若い頃から本屋に行くのは大きな楽しみだった。当時湯沢に本屋が三軒、十文字、増田に一軒の計五軒。夏は自転車で始まりバイクへ、冬はバスで約往復30kを一日がかりで回った。当時岩波新書が150~180円のころ本を買うのに金も少なく、ラーメン代50円より安い一つのパンで昼食かわりにした。冬湯沢から10kの冬道、吹雪でバスが時々不通になり2時間半もかかって山谷峠を超えたことが何回かあった。その後上京する機会が出てくると、夜行で湯沢駅を発ち早朝上野駅に着くと、早々に山手線で神田の古本屋街を回るのが唯一の楽しみだった。
現在は一時より本屋に行くことが少なくなった。欲しい本はネットで求められるようになった。湯沢の町に古くからあった本屋は閉店して何年になるだろうか。近年大きな新しい本屋が誕生し時々でかけるが圧倒的に古本屋に行く機会が多い。近くのブックオフへは月に2、3回訪れる。時には貴重な本にめぐり合う。特にジャンルには無頓着だが、いつのころからか秋田県内出身者の著書に出合うとつい求めてしまう。昨年暮れから一ケ月程で求めたのは以下の本になる。
平田篤胤 伊藤永之介 無明舎
鷹匠 伊藤繁治 イズミヤ出版
千刈狸の呟き 社団法人本荘市由利郡医師会 北星印刷
正義と思いやり 小助川清蔵 無明舎
お化けの出る田んぼ 奥規一 イズミヤ出版
詩集 北の盆地 石塚昌男 無明舎
詩集 リバティの自由 小松和久 秋田文化出版
詩集 海色のセーター 藤原祐子 秋田文化出版
詩集 さぎ草に 藤原藻都 秋田文化出版
あるとき古本店から帰ろうとして車に戻ったら、憤然とした顔つきの人が出てきた。あまりにも印象的だったので初対面ながら「なにかあったのか」と聞いてしまった。そしてら、「本を整理しようと持ってきた本が全部で150円だというので、バカにするなと言って怒って出てきた。この本だってそれぞれに思い出がある。自宅の本棚に戻すことに決めた」という。文庫本や箱入りの本など紙袋の冊数は結構あった。顔を紅潮させて怒顔で出て行った。蔵書にはそれなりの思いがあるのは当然のことだ。カウンターにはひっきりなしに本が持ち込まれる。比較的若い世代が持ち主のいなくなった本を整理に来るのだろうか。ダンボールで持ち込むこともある。そんな中から時々謹呈のしおりの入っているのもある。今回の9冊は価格100円プラス税の108円。それぞれの著者の本が、売価108円となると複雑な思いになってしまう。仕入れ価格は1/10程度と聞いたことがあるが実態はわからない。
秋田の特に県南の著者の本に出合うと宝物にあったように気分になる。面識はないが同地域の人が書いたと知れば無性に親近感がわくのはなぜだろう。さらに農業駆け出しの頃「秋田農村文化懇談会」を知り、会合があればなるべく参加していた。この会合で小坂太郎氏等詩の集団「第三群」や「むのたけじ」氏と同席できるのは格別なことだった。「農への挑戦」を心に決め、農に向かう覚悟、叫び等に飢えていた20代前後「農民詩」の分野に足を踏み込んでいた。「秋田農村文化懇談会」での懇談は当時の唯一心の解放につながっていた。ただ、自ら詩を書くことは出来なかったが農民詩の分野に足を踏み込んでいた。その感覚が残っていてブックオフ等で秋田県出身者の書いた詩集等に出合うと迷わず求めてしまう。
以下は今回約一ケ月の間に出合った本の読後の一言。
「平田篤胤」伊藤永之介著 無明舎 2009年この書は昭和17年(1942)偕成社版を底本として書かれている。平田篤胤は安永5年(1776)生まれ、天保14年(1483)68歳で亡くなっている。明治維新の26年前だった。江戸時代の国学者4大人の一人、伊藤永之介の執筆動機は同郷、同地域の人間的な関心だったという。巻末に佐々木久春秋田大学・秋田県立大学名誉教授の『解説-神道「平田篤胤」を描いた永之介』がある。
「鷹匠」 伊藤繁治 イズミヤ出版。平成12年 伊藤氏は十文字出身。長らく増田農協の参事だった。「鷹匠」は山形県真室川町の鷹匠、沓沢朝治氏との出会いから交流を記している。その他句集や随筆、小説等幅広い。357ページの豪華本。庭師加藤東吉伝は興味深かった。十文字梨の木の庭師のルーツを知る。伊藤氏はこの本で増田町の地主佐藤清十郎邸の庭園が庭師加藤東吉作であることを記録している。その中で庭石として私の地域の沢から庭石を運んだことが書かれている。この石を「川連石」と紹介している。地元では「内沢石」といい、「内沢石」も沢の最奥の「オヤシキ石」が最高のものと言い伝えられてきた。今回この書で「川連石」と呼ばれていることを始めて知った。増田の地主清十郎宅へ小作人が冬そりで運んだと語られてきた。この地域で庭石の最高は「川連石」と伊藤氏は紹介している。今から20年ほど前、内沢治山工事で所有の山林が計画に入った。当時工事の際重機でストックしていたのを知った伊藤氏が来宅。庭石談義したのが思い出される。農の恩師、平鹿町の加賀谷宅の庭石はその時運ばれた。
「千刈狸の呟き」 社団法人本荘市由利医師会編 北星印刷 平成9年は本荘市・由利郡医師会報である。昭和57年から平成9年までの15年間の毎月のエッセイ集で45のペンネームが見られる。このエッセイ「千刈狸の呟き」はなかなか面白い。この本は 謹呈 のしおり付きで真新しい。
「正義と思いやり」小助川清蔵著 無明舎 1998年 この本は「長谷部七郎、誠の政治家と共に歩んだ半生を、その父子の活動史と重ねながら語るユニークな自分史」とオビにある。長谷部七郎氏の衆議院選挙昭和44年、昭和47年に関わった一人として懐かしい本だった。
「お化けの出る田んぼ」奥規一 イズミヤ出版 平成9年刊 横手市醍醐 平成4年刊「回想60年」につづいて第二集がこの本という。農業あれこれ 変わりゆく社会 甘酸これ人生の三つの柱になっている。農民は稲を作るとは言わず田を作ると言った。「お化けのでる田んぼ」とは田んぼの水ひきの時の逸話。各地に水引の話が多い。田んぼが整理された現在ではこの種の話題はほとんど聞くことがなくなった。
「詩集 北の盆地」 石塚昌男 無明舎刊 1929年生まれ 秋田県現代詩人協会は1991年発足。会員数平成21年現在で74名。昭和詩年表によれば昭和47年(1952)に横手市で詩誌「三叉路」を創刊している。
はざま邑の秋
冷夏がくしゃみしながら
はざま邑の季節は
葉がくれに小さな朱い実を
のぞかせている
反当り一俵弱
猫のひたいほどの田んぼ
議員先生方の作業服姿に
不稔田に立つ百姓は寡黙
、、、、、、
呆然としているだけですか
問いかけのむなしさ
、、、、、、
冷害を子供たちの目を通して見つめる教師、「イネの花」でヤマセを「ままかせね風」(ごはんをたべさせない風)と呼ぶ子供たちの確かな視点を通して邑を見つめる。平成5年の大冷害が目の前に浮かぶ。
「詩集 リバティの自由」 小松和久 秋田文化出版 2005年刊 面識はない。唯一の接点はこの方の父親が小学校の教頭先生だったこと。校長不在で教頭先生があいさつすることになれば決まって雨。生徒と父兄から「雨降り教頭」のあだ名があった。そして同じ町出身。詩集に収められているのは難解。農民詩の分野とは違う。
詩編ではなく前書きに次の語句がある。「自由とは自己にあって現存の存在に一体何を値わしむるを人間としての値とする、、、父を不義、不幸で亡くした私にとって自己との闘いと葛藤、、、、時間の空間の時の中で父と語る様にして「リバティの自由」という題目をつけて三十八編、、、とある。
「海色のセーター」藤原祐子 秋田文化出版 1999刊 詩集「海色のセーター」の題字は秋田県北の農民詩人、畠山義郎氏。海の詩が多い。最後のページの次の詩が秀逸、しばし沈黙。
女
ときどきはくらげ
いのちをつむぐ
海を抱き
いのちを放つ
海をまとう
抱いた海と
まとった海とに
いくばくかの
ちがいがあるのか
海の呑まれもせず
とけもせず
泣いたり
笑ったり
透けたからだで
海を抱き
海をもとう
「さぎ草に」高橋藻都詩集 秋田文化出版1996年刊 湯沢市 「鬼籍」で始まり亡くなった夫への語りの詩であふれている。詩集名のさぎ草は夫の好きだった花で詩集を「さぎ草に」としたという。
莫妄想
雨が止んで
夏椿のてっぺんが紅葉した
枝に再びかることがないのに
モスグリーンの小さな芽を
しっかりしのばせて
散る支度をはじめている
、、、、、、
、、、、、、
生きていこうとという心の旅券を
ひそかに 握りしめる
、、、、、、
、、、、、、
孤独の獲得への意欲を点火し
私の胸の斧は音もなく燃えている
「莫妄想」は1990.10に「あきたの文芸」に初出とある。生への決意と強さがみなぎっている。