珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

少数意見2

2018-06-23 | S教団関係
以前いた教団をやめた人の圧倒的多数の声。

教えはデタラメだった。
唯一正しいと習ったけど、とんでもない大嘘だった。
騙された。
そんなデタラメをいう教祖も教団も信じられない。
信者は『ボンクラ』または『可哀想な人』である。
それ以外は認めない。

私も最初はそう思ったけど、それは違うと思う。

まず、教えにデタラメも正しいもない。
強く信じれば何だって力になる。
実際、全く同じ教え、同じ曼荼羅が絶対に正しいと信じたら祈りは叶った。
少なくとも、叶ったと思わせる力があった。
「叶わなくても、その方がよかった」と思うことができた。
それはつまり、「祈りは叶った」「そんな力が実際にあった」ということ。

教えに「すごい」や「デタラメ」が存在するなら、そこまで信じられる教えというのが「すごい教え」と思う。
「これしかないと信じさせる」=「唯一力のある教えを布教している」になると思う。


実際、同じ教えが「デタラメだった」と信じられなくなった途端、叶っていたことが叶わなくなった。
正体は「信じるか、信じないか」
曼荼羅や教義そのものなんか、何だっていいのである。

信者を、宗教ビジネスの「カモ」というのは確かに一つの側面である。
宗教ビジネスの運営者はとてつもない報酬をもらっている。
企業のトップというのは、その辺のサラリーマンより景気がいいのは当然と思う。
それは違いないのだけれど、それがすべてで「それしかない」わけじゃない。

例え、傍からみておかしいと思っても、何かを信じて純粋に祈る。
そういう人を「騙されている」「貢いでいる」の一本やりでバカにしてはいけないと思う。
彼らは「信じている」のであって「信仰している」のである。


私は、ああいう教団の極アンチである。
アンチを否定しているわけでも嫌いなわけでもない。
そんなことあるわけない。

だからむしろ堂々と言える。
言えなかったらそれは危険と思う。

こういう考え方も以前からあったけど、だんだん芽生えたのかもしれない。
人の気持ちは変化するし、この先も変わるかもしれない。
こういうことを「アンチ」が書くと、少なからず反論される。
でも言いにくいとか波風が立つから言わないと、「無い」「相手にされない少数意見」にされる。
私はそれはやりたくない。
「ガンバレ、少数意見」である。

極アンチの少数意見である。
コメント (10)

少数意見

2018-06-21 | 娘と夫の話
一生懸命、真面目に聞いていればわかる、という教師に対しての少数意見。

一生懸命聞いている。
全然サボってない。
 反抗しようとも思っていない。


でも先生の言ってること、チンプンカンプンで外国語を聞いているみたい。

魔法にかかったようにわかる、なんて塾やなんかのセールスの言葉があるけど、
「魔法にかかったようにさっぱりわからない」という言葉がある。
私がそうだった。

大人はすぐ「波風が立つ」というけど、こんなこと言ったら、一斉に振り向かれて、バカにされたり笑われたり悲しそうな顔をされたり、職員室に呼ばれたり、親が呼び出されたり、電話がかかってきたり、クラスで浮いたりするから言わないだけで、そう思っている生徒はいる。
波風どころじゃない。

少数意見なんじゃなくて、言えないから「無い」「少数」にされているだけじゃないかと思う。
コメント (2)

ブログにない声

2018-06-21 | 日記
「皆がもってるから欲しいの」
「皆は関係ないでしょ?あなたが欲しいかどうかでしょ?」

思春期の子どもを持つ親子で、よく交わされる会話である。

でもこの「皆が」って大人になっても結構大きい。
「皆がそう言うから」
「圧倒的多数がそうだから」
「あの人が言ってるから」

だから安心。
 

私は天邪鬼じゃないし、ひねくれてもいないし、マイナー好きでも不良でもないし、「わざと人が少ない方にいく」タイプじゃない。
むしろそんな変わり者は苦手な方である。
(変わり者って、どこか厄介さというか闇を抱えていて面倒くさいからである)

だけど「皆が」という、この考え方はもっていない。
「多くが言ってるから正解」とは絶対に思わない。
数字を見せられて「どうだ?」っていうのは、札束を見せられてどうだ?と言われてるような気がするというか。(あくまで個人の感覚ですよ)

お金や権力や名誉や、そんな誇示、アピールが好きな人たちが、見せたがる圧倒的多数が、というアピール。

黙って「
思っているだけ」という声はアピールしない限り誰も拾わないの?
なら私は拾うぞ!! と思う自分がいる。
コメント

閑話休題(レモンさん)浜田 省吾 『PAIN (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』

2018-06-21 | 閑話休題
浜田 省吾 『PAIN (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』




ひょんなことから、アンチの方のTwitterからシンパの方のblogへ飛んだ。

末端の純粋な信者。
組織の矛盾は感じている。
シンパblogを運営しているぐらいだから、アンチblogも読んでいるだろう。
それでも、そこに綴られている言葉は、揺るぎない信の部分。
きっと組織の矛盾を感じながらも、信じ続ける自分の為のガス抜きblogなのかもしれない。

その方の文章の一節に「~現場の責任者はコップのふちを歩いているようなものです。内側にも外側にも落ちないようぐるぐる回っている。現場の正役職で異常なほど毎日、津波のように押し寄せてく
るノルマを何年もこなし心を病んだ方はたくさんいると思います。」

この一節を読んだとき読んでいて、どうしようもなく胸が苦しくなった。
かつての活動家時代の自分を見ているようで。

私はコップの淵をグルグルと数十年と回り続け、その淵から飛び降りた人間です。
どちらに落ちても心を病むぐらいなら、外の世界へと思い切って飛び降りた。
飛び降りたその「痛み」は、同じ思いをした人と気持ちを共有した事で救われたけれど、そこから先は一人で歩いていくしか心は立ち直れない事にも気がついた。

このシンパblogの方達のような純粋な信者に気付きを与えるには、どんな方法があるのだろうかと考える。
ネット以外の何かなのかもしれないと思ったりもする。


この「PAIN」は、東日本大震災直後のツアーライブで、浜田省吾が「震災で被害にあわれた方の為に」と歌ってくれた歌。
歌そのものは、随分前の歌だけど、心に深く染みいる。

「~2度立てぬ痛手なのに、受け入れていく。不思議だ人は・・・追いつけないこの悲しみ、後に残して・・・」






コメント (2)

なぜ?2

2018-06-20 | S教団関係
我が子にどうあってほしいかという、おそらく自分の中で一番大切なものを考える時、それが私の心の奥底の声なんだと思う。

私は娘が生まれた時、ある教えの熱心な信者だったが、娘にそれを教えようとは思わなかった。
ふつうは教える。
私のように疑問もなく素直に信じていたら尚更。
でもそうしたいと思わなかった。
なぜ?

そしてそのアンチになった時も、それはやはり同じだった。
ネットで毎日のように自信たっぷりに書いていたのに。
なぜ?

なぜかはわからないけど、これが「絶対正しい」も、これが「絶対間違っている」も、そんなことは娘に教えたくなかったし、そんな言い方も彼女にはしたくなかった。

揺るぎない信念をもっているつもりが、何を頑なに信じていようと、何を声高に否定しようと、娘をみる時にだけ、不思議と私はどっちからも解放されるのである。

無言の子どもから、「それはどっちにしてもいけない」と言われているように。

なぜ?



コメント (3)

なぜ?

2018-06-20 | S教団関係
先日中学で、納金と授業参観と懇談会がまとめてあった。

納金は学校の昇降口で現金手渡しなので、学校まで足を運ばなければならない。
ついでに「授業参観と懇談会にもぜひ出席を!」ということなんだけど、私は面倒くさくて、納金だけ済ませたらさっさと帰った。
途中でこれから学校に行く、小学校からの知り合いのお母さんとすれちがったので、お金だけ払ったから帰ると言ったら「相変わらずね。海さんらしいわ」と笑われた。
お母さん業にも、バリ活とユル活がいるのである。
私は相当なユル活である。

私は自分で自分を、そこそこ情熱的で強引な人間だと思っていた。
何よりはっきりした気質と思っていた。
だから子どものような非力で自分の権力をもっとも行使できる相手には、もっと支配的になるのかと思っていたら、そうはならなかった。

産んでみたらむしろ、そんなことは何よりやりたくないことだと思った。
説教は嫌いだし、欠点はまあまあと見逃すし、すぐ諦めるし、無理やりはやりたくないし、何より簡単に「白黒つけたくない」
ものごとのイイワルイや結果やプロセス…いろんなことに幅をもたせたいのである。
テキトーで、いい加減でいたいのである。

かつて私は、宗教勧誘や、或いはそれを止めさせたいことに強い使命感や情熱をもっていた。
これが絶対正しい!!なんとしても救いたい!!
という正義の前には、例えそれが「強引」でも「誇大」でも「自己満足」があっても、そんなことはスルーされ、正当化された。
そしてかっちり白黒つけたかった。

他では正当化するのに、子どもの前ではそれが誇れない。

なぜ?

雨音を聞きながらこれを考えたりする。




コメント

ブログ

2018-06-19 | 思うこと
ブログを書いて多くのアクセスが欲しいなら、大勢が知っていて、大勢が賛同してくれることを書けばよい。
「その通り」「合っている」と、安心したい人や共感したい大勢の人が読んでくれると思う。

「まだ誰も言ってないこと」「誰も注目していないこと」を読む人は少ない。
でもそれが読みたい人もいる。


アクセスが多い、少ないってそういうこともある。
コメント

学校事情2

2018-06-19 | 娘と夫の話
娘と話していると、すっかり忘れていた学校生活を思い出す。

そうそう、中高くらいの時、女子はなぜか複数人でトイレに行った。
自分が行きたくもないのに、友達について行ってただ待っているのである。
片時も離れたくなかったのか、子どもじゃないのに一人じゃ行けないのか、大半がそうだった。
今思うと、なんでそんな無駄で面倒くさいことをしたのか不思議でしょうがないけど、きっと、集団催眠かMCにでもかかっていたんだと思う。

娘が「気持ち悪い。あり得ない」
と言うので、今の子はそんなことないのかと訊いたら、やっぱりあるそうだ。

そう、MCとは気持ち悪くておかしいものなのである。
そしてかからない子もいる。

集団催眠にかかっていない子は、かかっている子を「きもちわるい」と見ているんだけど、かかっている子は「かかっていない子を「可哀想」と見ている。
そんなもんである。
コメント

名文と思う

2018-06-18 | S教団関係
つい何年か前までは「絶対の正義」と言っていた相手が、「極悪」になった。
もっとわかりやすくいえば、前は「大好きな仲良し」だったのが今は「見損なった最悪の奴」

相手は何ら変わっていない。
変わったのは自分の見方である。

こんなふうに正義なんて、自分の都合でコロコロ変わるし、人の数や言い分だけあるんだろうと思う。
「これこそが正義」という人こそ、今は私は信じない。

「対話を求めて」というブログの投稿にこのようなものがあった。
勝手ながら一部を抜粋させて頂きました。

「××は全部黒」っていう思考は うつ病になりやすい不適応思考の一つ
「白黒思考」に当てはまるのだろうと思います。

××の「極悪を徹底的にぶっこむ!」と同じ思考になってしまっては元も子もありません。

××は滅びて欲しいとも思いますが、それによって人生が破綻する人もいるのであれば、存続も一つの正義なのかもしれません。

人間ってそんなものじゃないですかね。
その時その時で真理も移ろうものだと思います。

「冷静に考えるととんでもない」
「生まれてきたこと自体誤り」
でも、そんな存在をなんとなく許す。
そういった大らかさ、優しさ、鈍感さが社会的弱者の存在を認め、社会全体の調和を保つために必要なのかもしれないと思いました。


ちょっと前のおまえの言っていたことと全然ちがうじゃないかと言われそうだけど、これはどの投稿より心にすんなり入ってきた。
本当にそう思うんだからしょうがない。
人の気持ちはずっと同じではなくて、うつろっていくものなのだ、当たり前だけど。

全くすごいことを書かれる。
何がすごいって、おそらくこの方の、これまでと思考パターンと完全にちがうことを仰っているところがである。
「モノが入れ替わった」だけじゃなくて。

こういう方こそ、驕ることなく、二度と騙されないと思う。
コメント (1)

ラザリスさんの歌(桜坂)

2018-06-18 | ラザリスさんの歌

https://drive.google.com/open?id=14q_cbuOQBGL6fNBwdyvJeiJKzLbEGwgE

 

昨日、イベントが終わってから急いで帰って、勢いで一発録りしました。

テンポが速すぎること、ギターのコードチェンジが滑らかに行っていない箇所があること、ボーカルの伸びが足りないことで、自己評価としては、75点くらいです。

ただ、1日でここまで来たので及第点とします。

拙い演奏ですが、お聴き下さい。 

 

 

 

コメント (4)

中間試験

2018-06-17 | 娘と夫の話
来週から中学初の「中間試験」が始まる。
入学式から一日も休んでいない娘と、入学式から一日も出席していない友達のYちゃんが一緒に試験を受ける。
これで、友達の方が点数よかったら?
これが本当になりそうだから面白いのである。

Yちゃんはもともと頭のいい子で、小学校時代も休みがちながら、答案を見せてもらったらびっくりするほどよくできていた。
帰国子女なので英語も得意で、すでに英検2級をもっている。

「ふだん、どうやって勉強してるの?独学だよね」
「うん、ドリルとか。ネットもあるし」
たいした度胸と思う。
「これで点数よかったらあっぱれだよ。先生たちをびっくりさせたって!」
「うん!!」
Yちゃんはうれしそうに笑った。
Yちゃんにも意地があるのである。

英語は一問だけ、先生が問題を教えてくれたと娘が言った。
「My Birthday is ××××(誕生月と数字を記入する)を書くの。嘘の月でもいいんだって。先生は君らの戸籍まで調べない、だって。私忘れたらMayにするわ」

少なくとも、この娘よりは闘志も負けん気もある(笑)
コメント

幸せ自慢、不幸自慢

2018-06-17 | 日記
私の母親は子守歌のように愚痴を話す人だった。
何でも悪い方へ悪い方へ考える人で、毎日毎日、自分の夫の悪口しか言わなかった。
話を聞いてるとうんざりした。

その妹の叔母さんは、そんな母のネガティブさがいけないと口癖のように言った。
でもポジティブがいいかというと、今度は何かというと自慢話をする人だった。
会えば、またかという悦に浸った夫婦のノロケ話が延々続いて、これがまたうんざりだった。

なんでそんな両極端?
中間ってものはないの?


白黒はっきりしてるはずの私が納得できないのが、この偏った幸せ自慢と不幸自慢である。
あんたらどっちもどっちと思う。
人生苦あれば楽あり。
インチキ言うなーーーー!!
コメント (4)

どうでもいい話

2018-06-16 | 日記
銀婚式ということで、娘から両親にプレゼントがあった。
それぞれのイニシャルと、スヌーピーが刺繍された可愛いハンドタオルだった。
こういうことをされると、甘い両親はさらに甘くなるぞ(笑)

ある二世タレントの親子の話。
子どもの方が小さい時、よく鼻血を出す子だった。
或る時、鼻血が出てもティッシュもハンカチもなくて、その子はどうしたか?
靴下を脱いで手当てしたと知って、お母さんは笑って「ああこの子は、何があっても生きていけるな」と笑ったそうである。
親子とも私はファンである。

誰のことかわかるでしょうか?
すみません、どうでもいい話でしたね(笑)
コメント

学校嫌い

2018-06-15 | 娘と夫の話
「ママ、今度の火曜日、学校行きたくない。休んでもいい?
何も全部を行かないって言ってるんじゃないの。その日だけ行きたくないの」


火曜日に、やりたくないことがあるのである。
休んでも解決にならなくて、ただの先延ばしと思うけど、小さな頭で絞り出した結果が「休むこと」

私にも覚えがある。
なんで、こんなことやらなきゃいけないのか?
やりたい人だけがやればいいのに、私にはただただ苦痛なだけ。
将来役に立たないことなんてないっていうけど、絶対役に立たなくて「ほらやっぱり!」と言ってみせるからね、と思った。
数学の一問を解くより、こんな答えを考えたりしたもんである。

「大人になったら、やりたくないことをガマンしなければならないことはもっとある。
だからそのために、学校でやりたくないことをやるガマンをする訓練が必要だ。学生なんかしょせん甘い」
と教えた先生もいた。

そうかな?
大人になったけど、私の経験からいうと学校の方がずっとしんどかったぞ。
私だけかな?

「行ってきます」と毎度の低空飛行で娘が家を出ようとしたら、学校へ行きたくないのは今度の火曜日の「火曜日」を聞き逃していた夫が
「あれ、結局行くの?行かないなら弁当もらおうと思ったのに」
と残念そうに言った。
多分、この人もそうや…
口には出さなかったけどそう思った。
コメント (3)

もう一つの場所

2018-06-14 | 日記
娘の同じクラスのYちゃんは、入学式からずっと不登校で引きこもっている。
でもうちには時々遊びにくる。
何故かというと、息も絶え絶え通学して不登校ギリギリの娘もそうだけど、不登校経験のある夫とウマが合うからである。

一方娘は、Yちゃんのお母さんが大好きで、それはYちゃんのお母さんというより、自分の親友なんだそうである。
スマホを知らない私にはよくわからないけど、ラインでも繋がっているそうだ。

家族や職場の他に、何の利害関係もなく行き来できる「もう一つの場所」があるとラクだと思う。

私はある意味ブログが、自分の「もう一つの場所」かもしれない。
会ったこともない読者の方に感謝を思う。
コメント (8)