以前は、「Sって嘘ばっかり」と随分腹も立ったような気がしたけど(正直よく覚えていない)、今思うと
「でも真に受けたのは自分だしねえ」と思っている。
以前も書いたけど、発信と受け手はイーブン。同等。
今はだいだいをそう思っている。
殊更「絶対」とか「永遠」とか言われても話半分に聞いておくことにしている。
私だって「これからもずっと応援します」と言いながら、もう応援してないものもあるもんね。
それが嘘だと言われれば結果そうなるわけだけど、その時は本当にそう思っていたし、そんなことを厳密にしても意味はないなあと思った。
話半分は他にもメリットがありますよ。
例えば「法華経誹謗は地獄に落ちる」とか「Sの悪口を言うと不幸になる」などは、法華法経とかSだけをカットして
「人を中傷誹謗(他人を激しく罵ること。単に他人へ対する悪口だけを指す言葉ではなく、その人の名誉を毀損するようなことを言うこと、根拠の無い悪評を流す行為などを指す)したら地獄に落ちる」
「ワルグチって言いすぎると身を亡ぼす」
そこだけ頂くと役に立つ。
相対的じゃなくて絶対的幸福という価値感も、私は「題目」とか「仏界」だけをカットして、残り半分を真に受けている。
全否定とか全部亡くすって大変だけど、半分っていい匙加減では?