★スパイラルスペース ひなたぼっこ★ ・ ・~あったかい学びの部屋~

 私、かんちゃんが日常生活に隠れている大切な宝物を探します。幸せになれる考え方、過ごし方を一緒に見つけましょ。

自分を変えてゆく力を持っている人

2012-08-31 12:43:15 | こんな風に生きたい・・・
昨日のTBS「はなまるカフェ」のゲストはメンタリストDaigoさん。

Daigoさんは小学1年生~中学2年生までいじめられていたそうです
中学2年生の時、初めて、
自分をいじめてきた人に向かっていったんだそうです
すると
それまで長年続いてきたいじめがなくなったのだそうです

そのことで
今までの自分のやり方を変えるだけで、状況は一変するんだ…  。」
そして「それまで、誰かが自分を助けに来てくれると思って待っていたけど、待っているんじゃなくて自分の意思と行動で周りの状況は変えられるんだ。」
ということを学んだそうです。

それから
今の状況を全部ひっくり返してしまえ
と思って、今までの自分とは真逆のことをするように変えたのだそうです。

・太っていたのをダイエットし、
・天然パーマだったのをストレートパーマをかけ、
・全く勉強をせずに学年で下から三番目だったのを一生懸命勉強を始め、上から三番目に。

小学生の時の写真を見ても全く面影はありません。
別人なのです。



自分の発信を変えれば周りが変わる」ということを
中学生で悟ったということもすごいですが、
なによりもそれを実践して、自分で状況をひっくり返した
というところが素晴らしいと思いました。



お話を聞いていて、
映画の「ペイ・フォワード」を思い出しました。
主人公の少年が
「このクソみたいな世の中が変わるのをこの目で見てみたい」と、
自分から「人を助ける」発信をしていく…
そんな 一人の発信が世界を変える
というお話でした。




自分を変えてゆける人、
自分を変えることで周りを変えてゆける人

凄いなと思います

神戸女子大学のCMソング♪

2012-08-09 21:08:41 | こんな風に生きたい・・・
「むすめ」/関取花

・・・
新しい場所を思うと自然と胸が躍るの

・・・
学べ 学べ 学べよ 学べ
お前の好きなことを見つけなされ
広い世界に触れてみなされ
夢を見つけなされ

・・・
学べ 学べ 学べよ 学べ
ぜいたく言う前に学びやがれ
いつか素敵な大人になって帰ってくるために
 



何があっても優しく見守ってくれる…
新しい世界に歩き出す背中を優しく、温かく、そして力強く押してくれる…
そんな応援歌です。

「全体でひとつの命」を知っている人

2012-08-03 17:05:20 | こんな風に生きたい・・・

補い合って、全体でひとつの命だってことを知っている人は
あたたかい

時空を超えてみんなががつながっている部分があることを知っている人に
孤独はあり得ない

だって、
全体を作るのにみんなが必要だって知っているから。

自分も一人では完全ではないということを知っているから。

「人のために生きる」②~生きる意味の模索~

2012-02-11 11:47:02 | こんな風に生きたい・・・
今日「生きることを選んで」というテレビを見ました。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した記者の闘病と心の葛藤が赤裸々に語られた衝撃の番組でした。
筋肉がどんどん萎縮して動かなくなってくる病気。
進行すると肺の筋肉が衰え、呼吸困難になってくるそうです。
その段階で「人工呼吸器をつけるかつけないか」という決断が迫られます。
人工呼吸器をつけないということはイコール「死を選ぶ」ということにつながる…。
呼吸困難に陥った時、麻薬を投入してもらって楽に死ぬ・・
そういう道を選ぶ人もいるようです。
取材を受けていた谷田さんという方は「家族に介護の大変な思いをさせてしまう…」と葛藤しながら
人工呼吸器をつけるという選択をします。

生きることで子どもの成長がみられる…
家族との団らんに喜びが感じられる…
声が出なくても記者としてALS患者として世に発信していくことで後の患者のためになる…

「生きる意味」を見出しておられました。


そんな谷田さんが抱いていた恐怖、
それはTLS状態。
意識だけが鮮明で、身体のあらゆる筋肉が動かなくなってしまった状態。
瞬きもできず、目も閉じたまま。
何の意思の発信もできなくなってしまう状態。
そうなっても、果たして生きる意味があるのだろうか…

そして谷田さんはそういう状態でも生き続けている患者さんの家族のもとに
車いすで取材にいきます。

そして奥さんに尋ねるのです。
「こういう状態になっても生きている意味はとごにあるのでしょうか。」

すると奥さんはサラッと
「一番わかりやすいのは一緒に歳を取るってことですね。」って。
「写真の中では歳をとりませんもの。でも生きていてくれたら一緒に白髪になって、しわも増えて。」

奥さんが買い物から帰ってくると、ヘルパーさんが
「ほら、やっぱり奥さんが帰ってくると、明るい顔色になる…」っていつも言われるのだそうです。

生きて、意思を発信している証がここにちゃんとあるではないか


息子さんは「僕たちのために生きてくれていることを尊敬する・・」
そう言っていました。

究極の「人のために生きる」
ってこんなに深くて重みのあるものなんですね。





 

「人のために生きる」①~エネルギーを循環させながら生きる~

2012-02-11 11:20:25 | こんな風に生きたい・・・
昨年から今年にかけて、
命、生きるということを深く考えさせられます。

身近な大好きな人たちの死。
自分自身の流産。
そして日本中が深い悲しみに包まれた出来事。


先日、テレビで「和のモダンダンサー」の特集をしていました。
女性ダンサーだったんですが、お名前は忘れてしまいました…

世界に日本人としての踊りを発信しておられる女性ダンサー。

彼女が世界に羽ばたくきっかけが、大好きなお父さんの死だったそうです。

お父さんの死と身近な人の死が続き、家族みんなが悲しみにひしがれながら暮らしていた時、
「このままではいけない」そう思ったそうです。
そしていつも「がんばらないといけない」そう言っていたお父さんの言葉を支えに

「家族が笑顔になるために、自分ががんばろう」
そう決意して、あきらめていたダンスを本格的に学ぶため、外国に飛び出したそうです。
そして今の活躍に。

彼女が語っていた言葉の中でとても心に突き刺さったのが
「人のために生きる人生ってあるんだな。」
でした。

「家族の喜ぶ顔を見るためだったからがんばれた」
そうも言っておられました。



人のためだからがんばれる、力が出るってわかる気がします。

軽い例になって申し訳ないですが、
マッサージだって自分の体をマッサージしようと思うと五分でも疲れます。
それでも人のために、この人がちょっとでも気持ち良く楽になってもらいたい、そう思ってマッサージすると
20~30分しても疲れを感じないんですよね。
逆に相手からエネルギーをもらいながら、相手にエネルギーを注ぐ…
循環を感じることができます。


  「人のために生きる」ことでエネルギーが良い循環をする  
そんな生き方をしたいなと思います。





「有意義な時間の使い方」ってどんなの?

2011-11-13 08:40:20 | こんな風に生きたい・・・
昨日草むしりをしながら、こんな話を思い出していました。
あるシスターが修業時代に草むしりをしていた時の話

シスターが草むしりをしていると
お師匠シスターに「あなたは時間の無駄遣いをしている」
そう言われたのだそうです。

言われたとき、シスターにはどういう意味かわからなかったそうです。
「効率よく」と思いながらしているのに、
何故「時間の無駄遣いをしている」と言われるのか?


するとお師匠シスターはこう続けました。
「『みなさん、お幸せに。』そう祈りながら草むしりをすればどれだけ社会に貢献できるか・・。」


シスターはハッとしたそうです。



この話を思い出しながら草むしりをしていました。


 「時間の使い方」は見た目に「何をしているか」ではないんですね。 
何も動いていないように見えても祈っている人がいれば、
それは世の中にプラスを生み出す有意義な時間。

「人のため・社会のため」と言われてボランティアに参加したものの
「なんで私がこんなことを…。」
そう思いながらしていてはそれは社会にマイナスを生み出す時間の無駄。


なるほど。
大切なのは一瞬一瞬の「気持ち」ということなんですね。

 「どんな気持ち」でするか。
 何をしたかではなく。
 



家庭の専業主婦が社会貢献していないか

とんでもない
奥さんがニコニコとあたたかい気持ちで
疲れて帰ってきた旦那や、子どもを「お帰り。」
って迎える。
それでホッとする家族はまたあたたかい気持ちを取り戻して
社会に出ていく。
そしてあたたかい気持ちを社会に反映していく。
そしてまた傷ついた家族をあたたかく迎えてくれる奥さん、お母さんが家にいる。
そしてまた心癒されてあたたかい気持ちを取り戻し…


このいい循環を作っている奥さん、専業主婦は
社会にとっても大きな、重要な役割を果たしているんだと思います

究極の奉仕活動・・・それが祈り☆

2011-11-07 12:00:05 | こんな風に生きたい・・・
「祈り」という言葉を聞いて、抵抗を感じられる方もいらっしゃるかもしれません。

なんで?

それって「祈り」の言葉が ○○教 というような宗教をイメージさせるのかもしれません。



ビートたけしさんがバイク事故で生死をさまよう体験をされて、
復帰されたとき、こんなことをおっしゃっていました。
「○○教じゃなくて、宗教心ってのは人間生きてく上で必要なんじゃないかと思うんだよね。」って。


「宗教心」ていうのは
自分はなんでこの世に生まれてきてのか、
死んでどこに行くのか、
地球・宇宙はどこに向かっていくのか、

そんな、宇宙に生かされている一人の人間として
根本的な、そして最も大事な教えなんだと思います。


たけしさんもあのような大事故を起こされて、
こんな大事故を起こして
死んでいても全く不思議じゃない状況の中、
何故だか自分は今ここに生かされてる…
ってことはここに生かされてる理由があるんじゃないか、
死ねなかった理由があるんじゃないか、
きっとそう思われたのではないでしょうか?


これがまさに宗教心なんだと思います。



「祈り」は○○教ではなくて、この宗教心により近いんだと思います。
「祈り」とか「奉仕」をきれいごととか偽善と感じられる方もいるでしょう。
ならば、きれいごとではない、偽善ではない、純粋な「祈り」を日常生活の中で、
日々試されてはいかがでしょうか。
きれいごとでない「祈り」が本当に存在するかどうか。
見返りを求めない、純粋に相手の幸せのみを願う…
自分の損得とか、計算を一切除外した祈り。


これこそが究極の奉仕活動だと思います。

初心を思い出しました・・・!

2011-11-07 11:50:15 | こんな風に生きたい・・・
ひとつ前のブログで書いたように

みんなの幸せを祈ればいい

そんなことを考えていると
いろんな大切なことが頭の中を駆け巡り始めました。
そして結婚する相手を決める時、こんな思いだったことを思い出しました。

「会ったこともない、見たこともない、遠い国の子どもたちのために 写真を見ながらでも一緒に祈れる人。」

そんな思いで、「この人ならそれができる」
そう確信して結婚したのでした。


そして私たち夫婦が愛の発信地となるように…。

一人で祈るより二人で、二人より三人、四人…家族が増えて
家族みんなで祈れば、
一人で祈るよりも何十倍、何百倍の愛のエネルギーとなって
発信できる


そう思って、家庭を築くことを決めたのでした。

生き方の教科書

2011-02-24 20:04:10 | こんな風に生きたい・・・
弱気になった時、
生き急いで焦っている時、
必ず開いてみる「生き方の教科書」。

それは
さだまさしさんの「生生流転」♪

当たり前に生きたい ささやかでいいから
前のめりに生きたい ひたすら生きてゆきたい

生きるという奇跡を思い切り信じて過ごしたい
喜びと悲しみと憎しみと愛と死を
つまづきながらでいいから
慈しむ人になりたい

当たり前に生きたい ささやかでいいから
とても優しくなりたい
素直に生きてゆきたい

道に迷い苦しみ 時には人のそしりを受けて
それでも笑って 胸張って生きられるほど
強く 強くなりたい
こんな小さな生命 それでも私にはたった一つ
逃げた後悔やむより
悔やまずに血を吐いて
ひたむきに歩けるほど 勇気と力が欲しい



いつもこの歌を歌いながら
自分の生き方がまちがっていないか確認しています。
そして、正しいと信じる道を誰に何と言われても
胸を張って堂々と生きていく勇気と元気をもらっています。