西郷軍の300余名に対し政府軍は約4万でこの城山を取り囲んでいる。死を決した西郷は、夜明けを待って、5日間過ごしたこの洞窟を桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎といった私学校の幹部たちと共に出て、ゆっくりと岩崎谷を下り始めた。その時政府軍の流れ弾が西郷の腰に命中。「この辺で、もう、ようがどす」言って、別府晋介の介錯で49歳の生涯を閉じた。西郷隆盛は日本をどのようにしようと思っていたのか?彼は書き物を残さなかったが、自分の計画とは異なった方向へと自分が追い立てられてゆくのに耐えられなくなったのだろうか。