雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

東海道  唱歌「夏は来ぬ」

2019-07-04 22:44:18 | 東海道

石薬師宿で生まれ

石薬師宿をこよなく愛した佐佐木信綱さん

たくさんの歌を詠んだそうですが

私が知っていたのは

この唱歌の歌詞だけでした

唱歌「夏は来ぬ」

1番の歌詞しか知らなかったし

5番まであるのも知らなかった

意味なんて、まったく、わからない

記念館で歌の意味の資料をいただきました

1番

ホトトギスがうの花の咲いている垣根で鳴いている

しのび音とは、旧暦4月頃、ホトトギスが

声をひそめて、鳴く声の事

2番

田植えの様子を歌ったもの、

五月雨とは、梅雨時の雨の事

旧暦では、梅雨は5月頃なのでこのような漢字

早乙女は、田植えをする女性

玉苗は、苗代から田へ植え替える稲の苗

3番

中国の故事を歌ったもの

夜も勉強を怠るなといゆこと

4番

農村の夕暮れを歌ったもの

楝「おうち」は夏の花、栴檀「せんだん」の古名

水鶏「くいな」は夜行性の夏鳥

5番

1~4番をまとめたようなもの

五月闇は梅雨時の夜の暗闇のこと

で・・・

うの花って、どんなん???

記念館で、苗を売ってました

1ポット、100円

迷いました。ほしいけど・・・

まだ、街道歩きの途中で、持ち歩かなくちゃだよなぁ~

地元の園芸店でも買えるかもしれないし・・・

でも、ここで、この歌を作った

佐佐木信綱さんの生家で育てられた苗に意味がある

ような気がして・・・買いました。

ビニール袋に入れてもらって

リュックサックにくくりつけて・・・

一緒に歩き、バスに乗り、新幹線に乗り、高崎線に乗り

三重県から群馬県の我が家まで、やってきました

早速、植木鉢に植え替えました

うの花を歌いながら笑笑

ちなみに

佐佐木信綱さんが、なぜ

佐々木でなく、佐佐木を使っていたのかとゆうと

中国に行ったとき、中国で名刺を作ったそうですが

中国には、佐々木の真ん中の

漢字がなく、やむなく「佐」の字を2回使ったそうです

これが、本人がとても気に行って

以後この佐佐木を使うようになったそうですよぉ~~

もう一つ ちなみに

大学生の花子はこの

うの花の、唱歌、知らなかった泣

街道歩きの仲間たちと

記念館の前の路上で

うの花、歌ってきました

最終日のバスの中でも、皆さんで

歌いましたよぉ~~。しばらく

頭の中でうの花のメロディーが

流れそうです ♪ ♪ ♪   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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東海道 亀山宿

2019-07-04 15:39:20 | 東海道
能褒野神社 のぼのじんじゃ



日本武尊が祀られている神社
なんかつっそうとした感じの木々が
茂っていて、パワーもらえるような感じ

そして、蚊も多すぎた。

日本武尊のお墓に向かいます



なんか、細い道降りて、墓こっち→
みたいな小さな立て札なんかあって

日本武尊のお墓がありました。



宮内庁の管轄ですね。
宮内庁って、看板が立ってた。

墓所とか、処刑場は基本、
写真は撮らないって、決めてますが、
なんか、日本武尊なんで、撮っちゃた
変なもん映らないような気がして
なんの根拠もないが・・・

蚊にさされながらのお参りを終えて
東海道に戻ります。

谷口法悦供養塔



処刑場で、処刑された受刑者の供養のために
京都の信心深い、谷口さんが
供養塔を建てたとの事

和田の道標



東海道から、旧神戸道に分かれる所にあります。
この、細い方に行ったら、神戸に行けた!
昔は・・・
今は、知らない
こんな細い道、どこまであるのか?

石上寺





境内はちょっと、小高い丘の上
鎌倉時代から室町時代までの古文書が
寺宝として、残ってるんだって
御朱印頂いてきました。

和田一里塚



露心庵



この付近の合戦の戦死者を弔うために
たてられたお堂

ここからが、亀山宿場町

亀山宿
街道は、昔のおもかげはない!



けれど〜〜
家々に昔の屋号が掲げられていて
昔の街道を想像しながら歩けました



巡見道



各地の政情を視察する巡見使が通った道
私達も、監査が入るとなると
途端にバタバタと、
環境整備したり、
書類の整理見直しをするのと同じく、
昔の方々も
巡見使がこの路を通過する時は、
バタバタときっと、忙しかったはず
今昔変わらぬ光景があった通り

亀山城江戸口門跡




本陣跡



亀山城大手門跡



ただの交差点なんもない
ここを左に曲がって、亀山城を迂回する形で
東海道を歩きます。

今は、亀山城見る事が出来ませんが
昔は、美しい亀山城を見ながら
街道を歩いたはずです。

遍照寺 へんじょうじ



室町時代の創建と伝わる亀山有数の古刹
1843年に本堂が焼失した時に
亀山城の一部を移築し本堂としたそうです



なので、本堂の正面玄関には
亀山藩主の家紋があり
亀山城の貴重な遺構となっているようです

ここのお寺では、お寺の方に
詳しく! 詳しく!
色々と説明をしていだだき
ありがとうございました

歩く前に資料には、目を通しますが
訪ねる前なので、
何がなんだかよく理解できず
このように、街道歩きをおえてから
再び資料などを読み返してみて
やっと、理解する事が出来ます。
この、お寺に安置されている
地蔵菩薩は、平安後期の物で
延命地蔵として、信仰を集めているそうです
あらぁ〜〜
写真撮ってくればよかった〜〜
写真OKのお寺だったのにぃ〜〜
と、後悔してます。



このお寺を出るころには、
大粒の雨!

街道歩き、傘さしは
禁止です。皆さん雨具つけて
街道を進みます。

加藤家長屋門



家老だった、加藤さんの家!
お城が焼けた時
殿様の仮御殿になったほどの
大きな屋敷!
今は、門と蔵が残っているだけ

亀山城



鎌倉時代から、信長に滅ぼされるまで、
300年続いてた。

江戸時代は、亀山藩主の居城

広重さんの亀山宿



左に亀山宿の家並み
右に亀山城京口門が、描かれている

私達は江戸口門跡は、歩きましたが、
京口門付近は、多分次回だと思う
今回はその手前で、歩き終わっています。

お城側の道場



街道とは、関係ないけど
心形刀流武芸形っていうのが、
亀山だけに伝わる剣術みたいです。
三重県の無形文化財だって

我が家の子供達、
4人とも剣道部だったので、道場に馴染みが
あり、写真とっておきました。

ここまで、街道歩きは、終わりです

お昼は



マグロ丼に!
うどん! って、炭水化物に炭水化物だった笑笑

ダイエット中なので、炭水化物の摂取
気をつけていますが、
完食してしまった。

この日の午後は、街道沿いでは、ないけれど、
名古屋城に立ち寄ってから
新幹線に乗って帰ってきました。

真夏の街道歩きツアーは、
ないので、
次回は9月です。

次回は、難所の鈴鹿峠ごえが待ってます
体力つけて、備えます












コメント (6)
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