「スイスで食べたあの味を再現したい、、、」との思いから、チーズ工房を立ち上げ実現した酪農家の女性たちが秋田から生まれた。JA(農業協同組合)グループ社団法人 家の光協会の月刊誌「家の光」誌2014年4月号東北版に掲載された。
月刊誌『家の光』は大正14年(1925)5月に創刊された。書店では基本的には置かれていない。JAが直接組合員宅に届けているのが特徴の雑誌です。「JAこまち」組合員10,131人(正組合員8,503人 、准組合員1,628人)での購読は662戸。「JAこまち」の購読者は古くからの農協主体の農家と思われる。「家の光」誌を知らない世代は宗教関係の月刊誌かとの誤解を生む。インターネットホームページも立派なのができている現在、JAの広報誌として存続していくためには大胆な発想転換が急務だと思う。
今回その「家の光」誌4月号の東北版に『「アヴァ」のチーズ召し上がれ』と秋田県羽後町にある「明通りチーズ工房」の記事が載っている。
家の光 4月号 引用
明通りチーズ工房 ホームページ(http://www.akedoori.jp/index.html)によれば『平成6年(1994)10月、雄勝酪農婦人部(クローバー会)が「酪農婦人欧州視察研修」に参加した際、研修先の一つであったスイスのグリュイエールチーズ工房内で「チーズの苦手な方でも、とてもおいしく食べられる」チーズに出会い、いつか私達も「誰もがおいしく食べられるチーズ」を作ろうという気持ちが 今日「明通りチーズ工房」の完成まで熱い思いで続けてきました』。
『平成11年(1999年)には「チーズ部会」を立上げ、以来試作を重ね、みなさまに「これならば」と評価されるまでになりました。 やさしくおだやかな味でくせがなく日本人好み チーズが苦手な人でも美味しく食べられます。 原料が成分無調整の為味が生きていて、すっきりあっさりした後味、長期熟成でも味の変化が小さく 食べごろの期間が長い』。とある。
チーズ工房内 2014.04.01
明通りチーズ工房 工場長・佐藤円さんは北海道酪農学園大学の学生時代、乳製品製造研究室(通称“乳ゼミ)で加工技術を学んだ。東洋製酪、農業法人小川原湖農場等で乳製品と関わってきた佐藤円氏は、「究極のチーズ」を求めるのに人一倍情熱と研究心を持っていた。雄勝酪農協の酪農家の母さん達の「もっと牛乳を有効活用していきたい。私たちの牛乳を使った商品をたくさんの人に食べてもらいたい」という熱意に共鳴し一緒に工房を立ち上げ今日まで来た。
工房が本格的になりチーズ作りへの情熱は増すばかり。牛乳の成分や気温や湿度などの微妙な違いで、一つとして同じチーズはできないこと。佐藤円さんは湯沢市稲川町の川連漆器製造の家に生まれ、農業、酪農とは別の世界に生まれ育ってきた。チーズつくり同様、漆を使う世界でも一日の気温や湿度でできあがった製品に微妙に影響すると云われている。旧稲川町名産の稲庭うどんも気温、湿度の変化は究極の製品はできない。この仕事の携わる職人は朝の気温、湿度の状態で一日の作業を長年の経験の中で予測して作業をする。佐藤円さんのチーズつくりはその面では家業の漆器業との共通点がある。
明通りチーズ工房 工場長佐藤円さん 2014.04.01
雄勝酪農協の牛乳は、平成12年(2000)からNon-GMO(非遺伝子組み換え)飼料で高い安全性にこだわり、消費者の地元(湯沢、雄勝地域)で生産者の顔が見え、高品質(生菌数・細菌数・体細胞が少ない)で、衛生的に大事に育てられた乳牛に出所のハッキリした飼料を与えてつくることをモットーとして来た。良いチーズは高品質の牛乳でしか作ることはできない。
高品質の牛乳で作られた「明通りチーズ工房」商品は熱で良く溶け糸を引き、マイルドな味は香辛料とよくなじむ と言い、和・洋・中、料理を選ばず 、長期間冷蔵しても味の変化が小さい。乳酸菌が生きているナチュラルチーズ で、イタリア産岩塩の柔らかな味がするといわれている。当然ながら特殊な食品添加物を一切含まない。地元酪農家母さん達の手造り、ヨーロッパの伝統的な製法が基本で必要以上に人の手を加えない、衛生的な包装で家庭の冷蔵庫で熟成できること等ひとつ、一つの製法にこだわっている。
味は基本のプレーンに、バジル、粒こしょうなどのバリエーションをそろえる。口コミやマスコミで評判が広まり、近隣の道の駅や秋田市、横手市、湯沢市のスーパーが取り扱う他、結婚式場のメニューにも採用されるまでになった。メンバーは平日にチーズの製造や発送などをして、週末には各地で開かれるイベントで売り込む。
明通りチーズ工房 製品 2014.04.01
そこで感じるのは、「チーズは日本の食卓ではまだメジャーになっていない」ということ(佐々木)。熟成させないモッツァレラや熟成期間が比較的短いカマンベールは知られていても、長期間置くことで味の深みが増す熟成チーズは十分理解されていないという。同工房は「アヴァ」の熟成期間を1年程度に延ばすことも検討。「熟成でもっとおいしくなることを伝えたい」と意気込む(中村さん)。地元の生乳からできるチーズをよりおいしく、より多くの人に。工房の挑戦は続く。
仏教の大乗経典『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)の中に、五味として順に乳→酪→生酥→熟酥→醍醐と精製され一番美味しいものとしている。涅槃経も同じく最後で最上の教えであることをたとえとして書かれている。これを五味相生の譬(ごみそうしょうのたとえ)という。
「だいごみ(醍醐味)という言葉の語源は、チーズの製法、牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(せいそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す、醍醐最上なり、もし服する者あらば衆病皆除く。あらゆる諸楽ことごとくその中に入るがごとく仏もまたかくのごとし」。
仏の教えもまた同じく、仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅(しゅたら)を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅密を出し、般若波羅密より大涅槃経を出す。とある。これが醍醐味の語源として仏教以外でも広く一般に知られるようになった」。
ウィキペデア 引用。
湯沢市の隣に位置する横手市の国道13号線沿いに「醍醐」の地名があり、JR奥羽線に無人駅の「醍醐駅」がある。かねてからこの地名にある種のこだわりがあった。角川日本地名辞典によれば「南北の羽州街道と東西の馬鞍街道の交差する平坦地で、この付近はかつて牛の放牧地で牛乳を煎って甘露となる醍醐味による」(郷土史資料)の説がある。甘露とはウィキペデアに「インド神話の伝承で不死の霊薬とされたアムリタを、漢訳仏典では中国の伝承の甘露と同一視し、甘露、あるいは醍醐と訳す」とある。
この地に近年、私の知る限り牛を飼う農家はいなかった。今では平鹿リンゴの中心地になっている。
醍醐の地名は。秋田県横手市平鹿町醍醐、富山県高岡市醍醐、滋賀県長浜市醍醐町、京都府京都市下京区醍醐町、京都府京都市伏見区醍醐、奈良県橿原市醍醐町の全国に秋田を含めて6ケ所ある。
明通りチーズ工房の誕生は、かつてこの地域の地名「醍醐」とのなにかしらの因果を想像してしまう。
月刊誌『家の光』は大正14年(1925)5月に創刊された。書店では基本的には置かれていない。JAが直接組合員宅に届けているのが特徴の雑誌です。「JAこまち」組合員10,131人(正組合員8,503人 、准組合員1,628人)での購読は662戸。「JAこまち」の購読者は古くからの農協主体の農家と思われる。「家の光」誌を知らない世代は宗教関係の月刊誌かとの誤解を生む。インターネットホームページも立派なのができている現在、JAの広報誌として存続していくためには大胆な発想転換が急務だと思う。
今回その「家の光」誌4月号の東北版に『「アヴァ」のチーズ召し上がれ』と秋田県羽後町にある「明通りチーズ工房」の記事が載っている。
家の光 4月号 引用
明通りチーズ工房 ホームページ(http://www.akedoori.jp/index.html)によれば『平成6年(1994)10月、雄勝酪農婦人部(クローバー会)が「酪農婦人欧州視察研修」に参加した際、研修先の一つであったスイスのグリュイエールチーズ工房内で「チーズの苦手な方でも、とてもおいしく食べられる」チーズに出会い、いつか私達も「誰もがおいしく食べられるチーズ」を作ろうという気持ちが 今日「明通りチーズ工房」の完成まで熱い思いで続けてきました』。
『平成11年(1999年)には「チーズ部会」を立上げ、以来試作を重ね、みなさまに「これならば」と評価されるまでになりました。 やさしくおだやかな味でくせがなく日本人好み チーズが苦手な人でも美味しく食べられます。 原料が成分無調整の為味が生きていて、すっきりあっさりした後味、長期熟成でも味の変化が小さく 食べごろの期間が長い』。とある。
チーズ工房内 2014.04.01
明通りチーズ工房 工場長・佐藤円さんは北海道酪農学園大学の学生時代、乳製品製造研究室(通称“乳ゼミ)で加工技術を学んだ。東洋製酪、農業法人小川原湖農場等で乳製品と関わってきた佐藤円氏は、「究極のチーズ」を求めるのに人一倍情熱と研究心を持っていた。雄勝酪農協の酪農家の母さん達の「もっと牛乳を有効活用していきたい。私たちの牛乳を使った商品をたくさんの人に食べてもらいたい」という熱意に共鳴し一緒に工房を立ち上げ今日まで来た。
工房が本格的になりチーズ作りへの情熱は増すばかり。牛乳の成分や気温や湿度などの微妙な違いで、一つとして同じチーズはできないこと。佐藤円さんは湯沢市稲川町の川連漆器製造の家に生まれ、農業、酪農とは別の世界に生まれ育ってきた。チーズつくり同様、漆を使う世界でも一日の気温や湿度でできあがった製品に微妙に影響すると云われている。旧稲川町名産の稲庭うどんも気温、湿度の変化は究極の製品はできない。この仕事の携わる職人は朝の気温、湿度の状態で一日の作業を長年の経験の中で予測して作業をする。佐藤円さんのチーズつくりはその面では家業の漆器業との共通点がある。
明通りチーズ工房 工場長佐藤円さん 2014.04.01
雄勝酪農協の牛乳は、平成12年(2000)からNon-GMO(非遺伝子組み換え)飼料で高い安全性にこだわり、消費者の地元(湯沢、雄勝地域)で生産者の顔が見え、高品質(生菌数・細菌数・体細胞が少ない)で、衛生的に大事に育てられた乳牛に出所のハッキリした飼料を与えてつくることをモットーとして来た。良いチーズは高品質の牛乳でしか作ることはできない。
高品質の牛乳で作られた「明通りチーズ工房」商品は熱で良く溶け糸を引き、マイルドな味は香辛料とよくなじむ と言い、和・洋・中、料理を選ばず 、長期間冷蔵しても味の変化が小さい。乳酸菌が生きているナチュラルチーズ で、イタリア産岩塩の柔らかな味がするといわれている。当然ながら特殊な食品添加物を一切含まない。地元酪農家母さん達の手造り、ヨーロッパの伝統的な製法が基本で必要以上に人の手を加えない、衛生的な包装で家庭の冷蔵庫で熟成できること等ひとつ、一つの製法にこだわっている。
味は基本のプレーンに、バジル、粒こしょうなどのバリエーションをそろえる。口コミやマスコミで評判が広まり、近隣の道の駅や秋田市、横手市、湯沢市のスーパーが取り扱う他、結婚式場のメニューにも採用されるまでになった。メンバーは平日にチーズの製造や発送などをして、週末には各地で開かれるイベントで売り込む。
明通りチーズ工房 製品 2014.04.01
そこで感じるのは、「チーズは日本の食卓ではまだメジャーになっていない」ということ(佐々木)。熟成させないモッツァレラや熟成期間が比較的短いカマンベールは知られていても、長期間置くことで味の深みが増す熟成チーズは十分理解されていないという。同工房は「アヴァ」の熟成期間を1年程度に延ばすことも検討。「熟成でもっとおいしくなることを伝えたい」と意気込む(中村さん)。地元の生乳からできるチーズをよりおいしく、より多くの人に。工房の挑戦は続く。
仏教の大乗経典『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)の中に、五味として順に乳→酪→生酥→熟酥→醍醐と精製され一番美味しいものとしている。涅槃経も同じく最後で最上の教えであることをたとえとして書かれている。これを五味相生の譬(ごみそうしょうのたとえ)という。
「だいごみ(醍醐味)という言葉の語源は、チーズの製法、牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(せいそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す、醍醐最上なり、もし服する者あらば衆病皆除く。あらゆる諸楽ことごとくその中に入るがごとく仏もまたかくのごとし」。
仏の教えもまた同じく、仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅(しゅたら)を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅密を出し、般若波羅密より大涅槃経を出す。とある。これが醍醐味の語源として仏教以外でも広く一般に知られるようになった」。
ウィキペデア 引用。
湯沢市の隣に位置する横手市の国道13号線沿いに「醍醐」の地名があり、JR奥羽線に無人駅の「醍醐駅」がある。かねてからこの地名にある種のこだわりがあった。角川日本地名辞典によれば「南北の羽州街道と東西の馬鞍街道の交差する平坦地で、この付近はかつて牛の放牧地で牛乳を煎って甘露となる醍醐味による」(郷土史資料)の説がある。甘露とはウィキペデアに「インド神話の伝承で不死の霊薬とされたアムリタを、漢訳仏典では中国の伝承の甘露と同一視し、甘露、あるいは醍醐と訳す」とある。
この地に近年、私の知る限り牛を飼う農家はいなかった。今では平鹿リンゴの中心地になっている。
醍醐の地名は。秋田県横手市平鹿町醍醐、富山県高岡市醍醐、滋賀県長浜市醍醐町、京都府京都市下京区醍醐町、京都府京都市伏見区醍醐、奈良県橿原市醍醐町の全国に秋田を含めて6ケ所ある。
明通りチーズ工房の誕生は、かつてこの地域の地名「醍醐」とのなにかしらの因果を想像してしまう。