先程おばあちゃんが亡くなったという電話が姉から入りました。
その少し前に24時間以内に亡くなる可能性が高いとメールがありましたが、数分後に亡くなったようです。
俺が最後に聞いたおばあちゃんのハッキリとした意志がある状態での言葉は「がんばりぃや」でした。
足にバイ菌が入って一ヶ月間入院してる時から、今までハッキリしていた意志が少しずつ無くなっていくのを感じました。
痴ほう症がどんどん進んでいったのです。
退院する頃にはもう自分では俺の名前も言えなくなるほどになっていました。
その時俺は、「俺の知っているおばあちゃんはもう居なくなってしまったんだな」と思いました。
俺は典型的なおばあちゃん子です。
両親は共働きで、二人とも夜の8時以降に帰ってくるなんてざらでした。
朝起きても、学校から帰ってきても、絶対に家にいるのはおばあちゃんだけでした。
二人の姉もいましたが、歳が離れているので俺が小学6年生になった頃には二人とも独り暮らしをしていました。
俺は小学生の時、学校の宿題は朝にやる癖がありました。おばあちゃんは毎日朝の四時ぐらいに起きて掃除、洗濯、朝食の準備を始めるので、その時は朝の四時ぐらいにおばあちゃんに起こしてもらって、分からないところとかあると教えて貰っていました。
俺がふざけて「クソババア」と言うと、「この口が言うのかね、この口が!」と言いながら頬っぺたをつねってくるのが印象的だったなぁ。
一度、隣の悪ガキに言われておばあちゃんの財布から一万円を盗んできてドラクエ5を買ったことがあります。
流石にすぐにばれて怒られましたけど、おばあちゃんは暴力はほとんどしない人だったので叱られただけでした。
なんて叱られたかはもう覚えてないけれど。
だから俺にとっておばあちゃんってのは育ての親に限りなく近い人です。
人が死ぬって意味は理解できるけど現実に起きないと実感できない。
会いたくても二度と会えない、と言うのが一番分かりやすい表現だと思う。
書いてる途中、やっぱり少し泣いちゃったなあ。
小中学生のときに一番長く一緒にいた家族はおばあちゃんだったし。
おばあちゃんの痴ほう症がどんどん進んで俺の事もほとんど思い出せなくなったとき、俺は自分のなかでおばあちゃんにお別れをしました。
その時は30分ぐらいずっと泣いてました(笑)
だから今はあんまり涙はでないかなあ。
今の率直な気持ちはよくわからないですね。
本人をまだ見てないからだろうかな。今日の朝のうちに外出届けを出して行こうとは思います。
おばあちゃん、今までありがとう。
おばあちゃんの最後の言葉通り、俺頑張るから。
今まで何をするにも全力じゃなかった俺の中途半端な人生。
もういい加減止めることにする。
もしかして、おばあちゃんにはばれてたのかもしれないな。
でも、さよならは言わない!
だって俺の中のおばあちゃんの記憶が消える訳じゃないから。
こんな台詞書いてたらまた涙が、、、