か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

消えた笠原小学校

2014年11月14日 | 受験・学校

その時はどんなに憎んでいたとしても、死んだり引っ越して行ったりして目の前から消えると、しだいに寂しさがつのってくる。

想い出は美化され、よかったことだけが残る。

ふもとの息子夫婦の断熱の効いた暖かい部屋に身を寄せていても、時折は隙間風に苦しんだ山間の軽トラも入らぬ急坂の上の家が懐かしくなる。

便利さ、快適さを責める人はいない。しかしはたして、都会が持つ「よいもの」はウソをついていないか。あるいは、「まぼろし」ではないか。たのしみで作った白菜を道の駅で売るとき感じた充実感を、マンションの一室ではいかにして得ようか。


学校の統合が進んでいる。能率、安全、成果、・・・ たしかに、息子の扶養に入ったほうが道の駅でいくばくかの白菜を売るより能率がいい。限界を超えた集落に一人で住むのは危険極まりなく都会が安全なことは統計の示すとおりだ。

山間部に住む子供はバスで送り迎えを受け、山の学校は消えた。子供のいる家はバスの時間を気にして、小学校の校門はそのバス停に変わった。

福島に行けば九州の大工は日当が2万だ。とても林業では夢の夢。ガキが高校上がったら通学は無理だからわしも山を降りる。

村落は限界をこえ崩壊し、山は間伐ができず数万本の檜が価値を失う。


僕は何も無制限に学校の統廃合に反対しているのではない。むしろ統廃合を推進してきた。しかしそこには合理性がなければならない。子供が減った。A町とB町の境界があるため、その境界をはさんで二つの小規模校がある。それどころか背中合わせに3校の高校がある。・・・

こんな場合は統合してよい。日本社会党は頭が悪いのですべてに反対して不当な既得権(少ない授業コマ数、授業時間、定時制手当て10%)を護った。北九州市の定時制高校は10校以上あり教員は手当てをもらいつつ週10コマ程度(2コマの人もいた)の35~40分/1コマの授業をしていた。今にすれば100万以上の給与だ。こんな10校は3校程度にまとめればよい。

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全国の公立学校のうち平成24年度に598校、25年度に482校が廃校になったことが、文部科学省が13日に発表した調査で分かった。少子化による児童・生徒数の減少や、市町村合併に伴う統廃合が主な原因で、15年度以降の廃校数は毎年度400校を超え、高止まりの状況が続いていることが明らかになった。
                                産経新聞 11月13日(木)21時3分配信

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トータルすると、全国ここ10年で5100校が消えた。

やることが巧妙だ。時としては大量復員者の受け皿として、国策として引き揚げ者たちの開拓団は山に入った(戦後)。高度経済成長とともに木材価格が高騰すると人口増にあわせ山中に新設小学校まで作った。しかし、外国材が入ると林業は衰退し即座に閉校にした。

分かった顔をして偉そうに言う顔が浮かぶ。その時の人口に応じて学校が増えたり減ったりするのは当たり前だ、と。

そんなら僕が述べてきたことはすべてノスタルジーに過ぎなくなる。

今、廃校になっている小学校の在籍児童数はほとんど開設時(明治10年前後)の4倍程度だ。子供が減ったから廃校にする、合併するというのは屁理屈だ。

まず、住民の業種は一種類だ。都市とは違う。収入の道を確保しようとする政策はいくらでも取れたのにそれを怠った。民間企業による山林復活の試みはいたるところで成功している。木の一本も切ったことのない公務員がふらっと思いついたことなどことごとく失敗する。

とにかく高級低脳公務員の無作為犯(何もしないことでしでかす犯罪)により限界集落は増え行政機関は撤退した。

困ったのは学校だ。校長になるというぐらいがせいぜいのエサなのに、学校が減って校長のイスも減った。何と昔は校長も授業をするのが当たり前だったし子供の実情を把握する上では必要なことだが、いまや、教務主任もあわせ3.5人のタダ飯食いを校内に配置してイスを確保し不満を抑えた。


木屋小学校 平成26年3月31日 〒834-1204
八女市黒木町木屋2422番地
笠原小学校 平成26年3月31日 〒834-1222
八女市黒木町笠原4341番地1
大淵小学校 平成26年3月31日 〒834-1202
八女市黒木町大淵3998番地  (以上2014年3月31日廃校)

黒木小(存続校)へ統合(この部分は詳しく別記事で後述する)

今年の3月まで子供の声が響いていたはずだ。市議もさして廃校に反対しない。平成の大合併があり必ずしもその土地の代表ではなくなっている。縦割りの皮肉として、校舎増改築は担当部署が違うので、廃校が決まっていてもどんどん行われる。

新しい校舎にいるのは猫だけだ。

データとして示せるよう各地の教育委員会を回った。協力していただいたところのみこうして書けるので、非難するようになり申し訳ない。僕は危機感を持った。

教育とは、能率とか効率とかを求めて、子供に芸を仕込むところではない。子供が行きたくなかったら行く必要はない。だが、行きたくなったら学校はそばになければならない。

それが一等国の資格だ。











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