中山道を歩く25回
野尻宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅篭 19軒
野尻宿七曲りと呼ばれ
外敵を防ぐための曲がりくねった町並み
宿場の東のはずれにあるこの家の
屋号が東のはずれ・・・
と言います
おもしろい・・・
私達は江戸側から歩いているので
ここが始まりって事です
妙覚寺
このお寺にも境内に
「石像マリア観音」がありました
天長院のマリア観音より十字架が
わかりやすかったですよ
隠れキリシタンのための
観音様との事でした
脇本陣跡
本陣はこの向かい側にありましたが
共に石標のみ
旅館
庭田屋
野尻駅前のこの旅館は
昭和53年公開の寅さんの映画の舞台に
使われて有名になったところなんだって
機会があったら見て見たいな・・・
野尻駅
野尻駅でトイレを借りました
街道歩きではトイレお借りするの重要よ・・・
私は、トイレ近いのよ
ってか、心配症なのかな
水分摂取を控えると
熱中症になっちゃうし
調節が難しいです
駅前にはたくさんの木が積まれていました
なんとなく檜の木の香りがしたのは気のせいかしらぁ~~ん
東のはずれの屋号があれば西のはずれの屋号も
あるわけで・・・
こちらが西のはずれの屋号のお宅です
宿場の京側のはずれです
下在郷(野尻)の一里塚
江戸から77里
十二兼一里塚
江戸から78番目
柿其橋(かきぞればし)
柿其橋からは「南寝覚め」と呼ばれる
柿其峡の美しい渓谷を見ることができました
延々と木曽川沿いの国道を歩きました
今は、国道の通る広い道ですが
江戸時代は、
「野尻より三留野までの二里半、はなはだ危うき道なり」
って、木曽路名所図会に書かれていたんだって・・・
今は、広い国道沿いの歩道をひたすらに歩き
1っ歩1っ歩
京都に近づいているって感じだったわよ
与川道追分
木曾川沿いの中山道はたびたび水害で通行不能に
なったようで
そのう回路として野尻から見留野へ峠越えする
与川道ができたそうです
東海道の川止めでは旅人は何日も足止めされた
ようですが中山道はう回路があったのね
三留野宿
本陣 1軒
脇本陣 1軒
旅籠 32軒
三留野はかつて妻籠宿と並ぶくらい栄えた宿場だった
ようですが明治14年の大火で町並みのほとんどを
消失してしまったそうです
本陣跡
和宮さま一行も宿泊した本陣は石碑のみ
本陣の名残をとどめる枝垂れ梅
しだれ桜ってよくあるけど
しだれ梅って、
珍しくない???
等覚寺
街道からは少し離れていましたが
高台にあり見晴らしがよかったです
円空堂には円空仏がおさめられていました
桃介橋
木曽川の水力発電開発に力を注いだ
福沢諭吉娘婿が発電所の資材運搬路として
かけた橋
木曽川最大の木橋
老朽化が進んでいましたが近代化遺産として
復元されているそうです
この橋を渡ったところで
中山道を歩く
25回 上松から三留野2泊3日の街道歩きは終了しました
今回の街道歩きで
京都の方から歩いてきた5人グループと
すれ違いました
京側から江戸を目指すことを
東下りって言うようです
下りは都から地方に行く事の意味だって
そんでね、その5人の中に
東海道を一緒に歩いた方がいたのよ
びっくり・・・
お名前も知らない方だけど
東海道歩きの時に何度か一緒に歩いたんです
たぶん40歳代くらいの男性です
体格の良い方で・・・
別の言い方をすると
デブな方で
大汗をかきながら歩いていて
すごく熱心にメモを取りながら歩いていたので
印象に残っていました
熱心にメモを取る理由を尋ねたことが
あるのですが
友人を連れて、歩きたいので下見ですって
言ってました
一緒に歩きませんかなんって
社交辞令的な会話をしたので
印象に残った方でした
その方が
歩いてきたのよ・・・京側から
もぉ~~びっくり
「東海道を一緒に歩いた事ありますが
覚えてますかぁ~~」
って、声をかけたら
あちらも、覚えてくれていて
「あれ~~こんにちわ
お久しぶり~~中山道歩てるんですかぁ~~」
って、すれ違いながら会話です
「ツアーは金、かかるんで友達と自力で
歩いています~~」って・・・言ってた
東海道歩いていたの4~5年前です
名前も知らない方と
中山道で会えるなんって
なんだか、感動しちゃった
たぶん、もう2度と会わない人かもしれないけれど
街道を歩くと言う趣味を共有していたら
いつかまた、どこかで会えるかも・・・
すごいイケメンだったら思いも募るけど
汗かきのデブなんで、いつかどこかでまた
会えるかな~~って
感じです
笑顔の素敵な人よ・・・
街道歩きでこんなことってあるんだ
ほんと感動的な再会でした
次回26回は今週末8・9・10日です
いよいよ中山道の魅了満点の
妻籠宿・馬籠宿です
超~~楽しみ