か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 91

2022年05月20日 | 韓国
<前回からのつづき>

さらには不当な待遇を証言する慰安婦や当事者たちの証言が事実であったとしてもその家族と慰安婦の雇用主の意見はひょっとすると異なることもありうる。例えば、雇用主は慰安婦の父母に会い事実を説明したのち莫大な前払い金を渡したのであろうし父母は当事者たちにこの事実を隠したまま勤労挺身隊に行くのだというほかなかったのだろう。従軍慰安婦問題に関する一次資料では、朝鮮で慰安婦を募集した雇用主たちは少なくとも300円から多い場合は2000円までの大金を父母や家族に渡したことを示している。この場合雇用主は投資額を回収しなければならないため相当期間は慰安婦たちにカネを払えない状況になる。そして慰安婦本人は強制的に引っ張られてきて一銭ももらえずに酷使されたのち手ぶらで故郷に戻ったと思い込んでしまうのだ。




そうだとしたら当時従軍慰安所の規模と運営実態はどうだったのだろうか。戦場が拡大していくにつれ軍は後方(内地)により多くの慰安婦を要請した。これに対し日本政府としては多様な方法で必要な数の慰安婦を供給することに努めたのであろう。中日戦争(日中戦争)までなら現役軍人100名あたり1名の基準を満たすのに特段の支障はなかったが、1941年戦争が東南アジアと太平洋地域に拡大し日本軍の規模が急激に増えそれにより慰安婦の需要も増えた。このようになると日本内地で慰安婦を手に入れることができなくなった抱主(雇用主)は朝鮮や台湾、中国などの地で父母に前金を渡すとか勤労挺身隊に行って大金を稼げるといってだますとかあるいは道端で拉致するなどして慰安婦を調達したらしい。



しかしながらその数字は韓国の国定教科書が主張する10万から20万人には程遠い。日本陸軍史は戦争が最も激烈だった8年間、動員された日本軍は720万から800万と記録されている。海軍と空軍を合わせたとしても1937年以後動員された日本軍の数は900万を超えなかった。敗戦時1945年8月15日現在生存していた日本軍は550万であり、8年間の戦争で死亡した軍人は約170万だ。(図説 陸軍史. 1993,p179)



したがってすべての部隊の慰安所を満たしたとしても慰安婦の考えられる最大の数字は9万名である。従軍慰安婦は平均2年程度仕事をしたので延べ人数で計算しても数字は大差ない。大部分の慰安婦が戦争末期の1~2年の間に集中的に動員されたからである。



しかし、大部分の部隊では慰安婦が絶対的に不足した。2万人規模の師団慰安所が15人の慰安婦を運営していた事例も報告されている。この場合、慰安所の条件を満たそうとすると200人以上の慰安婦が必要である。これは従軍慰安婦の数が最小9千人から最大4万5千人だったという結論になる。



日本と朝鮮、満州地域の駐屯軍はほとんど慰安所を持たなかったのでこの地域の軍隊350万を除外し200人(兵)に一人の慰安婦がいたと設定すると実際の慰安婦は約3万名だったということになる。これは上記の推定範囲内に入る合理的な数字だ。どんな計算であれ推定であれ韓国が主張する10万から20万という数字はあり得ないもののようだ。そのうえこれは動員されたすべての従軍慰安婦の総数であるので「朝鮮と台湾および占領地域の10万名から20万名におよぶ女性を詐術や暴力を使い連行した」という韓国の教科書の主張がいかにとんでもない創作であるか簡単に分かることだ。


<次回につづく>


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