★スパイラルスペース ひなたぼっこ★ ・ ・~あったかい学びの部屋~

 私、かんちゃんが日常生活に隠れている大切な宝物を探します。幸せになれる考え方、過ごし方を一緒に見つけましょ。

「普通」にとらわれる私たち

2010-08-19 10:53:08 | かんちゃんの今日
子どもたちって、結構大人の痛いところをついてきます 

大人が気にしていることなんかを直球でついてきます 

以前、やっていた塾やフリースクールでもそんな場面は多々ありました。

若い頃はその度にムッとしてしました。
「人の嫌なことばっかりつついて」「人の気にしてることをなんで言うの
と腹を立てていました。
それを子どもに悟られないように抑えるのに必死でした 


先日、ふと「子どもたちは何で大人が気にしていることがわかるんだろう。」
と思ったんです。


例えば今の私たち夫婦にとって一番気にしていることと言えば…
「子どもができないこと。」

それを子どもたちは平気で「何で子どもおれへんの ?」と聞いてきます。



これって
「普通、結婚したらすぐ子どもができるもの。」
という思い込みがあるからじゃないかな?

子どもたちもいつの間にかそういうふうに思い込んでいるから、
普通じゃないことに素朴に疑問を持つんじゃないかな…


一方、私たち大人も「普通」に無意識に捉われて、普通じゃない状況に悩みを持つ…

要は大人も子どもも「普通」に縛られてるってことかな。

「普通」に縛られなくなるとみんな楽に生きられるよね 

「求めれば与えられる」の捉え方、間違えてたかも・・・

2010-08-19 09:49:12 | かんちゃんの今日
昨日のブログで「求めれば与えられる」と思った話をしました。
が、ちょっと違うかなという気がしてきました

「自分の成長にとって必要な出来事が起こる」のは確かな気がします。

が、振り返ってみると・・
「人の気分や感情に振り回されない強靭な精神力を持ちたい。」と意識する前にも
人の強烈な感情に触れる機会はたくさんあったなって思います。
その時はどうなっていたかというと
思いっきり人の感情の渦の中にどっぷりと巻き込まれて
自分自身も激情しながらの毎日でした。

練習の機会は随所随所で与えられていたのに、それに気づいていなかっただけなのかな。

こんな自分になりたいという目標を持ったとき初めて、
与えられている練習の機会を自覚できる気がします。
自覚、意識、認識できれば闇雲に巻き込まれて流されて振り回されて終わることはありません。


練習の機会は求めていないときも随所随所で与えられていた、
そのことに気づいていなかっただけ。


昨日、ブログを書いた後でそんなことを考えていました。