでいる途中で祇園祭のウエブサイトを確認したら、「丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、・・・・」と冒頭に記されていたので、同名の別人だったかと思ってしまったのだが、後で調べ直して、藤原保昌の別名が平井保昌であり、同一人物だとわかった。ただし、このストーリーでは、「保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる」という伝承とは程遠い関わり方になっている。保昌と和泉式部との関係がいかなるものかが、このストーリーで一つの妙味となっている。
 和泉式部は、このストーリーから外れる寛弘年間の末期に中宮彰子に仕えることになるようである。しかし、ここに描かれた和泉式部と、中宮彰子に女房として仕える和泉式部とが、イメージ的にすんなりつながらない印象が私には残った。

 さて、保昌と小紅にとり、祖父からの家系の背景が彼らの生き方を根底からしばっている。この部分は、史実・記録をほぼ踏まえて描き込まれていく。「登場人物紹介」の箇所に明示されていることを「」に転記してみる。
 藤原元方:祖父。「民部卿、天皇の外戚になる夢破れ、悶死」
 藤原致忠:父。「酒席で人を殺めて佐渡へ遠流となる」今から8年前。後、現地で死去
 藤原大紅:姉。「摂津国多田源氏の祖・源満仲の嫁ぐ」
        ⇒本作では父等の不詳事を理由に、己の保身として絶縁を宣言
 藤原斉光:「公卿の闇討ちに失敗し殺害される」今から22年前の事件
 藤原保輔:「郎党を率いて盗みを働き、捕縛され自害」今から19年前。末弟。

 つまり、小紅と兄の保昌は、咎人の血族として肩身の狭い思いで、後ろ指を指されつつ生きてきたのである。小紅は物心ついたころから、この負い目のもとに生きている。兄の保昌はこの負い目を少しでも軽減する為に、道長に忠勤をはげむことに精を出し続けている。

 もう一人、足羽忠信(アスワノタダノブ)という検非違使太尉が登場する。彼はかつては保輔に気に入られ、配下の一人だった。だが、忠信の密告で保輔は自害し、忠信はその功績で馬寮に勤めることできたと、世間的には思われてきていた。その後、検非違使に移って彼の現在がある。だが、忠信自身は密告には関与していず、なぜ密告者と見做されたのかが、忠信にとって解明したい疑問となっている。ここで、忠信の立場からみた謎の究明も、小紅の解明したい謎と絡み合う一側面になる。

 保輔が自害して以来20年近く経った今、都に「袴垂」と称す奇妙な賊徒が出没し始めた。このストーリーに、この袴垂が大きく関わってくることに・・・・。
 疫病や旱魃が数年置きに諸国を襲い、今や都の治安は悪化の一途を辿る状況にある。さらに「朝廷の要職のほとんどを藤原氏が占める当節、生まれながらに栄達を約束された御曹司や、反対にどれだけ足掻いたとて出世の先が見えている中流貴族の若君たちが酒を喰らい、馬や牛車で都大路を疾駆する風景は決して珍しいものではない」(p25)という社会状況になってきている。そのただなかで、袴垂と称する盗賊団が京を跳梁するという次第。
 このストーリーでは直接触れられていないが、調べていて知ったことがある。『今昔物語集』の「本朝世俗部」巻第二十五、巻七には「藤原保昌朝臣、盗人袴垂に會ひし語」という世間話が記録されている。当時、実在したとされる「袴垂」を、そのままストーリーに登場させている。うまくつながっている。
 
 小紅は同僚の命婦ノ君から、都の人々が、袴垂の正体は20年前に死んだ筈の藤原保輔ではないかと噂されていると聞かされる。捕縛される際に割腹して、獄舎でなくなった者は身代わりであり、盗人として再来したのではないかという噂が立っていたのだ。その手口が20年前の保輔のものと似ているという。
 この噂を聞いたことが小紅にとり、動因となる。末兄・保輔が亡くなったのは小紅がわずか9歳の時。小紅は、保輔がなぜ、罪人として自害せねばならなかったか。今、袴垂と呼ばれている盗賊は何者なのか。にっと笑う保輔の歯の白さを記憶する小紅は、世間の評判・噂ではなく、保輔の実像を究明したいという思いを深めて行く。この謎解きが小紅の行動を促す。
 そんな矢先に、土御門第に袴垂が侵入してきた。賊が南の蔵を破ろうとしたところに、女童が行き合い、女童の悲鳴で賊は逃げた。だが、西ノ対にて小紅は隠れていた賊の一人と遭遇することになり、それが契機で袴垂の首領の隠れ家に連れて行かれることになる。 ストーリーは、ここから進展していくことに・・・・・。

 このストーリーの興味深いのは、寛弘4年(1007)の晩秋の頃から寛弘5年の9月中旬という時期に時代が設定されている点である。
 寛弘4年秋には宇治・木幡の浄妙寺多宝塔造営が進行していて、12月2日に浄妙寺多宝塔の供養が実施される。同12月には中宮彰子の妊娠が確実とみなされることとなり、寛弘5年には、彰子が土御門第に退出してくる。そして、9月11日、皇子敦成親王誕生。引き続き生誕に伴う諸行事が執り行われていく。道長42~43歳、我が世を迎える時期に、このストーリーの焦点が当たっている。
 この時代の様相と人々の思惑が、状況描写として濃密に描き込まれていく。
 わずかではあるが、小紅と藤式部(紫式部)の接点が生まれてくる。その様子も織り込まれていく。
 藤原道長の治世の基盤が確立する時期を焦点にしているところが、読者にとって興味深い所となる。

 本書の内表紙の裏ページに、『和漢朗詠集』から元稹「菊花」の
   これ花の中に偏(ヒトヘ)に菊を愛するにはあらず
   この花開けてのち更に花のなければなり   
という詩句が引用されている。本書のタイトルはこの詩句に由来する。そして、この詩句が保輔がある女性に対して口にしたという形でリンクしていく。そこのこのストーリーの妙味と余韻が重ねられている。読ませどころとなってく。お楽しみに・・・・。

 本作から、印象深い箇所をご紹介して終わりたい。
*人を変えることが出来るのは人だけだ、と保昌は語を継いだ。
 「父上をみていたゆえ、小紅にも分かるだろう。人とはとかく弱いものだ。わずかな隙が心の箍(タガ)を取り払い、たやすくその身を持ち崩させることも多い。しかしそれでもほんの少しでも、誰かのために生きねばと思えれば、人はどんな淵からでも這い上がることができるのだ」  p317

*その推測はきっと間違いではあるまい。誰が信じずとも、小紅は--そして保昌は、倫子の言葉を信じられる。なぜなら、保輔はそういう男だった。風のようにこの世を駆け抜け、残された者たちの胸にただ鮮烈な記憶だけを残して消えて行く、秋菊のように清冽な男だったのだから。 p346

*何一つ残さぬまま獄舎の露と消えた保輔の面影は、残された人々の中に今なお鮮烈に刻みつけられている。ならば菊なき後の野面には、小さくとも鮮やかな花がいまだに咲き乱れているのだ。   p347

 本作の最後のシーンに藤式部が登場してくるところがおもしろい。

 お読みいただきありがとうございます。
 

補遺
藤原保昌   :ウィキペディア
平井保昌   :「WEB画題百科事典『画題Wiki』」(立命館大学アート・リサーチセンター)
保昌山 山鉾について  :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)
藤原元方   :ウィキペディア
藤原致忠   :ウィキペディア
藤原保輔   :ウィキペディア
源満仲    :ウィキペディア
和泉式部   :ウィキペディア
袴垂     :「WEB画題百科事典『画題Wiki』」(立命館大学アート・リサーチセンター)
全唐詩巻四百十一 -菊花 元稹- :「雁の玉梓 -やまとうたblog-」 

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『天神さんが晴れなら』   徳間書店
『漆花ひとつ』  講談社
「遊心逍遙記」に掲載した<澤田瞳子>作品の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 22冊

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