か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

学校の先生はつらいよ

2014年09月12日 | 教育

およそ日本国は、戦前戦後を通じて義務教育には期待していない。いや、津々浦々に学校を建てた、と反論した気になる人がいる。学校はほとんどの田舎では村民の拠出金で建った。

だが、先生たちの経費までは出ない。先生たちは、たかが一升の米も買えない給料で献身的に列強に伍する日本を夢見てはたらいた。

残念ながら、末端教育者がまじめであったのと、制度が機能していたのとは違う。700万陸軍が世界最強を自負したとき、村の小学校の先生は無給が多かった。わずか駆逐艦一隻、2500万円(当時)を教育にまわしたらすべての問題は解決したのに。

帝国は貧乏なくせに慢性戦争状態を続け、膨大な戦死者とその遺族を生んだ。兵は招集され2年近く経たないと戦死しても遺族に年金は出なかった。2年以上生き残ったもののみ利用価値があるのであり、すぐ死ぬものに年金はもったいない。

女は学問せんでよか(しなくていい)、という考えは、田舎では今も根強い。女性自身が納得しているから改善のしようがない。

女性がまともに小6まで進級することはまれで、級友が学校に行くのを眺めながら田の草取りをするのが通常だった。いわんや女学校なんて、男子が中学に行くよりまれだった。

夫が戦死した軍国の妻が、まれに女学校を出ているときは、臨時免許を与えたりして代用教員として近くの小学校に勤めさせた。

国は少国民(軍国少年)の育成に役立つと考え、村人は寡婦のがんばりを表面では尊敬した。敗戦とともに軍人が復員すると、その代用教員は陰に陽に圧力を加えられ復員兵のために職場を譲らねばならず、本人は田の草取りに戻った。

ある程度優遇するが、根本では安上がり過重労働をさせる。この義務教育軽視傾向は、現代の教員の待遇にもよく現れる。戦前戦後を通じて、その低賃金ですら得がたいものだった。著しい貧困により、賃金水準は飢餓線上をさまよった。

教育学部生に対する返済免除バラ撒き奨学金は、平成10年まで続いた。社会保障の一環として、行き所のない貧乏人の子弟をかき集める。貧乏人にあぶく銭を与えてはいけないことを、近代の知識が不足する日本は、知らなかった。

低脳どもが、志もなく小さな地位と薄給のため遊びに行く大学というところを、わざわざ無償で提供した。

そうすると、いきおい学園はセックスの花園となる。ほとんど女だ。ほとんど低脳だ。そして、すべて貧乏だ。何もしなくともタダで先生になれる。周りは何の根拠もなく戦前からの惰性で尊敬する。

ここでつらいのは男だ。周りにブスしかいないとそこそこのブスが美人に見えてくる。性欲に任せてやっちまうと、ブスの深情けはダイオウイカの触手のように男の局部をつかんで離さない。終わりだ。

卒業し先生になっても、バカが改善するはずはない。ことの本質が分からないために末子末葉にこだわり、やたら会議をしたがる。

会社にもいるだろ。何ちゃって上司。お前が決めろよ、と思うのに、あ、それなら会議にかけよう、といって責任逃れをする。不要な会議という時間が生じ必要な時間が削られる。

本質を抑えたらあとは部下を信用しろ。

学校でいうと、「命の教育」だ。まさに平和教育だ。人殺し小学生や自殺者が出ると、教育委員会は言い逃れのために「命の教育」ごっこをしてお茶を濁す。

教育委員会とは教員上がりの低脳の巣である。当たりくじのないくじを引くようだ。ハズレ小学校から集めた委員会は、何回メンバーが変わろうとハズレだ。

「命の教育」の内容批判は、またいつか必ず行う。

平和の象徴が鳩だから、鳩をかわいがって平和になろう、と本気で教えているから、脳細胞が異常になっているようだ。




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