<前回のつづき>
その後幕藩体制の時代になると日本の封建体制は大きな変化を遂げる。江戸時代の日本でわかるのは安定し高度に組織化された中央集権的封建制度は地形上孤立した日本独特の事物であること。ヨーロッパでは地域によってこのような中央集権的封建制度が現れなかったか現れたとしてもわずかな時期だけつづいたのであるが、これは互いに国境を接していたヨーロッパは日本の場合よりもさらに激しい競争をするほかなかったためだ。このような理由でヨーロッパの後期封建制度は速やかに日本式統一封建制度の段階を経てさらに中央政権的な民族国家に成長した。このように封建制度は人類の歴史上全世界の2ヵ所にのみ表れたとてもまれな現象である。
であるとしたらなぜ日本とヨーロッパにのみ封建制度が現れたのか。日本の学説によると封建制度は異質な社会政治的要素が特殊な形態で互いに融合したものだという。すなはち封建制度が成立するためには強力で発達した法令体系とこれを執行できる政治組織が存在しなければならず、これをより広い範囲で統合する中央集権政府が存在しなければならないという。
この三つの要素の中で一つ二つが欠けるとか力を持ちすぎるとかすればその社会は原始的な部族社会段階を抜け出られないばかりか王がすべての権力を持つ専制君主の形態なってしまうだろう。封建制度が稀であったのはこの「均衡状態」という状態を保つのが難しかったためだ。狭い地域を包括している発展した法と政治組織は中世ヨーロッパの場合ドイツの部族国家戦士団(騎士団)が最初であり日本は古代氏族制度にその起源が見える。
六朝時代の中国でも似たような形態の社会が発達し封建制度に移行する契機になったのだが最終的には成熟できずに消滅した。このような場合はこれら地方権力と中央権力という二つの要素の間に適当な均衡が維持できなかったからであるが、中国は中央政府の力があまりにも強かった場合でありまたほかの国では部族国家の傾向が圧倒的に強く中央政府が発展できなかった事例も散見できる。その結果ヨーロッパと日本を除いた地域では古代氏族社会だとか部族社会の中で一つ二つが強くなったとか連合して周辺地域を従わせることで封建社会の時期を経ずして一足飛びに大規模な専制(君主)王朝に発展した。
であるなら封建制度はなぜ近代化に有利な条件を作ったのか。世界の大部分の地域で現れた専制制度に比べると封建制度のもとではそれぞれの経済主体の法律的な義務と権利が重要視されておりこれによって近代の法治主義という概念に適応できる社会の発達が進行したからである。また、封建領主は征服とか領土の拡大よりは土地の所有と土地税の徴収に専念したため領主の統治を受ける商人と製造業者は国家に属することよりもさらに幅広い活動範囲を持てた。
このように自由な経済と先に述べた法律関係の発達が互いに相乗作用をなし生産力を向上させその結果近代的な形態の産業社会が胎動を始めたのである。封建社会で経済主体にあらえられた活動の自由は実用的な倫理観を育て分権と自治という政治制度は指導者に対し強い義務感と責任感を要求した。これによって活発で進取的な挑戦精神と起業家精神が現れたのであるが、これは近代ヨーロッパと日本の大きな特徴をなすものである。
韓国(大韓帝国)においての経済単位の発展は自発的ではなく伝来的でし
かなかった。伝来的であるということはある発展した経済組織を持つほか
の文化に同化することだ。これは韓国の土地を開拓し耕作し徐々にこれを
資本化できるようにその価値を高める方法を知るものしかできないこと
だ。であるなら韓国に多くの経済的設備をもたらし数千年海交流を潮てき
た培った理解と共感で韓国人を使うのに慣れまた韓国人の土地を事実上私
有し徐々に農業経営をはじめて、中でもその生産品である米と豆(大豆)
に対し最大の顧客であるわが日本人はこの使命を果たすことのできる最も
ふさわしい者ではないのか!
ましてやその封建的教育は世界史的に完璧に行われたものの中の一つであ
り土地に対しては最も集中的な農業者であり人について言うと韓国人の最
も欠けた勇敢な武士道精神の代表者であるわれら日本民族は、いかなる封
建的な教育とこれを土台にした経済単位の発展を成し遂げられずにいる韓
国人に対しその腐敗衰亡の極致に至った民族的特性を根底から消滅させ我
らに同化させる当然の名分と義務を持ち有力優秀な文化の重大な使命に臨
む者ではないのか。
福田がこの論文を発表した当時はすでにロシアと日本の戦争が既成事実として固まっていた時期であることからしてある程度は日本を美化し朝鮮に対する侵略を正当化しようとする目的性と意思があったようだ。しかし彼が主張した基本的な事実は否定しがたい。
以後、福田の停滞性理論は、福正男、三谷、四方博など主に日本のほかの経済史学者に継承され発展し今日に至る。彼らは福田の思想を受け継ぎ朝鮮は発展困難な停滞した経済であると規定し朝鮮が発展したのは日本資本の栄養と血液だったと看破した。四方博は世界経済を見て資本主義が成立する条件は最初に自己社会の陣痛を通じてなされることであり二つ目が偶然に外来資本主義の刺激に強要されて望まない形で資本主義の段階に入る場合であり、前者は西欧と日本の場合であり韓国は後者の場合に属するとした。
<つづく>