毎日小田急線通勤の私にとって、気になっていたのは大山です。
日本百名山にも入っている大山の阿夫利神社は、紀元前の創建!
庶民の山岳信仰も昔からさかんで、江戸時代には大山街道が整備され、
大山講が盛んになりました。
丁度宮ヶ瀬湖方面に来る機会があったので、チャンスとばかりに行ってみました。
梅雨の晴れ間の今日、ムシムシとまとわりつくような暑さ。
山岳信仰のお山だけに、急峻な斜面に恐れをなし、迷わずケーブルへ(^^;)
ケーブル乗り場までも結構登り道がきつかったのですが…。
ケーブルで一気に阿夫利神社下社にのぼります。
眼下には、伊勢原や相模方面の見事な大パノラマ!
高いところはやはり気持ちがいいです。
空気も若干ひんやりと。
前方を見ると、阿夫利神社下社の後ろの大山には、雲がかかっていました。
阿夫利神社の名前の由来は、常に霧や雲を生じていることから、「雨降り」から
転じて阿夫利(あふり)になったそうで、雨乞いでも信仰を集めました。
この「峰にたなびく白雲」を見て、思わず納得!
だってほら、少し視線をずらせば、こんなに青空。
思わず先ほどの「白雲」に「入り日差す」とくっつけたくなってしまいます。
阿夫神社下社。
拝殿地下には、大山名水が湧き出しています。
お水も冷たいだけでなく、この地下空間がひんやりして気持ちいいです。
この境内を歩くと、信仰の形跡が色々とうかがえてなかなか面白いです。
さて、大山の山頂へは、下社左奥の登山道を行くわけです。
大山山頂には、本社(奥の院)があるわけですが、ここからは本格的に登山覚悟で
行かねばなりません。
というわけで、今回は下社まで。
早速、急な階段から始まる登山道が続いております。
さて、ケーブルは往復を買っていたのですが、途中の大山神社まで歩いて下山しようという
ことで、下り始めたのが実は運の尽きだったのです(^^;)
ケーブルは、正直比叡山もかくやと思うほどのかなりの急勾配、
登山道も、よく見られる「男坂」と「女坂」に分かれています。
よくよく地図も見ず、行きつく道は同じものとてっきり思いこみ、
本当になんの考えもなく男坂の方を下り始めました…
気になったのは、「男坂には電灯がないので夜間ご注意ください」との看板のみ。
下りとはいえ、驚くほど急な石段の山道に、もうヒヤヒヤでした…
しかもどこまで続くとも知れぬ、ひっそりとした山道…
一歩間違えば、転がり落ちる急峻です…
かなり下って、大山神社になかなか行きつかないことに不安を感じ始め…
ふと、崖下にケーブルの「大山神社駅」を発見してしまいました…
どうやら、大山神社に通じていたのは、「女坂」のみだったようです。
ケーブルの線路を挟んで、男坂は本当に険しい山道のみ。
さすがに山岳信仰、下りとはいえ、生半可なものではなかったです。
なんとか下界に辿り着いた時には、膝が笑っていましたよ…(^^;)
大山寺のお不動さんにお参りしたかったのですが、もうケーブルも終電の時間なので、
またいずれ機会があればリベンジですかね。
今回は思わぬところで来ることができただけでもありがたいと思いましょう。
急な山道で山岳修業できましたし…。
さて、余談ですが、大山講では、納め太刀と言って、大きな刀と持って行って
納めることが行われていました。
起源は、源頼朝が戦勝祈願に大山寺に太刀を納めて、見事に勝利したことからだそうです。
後から地図を見ていて気付いたのですが、
「大山の幕末三舟」として、「海舟神社」「山岡鉄舟」の碑、、「高橋泥舟」の碑が
ありました。
碑は、それぞれご本人の筆のようなので、このご三方も大山詣でをされたのですかね。
ちょっと詳細はわかりませんでしたが、それだけ江戸からの参詣者も多かったということでしょうか。
どういう局面で、この方々が詣でたのか(三人同時ではないと思いますが)わかると
面白いのですが(^^;)
日本百名山にも入っている大山の阿夫利神社は、紀元前の創建!
庶民の山岳信仰も昔からさかんで、江戸時代には大山街道が整備され、
大山講が盛んになりました。
丁度宮ヶ瀬湖方面に来る機会があったので、チャンスとばかりに行ってみました。
梅雨の晴れ間の今日、ムシムシとまとわりつくような暑さ。
山岳信仰のお山だけに、急峻な斜面に恐れをなし、迷わずケーブルへ(^^;)
ケーブル乗り場までも結構登り道がきつかったのですが…。
ケーブルで一気に阿夫利神社下社にのぼります。
眼下には、伊勢原や相模方面の見事な大パノラマ!
高いところはやはり気持ちがいいです。
空気も若干ひんやりと。
前方を見ると、阿夫利神社下社の後ろの大山には、雲がかかっていました。
阿夫利神社の名前の由来は、常に霧や雲を生じていることから、「雨降り」から
転じて阿夫利(あふり)になったそうで、雨乞いでも信仰を集めました。
この「峰にたなびく白雲」を見て、思わず納得!
だってほら、少し視線をずらせば、こんなに青空。
思わず先ほどの「白雲」に「入り日差す」とくっつけたくなってしまいます。
阿夫神社下社。
拝殿地下には、大山名水が湧き出しています。
お水も冷たいだけでなく、この地下空間がひんやりして気持ちいいです。
この境内を歩くと、信仰の形跡が色々とうかがえてなかなか面白いです。
さて、大山の山頂へは、下社左奥の登山道を行くわけです。
大山山頂には、本社(奥の院)があるわけですが、ここからは本格的に登山覚悟で
行かねばなりません。
というわけで、今回は下社まで。
早速、急な階段から始まる登山道が続いております。
さて、ケーブルは往復を買っていたのですが、途中の大山神社まで歩いて下山しようという
ことで、下り始めたのが実は運の尽きだったのです(^^;)
ケーブルは、正直比叡山もかくやと思うほどのかなりの急勾配、
登山道も、よく見られる「男坂」と「女坂」に分かれています。
よくよく地図も見ず、行きつく道は同じものとてっきり思いこみ、
本当になんの考えもなく男坂の方を下り始めました…
気になったのは、「男坂には電灯がないので夜間ご注意ください」との看板のみ。
下りとはいえ、驚くほど急な石段の山道に、もうヒヤヒヤでした…
しかもどこまで続くとも知れぬ、ひっそりとした山道…
一歩間違えば、転がり落ちる急峻です…
かなり下って、大山神社になかなか行きつかないことに不安を感じ始め…
ふと、崖下にケーブルの「大山神社駅」を発見してしまいました…
どうやら、大山神社に通じていたのは、「女坂」のみだったようです。
ケーブルの線路を挟んで、男坂は本当に険しい山道のみ。
さすがに山岳信仰、下りとはいえ、生半可なものではなかったです。
なんとか下界に辿り着いた時には、膝が笑っていましたよ…(^^;)
大山寺のお不動さんにお参りしたかったのですが、もうケーブルも終電の時間なので、
またいずれ機会があればリベンジですかね。
今回は思わぬところで来ることができただけでもありがたいと思いましょう。
急な山道で山岳修業できましたし…。
さて、余談ですが、大山講では、納め太刀と言って、大きな刀と持って行って
納めることが行われていました。
起源は、源頼朝が戦勝祈願に大山寺に太刀を納めて、見事に勝利したことからだそうです。
後から地図を見ていて気付いたのですが、
「大山の幕末三舟」として、「海舟神社」「山岡鉄舟」の碑、、「高橋泥舟」の碑が
ありました。
碑は、それぞれご本人の筆のようなので、このご三方も大山詣でをされたのですかね。
ちょっと詳細はわかりませんでしたが、それだけ江戸からの参詣者も多かったということでしょうか。
どういう局面で、この方々が詣でたのか(三人同時ではないと思いますが)わかると
面白いのですが(^^;)