《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

「くろたん」に会いにったが… (4/4)

2018年12月25日 | Weblog

コーヒーを立てたり、豆腐に使うこだわりの業者の方も汲む
「ごろごろ水屋」を後にして、再び道の駅「吉野路黒滝村」へ。
先ほどの「駅員」さんに声を掛けたら
「あの後すぐに"くろたん"が来た」とのこと。
「残念っ、縁が無かった」等と話をしていると、
なんと「くろたん」が戻ってきた。
ハート形の鼻に触れると幸せになると言うので触らせてもらった。
「人の居るところが好き」と言うけど、
余りにも人が居ななさすぎる村の「幻のゆるキャラ」である。
山林が97%占める吉野杉の産地の黒滝村は、
2040年には人口が235人と予想されているというが…。
「牡丹鍋」で京都の観光客の0.001%でも呼べないだろうか?
「くろたん」頑張れっ。
幻では「あきまへんでっ」。(完)

今日の暦:昭和1(1926)年、大正天皇が没し裕仁親王が践祚、昭和と改元。


「くろたん」に会いに行ったが… (3/4)

2018年12月24日 | Weblog

気温1℃の温泉街は平日の関係か人気はなく、旅館以外は閉店。
歴史博物館も閉館。行者通りを抜けると、
洞窟修行の「蟷螂(とうろう)の窟(いわや)」があり、
その先には古来から大蛇が棲息し、人に危害を加えると言われ、
入る人が無かったので蛇の倉と呼ばれる修験節律根本道場総本山・
大峯蛇之倉七尾山(おおみねじゃのくらななおさん)がある。
さらに進むと「ゴロゴロ茶屋」採水場がある。
駐車場に沿ってパイプが引かれており、
それぞれ車1台分ごとにコックが付いている。
ある人はペットボトル、又ある人はタンク等と、
思いおもいの容器に「ごろごろ水」を入れている。
駐車料金は500円で汲み放題だ。

今日の暦:昭和28(1953)年、奄美群島返還日米協定調印。


「くろたん」に会いに行ったが… (2/4)

2018年12月22日 | Weblog

道の駅「吉野路黒滝村」に着いたが「くろたん」はいない。
駅長や駅員(売店)に尋ねるが「今日は来ないのでは…」とのこと。
では「近くの見どころは…」と尋ねると20分ほど先に「ごろごろ水」があると言う。
猪汁で体を温めて、久しぶりに走る「くねくね道」は国道309号と県道21号線。
天川村洞川温泉街に入った。
過去に河童が訪れた宿場町の旅館街とは一寸雰囲気の異なる洞川温泉街。
それもそのはず、霊場・大峰山への修験道(大峰信仰)の
隆盛と共に登山基地として栄えた温泉街だ。
役の行者の高弟「後鬼」の子孫の里とも言う。
江戸時代の宿場、旅籠はこんな雰囲気だったのだろうか。


「くろたん」に会いに行ったが…

2018年12月21日 | Weblog

毎日新聞夕刊に「人口700人余りの
奈良県吉野郡黒滝村にマスコットキャラクターがいて、
昨年コンテストに出たが目標の100位には程遠く
408位に終わり今年は出場を諦めた…」などと「喜楽帳」あった。
猪をモチーフにした「くろたん」と言うマスコットらしい。
愛おしさを感じ、道の駅「吉野路黒滝村」へ
15日に出現と言うので会いに行った。

今日の暦:安政1(1854)年、日露和親条約が調印される。


今昔奈良名所「鯛(海の幸)や鯉(里の幸)を封じ込めた大型氷柱等が…」

2018年12月20日 | Weblog

国立博物館前にある氷室神社。仁徳天皇、額田大中彦皇子、闘鶏稲置を祀る。
建保5(1217)年に水谷川上(みづたにかわかみ)より遷ったと言う。
水谷川上じゃ月日磐の付近とされ、月日磐付近には氷池があったと伝える。
また、氷室神社楼門東下が氷室の古跡とも伝える。
拝殿は舞楽の舞台になっており、舞光社は南都の楽人たちの氏神とされあた。
境内には44基の石燈籠があり、雅楽の楽器や玩具を彫った石灯篭がある。
44基の内15基には南都石工の嗽楽、權兵衛、嘉助、源助、佐次兵衛、喜三郎の名がある。
画像左側の石燈籠の後ろにある六角燈籠の基礎には春日大社剣先にあるのと同じ、
雌雄の「寝鹿」が彫られている。
5月の献氷祭りの際には、鯛(海の幸の代表)や鯉(里の幸の代表)を封じ込めた
二基の大型氷柱や花氷が供えられる。

今日の暦:大正3(1914)年、東京駅が開業し、東海道本線の起点が新橋から東京に移る。