身近な親友にそれを持つ子の親がいたり、娘の事件などもあって、私が思うこれを書こうと思う。
それまで「親の教育が悪い」とか「本人の身勝手」と言われていたものが、発達障害という分野が解明されて理解されるようになったのはよかったと思う。
私の意識では例えていえば、それは右利きか左利きという感じだろうか。
以前、娘がハサミは左利きだったのにも関わらず、右利きのハサミを使っていたために「自分は皆と同じことができない、紙一つ切れない不器用」とずっと心を痛めていたことを書いた。(娘は交差利き)
これを何の事情も知らずに不器用とされたら、私も娘も傷ついたと思う。
「発達障害」という言葉がどこかネガティブで差別的というなら、言葉はどんなふうに変えても全然いいと思う。
傍から見たらおかしいことでも、そうではなくて事情があることを理解する意味で、私は差別を取り去った画期的な解明と思うけどね。
でもね、せっかくこんな解明が進んでだのにこれを逆に「差別」とか「人権侵害」いう人がいる。
なんで?
実社会で他人に迷惑や支障をきたすレベルの問題を起こしても尚(そんなことしてないのに言われるのは論外)、「発達障害」というものを、1ミリも疑うとか想像くらいすることも許さず、断固認めたくない人は、
それにつて、人格否定や侮辱より下、というようなそれこそ差別意識でもあるのだろうか?
なんで?
人格否定というものがあるなら私は、
「こんなことも一切無視して、世の中皆同じ構造の人間ばかりと決めつけている人こそ否定したい」
正直そう思うよ。