《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔奈良名所「猿が飼われブランコもあった新公園跡」

2018年12月11日 | Weblog

現・奈良県新公会堂は、興福寺の子院、四恩院跡で、
江戸時代、周辺は野田村と呼ばれた。
四恩院には白河上皇が寄進されたと言う十三塔があったが、
文明12(1480)年に焼亡、その塔跡が公会堂庭園に残る。
明治21(1888)年に大和郡第六十八銀行(現・南都銀行)と
大阪第三十四銀行の和風二階八棟造りの
集会所(奈良倶楽部)が建てられた。
明治41年の陸軍大演習では大本営となった。
その後昭和4年には自動遊技場として「新公園」と呼ばれた、
昭和63年に開催された「なら・シルクロード博覧会」で姿を消した。

今日の暦:昭和16(1941)年、ドイツ、イタリアがアメリカに宣戦布告する。