いや、困った。
花がない。まったくないわけではないのだが、いつも同じものをアップするわけにもいかず、数日休んでしまった。
そう、花日照りなのである。
いつものWeblio辞書で、「日照り」を引いてみる。
「日が照ること」、これはまんまの意味だ。次に、「あるべきものや欲しいものが不足すること。 「女-」」とある。であるからして、「花日照り」という使い方も、まぁ、あながち間違った用法ではないと思う。
そう、例文にある用法は、もう数十年この方日照りっぱなしだが、この時期、写真を撮る対象としての花が不足しがちなのは私一人のことではないだろう。
上記文章は、2020/1/31に「みんなの趣味の園芸」に投稿した『花日照り!?』という日記に、一部改訂を施したものである。
山野草をもっぱらとする小庭では、1月というのはことさらに花が少ない。そして、それは7月も同じような現象が惹起される。そう、この時期も花日照りに見舞われるのだ。
だから、オクラなんぞの花を無理矢理こじつけてアップするなんてことをやってのける。おう、実というか、果実の方はそろそろ食い頃の大きさとなってきたようだ。そうだ、今日の晩酌のあてに用意しておいたおぼろ豆腐に刻んでのせて食らうこととしようか。
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注)この種子は、国立大学法人九州大学から提供されたものである。
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注)この種子は、国立大学法人九州大学から提供されたものである。
春から初夏にかけてほころんだ花々のいくつかには、いま実が蓄えられている。こんなことでさえ、草本を育てるモノにとってはひと時の喜びとなる。
そう、実が出来たらその種を取り出して蒔いてみよう、なんてことを考えるわけだが、むやみに播種してしまうと臍を噛むことも。
ムサシアブミに初めて実がついた時、どうせそれほど発芽確率はよくないだろうなどと高を括り、朱い実の部分をこそげ落として播種したのだが、驚くほどの発芽を見て、その処分に困ったことがあった。所詮、猫の額なのである。身の程知らずとはよく言ったもので、身の丈に合った種蒔きをするにこしたことがないと悟った次第である。
青並葉木立紫覆輪星咲は二株を一鉢に収めてある。木立性の矮小種だから、いまのところこの環境でちょうどいいように思う。
何と言ってもつるを伸ばさないだけに、小さくまとまって、一日一輪、二輪と咲く様は大人しやかな朝顔姫といったところだろうか。
📸2024年7月15日:ヤブコウジの実も幾分か大きくなり、緑色も深まってきた。
📸2024年7月15日:初夏に咲いたタマガワホトトギスにも実がついた。おや、ツインズのつぼみも見える。
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