この知覧町武家屋敷は門から庭や中の建物を直接見えないよう設計されているようだ。武士の上下関係かそれとも富める者とそうではない者との区別だったのか?この知覧は「知覧茶」で有名である。宇治茶は山の傾斜地で栽培されているが、知覧茶は丘の平坦な土地で育てられているので、お茶の畝を見渡すことが出来ないようだ。
日本家屋の素晴らしさの中にはいろいろな工夫がある。平らな雨戸が画像右側から繰り出されてきて、この角で竹を軸にして90度回転し、何事もなかったように前方の溝に沿って雨戸は進むのだ。これも「からくり」の部類。昔の人は偉かった!
薩摩藩の小京都と呼ばれる「知覧」。薩摩藩は地頭や領主の屋敷を中心として「麓」と呼ばれる武家集落を作り、武士団を集結させることなく分散して統治に当たった。その「麓」の典型的な作例がこの知覧町の武家屋敷群とパンフレットにある。
徳川家は300年足らず。それに比べて鎌倉時代から700年間も南九州を統治してきた島津家。ここ仙厳園は島津光久が1658年に別邸を構えた所。パンフレットは日本語を含めて4ケ国語で説明してある。園内見学コースはAコース50分、Bコースの所要時間は1時間半とある。旧集成館機械工場には工作機械等が展示してあり、鉄を削りだす旋盤やセーパーなどがあったが、何れも動力源は「人力足踏み動力」で時代そのもの。