かづの駄日記  ~ kadzuno・da・nikki ~

秋田県鹿角市から気ままに綴る、名も無き田舎者の喜怒哀楽、一期一会。

寒のもどりの一日でしたね

2009-03-02 21:59:00 | みちのく号の車窓から

今日のお天気は雪は多くなかったものの、寒さは冬そのものでしたね・・・

風雪注意報も出されて、寒のもどりです・・・

名も無き田舎者の立▽△するならの・・・続きは教育です。

候補予定者(特に新人候補)の方が口を揃えて訴える内容ですね・・・子供の教育・・・漠然としていますが反対するようなことでもないので・・・肯定

名も無き田舎者が「教育」をと謳うのは役所の若手人材へです・・・「強か(したたか)な職員を育成する」です。

井の中の蛙状態からの脱却とでも言いますか・・・とにかく世間を見て・世間から聞いて・世間から鹿角の実態を学べです。

ハッキリ言わせてもらって「鹿角市」の知名度は限りなく「0」という事実を知るべきです。大体秋田県人にさえ「鹿角」を読めない・・・何処?にあるの・・・秋田なの・・・???ですよ

ましてや県外に出ようものなら・・・商工観光担当の方なら既に実感されているのではないでしょうか・・・

特産物や観光客誘致?企業誘致?・・・難しさの原因・要因はそこにあるといえます。

会社なら将来会社の存続・発展を託す若手の人材教育は当たり前・・・・それを「県庁に・・・」とか「関連機関で・・・」とかいい役人としてのスキル向上ばかりを図っているようでは生き残れないのは明らかです。

なにも役所ばかりの責任ではありません、私たち市民自体が余りに世間知らず過ぎることにも責任はあります。

そんな市民に現実を知らせるもの母たる「議員」の責務です。

現実を理解し、市民に知らせ、一緒に対策を考え行動することが大事なのです。

今の鹿角には強力なアンテナと大音量のスピーカとなりうる市職員が必要なのです。

                            ・・・どうだ!

 戯言ではない、選挙には鹿角の「生き残り」がかかっている。

 

 


贈る言葉・・・(再)

2009-03-02 19:30:34 | 感謝

若者の旅立ちの季節。

2008年3月18日「贈る言葉」 昨年と同じ言葉を送ることにします。

親不孝はするな、親は子を想うものだから、心配や苦労をさせるなとは言わない。

最大の親不孝は親よりも先に逝くことだ。まして自ら命を絶つなどしてはならない。

あの世に救いを求めるな、与えられた人生を投げだしてはいけない。


三寒四温

2009-03-02 07:15:43 | インポート
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鹿角はうっすらと雪が街を被い、木々も雪化粧の朝です。

週末からの陽気から一転の白い世界ですが、昼前には大方溶けてしまうでしょう・・・三寒四温の季節ですね。

弥生3月、昨日は高校の卒業式、新しい旅立ちの日でした。

街にはポスター用のマスメ看板が建てられ、書きたい事はあるのですが、とても心身が疲れているので、帰りのみちのく号からとします。

1点に泣かせてしまった・・・

2009-03-01 19:48:16 | 休日の出来事

今日の鹿角は昨日に続き晴天でした。春の日差しが気持ちの良い一日でしたね。皆さんはどうお過ごしでしたか?

名も無き田舎物は自宅から離れませんでした・・・mottainai・・・

気持ちが落ち着かないのと、昨日の疲れでゴロゴロと過ごしていました。

午後2時半過ぎにまず兵庫県スキー準指導員検定会場の氷ノ山(ひょうのせん)国際スキー場からメールが・・・

「合格しました」ヨシ!幸先がいい・・・スキー準指導員検定合格の知らせ

・・・が・・・午前中から心待ちにしている連絡がまだ来ない・・・

待ちきれずに携帯に電話するも繋がらない・・・嫌な予感が襲ってくる・・・

午後3時過ぎやっと連絡が来た・・・「駄目だった・・・」と・・・言葉が出てこなかった。

連絡を待っている他の仲間にメールを打とうとしたのですが、涙が止まらない・・・「俺のせいだ」と自分を責めた

昨日、名も無き田舎物は2009年全日本スキー連盟指導員試験第2会場の山形県蔵王温泉スキー場で昨年のリベンジに挑んでいました

抜ける様な青空のもと、蔵王スキー場で今年も120名を超える受験者が自分との戦いをえんじました。

56歳のスキー馬鹿は僅か「1点」に泣きました。金曜日に行った種目での1点足りずで、今年もリベンジならず・・・

本来ならば金曜日から現地に行き、滑走バーンの状況や助言、緊張感を取り除くのがサポートの役目なのですが、金曜日はどうしても会社を休むことが出来ず、その日の朝に電話でのエールを彼にしました。

昨日は開始が9時とのことで朝4時に鹿角を出て、会場入りし一日サポートをし戻ってきたのが夜10時前、日帰りで行ってきました。

「昨日は緊張してやぁ・・・どごどうしたかわかんねで終わった」と開口一番の彼に「すみません・・どうしても休めなくて・・・」

気持ちを切り替えなければと「大丈夫、練習して来たすべ!、絶対取って帰るすヨ!」との励ましに「モサゲネ・・でも来てけで安心した」と

年一度の指導員検定会は「自分」との戦いです。この一年の全てを出し切った者だけが栄光を掴むのです。

弱気は禁物、とにかく「大丈夫」「やれる!」{OK」終いには、自分が年下だとを忘れて大声で檄を飛ばすのです。

結果は初日(金曜日)の第1種目が1点及ばず・・・初日しかも1種目・・・その時の彼の状態は、サポート無しでの自分の受験の時がそうだった様に手に取るように判る・・・1点はサポートできなかった自分の責任だ・・・

おごりではない・・・悔し涙が止まらない・・・