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お寺が消える

2008年07月01日 | 村の歴史

今、全国に和尚さんのいない無住寺が増えていると言う。
檀家制度発足以来、地域の限界集落進行、過疎化があの何とか総理の「カイカク、カイカク、市場原理、民営化」、「自民党をぶっ壊す」はこの国の今まであった秩序もぶっ壊し、売国政権のなれのはて、地方の商店街はシャッター通り、過疎化の現実の下で「お寺」の崩壊も確実に進行している。

檀家制度は、江戸時代にキリスト教弾圧のため、どこかの寺に必ず所属することを義務づける寺請制度の導入が始まりとされる。
お寺は明治以降、墓地以外への埋葬が禁じられことでお布施収入を確保し、地域の行政組織に組み込まれて、名実共に地域共同体の核となった。檀家の葬儀、法要をつかさどる住職は肉親と別れた遺族にとってなによりのより所であり、何より心のささえでもあった。
そのあたり前の姿であったお寺に、住職がいないという姿は、檀家にとって言葉で言いあらわせないくらい失望は大きいことだ。

寺ビジネすスは1兆1千億円市場ともいわれ、葬儀サービス業の繁栄することによって、お寺に対する壇信徒の見方も段々とシビアになってきた。
今まで寺は檀家の葬儀や法要での御布施で収入を確保してきた。一般的には檀家300軒がお寺の採算ラインといわれている。
超高齢化社会になってどこの寺に属さない人達も増えていると言われる。お寺には一種独特な閉鎖社会的な面がみられ、和尚さんの考えが絶対的だった、かつての姿と随分と違った現実がある。そんな意味で言えば、お寺社会と壇信徒との意識の乖離も大きくなる傾向にある。

無住になってしまったお寺。
新しく住職を迎えることの困難になったお寺は今後どうなっていくのだろうか。
一方でどこのお寺や宗教のも属しない葬儀は増えていると云う。
時代が変わって住民の意識が変わってきたからと言えばそれまでかもしれないが、経費のかかりすぎに対応できない家庭が多くなってきたのも事実だ。

葬儀がこれまでと違って質素になってきたとの話も聞く。
各地に無住寺が進行する今の時世、かつてお寺と一緒に地域を守り育ててきたと言う壇信徒の意識とは、ずいぶんかけ離れた姿に見受けられるようになってきた。

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