N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その6

2010-04-12 19:48:56 | 旅行
「花美ちゃんこの滑り台滑ろ!」
と言った瞬間今まさにこの坂を登り達成感に溢れかえった自分自身を褒めてあげたい
と思うような感慨に浸ろうとしていたのにもかかわらず
「うん!」
と言い即座に断念し、簡単な場所から登り滑り台の方に駆け上がっていった
(・・・なんともまあ)

子供心は山の天気と言うが、自分が今興味を持っている物に対して
ひょんな事から180度変わる時がある
自分もよく小学校の中庭でかくれんぼをしていた時に
途中で鬼ごっこになったりポコペンになったりどんどん代わっていったものだ

そして3人は勢いよく滑り降りると俺はそれを見届けてゆっくりと踵を返した
小学生時代を思い出したがそれは一瞬の事だった
俺はあまり過去に興味が無い
培ってきたものには意味があるが「あの頃に戻りたい」や「一番よかったのは~時代」
などとというものは一切無い
いつも今が最高と思える人生を送っている
まあそれも言ってしまえば「いままで」なのこれからはどうなることは分からないが
それを維持できるようにベストを尽くしていこうとする事は絶対に悪くないと思う

車に戻ろうと踵を返した直後後ろから
「よーいどん!」という声が聞こえてきた
振り返りはしなかった
複数人が走っていると思われる音が聞こえてきたので
(競走か)
と確信を得ていたからだ
案の定まず年の上の二人が俺の横を通り過ぎた
村正と青菜だ
が、その時既に少し普通じゃない現象が起こっていた
左側を通過しそうな音がしていたのでふと左を見ると
青菜が前で村正が後ろに居たのだ
9才の男の子と6才の女のこがかけっこをして
女の子の方が勝つというのもなんかスゴイきがする
村正は「はやっ!」と言いながら後をついていった
しかも兄の方はサッカー部にも入っているというのに!
が流石に後半になるとおにいちゃんが抜かしていた
スタート時点の状況がよく分かっていなかったために
本当に同時にスタートしたのかは定かではないが
追いつくのに時間がかかっていたというのも事実だ
そしてその数秒後にこの3人のなかでは最年少の花美が来た
流石に3才前後の子ではお話にならないだろう
3人が車に駆け込むと月奈と華に靴を脱がせてもらいシートベルトとチャイルドシートをセットして
俺も車に乗り込む
次の目的地は俺の母(春子)が小学1年~2年の時に通っていた小学校だ

果たして芽生えたのかそれとも掘り起こされたのか 追記

2010-04-09 23:11:20 | 日記
渇望―
十数分前まで全血管内の赤血球、白血球、血小板、水分、血漿蛋白質、
脂肪、糖、無機塩類を促進させ
身体の芯まで暖めてくれるはずのお湯がそろそろ不快感に変わるほど
エントロピーが増大してきた時の事
とある小説を読みふけっていた
少しヒントを与えるなら大ヒットティーン小説
ある程度ティーン小説を読んでいたりアニメ好きならこの本のタイトルを聞けば
ピーンと「ああ、あれか」とうなずく事だろう

小説を読み始めたのは本の2週間ほど前から
今年に入って
いや、正確には2月に入ってだが
今まで買ってなく読みたかった漫画を大量に購入していた
その購読速度はおよそ4冊/日
中古も多いが近辺にある3つの中古本ショップを全て確認した後
無いものは全て新品で即決している
本棚は自分の部屋に無いのだがもうそこに入れるスペースが完全に0のため
自分がいつも寝ている布団を敷く目の前に小口が下に来るようにずらずらと陳列している
この狂気に満ちた購読欲が発現してから2ヶ月あまり経った
今、布団の前には小説が50冊ほど、漫画が150冊あまりある
ほんの2週間前までは漫画のみだったのだが
ふとその小説がとあるゲームに参戦されていたのでメインの方も知りたいと思ったからだ
そうしたことから少しずつ小説に惹かれていった
まだそのシリーズを読み終えていないにもかかわらず次から次へと買い溜めする
もちろん全て読破するつもりだ
それにこれで終わったわけでもない
だが少しおかしいのが小説の方にシフトしつつある
漫画を読みたいという気持ちが薄れていっている
もっと小説を―
いや、違う
人類最古の情報伝達記憶媒体(本来は壁画だろうが明確な意思表示は読み取りづらいため曖昧だ)を
知識という名の餌を俺にもっと...っ!

よく親に「漫画なんて、小説を読みなさい」と言われていた
何度か挑戦した事はある、が数十ページで諦めたものや
頑張って全5巻を読んだものの終始苦痛で
自分の栄養にはならず口に放り込んでそのまま下痢をしたような感覚に終わった

文字だけで構成される世界を元に自分の中でそれを組み上げて生成された世界
それをゆっくり構築し、自分だけにしか見えないオリジナルの映像を作っていく
その作業がたまらなく心地よい
それを原作を元に作られた二次創作漫画もあるが読む気にならない
汚された気分になる

今はまだティーン小説しか読んでいないがそれを粗方読み漁れば次は本格的なものだ
だがしかしなにから手をつければいいのか分からない
とりあえずシャーロックホームズは昔から読みたいと思っていたのでもう全部買ってある
ある程度小説を読んでわかったが、冒頭のプロローグを読めばその小説が面白いかどうか
わかりつつある
というか、そういうためのものだろうとは思っているが

なんにしても以前の俺では考えられない
これにはとある3つの事柄が深く関係していると思われる
自己創造性の促進
母親の遺伝子継承
好意を寄せている相手の趣味
恐らくは一番最後の部分が一番大きい働きをしているとは思うが
それはただのきっかけに過ぎず、どれが一番などという事は重要ではない

長々と書いたが結論はまだ無い
自分自身がこの変化にまだ追いついていないのだ

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その5

2010-04-08 21:16:05 | 旅行
遠くで「わーわー、きゃーきゃー」という声が微かに聞こえる
200mほど距離があるグラウンドの反対側で3人の子供が
無邪気に走り回っている
甥Aと姪Aと姪Bだ

このままAだのBだの呼んででいくのもちょっと不憫なので偽名でもつけておく
祖母、母、姉A、姉B、自分、甥A、姪A、姪B、姪C、甥Bの順に
珠子、春子、月奈、華、王海、村正、青菜、花美、藍夏、真輝、読み方はどうでもいいので省略
あ、俺の名前は偽名ではないが

このグラウンドに設置されている遊具の中で取り分け目立つのはやはり滑り台だ
普通の滑り台とは訳が違う
何が違うのかと言うとまずは滑り台単体ではない
前述したが滑り台の下は高さ2m、直径3mほどの小高い丘になっており
その上に滑り台が設置してあるため
長さが相当ある、5mぐらいはあるのではないか
そしてその丘もただの丘ではなく
「ここを登ってみせろ若人よ!」と言わんばかりの挑発的なつるつるな部分と
「ここを昇るんだよ若人よ。」と言わんばかりの親切感溢れるごつごつした部分と
「ここを登って下さいお願いします若人様。」と言わんばかりの木で作ってある階段がある
男の子というものはやはり難しいものに興味があるはずだ
勉強はともかくとして
村正は「王海!ここ登れる!?」と言いながら少し助走をつけて加速する
「俺は登れるよ!」と言いながらつるつるな部分を駆け上がる
登り始めてすぐに少しバランスを崩したがまた立て直しなんとかギリギリで上がりぬけた
すぐに振り返り「次!王海!」と俺に挑戦状を叩きつける
本来なら「そんなの余裕にきまっとるやん」
と言いながら加速も無しで(ここらへんが負けず嫌いだが)上がる事も可能だろう
だがやはり、足を無理することはできないので
「多分無理だ、今回は村正の勝ちかな」と、一見大人びた返事をする
内心(この足さえ完全な状態ならお前なんて...)と思っているとは露知らず
村正は9才だ、こんな子供に大人気ないと思うかもしれないが
年なんて関係ない、負けたくないものは負けたくないそれだけだ

村正は俺のことをためぐちで名前も呼び捨てで呼ぶ
無論それは村正に限った事ではなく全ての甥と姪は俺にためぐちで
呼び捨てなのだ
それには理由があって「俺は絶対におじさんなんて呼ばせない!」
と、心に誓ったから
そしておじさんと甥、姪なんていう関係も嫌だった
友達がいい
ただそれだけの事だった
でもそれのおかげで皆俺のことを友達みたいな感じで思ってくれて凄く気分がいい
敬語なんて持っての外だ、だって本当の意味で気兼ねなく仲良くなれないではないか

そして次はそれを見た青菜も挑戦する
村正と同じ程度の助走をつけ一気に駆け上がる
2、3歩程度までは順調だったのだが加速不足だったためか途中で滑り降りてきた
俺は(まだ挑戦するのかな?)と思っていたら一度きりで
簡単なごつごつな部分を登っていった

兄、妹と言う関係でしかも年が近いと
しょっちゅう暴力沙汰の喧嘩もするのでかなり肝の据わった妹が出来上がる
だが青菜は男勝りという感じでもなく、普段の動作は女の子なのだが
これが我慢強いというか、普段兄にぼこぼこにされているので
ちょっとやそっとじゃ泣かないしわがままもほとんど言わない
ちなみに6才だ

俺はというと姉、姉、俺という関係で、しかも二人とも10才、8才も年上なので
自我が目覚め始めた頃には二人とも中学生、高校生だ
二人とも高校を卒業するや否や一人暮らしで大学に通い始めたために
俺が小学5年生の時には一人ぼっちになっていた
ほとんど一緒に暮らした記憶も無い
ただ本当に小さい時は俺の面倒をよく見てくれて
母曰く「親替わりに面倒を見ていた」だのとそんなのでいいのか?と思うような事も言っているが
別に家事育児を放棄していたわけじゃないのだが
母親が家事をしている記憶が俺には無い

今もなのだが母は「一生仕事に生きる人」の見本ともいえるような人なのだ
休日は俺がどこかに行こう、などと言わない限り常に何か仕事している

本人は「何言ってるの、晩御飯も週に1回みんなで交代で作ってる時もあったし」
などと言っているが俺はというと「うーん・・・」と海馬の全細胞をフル活性化させても
「そうだっけ?」と、ほとんど思い出せない
確かにエプロン姿の母はどことなく思い出せるのだが

そして次は花美の番だ二人のあとを追うように同じように助走をつける
だがつるつるの部分に足をかけるかどうかその瞬間、青菜の言葉が花美の行動に
変化をもたらした

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その4

2010-04-07 15:33:59 | 旅行
俺の周りで二宮金次郎と言えば父親その人しか居ない
数年前に定年を過ぎた後に某大学院に行き
その過程で二宮金次郎に心を奪われたらしい
その大学院は中退したが(学位は取ってある)
今は二宮金次郎の本を書籍に残そうと頑張っている
挿絵も自分で全て書く徹底振りだ
とはいえ流石に絵のほうは上手いとは言えないのだが
しかしオリジナリティは凄まじい
ピカソと言うほど奇抜な絵ではないが
写実的とは到底程遠い画風だ
どちらかといえばゴッホのがそれに近い
だが上手さが無いために遠近感や体のパーツがぎこちない
しかし風景だけはいっちょまえに画けるらしい
とはいってもアマチュアの上手さだが
ただクレヨンで何重にも色を重ねて更に絵の具で色を重ねる絵には迫力がある
「俺が書いた!」「この絵を見ろ!」と言わんばかりの絵力だ
ちなみにこの絵というのはもともと紙芝居のために作られており
画用紙も横1m50、縦1mぐらいの超大判だ
(記憶が定かではないが1枚300円ほどしたと聞いた覚えがある)
小学校の体育館などで紙芝居を披露するだの息をまいているが
実際はどうなのか定かではない
その絵をもう1年以上かけて60枚近くを一人で画いている精神力は凄まじい
ちなみに俺も少し手伝った
だが1つ情けないのは実は納期が去年の3月なのだ
癌を患って数ヶ月治療に専念していたのはしょうがないとしても
流石にそれはどうなのか、プロではないのでなんとも言えないが
それに出版社とはちゃんと折り合いが付いているのかも謎だ
さらに会社を立ち上げるとかの話もあったのだが
それもあるような無いようなどうも不明瞭なのだ
そしてそれを見て「やはり俺の父親なのか」と少し感じてしまうのも情けない
俺もある部分に関してはかなり優柔不断な部分がある
どこ、とは説明しづらいのだがハッキリする部分とそうでない部分で
行動の差が激しい
まあ簡単に言えば興味があるものと無いものの差みたいなものだが
それが興味のあることにも影響してしまう場合があるのが正直辛いところだ

俺が金次郎の像を見つけて母に
「金次郎がある」と言うと母は
「ああっ!」っと驚嘆の声を述べた

とはいっても小学校に金次郎の像があるのはもはや恒例だ
ここで驚いたのは像があるという事実というより父に関係しているということも
少しはあるのだろうが、今の父と母の関係を知る俺にとっては
この驚嘆の声は何を意味するのか理解の範疇を超えていた
母の行動にはよく理解不能な行動が多い
一言で言えば「ドジ」なのだ、しかも重度の
そしてその半分の血が流れている自分でも自分がドジだと明らかに分かるほど
その「属性」が反映されているのだ
これが良いのか悪いのかは自分ではなんとも言えない

「じゃあこの像と一緒に写真を撮るから来て」
あまりにも唐突な要求に俺は冷静に応えた

写真
数年前まで嫌いなもののTOP10に入っていただろう
カメラのレンズの照準が自分に向けられる度に
どうにか逃れようとする自分が居た
若い時は「思い出」などと言うものは煙たがる人が大多数の意見だろう
この歳になってようやく気づいた
無ければ無いで別に問題ない―
などとはやせ我慢だ、絶対にあったほうがいい
自分自身で気づいたのだがふと振り返る時にアルバムという存在が
今ではこんなに素晴らしいものだったのか、と思わされる
本当に写真に残してくれてありがとうと言いたい
まあもう1つ言えばあくまでこれは主観的な意見、だが

ハイチーズ
などという言葉を発する事も無く母は無言で金次郎像の横に棒立ちした俺をデジカメに収めた
今は周りが明るいのでフラッシュは炊いていない
今まで毛嫌いしていた写真、撮られていると意識しているときは少し不満そうな顔をしていただろう
だが今は普通だ
とはいっても笑顔を作ることはまだできないが
自分の中で笑顔で写真に写る可能性がある場面は、今考えれる範囲内の中で1つだけある
だがそれは心にしまっておこう

そして本来向かおうと思ったグラウンドの中央へまた歩き出した

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その3

2010-04-06 09:59:46 | 旅行
次に目を開けたときは既に山口県に入っていた
右の窓側に座っていたのだが今はまだ朝の8時で今までは西にのみ向かっていたため
太陽の光は届かなかった
だがもう西にだけ進む必要が無くなったために
車が東西南北あらゆる方向に進み、ついに太陽の光が自分の番に回ってきたのである
太陽の光が瞑ったままの目に眩しく照らされた
「ん・・・」
眩しさと暑さで目を覚ました
(ここはどこだ・・・?)
まず目を引かれたのはここは道路ではないということ
そして目の前には開けた砂のグラウンドがでかでかと存在していた
遠い昔ずっとここに来ていた、そんな既視感が深層心理を刺激する
どこか懐かしい雰囲気を漂わせていたがそこは「違う」のだ
緑の針金をひし形で編まれた野球のファウルボールから校舎を守るための背の高いフェンス、大小様々な大きさの色とりどりの鉄棒、
子供が遊ぶためのアスレチックな丘の上にある長い滑り台、そしてなにやら怪しいコンクリートの台が3つ。
コンクリでできた直方体の土台の上に四角いはんぺんの形をしたまたまたコンクリでできた台があり、
その丁度中心に台の左右を分ける壁のように20~30cmの高さの垂直のさらにコンクリが設置してあった
(後で気づいたのだがこれはコンクリートで作られた卓球台だった)
子供っぽい絵が書いてある高さ2m横幅3m程度のコンクリートの壁、さらにその奥にはプール
その左には体育館らしき建物
草木があることにはあるが全て周囲に植えられており
恐らくグラウンドにも植物の種が落ちては居るのかと思うが
平日は何百人という子どもに蹴散らされるための地面に
わざわざ芽を出そうという根性の据わった奴らがいるかどうかというと
それはNOと言わざるを得ない
未来は絶望的だった
だが稀にだが(恐らく1000束に一つぐらい)強者も居るらしく
芽を出し成長してくる者もいる
そういう一見生命の力強さというものを垣間見せてくれる者に対して
人間は無慈悲にも粛清(全校生徒一斉の草抜きが代表される)の手を緩めない
嘆かわしいことだ
そしてその手前には一番目を引くどこか懐かしいカラーリングの校舎
だがそこにいつも居るはずの子供達は居ない
(それはそうだ、だって春休みだもんな)
と思い撮影用のデジカメを手に長いバンのスライド式ドアに手をかけ勢いよく引き開ける
開けた瞬間、少し肌寒い空気が辺りを占拠した
少し寒いぐらいが丁度いい、そして空気も澄んでいる
今日は快晴だ、雲も空全体の1~2割しか存在していない
まさに日本晴れ、天晴れだ
1段しかない段差を降り、外に出るや否や10人乗りのバンの中にいた子供達は親に靴を履かされて
勢いよくグラウンドの方に駆け出していった
それはそうだ、幼稚園~小学生あたりの年齢の子供が
こんな遊び盛りの遊び盛りによる遊び盛りのため場所を目の前にして
血が騒がないわけが無い
正直一緒になって遊びたいぐらいだ
だが、今は捻挫していてやっと普通に歩けるほどに治ってきたので
ここで悪化させないよう足だけでも静養しなければならない
(まさかこの俺がじっとしているなんて)
と内心色々遊んでみたい遊具を横目で見つつグラウンドの真ん中の方に足を向ける
(ん?)
あたりを見回すように数歩歩くと二宮金次郎
(本名 二宮 尊徳、そんとくと読むのが一般的だが正確にはたかのりと読むらしい)
の像が左手に本を持ち背中に薪を背負い、あたかも「私は勤勉家だ」と主張せんばかりの容貌で歩いているのを模した石像が建っていた

この二宮金次郎像はなかなか興味深い
なぜならこの像はある程度の形は決まっているのだが
左手で本を持っているものと右手で本を持っているもの
(ただし左で本を持っているものが9割以上を占める)
丁稚奉公スタイルは右足前、ニッカボッカは左足前
服装が2種あり、各々で歩行スタイルが決まっている
読んでいる本の厚さも様々で
(最大指6本分の太さ、一般的な英語の辞書2冊分)
足の歩幅まで違う
年齢までもがばらばらなのだ
(身長から割り出すと大体小学1年生~中学生程度らしい)
背負っている荷物の量もまばらだし
(大雑把な計算だと5kg~10kgの荷物らしい、薪の太さもばらばらで
数は11本~60本程度
小学1年生が10kgとは酷だが)
ここまで統一されていない像というのもなかなか
ある意味製作者の創造力が試されるのか?
意図はよくは分からないが、いやそれを考える事自体無意味なのかもしれないが

(二宮金次郎か・・・)
俺はとある人物を頭の中に浮かべていた

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その2

2010-04-03 23:09:03 | 旅行
俺が運転は苦手という(操作は苦手じゃないけど眠くなるから)ことは前回記述したが、
流石に時間が時間だ。
今は午前3時、この時間は俺の仲で眠気がピークに達する時間でもある。
(ちなみに2~4時が俺のデッドライン、この時間をすぎると眠気は消える、確率が高いだけだが)
その時間からまっぴるまでも車を運転すると眠くなる俺が運転するというのは些か
自殺行為とも取れなくはないがまあこのときはそんなに眠くなかった
俺がいつも一人で運転する時は確実に音楽をかける
そして歌っていないと睡魔が後ろから肩を引きずりに来るのだ
今回は一人ではないのだが、やはり音楽がないとどうにも心もとないので
右の耳にだけイヤホンをつけて運転する
ガキどもは全員眠っている、大人は寝てるような起きてるような微妙な感じだ
この車のフロントミラー?は正直後ろの車を見るには適していない
なぜなら後部座席は8席あるのだが
左に1列右に2列あるのだ
後部座席の一番前は左側にスライド式のドアがあるため椅子がないので2列のみ
それで右側に2列あるので通路が中心より左側によっているため
普通の車のミラーで見える範囲よりすこぶる視界が悪い
人が座ると最悪だ
これが最終日にある事件を引き起こしてしまう事になるのだが
これはまだ先の話だ
そして1時間半ぐらい運転した頃だろうか
やはり音楽だけかけているのは辛いらしく
瞼が普段の半分以上上に上がらない
音楽をかけているだけではダメなのだ
それを歌わないと!
しかし家族みんなが居る中でひとりだけ歌を歌っているなんて
そんな恥ずかしい行動に移る事は俺の精神力では到底不可能だ
そしてそれを察してくれたかのごとく姉Bが
「次のサービスエリアで休憩」と言ってくれた
そこで俺は運転手の交替を申し出ようと思う
そう、そしてトイレにいって帰ってきた後
俺は自然に後部座席の姉Bが座っていた場所に座り目を閉じた
当たりは仄かに朝焼けはじめていた

山口県10人で3泊4日半の大旅行 1日目 その1

2010-04-01 22:18:12 | 旅行
といいつつ出発したのは夜中の12時です!(いきなり)
ここは三重なので山口までは休憩とか挟むと大体7時間ぐらい
かなりやばしい遠さです
そして俺は運転すると眠くなるんです
イヤホンで音楽流しながら歌ってれば眠くならんけどねーw
そんで運転手は3人、俺、姉A,姉Bです
そんでそのことを知っている2人は俺に木を使ってなるべく運転しなくてもいいように
設定してくれてるのだけど、流石に往復で14時間あるのに俺が運転しないのも
あれだから頑張ろうと思う
そして最初はおれが助手席で姉Bが運転
とりあえず京都までは起きてほしいらしく起きる事に
まずお母さんが別の場所に居るのでお母さんを拾いにいく
そんでそっから高速に直行して東名阪にのって
新名神で京都に特に特筆する事もないなw
そんで俺はもう寝ていいらしいので寝る
特に大阪~神戸当たりは起きていたくない
なぜか?それは知る人ぞ知る。
そんで次に目が覚めたときは岡山の手前だった
やった!
なぜか?それは知る人ぞ知る。
そこのサービスエリアで1回目の休憩
つってもがきどもが、おっとまだ紹介してなかったな。

その前に・・・
今乗っている車は誰の所有物でもなく盗難車だ
じゃなくて。
ジャパンレンタカーで借りてきた10人乗りのハイエース!
長さ5m幅2m高さ2.3mのモンスターカーだ
あとで俺も乗る事になるのだがいつもの感覚で運転すると100%事故るw
そして乗っているのは上から
おばあちゃん、おかあさん、姉A、姉B、俺、甥A、姪A、姪B、甥B、姪Bだ
大量すぎる><;
(年齢は上から91、65、33、31、23、9、6、3、1、0)

で、ガキどもはみな眠っているといいんだけど
はーもうテンションたけーやつがいてうるさくて
わがままなやつもいるしなー、ってほとんどのガキはわがままでうるさいかw

とはいってももう夜中の2時とかなので流石に寝れるw
そんで次の運転手は俺になった

まだ3時間ぐらいしかたってねーが今回はこれまでだ!

帰ってきた

2010-04-01 14:52:42 | 旅行
さて山口3泊4日半のたびから帰ってきて一晩たちました

今日は休憩したいのでなにもかかんです
明日から書くぞーーー

そしてまだ足が痛いのでバイトいけない
うーん正直嬉しさ半分悲しさ半分というところ