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冬支度

2014年11月20日 | 地域
11月にもなるとどこの家でも冬囲いが始まる。ここ4年連続の大雪で庭木はもちろんのこと、住宅も被害が大きかった。大方の手順は住宅から始まる。近年家が新しくなり、アルミサッシの窓、雨戸等になり組み立て方式の冬囲いが増えてきた。かつての住居には縁側があったが、今は古い家しかない。近年の住宅は窓中心の家になり、雪囲いもほんの少しで終わる。


冬囲い風景 西側と北側 201.11.17

築100年経過した我家では在来の方式の冬囲いとなる。囲い骨組みの木、長木、稲杭の他、板、古戸等材料もかなりの量になる。

今年は比較的天候も良いので住宅の囲い前に、「ため池」の泥上げに挑戦した。住居東側の池はこの地に住宅を建てたころからで200年、以上前になるのだろうか。自前で運搬車、チェンブロックで20年ほど前、昔からの池に200~300k前後の山石で縁取りした広さ2.5坪、深さが1m程の小さな池だ。15年もほったらかしのため池には60㎝程の泥で埋まっていた。初めにポンプで水を吐きだし、泥は肥料袋に入れ、運ぶことにした。ため池の側は狭く泥を寄せる場所が無く、この方法しか案が浮かばなかった。ひたすら肥料の空袋に泥を詰める、その数70袋ほど時間にして二人で約4時間。泥まぶれの作業は好天でなければできない。翌日肥料袋の泥を一輪車にて西側の新たな坪庭に運び広げる。庭木や山野草の栄養となるだろう。


ため池泥上げ

住宅の囲いを終えて、いよいよ坪木の囲いに入る。大雪で各屋で庭木の被害が大きかったが、ほとんどの家で囲いは欠かせない。屋敷内の建物や塀などで囲まれたごく小さな庭園、家の周りの空間を昔から「坪庭」と云った。だから庭木などとは言わず坪木と当地方では言われている。1000年以上の古い村、城下町と言われた集落の生い立ちにあるののだろうか。新興住宅街は庭かも知れないが、当地方ではほとんど坪庭ではなくただ坪と言われている。

冬囲い前に全体の暴れ枝の整理、伐った枝等は軽トラ一台となった。1k程離れた雑木林ミズナラ、ヤマモミジの下に広げる。毎年の作業で、周りの紅葉をしばし眺める。新緑とは違う散り始めの紅葉も見事なものに見える。


里山紅葉  川連町外坪漆 2014.11.10

我家の気ままな新しい坪「ミニサンクチャアリ」に、自己流で沢石を配置した。30年ほど前の沢の改修工事で出た石を運んでおいたものを今回当てた。トラクターのローダーで200m離れた畑から運んだ。ローダーではせいぜい300k程の石を動かすことしかできない。造園の知識の乏しい我流の配置で専門家からみたらNGものかもしれない。


ミニミニサンクチャアリ 庭石配置

今年の囲いは比較的好天に恵まれ捗った。家の東側は屋根からの雪で囲いは見えなくなってしまう。北側は道路からの排雪、西側は毎日の玄関前の排雪と屋根からの雪ですべての坪木は埋まってしまう。除雪機の排雪で6m程の雪山になる。坪庭で雪の耐えられるのは樹齢200年程の栃の木だけだ。オンコもそれに近い樹齢と思われるが昭和45年道路拡張工事で道路が宅地に入り込み、道路ギリギリでこらえている。毎年5.6mの長木で囲っている。近年の大雪で枝欠け等があり、坪木としては貧弱だが冬囲いは欠かせない。

囲いの日数は一週間前後になってしまう。囲い作業しながら雪の少ない地方がうらやましく思える。雪囲いや屋根からの雪下ろし等必要はない。何よりも「坪木」が雪害に合うこともないから枝ぶりも見事になる。雪国の住宅は被害が増大、坪木は大雪で無残な姿をさらけだしているものもある。若い世代は坪木等はジャマだとの声も出てきている。いづれ坪庭はなくなるのだろうか。

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アホノミクス、消費税8%と便乗値上げ、円安で物価上昇の中、政権は庶民ばなれの大臣のスキャンダル隠しと、アホノミクスの失敗の隠ぺいのために、700億円ものお金をかけて総選挙へ向かうという。


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