珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

コロナビール2

2020-08-03 | 趣味の話
夫の誕生日だった。
一年前にコロナビール - 珈琲一杯分の話を書いたけど、今年はこれがこんなに大人気になるなんて思ってもみなかった( ̄∇ ̄) 
我が家では昔から愛飲してるけどね。


というわけで今日もこれで乾杯したかったんだけど、今朝は5時くらいに出ていったし、帰りも深夜になるらしいから、とりあえず冷蔵庫に冷やしておこう。

これを飲みたいがために愛用している栓抜き。

箱根にある「彫刻の森美術館」のお土産のステンドグラスのもの。
一生に一回しか行っていないディズニーランドで買ったもの。
夫からプレゼントされた鋳物のもの。
こういうものが指輪や宝石より、つくづく好きなんですよねえ。
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自由研究4

2020-08-03 | 日記
8月は2週間が中学の夏休みになる。
個人的には一日も不要と思うけど、必要?

ただ今年は家庭教師が可愛い顔をしてどっさり宿題を出す才女なので、これに追われて終わることになりそうである。
宿題だけで一日5時間かかると言っていた。
やったねー(^▽^)/ ♪ 

3ヵ月もの休校のために学校事情はいろいろ変わって、自由研究と作文の宿題もなくなった。
「引き取り訓練」(災害時を想定して親が子供を学校まで迎えにいく練習)もなくなった。
私は中学生にもなってこれは不要と思っているので、よいこともあった。

私は「女帝、小池百合子」を読み直して一点、しょうもないことが気になった。
彼女が父親とナイル・ヒルトンホテルでルームサービスを頼んで、その時の食器をテーブルクロスに包んでそっくり持ち帰ってきた(すごいなー(_△_; )くだり。

「コーヒーカップ、皿、ナイフ、フォーク、シュガーポット…すべてにヒルトンのロゴが入っていた」…

彼女と同じくらいの年齢の時に、目を輝かせてショップの食器をため息を以て見つめていた私には、そこまでして持ち帰りたくなるくらい惑わした食器って、どんなものだったのか?

それがものすごーーーく知りたい( ̄∇ ̄) 

これが今の私の自由研究(笑)
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好き嫌い

2020-08-02 | 思うこと
コロナ記事を書くにあたって、テレビの情報もちゃんと見てみるかと、たまにはテレビニュースもつけることもある。
でもすぐに落ち着かなくなって、だいたい10分もしたら耐えられなくなってしまう。
「テレビは恐怖を煽ると視聴率がとれる」という理屈がさっぱりわからないんだけど、この煽られる感じがたまらないのだろうか?
私はこの「煽られ感」こそが嫌なんだけどね。

Sアンチブログでも、アンチ記事はいいんだけど
「本当に恐ろしいですよねえ」
「こんな極悪はないですよねえ」
「本当にバカでしたよねえ」
「思い出すと苦しいですよねえ」
みたいな、ネガティブなことを煽られるのが(私は)好きじゃない。

が、これが好きな人もいるみたいで、これは分かれるんじゃないだろうか。

テレビは恐怖を煽ると視聴率がとれるという解説を見つけた。
以下「テレビは不安を売るのが商売」【自信マガジン号外】より引用

テレビ 新鮮な「不安」をお茶の間に送り込む
視聴者 不安に食いつく
テレビ 視聴者の不安を何倍にも膨らます
視聴者 自分の中の不安を育てる
テレビ 視聴者をテレビに依存させたり、スポンサーの商品を買わせる
というのがルーチンだ。

わざわざ不安に食いつく視聴者はおかしいのでは? と思う人もあるだろうが、基本的に人はネガティブな情報を優先的に取得する。これは危機回避のための本能だが、情報過多な現代ではかえって迷惑な本能だ。
よって、情報で商売するなら人間の本能を利用した方が効率的だ、と誰でも考えるだろう。倫理的に問題はあるが。

メディアの権威を悪用
かつてメディアが新聞とテレビ・ラジオしかなかった時代、一番権威があるのが新聞で、一番人を釘付けにしたのがテレビだ。ラジオはその真ん中ぐらいで、なにかをしながら聞くのが一般的なスタイルだ。たとえば車の運転など。私がかつて働いていた職場でもラジオがかかっていた。それが普通の時代だった。
国民のメディアたるテレビが、視聴者に毒を撒くようになったのは比較的最近の話だ。国民を楽しませたり、役に立ったりして信用を得てきたテレビが、その権威を悪用しはじめたのだ。――主に、金のために。

テレビは、比較的情報リテラシーの低い視聴者をターゲットに、昼前後のワイドショーは、デタラメな番組を放送しはじめた。それらは面白いように金になった。テレビを疑わない視聴者は、テレビの意のままに操られるからだ。

お茶の間のワイドショーを見ているのは、時間帯からみて、おおむね主婦や老人である。ワイドショーの時間帯、午前8時~午後5時の間のみ、すぐにバレる嘘を流してもよい、などと言われている。なぜか? 成人した息子や夫がいる時間帯だとバレるからである。
情報リテラシーの低い相手をターゲットに、テレビはデマと不安と商品をお茶の間に流し込む。
とても危険だと思われないだろうか? 
私は戦術兵器に匹敵する危険があると思っている。現に我が国のみならず、諸外国でもこれで政権が傾いているのだから。

もう一つ。
「悪用禁止! 心理学者が教える人の心を動かす心理テク」 より引用

人を思い通りに動かすというところで、まず思い浮かぶのが「不安」や「恐怖」をあおるという方法です。
例えば、健康の悪化や人生計画の面でリスクを煽ってくる広告はたくさんありますよね。そして、その不安を解消するためにその商品を買ってしまったということがあるかもしれません。わたしたちは不安や恐怖を感じたら、それを解消しようと行動を起こしてしまうものなのです。

ちなみにこれは脅しが強すぎても弱すぎてもダメで、実験によって「絶妙な匙加減」が検証されているそう。

私はこの「不安や恐怖に思わず吸い寄せられる」のは、どう考えても好き嫌いとしか思えない。
それ以外が見えてこない。
頭というより、その人の感情、性質の部分が働くというか。
私は決して慎重でも用心深くもないけど、この手のコマーシャルや誘導には乗らない方と思う。
不吉なことを言うのも聞くのも、単純に嫌いなのである。

「××しないとこうなるわよ。××しないとこうならないわよ」的な、脅しめいた言い方は、よくもわるくも好きじゃない。

危機管理能力に欠ける? そうかもね( ̄∇ ̄) 

でもこの好き嫌いに救われることも結構ある。
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チェック項目

2020-08-02 | コロナ騒動
日々ヤフーニュースなどで「感染者、過去最多を更新」という記事を、何々?何人?と固唾をのんでチェックしている人がいると思うけど、
私は日々
「春には、PCR検査はやみくもに増やしても意味はない。日本の医師の判断は正しいと言っていたのを、なぜクルッと変えたのか?(それをツッコむ人をなぜもっと取り上げないのか?)」
「PCRの陽性者と、新型コロナウイルスの発症者は全く別のものだけど、なぜ今日も、新たな感染者と報道し続けるのか?」
の、記事がいつ上がるのかをチェックしている。

8月2日。今日もその記事は出なかった。

そして「PCR検査の陽性者を、また感染者と言った」と、その更新をカウントする。

8月2日。今日もそれは更新された。

皆さんのチェックの部分はどこですか?
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デコボコ道でも

2020-08-01 | 日記
私がSアンチブログに初めて書いたのはとても遅くて、それはやっとこさ、2013年の終わりだった。
その時にはとっくにその手のブログはネットに蔓延していたし、実際に終盤といってよかった。
先人たちによってきれいに舗装された道を歩くようなアンチ記事を書くことは、私にとってはどうってことはなかった。

が、いうなれば「コロナ怖いのアンチ?」は、同じ意見もあるけど、まだまだ無勢に多勢。
しかも相手は一般の国民全部というか、マスコミとか政治家とかで、一教団なんかと規模が違う。

私はテレビは殆ど見ないから知らないけど
「もう一度緊急事態宣言を出して、もっともっと危機感を強めてほしいという意見が8割」
なんてアンケート結果を見ると茫然としてしまう。
確かに、特に自粛中の「これが正しいのよ。皆でガンバローがマックス」の時なんかは、何をボヤいても、だだっ広い大海に小石を投げているような無力感におそわれたもんだった。

でもね、昨日コメントで頂いた
「思ってもなかなかブログなどで記事として発信するのは勇気がいる 」なんてのは全然ないよ( ̄∇ ̄) 
自分の心にやましさがなければ、思うことを書くことはあっさりできる。

あとは何事も経験ですね。
たまに「Sとコロナを絡めるのはおかしい」みたいに言われることもあるけど、実際によく似た景色を見るんですよ。
「不都合はスルーするSシャッター」なんてよく言われるけど、シャッターなんて今回も幾らでも見る。
数えきれないほど見た。

例えばPCR検査では、A型インフルエンザやB型インフルエンザ、RSウイルス、アデノウイルス、パラインフル、マイコプラズマ、クラミジアなどが疾患しないごく微量の付着でも検知されるとマニュアルに明記してあっても、
陽性反応は一人残らず新型コロナウイルスの感染患者とカウントされて、
「今日も新記録を更新された」「このままだと医療崩壊」「もっと危機感を持つべし」とアナウンスされるのはなぜ?
と訊いたところで、マスコミは絶対に拾わない。
不都合は完全にシャッターされてしまう。

かたや、これまで「風邪をひいてない人」で済んだことを
「無症状でもウイルスを撒き散らす」と聞けば、疑いも調べもしないで、まるで10年前からの常識を言っているみたいな顔をして知ったかぶりは言うけどね。

デコボコ道でも坂道でも、好奇心をもって書いていくのは楽しい。
わからないことを問うていくのは楽しいのである。
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