★スパイラルスペース ひなたぼっこ★ ・ ・~あったかい学びの部屋~

 私、かんちゃんが日常生活に隠れている大切な宝物を探します。幸せになれる考え方、過ごし方を一緒に見つけましょ。

情より慈悲深い人に・・・

2010-09-06 07:18:26 | こんな風に生きたい・・・
むかしむかし・・・
ある所に立派なお坊さん(師匠)がいました。
ある日、お師匠さんは大勢いる弟子たちの前で
何十年もかわいがっている猫の首根っこを左手でつかみ、
右手にはカマを持ち、
「弟子たちよ。私はこの猫の首を切り落とす さあ、どうする
お師匠さんの物凄い気迫に緊張感が高まりました。
弟子の一人がこう懇願しました。
「師匠、やめてください。この猫にはなんの罪もありません。かわいそうです。助けてあげてください。
すると師匠は「お前たちは何もわかってない
と言って、長年大事に大事にかわいがってきた猫の首を切り落としたそうです。



このお師匠さん、弟子たちに何を教えたかったのでしょうか?



このお話、何度か聞くのですが、初めて聞いたとき
「なんてひどいことを 弟子の言うとおり、この猫には何の罪もないのに殺すなんてなんて残酷な…。」
と思いました。
最近、ようやくこの師匠が弟子たちに何を伝えたかったのかがなんとなくわかってきました。

情けや情は何の意味もない。大切なのは情を超えた慈悲の心。
慈悲の心には自己犠牲が伴う。


もし弟子の中に
「師匠、猫の命も人間の命も同じです。その猫の首の変わりに私の首を切ってください。」
と自分の首を差し出す者がいたら、きっと師匠は猫の首を切らずに「それでいい。」
と言ったでしょう。

情や情けで「かわいそう…。」と思ったところで、相手の何の役にも立たない、
かわいそうと思うなら自分を犠牲にして命を懸けて相手を助ける慈悲の心を持ちなさい 
そういうことなんですね。

自己顕示欲。。。

2010-01-27 16:06:10 | こんな風に生きたい・・・
うちの人、自己顕示欲とやらにめっちゃ敏感なんです。
テレビを見ていても、
自分をアピールするために何かしている人や、
「私がこれをやった!どうだ 
なんて見え見えの自己顕示をしている人を見ると
「アホちゃうか~。」
とよく口にしています…

そんなうちの人が以前、散歩中にこんなことを…

私が「このお家、お花きれいにしてるよね 。」
って言うと、うなずかないんです。
そして「ここは花が好きで手入れしてるんじゃなくて、人に見せるために置いてる。」って。
なんだかとっても的確な見方だと思ったんです 
というのは、私も心のどこかで、
お花をきちんときれいに置いてあるんだけど、何かがちょっと違う…
って感じてたからです。
それを言われて「そうか~
と妙に納得しました。

花が大好きで愛情を持って手入れをする主人だからこそ、
そこに花に対する愛情がないことに気がついたのかもしれません。


自己顕示欲。自分をよく見せたいっていう欲は
見る人が見れば一発でわかっちゃうんですね 

自分をアピールするための行動って
他の人には鼻につくんですよね。
気をつけようっと 


植物が元気になる家に♪

2009-11-12 11:45:19 | こんな風に生きたい・・・
 この家に植物を持ってくると元気になる 

そんな家、家庭にしたいな。

家の中がうきうき、そして安心なあたたかい、優しい雰囲気に包まれたら、
植物たちもきっと生き生きと生命力がみなぎってくるような気がするんです。
そんな雰囲気作りができるように。
私自身がそんな雰囲気でいたいと思います。

これがコツか~ッ!

2009-10-25 19:06:00 | こんな風に生きたい・・・
電車に乗ったとき、いつも葛藤していました 

電車に乗っている時間が長いので 
座りたい
という気持ちが優先します。

座れるとホッとするのですが 
次の瞬間から
「近くにお年寄りや立っているのが辛そうな人が来たら嫌だなぁ。」
という思いに駆られるのです 
疲れ果てて眠ってしまっているときは
何も考える余地はないので
とっても楽なんですが…
時には寝たふりなんかしちゃってッ

自分でも子どもっぽいなって思うんですけど…

どこかで
  「目の前にお年寄りが立ってるのに、知らん顔して、冷たい人…。」とか
  「周りをぜんぜん見てない、気づかない人。」
  「気づかない振りして、ズルイ人。」
と思われてるんじゃないか…
という人の目がすごく気になっている自分がいるんです 

それでも、座っていたいし~

その葛藤でした。

今日は、なぜか周りの人の目がまったく気になりませんでした。
ただ目が痛いからめをつぶってた~って感じです。
寝ていたわけではないのですが、
周りはまったく気になっておらず、
ふと我に返って目を開けたその時、
私の隣の席が空き、
向かい側に座っていた女性の友人らしき人が座ろうとしました。
が、向かい側の女性と隣に座りたそうな感じでとまどっていました。
その次の瞬間、
私は何も考えるまもなく、腰が上がっていました。
そして向かい側の女性に
「場所、変わりますか?」
と口から言葉が突いて出ていました


「これだね
と思いました。

周りの目を気にして動くのではない
余計なことをあれこれ考えて動くのではない

余計なことを考えずに、スパッと生きていれば、
きっと必要なときにはちゃんと気がついて、
反射的にその時必要な動きができるはず

そうなれば、
自分が座っていたい~って気持ちがあっても、
その気持ちとは関係なく、動けるはず 

そうだとすると、
「座っていたい~。」って思う自分を責める必要もまったくありません 
気持ちは気持ちであっていいのかなって。

とっさに正しい行動が取れるように、
余計なことは考えずに、スパッと生きようって思います 

私、勘違いしてました・・・!

2009-10-07 08:59:42 | こんな風に生きたい・・・
「人生、自分の思い通りに行かんで当然や。
思い通りに行かんから、人生は面白いんや。」


先日、ある人に言われ、ハッとしました
言われてみると、この世の中、思い通りに行かないのは当たり前ですよね。
そんな当たり前のことを、私はちょっと勘違いしていたようです。

今現れている現実は、自分が作った原因が生み出した結果。
これは 『原因と結果の法則』 です。
これに固執しすぎて
「嫌なこと、しんどい現実がやってきたとき、その原因は自分にある。
ということは、まっすぐに正しく生きていれば、世の中すべて思い通りになるはず。」
と勘違いしていました 

清く正しく美しく生きていれば、嫌な出来事はおこらないのか?
って言ったら、そんなことはありませんよね。(おそらく…)

ここで気づいた間違いが二つ。
★人間なんだら、完璧に清く正しく美しくは(そのつもりでいても)ありえない
★現実を作っているのは自分だけ、というおごり


自分の予期もしない、難しい現実がやってきたとき

    大切なのは
自分が今すべきことは何か、
やるだけやったら後は天に任せて、どう進展するかこの状況を楽しむこと。

一つ目の「自分が今何をすべきか」がわかっていない場合も多いと思います。
そんなときは
一瞬一瞬、「善」と思うことだけをする、
それを積み重ねていくと、
いい方向に行くか 
さらに自分がなすべき事柄が見えてくるでしょう。
    必ず

自分が生み出した結果だったとしても、
歪んだままで原因を探してもなかなか見つかりません。
まずは「善」と思う行動を積み重ねていくと
それが「今、いい原因作りをしている」ということになるんですね。
         

これからは思いもよらない、難しい問題がやってきたとき、
自分の中の歪んだ部分が生み出した原因を考えるのはいいけど、
落ち込むのはやめよう 
今、この瞬間から、また善の行為を意識して積み重ねていって
心配はせず、
天に任せて、
成り行きを楽しみたいと思います 

     

雲のように。。。

2009-08-18 06:57:21 | こんな風に生きたい・・・
    
雲のように 生きたい。
風の流れに 何の抵抗もしないで
形を変えながら
流されて、流されて~

どこかで起こった原因(水、熱など) があるから
 その結果として 今、この雲がある。
不平不満を言うわけでもなく
ただ淡々とどこかで起こっている原因の結果を表し続けている…。

 今の雲の形にこだわることなく
過去の雲の形はあーだった、こーだったと 
懐かしんだり悔いたりすることもなく
ただ淡々と …。

何の無駄もなく、不足もなく
ただ淡々と結果を表し続け、
大自然の循環の中で 
ちゃんと大きな役割を果たしている… 

大自然に完全に身を任せ、
 何の疑いもなく 
自分の現すべきものだけ忠実に表す 

そんな雲のように生きたい…
    
       




「生生流転」

2009-07-25 16:59:20 | こんな風に生きたい・・・
     「     ・・・

ああ  あたりまえに生きたい  ささやかでいいから
ああ  とても優しくなりたい  素直に生きてゆきたい

道に迷い苦しみ  時には人のそしりを受けて
それでも笑って  胸張って生きられる程
強く強くなりたい
こんな小さな生命(いのち)  それでも私にたったひとつ
逃げたあと悔やむより 悔やまずに血を吐いて
ひたむきに歩ける程  勇気と力が欲しい

ああ  あたりまえに生きたい  ささやかでいいから
ああ  前のめりに生きたい  ひたすら生きてゆきたい
        ・・・
        」

   
    さだまさし作詞・作曲 「生生流転」


       こんなふうに生きたい… 


私の尊敬する “夜回り先生”

2009-07-03 23:38:09 | こんな風に生きたい・・・
今日、「夜回り先生」こと水谷修先生の講演を聴きに行ってきました。
先生の講演は、どんなに体調が悪くても
ぜひぜひ行きたかった…

定時制の学校の先生を長年されて、
その頃から
昼の世界に居場所を失った子どもたち、
そして夜の世界に自分の居場所を求めて足を踏み入れてしまった子どもたちを 
なんとか救おうと、
夜の街を夜回りすることを18年続けてこられました。
今は全国各地の夜回りに行かれているそうです。

子どもの叫びを全身で浴び続ける先生。
子どもの叫び、怒り、悲しみ、全部を恐れずに受け止める先生。
本当にすごいと思います。

私も昔、子どもや若者たちと関わる仕事をしていました。
そのときのことを考えると、
やっぱり子どもたちが私の知らない世界にいると
私の理解できない世界にいると
怖かった…
その子が歩むべき道筋が見えなくて。
今思うと、
自分の知ってる世界しか理解しようとしない、
自分の知ってる道に子どもを乗っけようとして、
自分の価値観にしがみついていたってことですね…

水谷先生は自分自身夜の世界、
薬物依存ややくざな世界を知っていたわけではなかったと思います。
それでも子どもの叫びを聞きたい一心で、
子どものいる夜の街に飛び込んでいった。
先生の中に 
「自分を認めてほしい」とか
「自分を誇示したい」とか
そんな自分本意なエゴはみじんも見受けられません

自分自身は癌におかされ、
全身ボロボロになりながら、
自分の体よりも子どもたちのことがいつも頭から離れない、
そんな感じでした。

先生は力をこめてこう言われました。
「悩んだときには、死にたいと思ったときには人のために何かをしなさい。
・・・自分が人の役に立っている喜び、これが生きる力です。」

今日、私は先生の生き様に感動し、
生きる力・前進する力をもらいました。
講演中、何度涙がこぼれたか 

悩んでいる人、寂しい思いをしている人、自分の気持ちの持って行き場に困っている人に…
積極的に声をかけて、
心の中で叫んでいる人の生きている場所に行き、
心の叫びの声を聴く、
そんな本気で付き合う覚悟のある大人の一人に
私もなりたい…


寝たきりになっても光を放てる・・・そんな人に

2009-05-29 11:50:07 | こんな風に生きたい・・・
ついこの間まで体調が悪く、日中もゴロゴロしていました。
そんな時、寝たきりで動けない人たちのことを考えていました。



 歳をとるとみんな動けなくなります。
   若くても、動けない人もいます。
   それでも「お迎え」がくるまで生きていかなければなりません。
   ・・・なんで?!

   「お迎え」がくるまでは、生かされている訳・理由・意味があるから。
   ・・・動けなくても?
   そう。動いて「何かする」ことが生きている意味ではないから。
   ・・・生きている意味って?
   周りに光を放つこと。つまり、動けなくても周りに光を放つことはできるってこと。
   体に障害があっても、発達に障害や遅れがあっても、そんなこと関係ない。
   生きてるってことは周りに光を放つ役割を持ってるってこと。

   だから寝たきりになっても周りの人たちが幸せでいられるように祈ればいい。
   心配に使うエネルギーを祈りに変えたらいい。 
                          


そう思っていました…。今もその思いにブレはありません 
が、それがいかに難しいことか 
自分の体調がすぐれない、自分のことに思い煩っていては
なかなか人のために祈るなんてできないんですね。
体調が悪くてゴロゴロしていたとき、
心だけは健やかでいようと、努力はしていましたが、
体と心を切り離すって本当に難しい 
完全に自分を捨てるって、とんでもなく凄いことだって思いました。

今の私にはその境地には程遠いってことがよくわかりました 
寝たきりになっても光を放てる…
簡単に考えていた自分が恥ずかしい。
けど、「寝たきりになっても光を放てる」境地を目指して生きていたいと思います 



「走る美容室」

2009-03-18 16:15:48 | こんな風に生きたい・・・
 今日、こんな面白い車  を見ました。

「走る 美容室」と書かれた大きなトラックです。
その車はうちの近所の老人ホームの中に入っていきました。

なるほどな~

出張する美容室。
確かに外に出たくてもなかなか出られない人もいます。
それでも身だしなみはきちんとしておきたいという…。
ニーズはかなりあるだろうなぁと。

あんなに大きなトラックだってことは
お客さんの家の中に上がりこまなくても
きっと車の中が美容院になっているのでは?

商売はお客さんのニーズに答えなければいけません。
そのためにはお客さんのニーズを知らなければいけません。
ということはお客さんの立場に立って、
何を求めているか、想像できなければいけません 

商売(お金儲け)も家庭生活も人とのお付き合いもみんな一緒。
   相手の気持ちを察することができ、
   理解することができ、
   そっと手を差し伸べることができる
そんな人間がこの世の中で求められてる…
必要とされている人間なんですね。

自分の生きているあらゆる場で
みんなから必要とされる人間 になりたい