私がSをやめたのは、自分個人の実体験というより、ネットで知ったいろいろなことが大きかった。
例えばそれまで考えたこともなかった本部の内幕だとか、側近の告発だとか、宗門問題の時に交わされたあれこれだとか、ヤクザがどうだとか、先生と慕われている人は実はこういう人物だとか、
要するに暴露本をはじめ、自分の立場だけなら知り得るはずもない情報を見てのことが大きかった。
それらは、これまで見てきたS新聞のようなきれいな文章じゃなくて、刺激的で生々しく感じた。
当時はあれもこれも信憑性があるように突き刺さった。
が、今はこういうゴシップやスキャンダルにも殆ど興味がなくなってしまった。
昨今は、よくわからなかった政党の内部事情を、ネット配信でどんどん情報公開をする国政政党がある。
包み隠さずというか、勝手に撮られる場合もあるけど、
音声付きの映像という、脚色不能の平等な情報をリアルタイムで配信しても、そこから拡散される情報は絶賛から罵倒まで実に様々。
これを見て、情報というのは、起こった事実というより、それをどう受け取ってどう主張されるかがモノを言うんだと思った。
何十年も前の、事情も時代も人柄も知らない他人のやりとりや人物像なんて、誰の目線でどう流しても、100人いれば100通りになると思う。
それだって、恋に溺れたり、覚めたり、恨みに変わったりするように、その時の感情次第で七変化したりもする。
そんなこんなを見るにつけ、興味の対象が特定の何かというより、私の中で「それをどう見るか?」というふうに変わっていった。
これを教えてくれる人、刺激を与えてくれる人が好きですね。