珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

獅子風蓮さんの主張12

2022-08-04 | 日記
最近になって日本が新型コロナウイルス感染症の新規感染者数世界一になったことは事実のようです。
それは認めます。
昨今の新型コロナの新規感染者の激増は、まぎれもない事実です。

最初は、「にわかに信じられない」獅子風蓮さんでしたが、事実なので認めるしかありませんでした。
ただ、信じたくないことは、出典元も確かめない情報を流すなんて手落ちがあるみたいにしたいようですが、そんなこと言ったら、獅子さんがちゃらっと引用して品評するウィキペディアに書いてあることも、出所はどこだろう?なんて幾らでもありますよ?
国立科学研究所に今でも載っている「新型コロナの分離写真」なんて、一体どっから持ってきたの?これ何?と、私は職員に問いたいですねえ。

ともかく正確には「PCR検査の陽性反応」ですが、日本が世界一を爆走中なのは紛れもない事実です。

問題はですよ?
ワクチンを打てば95%有効率と言って勧めたはずが、国民の8割が打ったら打つ前より感染者が増えたというシンプルな事実です。
しかもぶっちぎりの世界一ですよ?

言っていたことと逆ですよね?

さらに面白いのが、そういう事実を以て、
政府の対策は感染者が少ない時より、多い今の方が対策がユルユルなことなんです。

これも逆ですよね?

感染者が今より全然いない、確か私の県ので「4人」の時、日本列島すべての小中高等学校が強制休校になったことでドン引きしたのに、世界一となった今は、会社も学校もふつうに動いている。
小池百合子はあれだけキャンキャン騒いでいた「密」だの「ステイホーム」だのはトーンダウンしたし、スーパーに行ってもトイレットペーパーは消えてない(笑)

でも医療状況は悪化している。
救急車の要請は追い付かずに、発熱外来もパンク状態で患者がひっきりなしで、学校は「本当に生徒が体調不良になって」学級閉鎖や学年閉鎖が起こっている。

獅子風蓮さんはこれをこう言ってます。
一昨年の段階では、新型コロナウイルス感染症そのものが新しい感染症で、感染すると急激に呼吸状態が悪化して死亡するなど、怖れられたこと。
有効な治療薬もワクチンもない段階で、政府が過剰な防衛策を国民に強いたこと。
いろいろとやむを得ない点があったと私は考えます。
しかし、政府の、クラスター対策などを中心にした施策によって、時間稼ぎをしている間にいろいろな治療法が発見され、有効なワクチンが開発され、広く国民に接種することによって、一定の集団免疫ができたことが、現在の比較的落ち着いた政府の対応に結びついているのだと思います。

いやいや、だからワクチンや薬は有効どころか、逆効果だったから集団免疫もできず、どんどん悪化してるんでしょ?(笑)
実際「世界一」になったでしょ(笑)

※政府の対応は、確かに前より落ち着いています。

つまり落ち着いたのは、患者でも病気でもなく(それは逆に悪化の一途)で、政府の対応なんです。

状況はワクチンを打ってから悪化した。
でも政府の対応は、それとは反比例して落ち着いた、が正解です。

だから私はこの対応を「手のひら返し」と言っているのです。
状況は改善していない。逆に悪くなっている。
でも政府は言うことを変えた。

それはワクチンのノルマの一部が終わったからと思いますけどね。
打つまでは煽りに煽って、心配を装う猫なで声で誘ったけど、打ったらコロッとってやつね。

そう言えばあれだけ「コロナは風邪じゃない」をキャチコピーにしていたけど、これもあっさり「手のひら返し」しましたね\(^o^)/  

最初からこう言ってる人をあれだけ罵倒していた人は、何と言うんだろうか。
「最初はただの風邪じゃなかったけど、弱毒化したから今はただの風邪になった」とか?

まるで手のひら返ししたのは、変異したウイルスであって、人じゃないみたいな( ̄∇ ̄) 
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本気で闘った人

2022-08-04 | 思うこと
同調圧力に屈しなかったジョコビッチ選手。
凡人には想像も及ばなくて耐えられない圧力に、「立場がどうあれ、やらない」「断固ノーと言う」ことに
本気で闘かったである。

ワンスモア。
本気で闘かったである。

それが自分の信じる道だったから、本気で闘ったのだと思う。

いったい誰が彼に
本気で闘かわなかったと言えるだろうか。

信じることに本気で闘うというのは、一つのことをイエスと思うもノーと思うも、
信じて闘うことについては同じである。

言われたことにイエスと信じるから闘うのも、ノーと信じるから闘うのもそれは同じ

それをいいと思って必死で「やったこと」も、オカシイと思って必死で「やらなかったこと」も同じなのだ。

信じることに違いはなく、双方にそれぞれの代償はあるのだ。

S問題であれ、コロナ騒動であれ、
イエスだけを肯定して、ノーを「本気で闘ったことがない人」と言われたら、
それは全くの的外れか、或いは嫉妬のようなものだと、私は誰に忖度もせず、これは断固書く。

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